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〈創価学会創立の月 記念インタビュー〉 創価大学大学院 羽矢辰夫教授 ブッダの思想の核心とは㊤ 2021年11月6日

  • 自利利他の菩薩行の実践に「慈悲」と「智慧」が生まれる

 本年8月、『ゴータマ・ブッダ その先へ――思想の全容解明』(春秋社)が発刊された。著者の羽矢辰夫氏は、パーリ語文献による仏教研究を通してブッダの思想研究に取り組んできた第一人者であり、2016年から創価大学大学院で教授を務めている。ブッダが本当に伝えたかったこと、また、その思想の核心とは何か。創価学会創立の月記念インタビューの第1回として、羽矢氏へのインタビューを上下2回にわたり掲載する。(聞き手=小野顕一、村上進)
  

    
 ――新著に込めた思いを教えてください。
   
 イギリスの科学者ニュートンは、17世紀にペストが流行した影響で大学が閉鎖され、故郷で思索を深める中で万有引力を発見したといわれます。私もコロナ禍の中で一念発起して研究を進め、これまであいまいなままでも止むを得ないと思っていた問題も、新著では明確に把握して表現することができ、ブッダの思想の全体像も提示できたのではないかと感じています。
   
 ――原始仏教経典を精読され、一貫してブッダの真意に迫ってこられました。
   
 ブッダの思想として、よく挙げられるのは「無常」と「因果」です。無常といえば「諸行無常」という言葉もありますが、「変わらないものはない」といっても、それはわざわざ仏教を学ばなくても、何となく理解がつくことです。因果についても同様で、一般的な教育を受けた人であれば、容易に分かります。
  
 「古代インドにおいて、ブッダ以前の人は因果を知らなかった。ブッダはそれを発見した」といわれることがありますが、そんなことはないのではと私は思います。ブッダが生きた世界では、輪廻転生の思想が広く知られており、「過去の行為が原因で現在の境遇がある。現在の行為が原因で来世の境遇がある」ということは自明の理だったと思われます。
  
 ブッダが伝えたかったことは「苦しみからの解放」です。ブッダが最初に説いた教えは「四諦説」とされます。これは「四つの真実」という意味で、①苦しみという現実があり、②その苦しみは原因に縁って生じている。③だから原因を解決すれば苦しみは滅する。④そのための方法がある――ということです。これは①病気、②病気の原因、③病気の治癒、④処方箋とも例えられるでしょう。この中で最も大切なのは、苦しみや病気の「原因」とは何かということです。ブッダは、この原因を突き止めたからこそ、その治療ができ、問題解決への処方箋を出すことができたのです。
  
  

『ゴータマ・ブッダ その先へ――思想の全容解明』(春秋社)
『ゴータマ・ブッダ その先へ――思想の全容解明』(春秋社)
苦しみの解決

 ――なぜブッダは最初に「苦しみ」について考えたのでしょうか。
   
 それはブッダ自身が苦しんでいたからだと思います。シャカ族の王子であったブッダは、妻子や一族を残してまで出家の道を選びましたが、経典には「自分はなぜここに存在しているのか」「この人生に意味があるのか」といった、いわば「実存苦」と受け取れる文言が端々に見受けられます。ブッダは自分自身の実存苦をなんとか解決したいと、止むに止まれず探求の旅に出たのだと私は考えます。
  
 「四諦説」の苦しみの原因として、よくいわれるのが「欲望」です。「欲望のために苦しみが起こるのだから、欲望を滅すれば苦しみはなくなる」――たしかにそういったことが書かれている経典もありますが、食欲や睡眠欲といった人間として当たり前の欲望を滅すると、どうなってしまうでしょうか。とても健康的とは思えませんし、現実的でありません。そういった人間を目指したいと思う人は多くないでしょう。
  
 そこで私が着目するのが、ブッダがブッダとして目覚めた時、考察したといわれる「十二因縁」です。私はここで言及される「サンカーラ(行)」が、苦しみの根源的な原因であると考えます。苦しみの原因は欲望でも、また無明でもありません。
  
 サンカーラとは「自他分離的な自己を形成する力」であり、「他者とばらばらに分離され孤立した自己を形成する力」です。人間の自我を形成するために欠かせない原動力である一方、実はこのサンカーラから、人間のさまざまな苦しみが起こっていくのです。
  
  

「自他分離的自己」から「自他融合的自己」へ

 ――サンカーラは、どのように苦しみを生じさせるのでしょうか。
   
 サンカーラの働きによって、「自他分離的自己」が形づくられ、自分を大切に思う価値観が生じ、「自分と他者」という認識が生まれ、人は社会生活を営めるようになります。そのこと自体は健全なことですが、それと同時に、全く気付かないうちに、私たちの中で「わたし」という存在が実体化されていきます。死なない「わたし」が出来上がり、実際には死んでしまう現実の自己とのあいだに葛藤が生じます。死への恐怖や不安が増していきます。
  
