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牧口先生 生誕150周年記念インタビュー 作新学院大学 渡邊弘学長に聞く㊤ 2021年8月7日

 牧口常三郎先生の生誕150周年の本年6月、『創価教育と人間主義』と題する新著が発刊された。著者は作新学院大学の渡邊弘学長である。渡邊学長は同書の中で、牧口先生の実践から生み出された創価教育学は「日本の教育史上においてきわめて重要な教育遺産」であり、「その精神が途切れることも、変更・歪曲されることもなく、現在まで脈々と正当に継承されている点が、わが国の教育史上の財産である」と強調している。なぜ今、創価教育の重要性を訴えるのか。渡邊学長へのインタビューを上下2回にわたり掲載する。(聞き手=大宮将之、村上進)
  

なぜ今、「創価教育」が必要か
「人間主義の教育」の時代へ
確かな「子ども観」の確立を

 <渡邊学長はこれまでも講演会などの場を通して、牧口先生の創価教育学に高い評価を寄せてこられました。そもそも学長が牧口先生を知るきっかけは何だったのでしょうか>
  
 私は大学院の頃から日本の教育思想史の研究をしておりまして、特に教育者の人物研究に力を入れていたんですね。それをご存じだったからでしょう。今から27年前、私の恩師である村井実先生(慶應義塾大学名誉教授)から「今度、創価学会の牧口常三郎初代会長について私が講演をする機会があるから、君も来ないか」と誘われたんです。1994年(平成6年)6月6日に東京・台東区の浅草公会堂で行われた「創価教育学と教育の未来」と題する講演会でした。
  
 とても感動したことを覚えています。軍国主義教育が推し進められていた日本の戦時下において、「子どもの幸福」を第一に掲げた実践から独自の教育理論を提唱し、命を懸けてその信念を貫き通した教育者がいたのか――と。私が牧口先生の『創価教育学体系』や『人生地理学』などを真剣に学び始めたのは、そこからですね。
  
 村井先生は、牧口先生のことを「日本のデューイだ」とおっしゃっていました。アメリカを代表する教育思想家ジョン・デューイのことです。彼は、教育が国家の政治的・経済的な目的に沿った人間を育てる手段として画一的・集団的に用いられることを批判しました。デューイが理想とした“教育”とは、子どもたちの「成長したい」という欲求を引き出すため、社会や生活との関連性を重視しながら「学び」への興味・関心を高めていく「経験主義教育」でした。
  
 古今東西、教育は「人間をよくするため」という名目のもとに行われてきたといえるでしょう。しかしその「よさ」の定義となると、その時代その時代の国家が「よい人間像」を決定していたケースが、あまりにも多い。
  

渡邊弘学長が著した『創価教育と人間主義』(第三文明社刊)
渡邊弘学長が著した『創価教育と人間主義』(第三文明社刊)
幸福な生活を
送れるように

 <特に近代国家では、政治、経済、産業、軍事などの充実と発展ばかりが重んじられ、教育はそれを達成するための“手段”とされました>
  
 国家が求める「よい人間像」に向かって特定の知識や技術や振る舞い方などを子どもたちに注入し、まるで国家にとって“よい製品”とされる人間を“生産”するかのような教育が展開されてきたと言っても、過言ではありません。「人間主義の教育」ではなく「国家主義の教育」が往々にして行われてきた事実は、洋の東西の歴史が物語るところです。
   
 日本の近代以降の教育は、その典型と言ってよいでしょう。明治期に、初代文部大臣に就任した森有礼が推進した「学校令」に象徴されるように、全国に学校を設けるのは子どもたちのためというよりも“国家の発展・繁栄のためである”――との考え方が、その後の日本に引き継がれていくことになるわけです。
  
 これは、牧口先生の「国民あっての国家であり、個人あっての社会である」「被教育者をして幸福なる生活を遂げしめる様に指導するのが教育である」(『創価教育学体系』)との考え方とは、全く対照的であると言わなければなりません。
  

「性向善」という
「子ども観」から

 <国家ではなく人間の視点に立った教育を実現していくには、教育の対象となる「人間」「子ども」をどのような存在として捉えるかという「人間観」「子ども観」が最も大事であると、渡邊学長は常々、訴えておられます>
  
