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池田主任副会長による小説「人間革命」第10巻講義から(要旨) 2023年3月15日

  • 関西を貫く師弟の大動脈

 本年2月、池田主任副会長による小説『人間革命』第10巻の講義が、大阪市の関西池田記念会館で行われた。会場には、関西の男子部、池田華陽会、学生部の代表が参加した。ここでは、その要旨を紹介する。
 
 

 小説『人間革命』は、学べば学ぶほど新たな発見があります。私も今回、講義に当たって、もう一度、第10巻を学ぶ機会を得たと思い、準備をして臨みました。
 
 第10巻には、それまでの9巻とは異なる特徴があります。それは、聖教新聞の連載「世界広布の源流 青年に語る創価の魂」(1月5日付3面)でも触れましたが、第9巻までは戸田先生が主人公だった物語が、第10巻では山本伸一が主人公の物語になっているという点です。
 
 いうなれば、第10巻は山本伸一が主人公として描かれている小説『新・人間革命』の助走とも捉えることができます。
 
 第10巻では、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」についてつづられています。5月には、大阪支部1支部で、わずか1カ月の間に、「1万1111世帯」という弘教を成し遂げ、広布の金字塔を打ち立てました。そして、7月に行われた参議院議員選挙(大阪地方区)では、「“まさか”が実現」と一般紙が報じたほどの勝利劇を展開したのです。
 
 今回はこの「大阪の戦い」がつづられた第10巻について、二つの視点からお話をしたいと思います。
 
 1点目は、戸田先生と山本伸一の「師弟の戦い」が描かれているという点についてです。
 
 大阪の戦いは、戸田先生から池田先生に関西広布の全責任が託された戦いでした。未来を切り開くために、どうしても挑み、勝たねばならない、師弟の共戦だったのです。
 
 「一念」の章には、こう記されています。
 
 「(戸田先生は)支援活動の指揮を、どうしても山本伸一に執らせたかった。掌中の珠である伸一に、あえて未来への開拓の苦難の道を進ませ、その健気なる勇姿と、地涌の底力とを、彼の没後のために確かめておきたかったのである」
 
 戸田先生としてみれば、支援活動の勝敗以上に、自分の没後、誰が、どのように広宣流布を引き継いでくれるのかを確認する意味で、この戦いに臨まれていたのです。
 
 一方、山本伸一は、どうだったか。伸一は、常に戸田先生のもとで数々の困難な戦いに挑み、勝利の道を開いてきました。関西での戦いでも、戸田先生の期待に即座に応じました。しかし、当初は「遠大な目標と現実との間には、あまりにも懸隔がありすぎることに、気づかざるを得なかった」と苦悩に沈む姿が描かれています。
 
 伸一は、現実の問題として、どうすれば勝てるのか悩み抜き、現実と目標の間を埋めるために、「億劫の辛労」を尽くします。
 
 そして一つの結論として、「まず教学を通して、関西の愛すべき同志を励ましていこう」と、早朝の御書講義を開始。それが、勝利の因となりました。師匠から与えられた目標と、現実との狭間をどう埋めていくか――それが弟子の戦いです。断じて勝とうとの一念を定め、祈り、悩み、考え抜く中で、知恵が湧き、最高の作戦も生まれてくるのです。
 
 次に、「脈動」の章には、「大動脈」という表現が何カ所か出てきます。
 
 「広宣流布の実践のうえで、戸田城聖と山本伸一における師弟という不二の道もまた、今日の創価学会を形成発展させてきた大動脈であったことは、一点の疑いもなきところである」
 
 「この大動脈は、人目につかぬ底流に潜んでいるしかなかった。大阪の激闘の成功は、この師弟不二の道の実践が、いかなるものであるかを表していたといってよい」
 
 「底流に潜んでいた大動脈に気づいた人は、皆無といってよかった」
 
 「大動脈」とは、心臓から全身に血液を送り出す動脈で、最も太い血管のことです。同様に、信心の脈動を関西中の組織に流れ通わせていったのが、山本伸一の師弟不二の戦いでした。
 
 「大阪の戦い」においては、伸一の励まし、行動によって信心の一念が関西中に行き渡りました。
 
 「展望」の章に、「大阪の勝利をもたらした山本伸一の存在は、今の戸田城聖にとって、広宣流布の未来に輝く唯一の星であった。“七百年来、不可能とさえ思われた難業の広宣流布を、可能へと推進するのもまた、現時点にあっては山本伸一であろう”」とつづられているように、この大阪の戦いがあったからこそ、戸田先生は、広宣流布の未来を確信することができたのです。
 
 学会の底流に「師弟不二」という大動脈が、流れ通ったのが、この「大阪の戦い」だったのです。
 

大阪、兵庫、京都、奈良、和歌山、滋賀、福井の2府5県から男子部、池田華陽会、学生部の代表が参加。不屈の関西魂を赤々と燃やし、限界を破る拡大を誓う(2月、関西池田記念会館で)
大阪、兵庫、京都、奈良、和歌山、滋賀、福井の2府5県から男子部、池田華陽会、学生部の代表が参加。不屈の関西魂を赤々と燃やし、限界を破る拡大を誓う(2月、関西池田記念会館で)
信心の団結が不可能を可能にする

 続いて、「長の一念」という観点から、この戦いを捉えたいと思います。
 
 学会にとって、この選挙は、初めて全国一斉に挑戦する国政選挙(全国区)でもありました。「一念」の章で、戸田先生は、今回の支援活動の特徴は「団結が全国的規模に広がったということ」と捉えた上で、各方面の責任者に信心の団結を訴えました。
 
