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〈Switch――共育のまなざし〉 聴覚障がいの有無を超えて――誰もが共生の未来の担い手 2021年10月16日

 生まれつき、高度の「感音難聴」の女子部員がいます。彼女は、デフ(聴覚障がい者)フットサルとデフサッカーの日本代表選手。育ててくれた両親、10歳から頑張ってきた各種スポーツの経験、創価学会の女子部の仲間の存在――「たくさんの“出あい”のおかげで、今の私があります」と。その歩みから、共生社会の未来について考えます。(記事=橋本良太)

岩渕亜依さん(左から2人目)に関わり、励ましを送ってくれた女子部の“華陽姉妹”の仲間たちと(新宿池田文化会館で)
岩渕亜依さん(左から2人目)に関わり、励ましを送ってくれた女子部の“華陽姉妹”の仲間たちと(新宿池田文化会館で)
“二つの世界”で

 10月初旬、埼玉県にあるフットサル場を訪ねると、岩渕亜依さん=東京都新宿区、華陽リーダー=が自主練習に励んでいた。岩渕さんを含め6人の参加者全員が、デフ(聴覚障がい者)フットサルの日本代表。それぞれ健聴者のチームにも所属し、技術を磨いている。
 
 デフフットサルもデフサッカーも、基本的なルールは、健聴者のそれと変わらない。ただ、主審は、プレーヤーが分かるように笛と共に旗を使用する。また、プレーヤー同士は目のアイコンタクトや手話などでコミュニケーションを取りながら、試合を展開していく。

2019年、スイスで行われたデフフットサルワールドカップで、日本代表キャプテンとしてプレーする岩渕さん©日本ろう者サッカー協会
2019年、スイスで行われたデフフットサルワールドカップで、日本代表キャプテンとしてプレーする岩渕さん©日本ろう者サッカー協会

 岩渕さんが日本代表として出場した2015年(平成27年)のデフフットサルワールドカップでは、強豪スペインを破って初の決勝トーナメント進出を果たした。
 キャプテンとして10番を背負った19年大会は、決勝トーナメントでブラジルに1―2で惜敗。現在は、明年開催予定のデフリンピック(聴覚障がい者のための国際的な総合スポーツ大会)のデフサッカーと、2023年開催予定のデフフットサルワールドカップで、世界一を目指す。
 
 岩渕さんは「とにかく首を動かし、コミュニケーションのために視野を広く取ります」と。加えて「健聴者のチームの中では、特に、指示を見逃さないようにしています。デフの時は、中心者として試合を組み立てることも必要なので、それが課題です」とも語る。
 健聴者のチームと、デフの日本代表――そうした“二つの世界”で奮闘する。今日に至るまでには、私生活でも数多くの経験を重ねてきた。

©日本ろう者サッカー協会
©日本ろう者サッカー協会
一緒に戦う

 岩渕さんは2歳の時に保健師から指摘を受け、病院での聴力検査の結果、「先天性高度感音難聴」と告げられた。
 母・由貴さん=千葉県船橋市、地区女性部長=は、娘の障がいが分かった時の思いを、「頭の中が真っ白になりました」と振り返る。
 「“耳の聞こえない子を育てるって、何をどうしたらいいんだろう……”と。“分からない”ということが不安でした」。そんな時、脳裏に浮かんだのが、近くに住む義理の母・佐藤津矢野さん=地区副女性部長=の「笑顔」だった。
 
 当時、佐藤さんは、孫を引き取り、育てていた。若くして亡くなった長男の忘れ形見であり、岩渕さんの母・由貴さんからみれば「夫の兄の息子」に当たる。その、義理のおいには知的障がいがあった。“孫育て”に励む佐藤さんは、どんな時も、穏やかな笑顔を失わなかった。
 
 由貴さんは言う。「お義母さんに、『どうして、いつも笑顔でいられるのですか』って、尋ねたんです。聞かずには、いられなかった。義母は一言、『うーん、創価学会員だからかなあ』と。私は学会に入っていませんでしたが、この時から、学会への興味が湧いたんです」

