〈識者が見つめるSOKAの現場〉 寄稿 「福島に生きる人々」を巡って㊤
〈識者が見つめるSOKAの現場〉 寄稿 「福島に生きる人々」を巡って㊤
2022年4月8日
- 東京大学大学院 開沼博 准教授
- 東京大学大学院 開沼博 准教授
学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」では、「福島に生きる人々」をテーマに、取材ルポを2回にわたって掲載した(3月11日、26日)。それに連動して、社会学者の開沼博氏が2月下旬に福島を訪問。地震、津波、原発事故という複合災害に見舞われた同地で、励ましの輪を広げる学会員を取材した。社会学の視点から、人間に寄り添う学会の原動力を考察した寄稿を、上下に分けて掲載する。(㊦は明日付で掲載予定)
学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」では、「福島に生きる人々」をテーマに、取材ルポを2回にわたって掲載した(3月11日、26日)。それに連動して、社会学者の開沼博氏が2月下旬に福島を訪問。地震、津波、原発事故という複合災害に見舞われた同地で、励ましの輪を広げる学会員を取材した。社会学の視点から、人間に寄り添う学会の原動力を考察した寄稿を、上下に分けて掲載する。(㊦は明日付で掲載予定)
足を運んでこそ
足を運んでこそ
私は福島県いわき市で生まれ育ち、2006年からは福島の原子力発電所を研究対象としてきました。11年の東日本大震災以降は、福島第一原発周辺地域をはじめ、被災地の復興に多面的に携わっています。
福島を巡っては、復興の問題がステレオタイプ(紋切り型)化されて語られてきました。例えば、「福島=放射線の被ばく」「福島=避難」というように。もちろんそれが大事なテーマであることは否定しませんが、過剰なステレオタイプが福島の問題の全てであるかのように論じられてきてしまったことは、風評や差別・偏見の問題を根深いものとし続けています。
実際に地域を苦しめる課題は、高齢者の孤立や医療福祉体制の崩壊など、どこにでも見られる細かく地味な問題であり、また、決して悲劇だけがそこに存在するわけでもない。福島をステレオタイプの中に押し込めながら何かを語ることは、状況が常に変化し続ける被災地にとって、本当に必要とされている議論とは大きな乖離があるのは否めません。
ステレオタイプ化された「いかにも福島らしい問題」の背後には、一様にはくくれない問題の複雑さがある。それは、実際に足を運ばないと見えてきません。
私は福島県いわき市で生まれ育ち、2006年からは福島の原子力発電所を研究対象としてきました。11年の東日本大震災以降は、福島第一原発周辺地域をはじめ、被災地の復興に多面的に携わっています。
福島を巡っては、復興の問題がステレオタイプ(紋切り型)化されて語られてきました。例えば、「福島=放射線の被ばく」「福島=避難」というように。もちろんそれが大事なテーマであることは否定しませんが、過剰なステレオタイプが福島の問題の全てであるかのように論じられてきてしまったことは、風評や差別・偏見の問題を根深いものとし続けています。
実際に地域を苦しめる課題は、高齢者の孤立や医療福祉体制の崩壊など、どこにでも見られる細かく地味な問題であり、また、決して悲劇だけがそこに存在するわけでもない。福島をステレオタイプの中に押し込めながら何かを語ることは、状況が常に変化し続ける被災地にとって、本当に必要とされている議論とは大きな乖離があるのは否めません。
ステレオタイプ化された「いかにも福島らしい問題」の背後には、一様にはくくれない問題の複雑さがある。それは、実際に足を運ばないと見えてきません。
吉田幸子さん㊧と開沼准教授
吉田幸子さん㊧と開沼准教授
前へ進む原動力
前へ進む原動力
2月26日、福島県内の各地を訪れ、創価学会員の方々を取材しました。
