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インタビュー 国境なき医師団・日本会長 加藤寛幸さん――みんな尊い命 2020年2月13日

  • 企画連載 私がつくる平和の文化Ⅱ

 「私がつくる平和の文化Ⅱ」の第2回は、1999年にノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」の日本で会長を務める加藤寛幸さんです。紛争地域や難民キャンプなどでの医療・人道援助活動を通し、人間の命の尊さや私たちが心掛けるべきことについて語ってもらいました。(聞き手=木﨑哲郎、歌橋智也)

この仕事に自分の力と時間をささげよう
ウガンダの難民キャンプで
ウガンダの難民キャンプで

――なぜ「国境なき医師団」に参加しようと思ったのですか?
 
 僕の子どもの頃の夢はパイロットになることでした。しかし高校時代の視力低下によって方向転換せざるをえなくなり、医学部に進みました。小児科医になることは決めたものの、将来については漠然としていました。
 「国境なき医師団」と出合ったのは、医師としての第一歩を踏み出す病院に向かう空港でのこと。ロビーを歩いていて、ふと目にしたテレビの映像に釘付けになりました。そこには、栄養失調の子どもに寄り添う真剣な医師の姿が。わずか20秒ぐらいだったと思います。それを見た瞬間、「この仕事に自分の持つ力と時間をささげよう」と心が決まりました。
 人生の恩師の言葉である「損をすると思う方を選びなさい」、「一番弱い人たちのために働きなさい」を同時に満たす仕事だと思ったのです。その後、語学や熱帯医学も学び、「国境なき医師団」に採用されることとなりました。

――派遣先は難民キャンプなど過酷な現場です。
 
 南スーダンでは、新生児の病室は、床に毛布を敷いて赤ちゃんを寝かせます。人手もベッドも確保できず、こちらの体制が限界を超えてしまうので、入院を制限せざるを得ない。助かる見込みのない子はお断りするのです。
 親御さんに誠心誠意、お話しするのですが、当然ながら納得しません。激しく罵倒されても、ひたすら謝るしかない。こういう現実は、なかなか想像できないかもしれませんが、医師としても本当につらかったです。
 

忘れられぬ少年との出会い
シエラレオネのエボラ出血熱を乗り越えた少年たちと(国境なき医師団提供)     
シエラレオネのエボラ出血熱を乗り越えた少年たちと(国境なき医師団提供)     

 ――お話に胸が痛みます。活動の中で希望を感じることはありますか?
 
 シエラレオネでエボラ出血熱の治療の時に出会った11歳の少年はとても心に残っています。彼は弟と共に入院してきましたが、翌日に弟が亡くなってしまう。にもかかわらず、面倒見のいい彼は、一緒に入院してきた見ず知らずの兄弟の世話を一生懸命しているんです。エボラの治療区域というのは隔離され、スタッフも防護服やゴーグルを着用して治療に当たるほど危険な現場です。連日、亡くなる人が出ます。
 比較的、症状が軽かった彼は無事に退院することができた。それを喜び合い、僕が現場に戻ろうとすると、彼も一緒に治療区域に入ってくるのです。驚きました。エボラはタイプが同じであれば、一度、罹って回復すると抗体ができて罹らなくなる。彼は「あの子たちを助けたいんだ」と、進んで面倒を見続けたのです。その甲斐もあり、幼い兄弟は助かった。彼の行動の崇高さは僕らの想像を超えていました。僕など足元にも及ばない。退院時に4人で撮った写真がありますが、皆は笑顔で、僕一人が感激して泣いてました。
 派遣されたスタッフは口をそろえて言います。“助けるために行ったのに、自分がしたことの何倍もの「目に見えない大切なもの」をもらった”と。
 

「平和の文化」の灯は消えない

 ――紛争地域で感じられたことは?
 