 また、「あくまでも信心の浸透によって、社会建設の使命を自覚させ、各人の湧き上がる自発的な熱意」(「脈動」の章)の重要性を強調します。
 
 しかし、師の教え通りに実践することは難しかった。幹部の中には焦燥感に駆られ、信心の指導を求めて集った会員に対し、本来の目的や意義も語らず、ただ号令をかけるだけの人もいました。そうした行動は、会員に、信心への疑問を抱かせることにつながっていくのです。
 
 「険路」の章には、56年5月15日、6人の学会員がねつ造された暴力事件の容疑で、不当に逮捕される場面が描かれています。その日の夕刊では大阪のあらゆる新聞が、創価学会が「暴力宗教」であるかのように報じました。
 
 そうした中で山本伸一は、早急に対応策を検討します。そして、「いかにして、この受け身の姿勢から一挙に脱して、能動の態勢に戻し、反撃に転ずるかに心を砕いた。伸一は、深夜に一人、関西本部の御本尊の前に端座し、いつまでも唱題していた」とつづられています。
 
 翌日、伸一は事件の善後策を講じるために奔走。17日には、「電光石火」と大書します。
 
 そして、この日に行われた早朝講義で彼は、「必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く」(新1488・全1091)、「各々、師子王の心を取り出だして、いかに人おどすともおずることなかれ」(新1620・全1190)などの御書を通して指導。「正しい仏法が、正しい信仰が、最後に必ず勝たないわけがない」と力説します。
 
 伸一の一念に触れて、一人一人の心に巣くっていた臆病の魔は打ち破られ、組織の雰囲気は一変しました。
 
 18日には戸田先生も、事件の真相を明らかにし、学会に対する曲解を解くためにマスコミの記者会見を行っています。
 
 いかなる戦いにあっても、状況は刻一刻と変わります。トラブルや課題が生じることも珍しくありません。そうした時に、どのように信心の眼で捉え、次の一手を打っていくか――指揮を執る「長の一念」で決まります。
 

1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」で同志の激励に奔走する山本伸一(内田健一郎画)
1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」で同志の激励に奔走する山本伸一(内田健一郎画)
師と展望した学会の未来図を現実のものに

 最後に、第10巻が連載された当時の背景についても触れたいと思います。
 
 第10巻の連載が聖教新聞で掲載されていたのは、77年(昭和52年)9月3日から78年(同53年)8月3日までです。
 
 関西の歌「常勝の空」が発表されたのは78年7月の7・17「大阪の日」記念幹部会の席上ですから、時期が重なっています。
 
 『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章には、「常勝の空」の作詞に臨む山本伸一の思いが記されています。
 
 「大阪の戦いから二十二年を経て、二十一世紀まで、あと二十二年余となった。伸一は、まさに新世紀への折り返し点に立った今こそ、関西の同志に、永遠不滅の常勝の城を築き上げてほしかった」
 
 連載当時の読者からすると、大阪の戦いは56年(同31年)の出来事ですから、約20年前の話になります。実際に、大阪の戦いを経験した人たちも多くいたわけですが、“第10巻を読んで初めて戸田先生と池田先生がどれほど苦労されたのかを知った”という人がほとんどだと思います。
 
 また、第10巻は、池田先生が会長として執筆された最後の連載です。第1次宗門事件が表面化し始めた時期でしたので、『人間革命』の執筆を通じて会員に励ましを送られていたのです。
 
 第10巻の「展望」の章には、大阪の勝利を見届け、東京に戻る飛行機の中で山本伸一が、広布の未来について熟考して得た“雲海の着想”が紹介され、それを東京で、戸田先生に打ち明け語り合う場面があります。
 
 「広宣流布という広大深遠な活動が、将来、政治の分野に偏向するようなことになったら、広宣流布は矮小化されてしまうのではないか」との伸一の話を聞いた戸田先生は、「政治改革といったって、人間革命という画竜点睛を欠いたら、何一つ変わるものではない」と訴えます。
 
 さらに、「広宣流布が進んでいけば、社会のあらゆる分野に人材が育っていく。政治の分野にも、経済の分野にも、学術・芸術・教育など、どんな分野にも、社会の繁栄、人類の平和のために、献身的に活躍している学会員がいるようになるだろう」と語ります。
 
 そして、創価学会が、人類の平和と文化を担う、「人材を育て上げていく、壮大な教育的母体ということになっていく」と、学会の未来図を展望し、伸一の「後半生の終わりごろから」そうした時代の傾向が顕著に現れてくるのではないか、と答えます。
 
 この師弟の語らいの場面が掲載された当時、池田先生は50歳です。第1次宗門事件という大きな逆流の中、戸田先生との語らいを通して紡ぎ出された、学会の未来図を現実のものにしようとの決意を込めて執筆されたのではないかとも思います。
 
 実際に、その後、池田先生は幾多の障魔に敢然と立ち向かい、世界広布を切り開く戦いを貫き、世界192カ国・地域に広がる大連帯を築かれました。
 
 今にいたるまでの、広宣流布の戦いの原点は、あらゆる障壁を師弟不二の闘争で乗り越えた「大阪の戦い」だと言っても過言ではないでしょう。
 
 その創価の師弟の「大動脈」は、この関西に脈々と受け継がれています。
 
 しかし、師弟の脈動を自分自身が実感するためには、師匠と同じ思いに立って戦う以外にありません。自分が勇気を奮い起こして戦う中で、山本伸一の思いというものが感じられるようになります。
 
 今こそ、その戦いを起こす時です。不可能を可能にする信心の団結で、自身の殻を破る挑戦を勇猛果敢に開始していきましょう。
 

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