私のような外部の者からすれば、学会にも、ステレオタイプで語られがちな側面があると感じていました。例えば、「学会=折伏」「学会=池田先生との師弟関係」というように。しかし実際に会員の方々と話してみると、価値観も生き方も、信仰体験も人それぞれ。固まっているように映っていた一つの組織が、常に変化し続ける多様な要素で構成される集団であることが理解できました。
お会いした一人の吉田幸子さんは、浪江町で熱心に学会の活動をしつつ、外部も含めて多様で複雑な立場の人々をつなぎ直す貴重な役割を果たしていました。
<東日本大震災の発生当時、吉田さんは都内の病院で看護師長として勤務していた。被災地の惨状に胸をえぐられ、悩み、祈り抜く中で浪江町への移住を決意。町役場の任期付き職員として採用され、この春で5年目。町外避難者への保健指導や自殺防止対策、新型コロナワクチン接種の人的、物的資源の確保などを担う>(3月11日付のルポ㊤を参照。以下同様)
原発事故の影響で立ち入ることすらできなかった浪江町の、避難指示解除が始まったのは5年前。
印象的だったのは、地元出身ではない吉田さんが町民の誰にでも気軽に声を掛けてきたということです。もちろん、冷ややかな対応をされたこともあったと思います。しかし吉田さんは、相手のことをよく知りたい、何か力になりたいという思いを行動に移し続けてきた。それは学会活動への思いと同じだとも言っていました。
信仰に基づき、人を信頼し声を掛けていく。この態度が、周囲から信頼され、見知らぬ土地で前に進み続ける原動力になっているのだと感じました。
2月26日、福島県内の各地を訪れ、創価学会員の方々を取材しました。
私のような外部の者からすれば、学会にも、ステレオタイプで語られがちな側面があると感じていました。例えば、「学会=折伏」「学会=池田先生との師弟関係」というように。しかし実際に会員の方々と話してみると、価値観も生き方も、信仰体験も人それぞれ。固まっているように映っていた一つの組織が、常に変化し続ける多様な要素で構成される集団であることが理解できました。
お会いした一人の吉田幸子さんは、浪江町で熱心に学会の活動をしつつ、外部も含めて多様で複雑な立場の人々をつなぎ直す貴重な役割を果たしていました。
<東日本大震災の発生当時、吉田さんは都内の病院で看護師長として勤務していた。被災地の惨状に胸をえぐられ、悩み、祈り抜く中で浪江町への移住を決意。町役場の任期付き職員として採用され、この春で5年目。町外避難者への保健指導や自殺防止対策、新型コロナワクチン接種の人的、物的資源の確保などを担う>(3月11日付のルポ㊤を参照。以下同様)
原発事故の影響で立ち入ることすらできなかった浪江町の、避難指示解除が始まったのは5年前。
印象的だったのは、地元出身ではない吉田さんが町民の誰にでも気軽に声を掛けてきたということです。もちろん、冷ややかな対応をされたこともあったと思います。しかし吉田さんは、相手のことをよく知りたい、何か力になりたいという思いを行動に移し続けてきた。それは学会活動への思いと同じだとも言っていました。
信仰に基づき、人を信頼し声を掛けていく。この態度が、周囲から信頼され、見知らぬ土地で前に進み続ける原動力になっているのだと感じました。
加藤貴之さんの取材
加藤貴之さんの取材
内外に信頼を
内外に信頼を
福島市にある土湯温泉の加藤貴之さんも、学会の内外に信頼を広げてこられました。
<加藤さんは、同市土湯温泉町でNPO法人「土湯温泉観光協会」の会長を務め、地域の発展のために奮闘している>
震災やコロナ禍で観光業が打撃を受ける中、土湯では今、空き旅館が解消しつつあり、移住者も増えていると伺いました。
土湯は、常に新しいアイデアを打ち出し、対外的メッセージの発信にも力を入れる若々しく活発な印象のある温泉地です。同時に、学会員の方々の熱心な活動が、長年にわたって根付いてきた地域でもあります。加藤さんのように、地域の活性化と信仰との両面に熱心な若手リーダーがいる。逆境に、皆で結束して向き合う根本に信仰があり、地域の誰もが納得のいく形での合意形成にも、普段からの学会の活動がつながっている。信仰の実践と、地域コミュニティーとの接点がうかがえました。
