7651ECA90D5E2FAAF6551E53FE5A72EE
聖教電子版に特集ページが開設中!「宗教の社会的役割」について
聖教電子版に特集ページが開設中!「宗教の社会的役割」について
2023年1月16日
聖教電子版には「宗教の社会的役割」について言及した識者インタビューのまとめページが開設されています。ここでは掲載されている3人の識者の抜粋記事を紹介します。
聖教電子版には「宗教の社会的役割」について言及した識者インタビューのまとめページが開設されています。ここでは掲載されている3人の識者の抜粋記事を紹介します。
※聖教電子版では、「宗教の社会的役割」について言及した識者インタビュー記事の全文が無料で読めます。
ジャーナリスト・田原総一朗さんやフランスSGIの発展を見守り続けてきたグザヴィエ・デルソル弁護士のインタビューもあります。
まとめページはこちら
※聖教電子版では、「宗教の社会的役割」について言及した識者インタビュー記事の全文が無料で読めます。
ジャーナリスト・田原総一朗さんやフランスSGIの発展を見守り続けてきたグザヴィエ・デルソル弁護士のインタビューもあります。
まとめページはこちら
教団に所属することの重要性
教団に所属することの重要性
東京工業大学教授 弓山達也さん
東京工業大学教授 弓山達也さん
ゆみやま・たつや 1963年、奈良市生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。大正大学大学院文学研究科宗教学専攻博士課程満期退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、大正大学人間学部教授を経て、2015年から現職。専門は宗教社会学。現代世界の宗教性・霊性について研究する傍らで、財団法人やNPOの活動を通じ、学生と市民をつなぐネットワークを模索している。著書に『天啓のゆくえ』(日本地域社会研究所)、共著に『平成論「生きづらさ」の30年を考える』など多数
ゆみやま・たつや 1963年、奈良市生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。大正大学大学院文学研究科宗教学専攻博士課程満期退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、大正大学人間学部教授を経て、2015年から現職。専門は宗教社会学。現代世界の宗教性・霊性について研究する傍らで、財団法人やNPOの活動を通じ、学生と市民をつなぐネットワークを模索している。著書に『天啓のゆくえ』(日本地域社会研究所)、共著に『平成論「生きづらさ」の30年を考える』など多数
私は宗教には本来的に三つの役割があると考えています。
第一に、人々をつなぎ合わせ社会を統合すること。第二に、人々に善悪の基準や倫理観を与えること。第三に、人々に意味や価値、使命感を与えることです。
近代以前はこの三つの役割を宗教が果たすことによって、人類の文化が育まれてきました。それが近代以降には、教育や医療、福祉、政治などの専門化が進み、宗教が担ってきた役割が分散します。唯一、代替不可能だったのは死の問題です。死に直面したときにその意味を見いだしたり、苦しみを和らげたり、死後について思いを巡らしたりといったことだけは、今なお宗教の重要な役割となっています。
◇
この15年間の研究のなかで、教団の重要性に気がつきました。定量的な共同調査を行ってみたところ、教団に属さずにスピリチュアルな生き方をしている人々のなかには、幸福度が低かったり、他者と共生していく志向性が弱かったりするケースが多いことが明らかになったのです。
あるいは、終末期の患者に対する宗教者によるスピリチュアル・ケアを見ていると、宗教者が醸し出す力や背後にある教団の力、そのさらに背後にある神仏の働きを感じることが少なくありません。病院に来る宗教者は、服装などの見た目は一般の人と何ら変わりません。患者との対話の内容も、基本は傾聴に徹して何か特別なことを言っているわけではない。それでも、患者は癒やされるのです。
同じようなことは、創価学会の座談会に参加したときにも体験しました。法衣を着ているわけではない市井の人々にもかかわらず、会員の方々が語る言葉には、不思議と信仰を持たない人とは明らかに違う何かがあるのです。安定的で独善に陥らない信仰のためには、やはり教団に所属するということが大切なのだと思います。
私は宗教には本来的に三つの役割があると考えています。
第一に、人々をつなぎ合わせ社会を統合すること。第二に、人々に善悪の基準や倫理観を与えること。第三に、人々に意味や価値、使命感を与えることです。
近代以前はこの三つの役割を宗教が果たすことによって、人類の文化が育まれてきました。それが近代以降には、教育や医療、福祉、政治などの専門化が進み、宗教が担ってきた役割が分散します。唯一、代替不可能だったのは死の問題です。死に直面したときにその意味を見いだしたり、苦しみを和らげたり、死後について思いを巡らしたりといったことだけは、今なお宗教の重要な役割となっています。
◇
この15年間の研究のなかで、教団の重要性に気がつきました。定量的な共同調査を行ってみたところ、教団に属さずにスピリチュアルな生き方をしている人々のなかには、幸福度が低かったり、他者と共生していく志向性が弱かったりするケースが多いことが明らかになったのです。