 また、自他分離的自己が確立されていくにつれて、自己の孤立化も進み、自らの存在の根拠が見失われるようになります。「自分とは何者か」「自分はなぜ生きるのか」などの実存苦が生じてくる可能性があります。
  
 人生が順風満帆な時はともかく、ひとたび困難に直面すると、「自分一人が何をしても同じであるような無力感」「自らの人生に意味を見いだせない虚無感」が私たちを苦しめます。状況が好転すれば、苦しみは和らぎ、忘れ去ることもできますが、根本的には何も解決されないままです。
  
 ところが、このサンカーラを鎮めることができるとすればどうなるか。「自他分離的」な自分が収まっていき、今度は「自他融合的」な自分が現れてくるのです。
  
 自分だけが孤立した、他者と「ばらばら」の存在ではなく、極端に言えば「一緒」のようなあり方が見えてきます。すると「死なないわたし」は解体され、実存苦そのものも生じてこなくなる――これが苦しみの解決です。このサンカーラが鎮まった状態は「安楽」とも表現されています。ブッダの思想の核心はここにあります。
  
 サンカーラによって自他分離的自己が形成され、認識のあり方が自他分離的になることで苦しみは生じます。瞑想などによってサンカーラを鎮め、認識のあり方を自他分離的なあり方から自他融合的なあり方へと成長ないし統合させることによって苦しみは滅し、安らぎが生じるのです。
  

理性は不可欠

 ――ブッダはどのようにして、サンカーラを鎮めたのでしょうか。
   
 ブッダが行った方法は瞑想です。もちろん、瞑想すれば、すぐに問題が解決するというわけではありません。ブッダは瞑想によってサンカーラを鎮め、いわば「凡夫」的な認識のあり方を、「ブッダ」的な認識のあり方に成長させて苦しみを解決しました。しかし、私たちがブッダと同じような悟りのあり方を目指すとなると、イメージするのもなかなか困難なことのように感じられます。
  
 そこで私は、ブッダの悟りを目指す上で、大乗仏教で馴染みの深い「ボサツ」を成長のモデルとすることを提案したいのです。
  
 凡夫以上ブッダ未満、限りなくブッダに近いボサツというモデルです。苦しみを生じない凡夫以前の段階から苦しみを生じるようになる凡夫の段階を経て、安らぎを生じるボサツへと成長するというプロセスが想定されています。サンカーラを鎮め、凡夫的人間からボサツ的人間へと成長する中で、私たちはさまざまな側面から自分の成長を実感できるはずです。
  
 例えば「欲望」についていえば、自己中心的な欲望を「超」えていくことで、自分と他者の区別のない「超欲望」となります。「無欲」ではありません。自利利他的な欲望です。
  
 自分のことしか考えられなかったような自分が、他者のことも自分のことのように考えられるようになる。さらには、生きとし生けるものをわがことのように思えるようになる。これはまさに「慈悲」というべきものです。
  
 また仏教には「分別」という言葉があります。「物事を別々にして分かる」という意味で、人は、生まれ、育っていく中で、言葉を使って物事を識別し、理解するようになります。「分別がつく」というと、一人前の大人になったような印象を受けます。
  
 この「分別」についても、ボサツ的人間へと成長する中で、自他分離的で苦しみを解決できない「分別」の段階を「超」えて、自他融合的で苦しみを解決できる、いわば「超分別」となっていきます。この「超分別」を表現するのにふさわしい言葉は、「智慧」ではないでしょうか。
  
 自分と他者のことが一緒になって、人の苦しみや悲しみを自分のものとして受け入れられるのが慈悲だとすれば、分別が智慧へと変わると同時に慈悲も現れてくるのだと思います。
  
 ただ注意しておきたいのは、「赤子のようになるのが無分別の境地、仏教の究極である」という仏教者がいることです。それではわがままで理性を働かせない人が、最も尊敬されるべき人間となってしまいます。
  
 あるいは、「考えないことが仏教の究極であり、それが苦しみから救われる方法である」と考える仏教者もいます。しかし、それは思考の停止であり、凡夫以前に戻るということになります。そうなると、言われるままに犯罪に走ったり、戦争に協力したりしてしまいかねない。物事を批判的に考える「理性」は、人間の成長に不可欠なものだと私は思います。
  
  

人間は「凡夫」を「超」えて成長していける

 さらに、自己の基軸となる「我」のあり方についても、「未我」から成長した「自我」の段階が成長の頂点なのではなく、自我を「超」えた「超我」(「無我」ではない)ともいえるような新しい段階があるはずです。
  