いわき市では、私が子どもの頃に通っていた理美容店の現在の経営者で、小中学校の後輩でもある鈴木明夫さんと再会しました。
<鈴木さんは、いわき市内の理美容店を、母、姉と共に経営している>
仕事においても信仰においても、鈴木さんは亡くなったお父さまの遺志を継いでいます。生まれる前から活動していたのではないかと思うほど、信仰が鈴木さんの血肉になっていると感じました。思春期でも信心と距離を置いたり、疑ったりしなかったという話も印象的でした。世代間継承の困難はどんな領域でも起こっている課題ですが、信仰と理美容店の経営との両面でそれを乗り越えている。
鈴木さんは仕事などの目標をノートに記入し、毎日の勤行・唱題で祈念していると教えてくれました。また、決めた目標は座談会などの場で人に言うようにしている、とも。
ビジネスなどでも、目標を書き出し、定期的に振り返ることに効果があるといわれます。一般的にも広まっているそうした自己研さんが、信仰の実践の中で自然と行われているのを知ることができたのは新鮮でした。何より鈴木さんが、いかに日常生活と信仰が強く結び付いているのか具体的な例で話してくれたからこそ、説得力がありました。
福島市にある土湯温泉の加藤貴之さんも、学会の内外に信頼を広げてこられました。
<加藤さんは、同市土湯温泉町でNPO法人「土湯温泉観光協会」の会長を務め、地域の発展のために奮闘している>
震災やコロナ禍で観光業が打撃を受ける中、土湯では今、空き旅館が解消しつつあり、移住者も増えていると伺いました。
土湯は、常に新しいアイデアを打ち出し、対外的メッセージの発信にも力を入れる若々しく活発な印象のある温泉地です。同時に、学会員の方々の熱心な活動が、長年にわたって根付いてきた地域でもあります。加藤さんのように、地域の活性化と信仰との両面に熱心な若手リーダーがいる。逆境に、皆で結束して向き合う根本に信仰があり、地域の誰もが納得のいく形での合意形成にも、普段からの学会の活動がつながっている。信仰の実践と、地域コミュニティーとの接点がうかがえました。
いわき市では、私が子どもの頃に通っていた理美容店の現在の経営者で、小中学校の後輩でもある鈴木明夫さんと再会しました。
<鈴木さんは、いわき市内の理美容店を、母、姉と共に経営している>
仕事においても信仰においても、鈴木さんは亡くなったお父さまの遺志を継いでいます。生まれる前から活動していたのではないかと思うほど、信仰が鈴木さんの血肉になっていると感じました。思春期でも信心と距離を置いたり、疑ったりしなかったという話も印象的でした。世代間継承の困難はどんな領域でも起こっている課題ですが、信仰と理美容店の経営との両面でそれを乗り越えている。
鈴木さんは仕事などの目標をノートに記入し、毎日の勤行・唱題で祈念していると教えてくれました。また、決めた目標は座談会などの場で人に言うようにしている、とも。
ビジネスなどでも、目標を書き出し、定期的に振り返ることに効果があるといわれます。一般的にも広まっているそうした自己研さんが、信仰の実践の中で自然と行われているのを知ることができたのは新鮮でした。何より鈴木さんが、いかに日常生活と信仰が強く結び付いているのか具体的な例で話してくれたからこそ、説得力がありました。
鈴木明夫さんの取材
鈴木明夫さんの取材
皆が安心して集える居場所を
誰にも開いてきた学会の強さ
皆が安心して集える居場所を
誰にも開いてきた学会の強さ
双葉会館では、原発事故の後、復興事業の拠点になってきた広野町を中心に活動する、広野支部の皆さんにお話を伺いました。
<参加したのは山道博幸さん(支部長)、黒田照子さん(支部女性部長)、辻貴幸さん(男子部部長)、金澤金治さん(副県長)・清子さん(総県女性部総主事)夫妻>(3月26日付のルポ㊦を参照)
聖教新聞の記事には、山道さんのこんな言葉がありました。
