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〈識者が見つめるSOKAの現場〉 寄稿 「若者と信仰」を巡って㊦ 2022年10月31日

  • 東京大学大学院 開沼博 准教授

 ※寄稿の㊤(29日付)はこちらから。

 学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」。29日付に続いて、社会学者の開沼博氏がルポの現場を訪れ、青年世代の学会員の原動力を考察した寄稿「『若者と信仰』を巡って」の㊦を掲載する。

開沼准教授㊧と野﨑里穂さん㊥、中村千穂さん
開沼准教授㊧と野﨑里穂さん㊥、中村千穂さん
水の流れる信心

 これまで学会員の方々の話を伺う中で、「悩み」という言葉をよく聞いてきました。信仰の原動力に、その悩みとの対峙がある。現代的な悩みと正面から向き合いつつ、信仰を深める若者たちの姿を今回の大阪での取材で見ることができました。(ルポ㊦の大阪編は10月8日付を参照)
 
 近所でも有名な“学会一家”だという、野﨑家の3姉妹。
 
 <長女の野﨑里穂さん、次女の中村千穂さん、三女の野﨑花穂さん。広布の会場として提供されていた実家で、人の幸福に尽くす両親の姿を見て育った>
 
 次女の千穂さんは、悩みを一つ一つ乗り越える中で信仰を深めたという。ただ、そこでいう悩みには、例えば「ニキビを治したい」というような、ともすれば他の人たちが悩みとも捉えないような小さな悩みまで含まれる。そういう些細なことまで含めて、千穂さんは常に悩みに向き合い祈り続けてきたわけです。
 悩み、祈り、解決する。それを繰り返すことがルーティンになっていった。すると、時にやってくる大きな悩みにも鷹揚に構えていられる。祈っても短期的には思い通りにならないことも当然あるが、それでも祈り切る。その先に得られるものがあるという感覚。これが信心の実践を支えているわけなんですね。
 
 三女の花穂さんは、祈り抜いて高校受験に臨むも、第1志望は不合格。当初は“なんでかなわないのか”と戸惑った。それでも御本尊に祈る中で、“この高校に来て良かったと言える自分になろう”と思えたといいます。いざ過ごした高校生活は、かけがえのない3年間だった。「あの時祈り切ったからこそ感じられた充実感でした」と言っていたのが印象的でした。
 
 姉妹が大事にするのは、両親に教わった「水の流れるような信心」。そこでは「悩んでいる」ということが、実践の原動力となっていました。

野﨑花穂さん㊨、比沢佳奈子さん㊥の取材
野﨑花穂さん㊨、比沢佳奈子さん㊥の取材
日常の中の信仰

 「学会員だから野﨑さんの家は明るいね」。近所の人から、そうよく言われたという長女の里穂さん。両親のように、悩んでいる友人がいれば自然に信心の話をするという言葉が印象的でした。
 アルバイト仲間から「里穂と話すと、愚痴もプラスに変わる」と言われたこともあるそうです。里穂さんは、悩みに直面したら徹底的に祈り切る。その中で、次なる行動の指針が見えてきたりもする。それは、いかに悩みに向き合い乗り越えるかという訓練や方法と表現してもよいかもしれない。現代的な悩みと宗教的な祈りとの、相互作用が垣間見えました。
 
 3姉妹と同じ地域で、共に学会活動に励んできたのが比沢佳奈子さんです。
 
 <比沢さんも学会員の家庭に生まれた。就職活動で悩んだ時、女子部(当時)の先輩が親身に関わってくれたのを機に、信心に励むように>
 
 幼い頃から勤行・唱題をしていたとはいえ、比沢さんにとって祈ることは“すがる”行為に似た感覚だったといいます。しかし今は、祈ることで知恵と勇気が湧いてくる。それが課題解決のための具体的な行動につながり、悩みの原因に向き合うことができるようになった。環境変革の主体者は自分自身であると捉えられるようになった根底に、教学があったといいます。
 