 「人間」という存在をどのように捉えるかによって、具体的な教育の在り方も変わってきます。「子どもをよくする」とは具体的にどういうことかも、おのずと定まってくるでしょう。この「人間観」が曖昧なまま教育を行うことは、あたかも山登りをする人が、山の特徴や山頂までのルートなどを調べないまま登山に臨むようなものだといえるかもしれません。目的地にたどり着けないばかりか、“遭難”してしまう恐れすらあります。これは学校教育に限らず、家庭教育にも通じる部分があるでしょう。
  
 「国家主義の教育」では、特定の目的に向かって効果的に「つくられるべき存在」として人間を捉えます。子どもが一人の人格として尊重されることはなく、大人が決めた「よい人間像」を押し付けていくのです。
 
 もちろん、親であれ教師であれ、子どもたちに「こうなってほしい」といった願望を持つのは、自然なことでしょう。しかしそれが「こうなりなさい」「こうなるべきだ」という押し付けになってはいけません。ましてそれを「国家」としてやるのは、大きな間違いです。
  

人間は「よく生きよう」とする存在
だれもが「価値創造の力」を備える

 一方で「人間主義の教育」は、一人一人の人格を認め、自己実現のために「よく生きよう」としている存在として捉えます。「よさ」を求め続けていく存在ともいえるでしょう。私はそれを、いわゆる「性善説」(人間の本性は基本的に善であるとする考え)に「向」の一字を加えて、「性向善説的子ども観」と呼んでいます。
  
 子どもたちの内部には「よさに向かおう」とする潜在的な働きが備わっていると捉え、「よく生きよう」としている子どもたちを支援していくのが「人間主義の教育」だという考えです。
  
 日本の近代教育の歴史を振り返ると、「人間主義の教育」が芽生えたとしても、すぐに「国家主義の教育」に転換してしまう傾向が見られます。
  
 例えば大正期に起こった、子どもの個性や自発性の尊重をうたった「自由教育運動」も、結局は昭和前期の「軍国主義教育」に取って代わられました。戦後の昭和20年代はデューイの「経験主義教育」の理念が反映されましたが、昭和30年代に入ると経済成長を図るために再び国家主導の教育が強まります。
  
 近年もさまざまな教育問題が議論され、その都度、審議会や委員会などで対応策が検討されてきましたが、ようやく「国家のための教育」から「人間のための教育」への根本的な意識改革の必要性が指摘され始めたといえるでしょうか。コロナ禍の中でその課題は一層、浮き彫りになったとさえ思っています。
  
 近代の日本において、牧口先生から始まった「創価教育」は一貫して「人間主義の教育」の精神を継承してきました。ゆえに私は「今こそ創価教育に学べ」と、声を大にして訴えたいのです。「国家のための教育」から「人間のための教育」へと意識を転換し、システムを変革していくための突破口となるものが創価教育にある――と。
   

昭和初期のころに撮影された牧口常三郎先生の写真
昭和初期のころに撮影された牧口常三郎先生の写真
「生命」にとって
プラスになるか

 <それはつまり、創価教育の「人間観」に学ぶことだとも言えるでしょうか>
  
 その通りです。創価教育学の理論的特徴を表現するものとして、牧口先生の次の言葉が象徴的です。「価値ある人格とは価値創造力の豊かなるものを意味する。この人格の価値を高めんとするのが教育の目的で、此の目的を達成する適当な手段を闡明せんとするのが創価教育学の期する所である」(『創価教育学体系』)
  
 子どもは全て「価値を創造する豊かな力」を持った存在であるという見方から出発しているのです。そして教育の目的とは、価値を創造し得る人間を育成し、一人一人が自らの力で幸せに生きていけるようにする方法を明らかにすることだと定義しています。
  
 では、ここで言う「価値」そして「創造」とは何でしょうか。牧口先生は「利」「善」「美」の3価値をもって価値論の根幹としました。また、価値を価値たらしめているのは「生命」であるとして、次のようにも述べています。「人間の生命の伸縮に関係のない性質のものには価値は生じない。故に価値を人間の生命と対象の関係性といふ」(同)
  
 つまり人間の生命にとってプラスになるものは「有価値」であり、マイナスになるものは「反価値」だと呼んでいます。この考え方は極めて合理的であるとともに、スケールの大きい価値の捉え方です。
  

価値創造の意味

 一方、「創造」については「創造とは即ち自然の存在の中から人生に対する関係性を見出して之れを評価し更に人力を加へて其の関係性を特に増加することである」(同)とも述べています。
  