「それぞれの事情、苦労があって、状況も変化します。帰還する人、移住する人、まだ決められない人。いろんな人がいるけれど、人それぞれの考えを尊重して、今いる場所で信心し切っていけば、必ず開けるからって、応援してきました」
私自身、「帰還か移住か」という単純化された二項対立ではなく、「今は決められない」という立場を尊重することの大切さを訴えてきました。三つのどれを選んでも、問題なく生活が送れるようサポートしていくことが大切です。
山道さんの言葉は、安易な二項対立に陥らずに、現場にあるリアリティーをすくい取っている。福島の問題に限りませんが、現代は安易な二項対立であふれています。敵か味方か。右か左か。敵でも味方でもなく、右でも左でもないような理解しにくいものを、見て見ぬふりをしてしまおうとする気分が加速している。そこで重要になるのは、「自分の見える世界」の外の世界を想像する視点を獲得した上で、再び自分の世界に向き合う力です。
山道さんは、20代半ばまで信仰から遠ざかっていた時期があったものの、熱心な先輩の励ましで再び活動をするようになったそうです。仕事も忙しくなる20代半ばで活動に力を入れるのは、なかなか大変だったでしょう。
学会の「強さ」の根源に何があるのか。その一つの答えが、山道さんのような人も包摂する仕組みを内包していることにあるというのは大きな発見でした。つまり、外部からは学会員といえば、皆活動に熱心で、視野が常に内部に向いて固定しているようなイメージもありますが、実際はそうではない。活動をしていなかったり、活動から離れたりする人もいる。ただ、そういう人でも人生のある瞬間にぱっと戻ってこられるような、弱く柔らかなつながりが存在し、激励が行き届く仕組みがある。
現代は、国家と個人の間にある「中間集団」が崩壊し、そのリスクにバラバラの個人がさらされている。これを社会学では個人化と言います。地縁・血縁、職場などが用意した中間集団は弱体化し、あるいは、残った中間集団は“たこつぼ化”して同調圧力が強く、一度出るのであれば、二度と戻ってこられないという感覚が強い。
その中で、学会がもつ弱く柔らかなつながりや柔軟性は、内部の人にとって安心できる、貴重な居場所になっているのでしょう。もちろん、多くの人に活動に参加してもらおうとする上で、会合に来ない人を大切にできないような不寛容な組織であれば、学会はここまで発展することもなかったと思います。改めてそう考えてみると、合点がいきました。
双葉会館では、原発事故の後、復興事業の拠点になってきた広野町を中心に活動する、広野支部の皆さんにお話を伺いました。
<参加したのは山道博幸さん(支部長)、黒田照子さん(支部女性部長)、辻貴幸さん(男子部部長)、金澤金治さん(副県長)・清子さん(総県女性部総主事)夫妻>(3月26日付のルポ㊦を参照)
聖教新聞の記事には、山道さんのこんな言葉がありました。
「それぞれの事情、苦労があって、状況も変化します。帰還する人、移住する人、まだ決められない人。いろんな人がいるけれど、人それぞれの考えを尊重して、今いる場所で信心し切っていけば、必ず開けるからって、応援してきました」
私自身、「帰還か移住か」という単純化された二項対立ではなく、「今は決められない」という立場を尊重することの大切さを訴えてきました。三つのどれを選んでも、問題なく生活が送れるようサポートしていくことが大切です。
山道さんの言葉は、安易な二項対立に陥らずに、現場にあるリアリティーをすくい取っている。福島の問題に限りませんが、現代は安易な二項対立であふれています。敵か味方か。右か左か。敵でも味方でもなく、右でも左でもないような理解しにくいものを、見て見ぬふりをしてしまおうとする気分が加速している。そこで重要になるのは、「自分の見える世界」の外の世界を想像する視点を獲得した上で、再び自分の世界に向き合う力です。
山道さんは、20代半ばまで信仰から遠ざかっていた時期があったものの、熱心な先輩の励ましで再び活動をするようになったそうです。仕事も忙しくなる20代半ばで活動に力を入れるのは、なかなか大変だったでしょう。