岩渕さんの母・由貴さん㊥が父・健浩さん㊨と共に、娘の成長記録を振り返る。由貴さんは手話サークルに加入し「健聴者と聴覚障がい者の懸け橋に」との思いで、ボランティア活動にも尽力してきた。祖母・佐藤津矢野さんも孫の成長に目を細める
岩渕さんの母・由貴さん㊥が父・健浩さん㊨と共に、娘の成長記録を振り返る。由貴さんは手話サークルに加入し「健聴者と聴覚障がい者の懸け橋に」との思いで、ボランティア活動にも尽力してきた。祖母・佐藤津矢野さんも孫の成長に目を細める

 夫の健浩さん=壮年部員=との交際時から、健浩さんや家族が、学会の信仰をしていることは知っていた。ただ、由貴さん自身は、入会しようとは思わなかった。その由貴さんが、義母とのやりとりを契機に、自ら題目を唱えるようになった。

 「唱題を重ねるほど“亜依は大丈夫だ!”っていう気持ちが、心の底から湧いてきたんです」
 
 1997年4月、亜依さんの特別支援学校幼稚部への入学を機に、由貴さんは親子で創価学会に入会する。
 学校への送迎とともに療育に付き添い、学校以外の時間も、口の動きを見て言葉を読み取ることや、発話の練習に明け暮れた。当時、聴覚障がいがある子どもの療育は、そうした「口話」が重視され、手話などが取り入れられるのは、後のことであった。
 
 「例えば亜依が泣いて、私は“抱っこしてほしい”のだと分かっても、亜依が『抱っこ』と言えるまで抱かない。亜依は“伝える戦い”、私は“待つ戦い”――それを一緒に頑張ったと感じています」
 
 亜依さんの成育状況を踏まえ、教員からは「地域の小学校でもやっていける」との言葉があった。由貴さんは、娘の「お友達がたくさんできたらうれしい」との希望を尊重し、地域の普通学級へと送り出した。

幼い頃の岩渕さんが言葉を覚えるために、母・由貴さんが自作した絵日記やカード。日常生活のさまざまな場面を絵と言葉にしながら共に歩んだ
幼い頃の岩渕さんが言葉を覚えるために、母・由貴さんが自作した絵日記やカード。日常生活のさまざまな場面を絵と言葉にしながら共に歩んだ
自信をくれた

 岩渕さんは小・中学、高校と、友達に恵まれ笑顔を絶やすことがなかった。しかし、人知れず抱く孤独があった。
 1対1のコミュニケーションは取れる。だが1対多数だと、難しい。横や後ろからは、誰が何を話しているか分からない。「聞こえなかった」と伝えれば、会話の流れを遮ってしまう。授業の途中で教師の話を止めることも、遠慮してしまう。
 
 思春期を迎えると、授業中は顔を上げずに、教科書の文字を目で追うことが多くなった。中学では「一人の方が楽しい」、高校では「大勢でいると寂しい」――そんな本音を家族にこぼした。
 
 岩渕さんに「自信を与えてくれた」のは、スポーツだった。小学4年でサッカーを始め、野球好きの父の影響で、中学からはソフトボール部に。健聴者の中でレギュラーとなり、千葉県選抜にも選出された。高校のソフトボール部の顧問が、聴覚障がい者のために「情報保障」がなされている大学があることを教えてくれた。

 オープンキャンパスの日、岩渕さんは、見学者の数十人全員が“聞こえない”状況にあることに衝撃を受けたという。
 「ずっと健聴者の中で生きてきたから、100%情報が分かることに、逆に驚きました」。この大学に進学後、手話を習得した。在学中に先輩から誘われデフサッカーを始め、さらにデフフットサルの選手にもなった。
 
 卒業後は、企業で働きながら、トレーニングの時間を捻出した。再び始まった、健聴者の中での日常生活。そんな時、自分を訪ねてきてくれたのが、創価学会の女子部の先輩たちだった。

分かち合える場

 岩渕さんは、女子部の先輩たちの印象を語る。「笑顔と目が“安心できる”んです。私に限らず耳の聞こえない人は、その分、相手の表情をよく見るんですよね。社会人になって6年になるので、来てくださる女子部の先輩も何人か変わりましたけど、皆さんが“私のことを知りたい”と思ってくれていることを、感じるんです」
 