 野﨑家の3姉妹も、比沢さんも、友人に弘教を実らせてきました。青年世代の女性がなぜ、入会に踏み切るのか。なぜ、生き生きと信仰に励むのか。
 「信仰」と「悩み」という言葉を並べると、外部には、「人の悩みにつけこんで布教している」というような、ネガティブな連想をする人もいるかもしれません。ただ、何の悩みもない人はいないし、それを乗り越えるのがうまい人ばかりではない。でも皆、あたかも悩みなど持っていないかのように振る舞う。それを日常のルールとして、社会生活を営んでいるようにも見えます。悩みを持つ人は非日常にしかいないかのように。
 
 ただ、今回の取材で見たのは、信仰と日常がシームレスに(継ぎ目なく)つながっている様子でした。例えば里穂さんが、職場の朝礼のあいさつで聖教新聞に書かれていた記事を紹介したり、花穂さんが、友人と過ごしている日に15分間だけ抜けて、女子部のメンバーに会いに行ったり。日常の中に信仰が息づくエピソードが、実に多様にあることが伝わってきました。

勇気の折伏の根幹にある
相手の人生を背負う覚悟

 来月実施される教学部任用試験(仏法入門)を、私も受験する予定で勉強していますが、実践だけ見ていては理解できなかった、学会員の言動の根本に触れられたように感じる瞬間があります。例えば「自行化他」という話を知ると、学会員がなぜ折伏の実践を大事にしているかという感覚が分かる、というように。
 外部の者からすれば、「折伏=強引な勧誘」というイメージがあるかもしれません。一方、野﨑家の3姉妹や比沢さんは自然体で仏法を語り、「友人が学会に入ることではなく、幸せになるのが目的」という感覚を大事にして信心を勧めてきた。世間のイメージと学会員のリアルな感覚との溝は深いですが、その溝の幅、距離自体はそう遠くないのかもしれません。
 
 男子部の新井正義さん、芳倉裕一さん、山下峻さんの取材では、折伏の“リアル”がより鮮明になりました。
 
 <新井さんの勧めで、芳倉さんは2015年に入会。その芳倉さんが19年、山下さんを入会に導いた>
 
 新井さんは積極的に折伏に励み、友人を入会に導いてきましたが、今も折伏には勇気がいるという。それは世間の宗教に対する偏見が気になるから、というわけではない。「相手の人生を背負う覚悟で語るから」だといいます。
 営業マンとして働く新井さんは、明るい人柄で、話も上手。どんな相手を前にしても自分のペースに持ち込めるだろうし、信心を魅力的に伝えることも容易でしょう。その勢いでどんどん折伏を実らせることも、できるかもしれません。ただ、そうすることには躊躇がある。「入会がゴールではなく、入会してからがスタートだから」と。
 
 「悩み」がないと信仰しないのか。たしかに、自ら信仰を選んだ芳倉さん、山下さんが入会する動機の一つに、当時抱えていた悩みはありました。祈る中でそれを克服する経験もした。ただ、それで信仰への熱が冷めたわけではない。それには「悩みの先にある価値」が不可欠です。
 2人はそろって「自分を変えたかった」と語ります。ただ悩みを解決したいのではなく、自分を高めたい、より良い人生を歩みたいという願いがあった。人生の軸や生きる意味を見つけたい。それに信仰が応えてくれた。「心の弱い人が宗教にはまるんだ」というような通俗的な偏見を超えた信仰の価値が、どこにでもいるように見える若者に伝わったということでしょう。
 
 興味深かったのは、今回会った方々から、活動に参加する理由として“時間があるから”とか“一人でいるよりは”という言葉が出たことです。
 信仰の理由としては消極的にも聞こえます。でも、余った時間を何に使うか、常に決断を迫られるような空気に息苦しさを感じる若者のリアルが、そこには垣間見えます。
 