学会の「強さ」の根源に何があるのか。その一つの答えが、山道さんのような人も包摂する仕組みを内包していることにあるというのは大きな発見でした。つまり、外部からは学会員といえば、皆活動に熱心で、視野が常に内部に向いて固定しているようなイメージもありますが、実際はそうではない。活動をしていなかったり、活動から離れたりする人もいる。ただ、そういう人でも人生のある瞬間にぱっと戻ってこられるような、弱く柔らかなつながりが存在し、激励が行き届く仕組みがある。
現代は、国家と個人の間にある「中間集団」が崩壊し、そのリスクにバラバラの個人がさらされている。これを社会学では個人化と言います。地縁・血縁、職場などが用意した中間集団は弱体化し、あるいは、残った中間集団は“たこつぼ化”して同調圧力が強く、一度出るのであれば、二度と戻ってこられないという感覚が強い。
その中で、学会がもつ弱く柔らかなつながりや柔軟性は、内部の人にとって安心できる、貴重な居場所になっているのでしょう。もちろん、多くの人に活動に参加してもらおうとする上で、会合に来ない人を大切にできないような不寛容な組織であれば、学会はここまで発展することもなかったと思います。改めてそう考えてみると、合点がいきました。
広野支部の学会員と(双葉会館で)
広野支部の学会員と(双葉会館で)
なぜ座談会か
なぜ座談会か
震災後、広野支部で最初の座談会を開催したのは、2011年の10月。伺ってみたところ、座談会を再開する以前にも、すでに個人同士で会い、激励や交流がなされていたとのことです。ではなぜ、あえて「座談会」という形で集まることを、皆が望んだのか。素朴な疑問でした。
「学会の伝統である座談会を開催することが、復興の一つの証し」
「特別な場所に行くのではなく、家族に会いたいから会うような感覚」
「一人一人に光を当てる座談会は、全員が主役」
支部の皆さんと話す中で、座談会は、集まること自体に目的があり、皆の居場所としての機能を果たしていることを、再確認することができました。
この連載に臨むに当たって、まずは戸田第2代会長が書かれた小説『人間革命』を読んだのですが、学会が草創期から、座談会を大事にしてきたことが分かります。当時から今に至るまで、集うことに価値を置いてきた学会の一貫性がよく分かります。
元気になりたい、仲良くなりたいというだけなら、飲み会のような懇親の場もその機能を果たすかもしれません。しかし、そういう場は個人化の中で失われ続けてきた。コロナ禍はそれを加速させています。
集まること自体に価値を見いだす座談会を、当たり前の活動として持っていることもまた、学会の強さの根源にある仕組みだと感じました。
震災後、広野支部で最初の座談会を開催したのは、2011年の10月。伺ってみたところ、座談会を再開する以前にも、すでに個人同士で会い、激励や交流がなされていたとのことです。ではなぜ、あえて「座談会」という形で集まることを、皆が望んだのか。素朴な疑問でした。
「学会の伝統である座談会を開催することが、復興の一つの証し」
「特別な場所に行くのではなく、家族に会いたいから会うような感覚」
「一人一人に光を当てる座談会は、全員が主役」
支部の皆さんと話す中で、座談会は、集まること自体に目的があり、皆の居場所としての機能を果たしていることを、再確認することができました。
この連載に臨むに当たって、まずは戸田第2代会長が書かれた小説『人間革命』を読んだのですが、学会が草創期から、座談会を大事にしてきたことが分かります。当時から今に至るまで、集うことに価値を置いてきた学会の一貫性がよく分かります。
元気になりたい、仲良くなりたいというだけなら、飲み会のような懇親の場もその機能を果たすかもしれません。しかし、そういう場は個人化の中で失われ続けてきた。コロナ禍はそれを加速させています。
集まること自体に価値を見いだす座談会を、当たり前の活動として持っていることもまた、学会の強さの根源にある仕組みだと感じました。