 まとめてみると、「①未我→②自我→③超我」(我のあり方)、「①未分別→②分別→③智慧」(知のあり方)、「①未欲→②欲望→③慈悲」(欲のあり方)となります。
  
 ①から②への成長は社会生活の中でほぼ自動的に進んでいきますが、この②が人間の成長の頂点であると考える人が大多数であることに問題があります。これでは苦しみは解決できません。そうではなくて、②の先に「人間は凡夫を超えて成長できる」という③の段階があるのです。ここに至って苦しみは解決されます。
  
  

唱題行と共に

 ――成長モデルにボサツ的人間を置くことで、智慧や慈悲が具体的に感じられます。
   
 池田先生の『私の釈尊観』に、このような記述があります。「人間のもつエゴ自体まで否定するということは、やはり極端であると思う。人間全体の生命のうえからエゴなる実体を位置づけ、これをいかに正しくリードしていくかを探究しなければならないのではないか」と。
  
 凡夫的で自己中心的な欲望、あるいは自己に対する過剰なとらわれ方といった「エゴ」を全てダメだというのではなく、成長のプロセスとして捉えていく。そうすることで「凡夫的人間」から「ボサツ的人間」へと、自分のペースで成長の軌跡を刻んでいけるのではないでしょうか。
  
 この成長のイメージの着想を得たのは、天台の「十界互具」の思想からです。
  
 十界とは地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅(修羅)界・人界天界声聞界縁覚界菩薩界仏界の十界です。最上位の心のあり方を仏界とし、最下位を地獄界とします。どんな極悪人であっても、24時間、地獄界にいるわけではありません。私たちの心は、一瞬ごとに揺れ動き、この十界を行きつ戻りつしているのです。
  
 重要なのは、一日の中で最も長い時間を過ごしているのはどの界なのか、出来る限り菩薩界・仏界を増やしていくことが大切ではないかということです。
  
 私は、創価学会員は「ボサツ的人間としての行為」(以下、「菩薩行」とも表記)を具体的に実践しているのではないかと思います。
  

一緒に友の元へと歩く学会の男子部員
一緒に友の元へと歩く学会の男子部員

 私は学会員ではありませんが、創価大学に赴任し、学会の信仰を持つ学生たちとも接する中で、まさに菩薩行を実践しているように感じられました。というのも、私は、学生が自分の学業だけに掛かりっきりになっていると思っていたんです。特に大学院生が修士論文を2年で仕上げるのは、とても大変ですから。優秀な人でも苦労します。
  
 ところが、話を聞いてみると、学会員の学生の中には、人を励ます学会活動の実践をする人が多くいるというじゃないですか。忙しい時にも、時間をこじ開けて困っている人のもとへ出掛けていき、元気づけたり一緒に祈ったり、自分にできることをしている。それも無理やりにではなく、相手の気持ちに合わせながらです。
  
 普通なら、その日の勉強や研究が終わったら、わずかな自分の時間を大事にするはずが、困っている人のことを優先する――。これは間違いなく菩薩行です。お坊さんでもなかなかできない話です。これには驚きました。そして、肝心な学業においても、大きく成長していく。むしろ勉学と菩薩行の「二刀流」だからこそできることなのかな、とさえ感じました。
   
 ――学会員の勤行や唱題は、サンカーラを鎮めているといえるのでしょうか。
   
 そうです。多くの学会員は、日々、唱題行に励んでいると思います。気が付いていないかもしれませんが、おそらく唱題行の中でサンカーラが鎮まっているはずです。そうでないと、菩薩行はできないのではないでしょうか。
  
 サンカーラが鎮まるということは、自他分離的な要素が消えているということです。そこに智慧や慈悲が生まれてきます。ですから唱題行を抜きにして、ただ困っている人の所に行き続けるというのは難しいかもしれません。凡夫のままの利他行は自他分離的ですから、「自己犠牲」あるいは「善意の押し付け」になってしまい、破綻する可能性があります。唱題行に基づく自利利他的な菩薩行は、無理のない喜びに満ちた実践となるはずです。
  
 創価学会の実践の中に、ブッダにつながる思想は生きています。それは危機の時代である今にこそ求められるものだと思います。
  
 (㊦は7日付に掲載予定)
  
  
  

〈プロフィル〉

 はや・たつお 1952年、山口県生まれ。75年、東京大学文学部印度哲学印度文学科卒。同大学院博士課程単位取得退学。青森公立大学教授を経て、現在、創価大学大学院教授。著書に『ゴータマ・ブッダ』『ゴータマ・ブッダの仏教』(ともに春秋社)、『ゴータマ・ブッダのメッセージ――「スッタニパータ」私抄』(大蔵出版)など多数。
  
  
  
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