あるいは、終末期の患者に対する宗教者によるスピリチュアル・ケアを見ていると、宗教者が醸し出す力や背後にある教団の力、そのさらに背後にある神仏の働きを感じることが少なくありません。病院に来る宗教者は、服装などの見た目は一般の人と何ら変わりません。患者との対話の内容も、基本は傾聴に徹して何か特別なことを言っているわけではない。それでも、患者は癒やされるのです。
同じようなことは、創価学会の座談会に参加したときにも体験しました。法衣を着ているわけではない市井の人々にもかかわらず、会員の方々が語る言葉には、不思議と信仰を持たない人とは明らかに違う何かがあるのです。安定的で独善に陥らない信仰のためには、やはり教団に所属するということが大切なのだと思います。
あらゆる人が安心できるコモンズ(共有地)の提供を
あらゆる人が安心できるコモンズ(共有地)の提供を
大正大学教授 寺田喜朗さん
大正大学教授 寺田喜朗さん
てらだ・よしろう 1972年、鹿児島県・屋久島生まれ。東京学芸大学卒業、同大学院教育学研究科修士課程修了、東洋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。東洋大学、東京学芸大学非常勤講師、大正大学准教授などを経て現職。専門は宗教社会学。コミュニティと宗教、新宗教、宗教運動論・宗教組織論などを研究。日本宗教学会理事、「宗教と社会」学会常任委員。著書に『旧植民地における日系新宗教の受容』、共著に『東日本大震災後の宗教とコミュニティ』『戦後史のなかの「国家神道」』『よくわかる宗教学』などがある
てらだ・よしろう 1972年、鹿児島県・屋久島生まれ。東京学芸大学卒業、同大学院教育学研究科修士課程修了、東洋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。東洋大学、東京学芸大学非常勤講師、大正大学准教授などを経て現職。専門は宗教社会学。コミュニティと宗教、新宗教、宗教運動論・宗教組織論などを研究。日本宗教学会理事、「宗教と社会」学会常任委員。著書に『旧植民地における日系新宗教の受容』、共著に『東日本大震災後の宗教とコミュニティ』『戦後史のなかの「国家神道」』『よくわかる宗教学』などがある
高度経済成長期が終わると、新宗教の教勢は軒並み縮小傾向へ向かいます。
背景には、いくつもの要因が複雑に絡まっていると思われます。少子高齢化・人口減少、情報化、時代の変化に伴う劇的な現証(信仰体験)の希少化、オートロック化などの住宅環境の変化、個人情報保護の流れなど、信徒同士の結び付きを弱め、運動停滞を招く要因はさまざまに考えられます。
◇
ただし、教勢の鈍化をもって新宗教の存在意義が失われたと見るのは早計だと思われます。社会のさまざまな側面で「つながりの希薄化」が進む中、むしろ期待は増しているのではないでしょうか。
実際、創価学会の皆さんは、東日本大震災において、悲嘆に暮れ限界状態に陥った被災者に「生きる意味」を示し、再び歩み出せるよう寄り添い続けました。
私自身、創価学会本部の協力で、福島常磐総県の実地調査(2011~18年)へ赴きましたが、現地の皆さんの生きざまに強い感銘を受けました。役職者は自らも被災し、心に深い傷を負いながら、仲間や地域の人々の励ましに奔走していました。特に、池田大作名誉会長の「心の財だけは絶対に壊されない」とのメッセージを届けようと奮闘する姿は、「信仰は人間をどのように強くするのか」を考えるよい機会となりました。
閉塞感が蔓延し、誰もが不安や不遇感を抱えて生きている現状があると思います。安倍元首相銃撃事件が示すように、孤立し、極端な行動に走ってしまう事件も相次いでいます。だからこそ、「あそこへ行けば安心できる」と感じられる「コモンズ」(入会地=村の共有林など住民誰もが利用可能な共有地)が必要です。その点、創価学会はコモンズを提供できる「場」と「力」を有しているのではないでしょうか。
高度経済成長期が終わると、新宗教の教勢は軒並み縮小傾向へ向かいます。
背景には、いくつもの要因が複雑に絡まっていると思われます。少子高齢化・人口減少、情報化、時代の変化に伴う劇的な現証(信仰体験)の希少化、オートロック化などの住宅環境の変化、個人情報保護の流れなど、信徒同士の結び付きを弱め、運動停滞を招く要因はさまざまに考えられます。
◇
ただし、教勢の鈍化をもって新宗教の存在意義が失われたと見るのは早計だと思われます。社会のさまざまな側面で「つながりの希薄化」が進む中、むしろ期待は増しているのではないでしょうか。
実際、創価学会の皆さんは、東日本大震災において、悲嘆に暮れ限界状態に陥った被災者に「生きる意味」を示し、再び歩み出せるよう寄り添い続けました。
私自身、創価学会本部の協力で、福島常磐総県の実地調査(2011~18年)へ赴きましたが、現地の皆さんの生きざまに強い感銘を受けました。役職者は自らも被災し、心に深い傷を負いながら、仲間や地域の人々の励ましに奔走していました。特に、池田大作名誉会長の「心の財だけは絶対に壊されない」とのメッセージを届けようと奮闘する姿は、「信仰は人間をどのように強くするのか」を考えるよい機会となりました。