変化に応じる柔軟性と
変わらず続ける一貫性
変化に応じる柔軟性と
変わらず続ける一貫性
取材を通して実感しているのは、「ぼんやりと立てていた自分の仮説が、証明された」ということです。
本企画の開始に当たってのインタビュー(3月5日付)でも述べた通り、私は被災地で復興支援に携わる多くの団体が、その活動を継続していく中で、学会が長年、やってきた活動に似たことをやり始めていると考えていました。実際に学会員のお話を伺い、それが明らかになったという印象です。
訪問での激励、集うこと自体が目的となる場の定期開催。なかなか外に出る気持ちになれない人たちが、新しい日常に至れるように導いていくこと。それらはさまざまなNPOやボランティア団体が試行錯誤の中で、取り組むようになる方法の典型です。それを学会の皆さんは、以前から長くやってこられたのだなと改めて認識しました。
戦後社会の中で、営利企業や他の宗教団体も活動の維持・拡大を目指しつつも、その多くが時間の経過の中で弱り、淘汰されてきた。しかし学会は、災害やコロナ禍をはじめとする社会の課題に直面するたびに、状況の変化に活動のあり方をカスタマイズさせ、進化してきた。この歴史的な一貫性こそが、創価学会の強さなのだと思います。
取材を通して実感しているのは、「ぼんやりと立てていた自分の仮説が、証明された」ということです。
本企画の開始に当たってのインタビュー(3月5日付)でも述べた通り、私は被災地で復興支援に携わる多くの団体が、その活動を継続していく中で、学会が長年、やってきた活動に似たことをやり始めていると考えていました。実際に学会員のお話を伺い、それが明らかになったという印象です。
訪問での激励、集うこと自体が目的となる場の定期開催。なかなか外に出る気持ちになれない人たちが、新しい日常に至れるように導いていくこと。それらはさまざまなNPOやボランティア団体が試行錯誤の中で、取り組むようになる方法の典型です。それを学会の皆さんは、以前から長くやってこられたのだなと改めて認識しました。
戦後社会の中で、営利企業や他の宗教団体も活動の維持・拡大を目指しつつも、その多くが時間の経過の中で弱り、淘汰されてきた。しかし学会は、災害やコロナ禍をはじめとする社会の課題に直面するたびに、状況の変化に活動のあり方をカスタマイズさせ、進化してきた。この歴史的な一貫性こそが、創価学会の強さなのだと思います。
<プロフィル>
<プロフィル>
かいぬま・ひろし 1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学大学院情報学環・学際情報学府准教授。専門は社会学。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程単位取得満期退学。福島大学特任研究員、立命館大学准教授などを歴任。主な著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(毎日出版文化賞)『漂白される社会』『はじめての福島学』『日本の盲点』など。
かいぬま・ひろし 1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学大学院情報学環・学際情報学府准教授。専門は社会学。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程単位取得満期退学。福島大学特任研究員、立命館大学准教授などを歴任。主な著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(毎日出版文化賞)『漂白される社会』『はじめての福島学』『日本の盲点』など。
ご感想をお寄せください。
kansou@seikyo-np.jp
ファクス 03-5360-9613
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