 これらを踏まえて「価値創造」の意味を私なりに解釈すると、次のようになります。
  
 個人的価値としての「利」、感覚的価値としての「美」、そして、社会的価値としての「善」という三つの価値を、それぞれ人間の生命との関係性でプラスになるか、あるいはマイナスになるかを評価しながら、プラスのもの、すなわち「有価値」を増加させていくことである――と。
  
 牧口先生は「価値創造者」という独立した個人的存在としての人間と、「社会生活者」として共存共栄を図る人間という両面から、人間を捉えていたことが分かります。
   

牧口先生(最前列中央左)が校長を務めた東京・白金小学校で、児童たちと共に(1927年)
牧口先生(最前列中央左)が校長を務めた東京・白金小学校で、児童たちと共に(1927年)
創価教育の先見性
現代的意義とは?

 <その「人間観」に立脚した牧口先生の具体的な教育実践については、どのように評価されていますか>
  
 創価教育の先見性と現代的意義は、いくら強調してもし過ぎることはありません。例えば学習と生活の一体化を目指した「半日学校制度」は、就学中のみならず、一生涯にわたり「学習」と「生活」とを並行していける生き方を習得させることが目的でした。
  
 ここにも、人間が生涯にわたって「よく生きよう」とする存在だと捉える「人間観」が表れています。現在の「生涯教育」は、1949年に行われたユネスコ主催の第1回国際成人教育会議に由来していますが、牧口先生は1930年代に生涯教育の必要性を示していたのです。
  
 また行政からの学校自治権の確立を強く訴えていたことにも注目したい。その背景には「学校はそれぞれの家庭の延長」との考えがあり、家庭や地域に対する信頼があったといえます。わが子のためにも保護者が学校に関わるのは当然の権利であり、遠慮なく学校に参加することが大切だと考えていたのです。「子どもの幸福」という目的を教師と保護者が共有し、地域で子どもを育てていくという考え方は、むしろ学校のみでは解決できない問題が山積している現代にこそ求められているのではないでしょうか。
  
 さらに「郷土科」という郷土教育の実践は、創価教育の中心的内容ともいえるものです。「地を離れて人なく、人を離れて事なし」(吉田松陰)との思いで、あらゆる学科の中心軸――いわゆるコア・カリキュラムに、子どもたちが生活している地域の風土や営みを“生きた教材”として学ぶ「郷土科」を据えることを提唱したのです。これは地域全体を巻き込む形で、さまざまな人々の思いを共有し合う場となり、世代から世代へと思いを受け継ぐ「生涯学習」の場にもなります。グローバル化が進む現代において、郷土を足場にして社会や世界とのつながりを理解する学びの在り方の重要性は、ますます高まっていくに違いありません。
  

「慈愛の心」こそ
教育の原点なり

 こうした一つ一つの実践とともに、私が感動してやまないのは、子どもたち一人一人を見つめる牧口先生の慈愛のまなざしであり、「人間愛」に貫かれた姿です。
  
 北海道で小学校教員をしていた時代、雪の降る日に幼い児童を背負って家まで送ってあげたことや、あかぎれで手を腫らした子がいれば教室のストーブでお湯を沸かし、手を温めながら洗ってあげたエピソードなどが数多くあります。東京での校長時代には、弁当を持って来られない子どものため、そっと食事まで用意されていたと聞きます。
  
 牧口先生の「人間観」には「誰一人置き去りにしない」「ダメな子なんか一人もいない」という「慈愛の心」があふれていました。そしてこれこそ教育の原点であり、教育改造の原動力であると、牧口先生は示したのです。
  
 いかなる時も「人間主義の教育」を貫いたその姿に、私たちは今こそ、学ぶべきではないでしょうか。
 (㊦は10日付に掲載予定)

作新学院大学のキャンパスで
作新学院大学のキャンパスで

【プロフィル】わたなべ・ひろし 1955年、栃木県生まれ。慶應義塾大学卒。教育学博士。宇都宮大学教育学部教授や同大学附属小学校長などを経て2017年、作新学院大学学長・同大学女子短期大学部学長。20年、学校法人ねむの木学園理事。1994年、国民学術協会賞受賞。著書に『宮城まり子とねむの木学園――愛が愛を生んだ軌跡』(潮出版社)、『人間教育のすすめ』(東洋館出版社)など多数。

  
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