 酒匂光子さん=女子部本部長=は、創価大学在学時、手話サークルに在籍した経験がある。卒業後は補聴器のメーカーに就職。「自分の行動が誰かの力になれたら」との思いで、仕事に、学会活動にと尽力してきた。

酒匂光子さん
酒匂光子さん

 「サークルや仕事での経験から、例えば1(いち)と7(しち)など、口の形が似た言葉は、紛らわしくないように7(なな)と言うなど、自分なりに工夫します。でも、それ以外は、他のメンバーと接するのと同じように、亜依ちゃんに接しています。私が逆の立場だったら、きっとそうしてほしいと思うから」
 好きなアイドルや小説の話、また、日本代表のキャプテンとしての奮闘など、多くを聞き、語り合った。
 酒匂さんは「亜依ちゃんの選手としての向上心、ピンチにも負けない心がすごい。そして私にも『お体、大丈夫ですか』『最近、お仕事どうですか』と聞いてくれる思いやりがある。訪ねる私たちの方が励まされています」と。
 
 コロナ禍の中、よく訪問・激励に来てくれたのが、松下玲子さん=総区女子部主任部長=だ。「亜依ちゃんに会う前は“耳が聞こえない”ことに対し、“私の振る舞いで、嫌な思いをさせたりしないか”と緊張していました」

松下玲子さん
松下玲子さん

 だが、岩渕さんと会い、彼女を知れば知るほど、ある思いが湧いた。「亜依ちゃんの笑顔に、緊張はすぐに解けました。明るくユーモアがあって、どんな時も、周りの人への『感謝』を忘れない亜依ちゃん。耳が聞こえないということについて、コミュニケーションする上で配慮を忘れてはいけませんが、“多様な特徴の一つなのだ”と感じるようになりました」
 
 松下さん自身は、「コンプレックスの塊で自信がなく、人と関わることが苦手。そんな自分を変えたい」と学会活動に励んできた。「誰もが何かの悩みを持っている。それを分かち合い、励まし合い、自分自身を輝かせる生き方へ変革できる場が、創価学会」だと感じている。

差異を超えて

 池田先生は語っている。
 「私たちが広宣流布に向かって『異体同心』の姿で輝くことそれ自体が、人間共和の縮図であり、人類の共生の理想像なのです。人種や言語、文化など、あらゆる差異を超え、『生命』という共通の大地に立って、尊敬し合い、学び合い、助け合っていくからです」

 岩渕さんは自身の青春を振り返り、「私は出会いに恵まれました」と語る。家族をはじめ、同級生、部活の恩師やチームメート、女子部の先輩たち……。
 そして、困難に直面する時は、祈ることができた。“今いる場所で必要とされる人に”“唱題は、自分の心と向き合う時間”“ピンチはチャンス”――母や女子部の先輩たちが教えてくれたことを胸に刻み、挑戦を重ねてきた。
 「10代のころ、人と関わることに難しさを感じた自分が、日本代表のキャプテンを務めることができたのも、本来の明るさを出せるようになったのも、自分の心を挑戦の方向にもっていけるようになったからです」
 
 それは、母・由貴さんが、幼児期の療育で娘と分かち合いたかった思いにも通じているという。「“人とコミュニケーションすることは楽しい”“障がいがあることが不幸なのではない。障がいに負けてしまうことが不幸なんだ”――私が伝えたかった思いを、亜依は、自らの人生で示してくれました」

 岩渕さんは今、こう感じている。
 「口の形の読み取り方、発話の仕方、手話などの表現方法……。『聴覚障がい者』といっても一人一人違います。女子部の先輩たちをはじめ、心ある人が私にしてくれたように、『一人の人間』として接してもらえたら、『障がい者』という言葉の先入観もなくなって、“違い”を“特徴”として理解し合えると思う」
 
 時に孤独を抱えながらも、懸命に、挑戦を続けてきた岩渕さん。“亜依さんの心を知りたい”と交流を重ねた周囲の人々。障がいの有無を超えて、社会の全員が、共生の未来を担う当事者である――そのことを、彼女の歩みは気付かせてくれる。

 
 
 連載「Switch――共育のまなざし」のまとめ記事はこちらから。過去の記事を読むことができます。

 
 
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