 2015年にアフガニスタンで活動したことがあります。それは「国境なき医師団」の病院が米軍によって爆撃された直後でした。この時、亡くなった28人の患者さんらと、14人の病院スタッフは、たまたま全員がアフガニスタン人でした。
 到着する前、僕らは現地の人から“なんで俺たちの仲間だけが死んで、外国人は安全な場所で生き残ったんだ”と責められると思っていました。
 でも行ってみると違いました。彼らは“今回の唯一の救いは、自分たちのために外国から来てくれた人が傷つかなかったことだ”と言ったのです。そして僕たちを温かく迎えてくれた。心から感動しました。
 アフガニスタンは大国の思惑に振り回され、政治の道具にされてきた国です。でも現地の人は、ただただ平和を望んでいる心優しい人たちです。
 その意味で、紛争の中にあっても人間は信じ合えるし、希望はあります。みんなで助け合う。家族やコミュニティーが結束する。そうやって強く生きています。だから「平和の文化」の灯は決して消えることはないと思いました。

「関係ない」と思わないで
バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプで(国境なき医師団提供)
バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプで(国境なき医師団提供)

――日本にいる私たちが、世界の課題を自分のこととして捉えるには、どうしたらよいでしょうか。
 
 本当に難しいことだと思います。「国境なき医師団」が日本から2018年に派遣したスタッフは106人。医師や看護師、薬剤師だけでなく、広報や財務、エンジニアなど医療以外の業務に携わる人も含めてです。
 派遣人数は世界全体の2%程度で非常に少ない。僕は日本が国際的な人道援助活動を熱心に行う品格ある国家であってほしいと思います。
 今、僕らも子どもたちに世界の現状を知ってほしいと思い、各地の学校を回り、活動を紹介しています。未来につながると信じる地道な取り組みです。
 今は情報を得る手段はたくさんあります。だから、どんなきっかけでもいいから、まずは「知る」ことから始めてほしい。直接現地に行ける人は少なくても、自分と遠く離れた所で起こっていることを「関係ない」と思わないでほしいのです。貧困や病気、紛争で苦しんでいるのは、僕たちと同じ「人間」です。そして、自分のことを「大勢の中の一人」と思わないでください。「他の誰かではなく、自分の助けを必要としている人がいる」。そう考えてほしいのです。

国境なき医師団のホームページ
https://www.msf.or.jp/

 かとう・ひろゆき 小児救急、熱帯感染症が専門。東京都出身。島根医科大学卒。タイ・マヒドン大学で熱帯医学ディプロマ取得。東京女子医大病院、国立小児病院等に勤務。2003年から「国境なき医師団」の活動に参加。15年から現職。
 
 

池田先生撮影の写真と言葉
アルプス上空、1994年5月
アルプス上空、1994年5月

 
 「平和」とは――
 絶望を希望に変える、間断なき闘争です。人間への信頼を断じて手放さない、不屈の根性です。自他共の生命を最大に尊重する、人間の讃歌です。
 
       ◆◇◆
 
 我々は 天空を舞いゆく
 翼を持っている。
 何ものをも耐え抜く
 金剛の魂を持っている。
 そして 世界の人々を
 深く広く包み護る
 慈愛の心を持っている。
 
 
(上は『未来対話』、下は長編詩「晴れわたる 我らの五月三日」から)
 

<1月23日付への読者の声>

 東京都北区
 須藤 慶子さん(WEBデザイナー 40歳)
 1月23日付の横山だいすけさんのインタビューを3歳の息子と一緒に楽しく読みました。
 臨月の時、実母が入院したため、里帰りせずに出産。慣れない育児で悩んだ時に、だいすけさんの歌を子どもに聞かせるつもりで流したら、逆に自分が癒やされました。以来、大ファンです。息子が泣いてどうしていいか分からなかった時も、だいすけさんのコミカルな歌が流れて大爆笑。悩んでいたことを忘れ、心に余裕ができました。
 だいすけさんの歌から勇気や希望をもらった息子は、歌が大好きです。これからも親子で歌う楽しい時間を大切にし、「平和の心」を育んでいきます。
 
      ◇◆◇

 北九州市八幡西区
 江崎 貴美子さん(会社員 37歳)
 3歳と0歳の子育て中です。心に余裕がなくなると、子どもの気持ちを考えられず、言葉に出せないメッセージに気付いてあげられなくなります。後で自分の言動に反省する日々……。
 でも、横山さんの記事を読んで、何があっても一緒に歌って楽しく乗り越えようと思いました。ぶつかり合っても、音楽で気持ちが和やかになったり、一緒に歌えば言葉の意味をかみ締めることができます。平和の実践ができる子に育てるには親の心のゆとりが何より大事だと感じます。今後は親世代にもつながりを広げて情報交換したり、互いに尊敬し、支え合える人間関係を築いていきたいです。

(1月23日付 「歌のお兄さん」横山だいすけさんのインタビューはこちらから

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