 費用がかからない娯楽も、誰かとコミュニケーションをとっている感覚を得るためのツールも、さまざまに用意されている。しかし、そこに身を任せながらゆらゆらと時間を浪費し、なんとなく孤独感から逃げ続ける先に何があるのか。家族や仕事などのしがらみがまだ少ない世代にとっては、時間があって、一人でいる、それ自体が大きな悩みとして痛感されてもおかしくはない時代状況がある。
 自分の軸を持ち、人や社会と関わる。そこに時間を費やす価値がある。生きることは「何に時間を使うか」の選択の連続です。“いかに暇をつぶすか”を考え続けているのが人間と言ってもよい。そこに学会がフィットした。そんな若者たちに出会ったのが今回の取材でした。

(左から)新井正義さん、芳倉裕一さん、山下峻さんの取材
(左から)新井正義さん、芳倉裕一さん、山下峻さんの取材
「全部聞くから」

 男子部大学校で信仰を学んできた大西良典さん(1期生)と平子晃司さん(2期生)も、自然体の若者で、明確な悩みがあるわけではなかった。
 
 <大西さんは6年前に入会。先日、美容師国家試験に合格し、夢への第一歩を踏み出した。平子さんは創価大学卒業後に大阪へ。先輩の励ましに触れて活動を始めた>
 
 大西さんは入会直後から熱心に活動し、友人を入会に導きました。その姿に、かつては学会と距離を取っていた平子さんも、刺激を受けていった。平子さんが対話した友人も入会しましたが、平子さんは、信心の素晴らしさを自分の口で言い切れなかったことを反省し、教学の研さんに励むようになったといいます。
 大西さんは信心の功徳を常に実感している。平子さんはそうでもない。捉え方は異なりますが、だからこそ互いに、自分を客観視する視点を得ているようにも見えました。
 
 信心をしていなかったら、今どうなっていたか。大西さんは、「美容師になろうと思わなかったかもしれません」と、平子さんは、「自分を見つめることなく、なんとなく生きていたと思います」と答えてくれました。飾らない言葉で各々にとっての信仰の価値が表現されていました。
 
 平子さんは、社会人になって、常に合理性を求められ、最短距離で話をするよう求められることに戸惑った。全てを聞いてくれる人はいなかったといいます。しかし、学会の先輩たちは違った。何に疑問をもっても「そうだよね」とうなずいてくれ、「全部聞くから」と向き合い続けてくれた。その中で得た感覚を、平子さんは「圧倒的承認」と表現していました。

大西良典さん㊧、平子晃司さん㊥の取材
大西良典さん㊧、平子晃司さん㊥の取材
安心できる場所

 学会の人間関係の中には、何を言っても否定されないという安心感、心理的安全性(※)が担保されていることが見えました。それが、学会活動以外も含めた個々人の創造性を開花させ、生きる充実感につながっている。
 
 近代化以降、人間は、設定された目的に向かって、合理的に最短距離で進むべきという価値観、「目的合理性」を重視して生きることを強いられてきました。
 しかしそれだけでは、息苦しさを感じる瞬間も当然出てくる。この「息苦しさ」は、人や社会を苦しめる不合理なものとみることもできる。この不合理をいかに解消できるか。ドイツの社会学者であるハーバーマスは、「コミュニケーション的合理性」という概念を提示しました。目的合理性の対となる概念です。
 人はコミュニケーションの中で、共有する価値を見いだしていく。そこにはあらかじめ定まった目的自体を問い直し、改善する機会が眠っている。このコミュニケーション的合理性も踏まえることで、目的合理性があらゆる価値観を占領しそうな現実を、揺るがすことができるわけです。
 
 見た目も人当たりも普通の若者たち。時代の空気を最も敏感に察知する彼ら、彼女らが、創価学会の活動に熱心になるのは、なぜか。
 目的合理性をベースにした強固な価値観に、常に迫られる社会に疲弊しつつも、人と人との対面・対話の中で、互いに認め合い、励まし合い、安心できる居場所を、いかに守り広げていくのか――そう葛藤しながら、コミュニケーション的合理性の回路につながり癒やされつつ、成長していく姿がありました。

 (※)自分の考えや気持ちを、誰に対してでも安心して発信できる状態のこと。

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 ファクス 03-5360-9613

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