閉塞感が蔓延し、誰もが不安や不遇感を抱えて生きている現状があると思います。安倍元首相銃撃事件が示すように、孤立し、極端な行動に走ってしまう事件も相次いでいます。だからこそ、「あそこへ行けば安心できる」と感じられる「コモンズ」(入会地=村の共有林など住民誰もが利用可能な共有地)が必要です。その点、創価学会はコモンズを提供できる「場」と「力」を有しているのではないでしょうか。
信教の自由の原則を強く発信すべき
信教の自由の原則を強く発信すべき
東京工業大学准教授 西田亮介さん
東京工業大学准教授 西田亮介さん
にしだ・りょうすけ 1983年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。専門は社会学。公共政策の社会学、情報化と政治などについて研究。立命館大学大学院特別招聘准教授などを経て現職。著書に『メディアと自民党』『なぜ政治はわかりにくいのか』『不寛容の本質』『コロナ危機の社会学』『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください』など多数
にしだ・りょうすけ 1983年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。専門は社会学。公共政策の社会学、情報化と政治などについて研究。立命館大学大学院特別招聘准教授などを経て現職。著書に『メディアと自民党』『なぜ政治はわかりにくいのか』『不寛容の本質』『コロナ危機の社会学』『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください』など多数
政治と宗教に関する報道が過熱し、社会が浮き足立っているのには、いくつかの理由が考えられます。一つは、きっかけとなった元首相の銃撃事件があまりにもセンセーショナルだったこと。もう一つは、年長世代の人が霊感商法や芸能人の合同結婚式参加等に対する過熱報道を覚えていたことです。
◇
もちろん旧統一教会の反社会性は大きな問題です。ただ、「旧統一教会が自民党を牛耳っていた」との見方には現状、賛成できません。むしろ、その影響力は限定的だったのではないかと推察します。そもそもその影響力について、他の団体との比較もあまりされていません。政権与党の支持基盤の一つである創価学会の影響力の大きさを考えれば、旧統一教会のそれは相対的に小さくなるはずです。
旧統一教会の反社会性が明るみに出た途端に、接点を持っていた議員らはすぐさま関係を断ち切りました。もしも教団が本当に大きな影響力を持っていれば、そうはできなかったはずです。ほとんどの議員は、関係を断ち切ったところで政治生命の致命傷になるわけではないと判断したからでしょう。
自民党の政策形成のプロセスを考えてみても、旧統一教会が意のままにできるとは思えません。有力な業界団体は多数ありますし、政策形成の過程では、専門の委員会で検討し、最後に総務会でコンセンサスが得られて初めて党としての政策になります。
もしも政治と宗教に対する通俗的な批判が今後も続けば、公明党や創価学会に対する風当たりはさらに厳しくなる可能性があります。今のところ創価学会と公明党はこの件に関しての発信は抑制的ですが、むしろ、人々が政治と宗教に関心を抱いているこの機会を、社会に対するコミュニケーション・チャンスと捉えて、信教の自由や政教分離の原則、宗教の社会的機能などについて、もっと積極的に発信していくべきだと思います。
政治と宗教に関する報道が過熱し、社会が浮き足立っているのには、いくつかの理由が考えられます。一つは、きっかけとなった元首相の銃撃事件があまりにもセンセーショナルだったこと。もう一つは、年長世代の人が霊感商法や芸能人の合同結婚式参加等に対する過熱報道を覚えていたことです。
◇
もちろん旧統一教会の反社会性は大きな問題です。ただ、「旧統一教会が自民党を牛耳っていた」との見方には現状、賛成できません。むしろ、その影響力は限定的だったのではないかと推察します。そもそもその影響力について、他の団体との比較もあまりされていません。政権与党の支持基盤の一つである創価学会の影響力の大きさを考えれば、旧統一教会のそれは相対的に小さくなるはずです。
旧統一教会の反社会性が明るみに出た途端に、接点を持っていた議員らはすぐさま関係を断ち切りました。もしも教団が本当に大きな影響力を持っていれば、そうはできなかったはずです。ほとんどの議員は、関係を断ち切ったところで政治生命の致命傷になるわけではないと判断したからでしょう。
自民党の政策形成のプロセスを考えてみても、旧統一教会が意のままにできるとは思えません。有力な業界団体は多数ありますし、政策形成の過程では、専門の委員会で検討し、最後に総務会でコンセンサスが得られて初めて党としての政策になります。
もしも政治と宗教に対する通俗的な批判が今後も続けば、公明党や創価学会に対する風当たりはさらに厳しくなる可能性があります。今のところ創価学会と公明党はこの件に関しての発信は抑制的ですが、むしろ、人々が政治と宗教に関心を抱いているこの機会を、社会に対するコミュニケーション・チャンスと捉えて、信教の自由や政教分離の原則、宗教の社会的機能などについて、もっと積極的に発信していくべきだと思います。