〈SDGs×SEIKYO〉 原発事故で誰もいなくなった故郷で始めた、ワインを通じた地域づくり
〈SDGs×SEIKYO〉 原発事故で誰もいなくなった故郷で始めた、ワインを通じた地域づくり
2023年3月11日
- 一般社団法人「とみおかワインドメーヌ」代表理事 遠藤秀文さん
- 一般社団法人「とみおかワインドメーヌ」代表理事 遠藤秀文さん
生きている間には完結しない
100年先を見つめた「挑戦」
前例のない復興をやり遂げる
生きている間には完結しない
100年先を見つめた「挑戦」
前例のない復興をやり遂げる
「学生記者が取材する『SDGs×SEIKYO』」では、本社所属のスチューデントリポーター(学生記者)が、SDGsに関わる人物にインタビューをしていきます。(この取材は学生記者のコノハズクが担当しました)
「学生記者が取材する『SDGs×SEIKYO』」では、本社所属のスチューデントリポーター(学生記者)が、SDGsに関わる人物にインタビューをしていきます。(この取材は学生記者のコノハズクが担当しました)
〈きょう11日で東日本大震災から12年を迎えた。福島県浜通りの中央に位置する富岡町は、東京電力福島第1原発の事故に伴い、全町避難を余儀なくされた。そんな町に、避難解除前の2016年春、一人で戻った遠藤秀文さん。生まれ育った故郷で、震災以前から抱いていたワインづくりという夢の実現へ動き出したのだ。現在、9割の区域で避難指示が解除され、復興プロジェクトが進む同町の中心には、遠藤さんのぶどう畑が広がっている〉
〈きょう11日で東日本大震災から12年を迎えた。福島県浜通りの中央に位置する富岡町は、東京電力福島第1原発の事故に伴い、全町避難を余儀なくされた。そんな町に、避難解除前の2016年春、一人で戻った遠藤秀文さん。生まれ育った故郷で、震災以前から抱いていたワインづくりという夢の実現へ動き出したのだ。現在、9割の区域で避難指示が解除され、復興プロジェクトが進む同町の中心には、遠藤さんのぶどう畑が広がっている〉
今回のテーマは「住み続けられるまちづくりを」
今回のテーマは「住み続けられるまちづくりを」
――ワインづくりへの思いを抱くようになった経緯を教えてください。
私は大学3年生の時に決めたことがあったんです。それは、故郷に還元できるような経験をたくさん積み、35歳になったら富岡町に戻るということでした。
視野を広げようと、海外での仕事が多い建設コンサルタント会社に就職し、2年目に海外事業部に正式に配属されて以来、アフリカ、アジア、中米、大洋州の約30カ国で仕事をしました。
行く先々の国で、いつも考えていました。富岡町は、人も気候も食べ物もとても良いのに、何か足りない。“それは、何なのか”と、ずっと探していました。
そんな中、思い付いたのが“お酒の文化”です。世界各地を訪れた際、ワイナリーを見る機会がよくありました。個性のあるぶどうが、白や赤、ロゼ、スパークリングをはじめ、たくさんの種類のワインになり、さまざまな食材と結び付いて、人と人との交流、そして文化を生み出していました。
一方、福島には立派な酒蔵はたくさんありますが、当時、思い当たるような、ワイナリーはありませんでした。だったら、“ワインの文化”を、富岡町に育めないかと思ったんです。
――ワインづくりへの思いを抱くようになった経緯を教えてください。
私は大学3年生の時に決めたことがあったんです。それは、故郷に還元できるような経験をたくさん積み、35歳になったら富岡町に戻るということでした。
視野を広げようと、海外での仕事が多い建設コンサルタント会社に就職し、2年目に海外事業部に正式に配属されて以来、アフリカ、アジア、中米、大洋州の約30カ国で仕事をしました。
行く先々の国で、いつも考えていました。富岡町は、人も気候も食べ物もとても良いのに、何か足りない。“それは、何なのか”と、ずっと探していました。
そんな中、思い付いたのが“お酒の文化”です。世界各地を訪れた際、ワイナリーを見る機会がよくありました。個性のあるぶどうが、白や赤、ロゼ、スパークリングをはじめ、たくさんの種類のワインになり、さまざまな食材と結び付いて、人と人との交流、そして文化を生み出していました。
一方、福島には立派な酒蔵はたくさんありますが、当時、思い当たるような、ワイナリーはありませんでした。だったら、“ワインの文化”を、富岡町に育めないかと思ったんです。
ぶどう畑を見て回った際の一コマ
ぶどう畑を見て回った際の一コマ
――そうした構想を持って、2008年、富岡町に戻られたわけですね?
いざ35歳になった時は、自分の思い通りの仕事ができていたので、迷いもありました。しかし、今、戻らなかったら、もう二度と機会はないかもしれないと、会社を辞め、故郷に戻る決断をしました。
それから父が興した会社で建設コンサルタントとして働きながら、ぶどう畑の候補地を探し回りました。ですが、富岡町では、原発関連の仕事をしながら、先祖代々の畑を受け継いでいる兼業の稲作農家が多く、まとまった耕作放棄地はありませんでした。
そんな中で発生したのが、東日本大震災でした。家族は無事でしたが、自宅は津波で流され、さらに、追い打ちをかけるように、原発事故が起きたため、私たちは一時、岐阜にある妻の実家に避難することになりました。
――そうした構想を持って、2008年、富岡町に戻られたわけですね?
いざ35歳になった時は、自分の思い通りの仕事ができていたので、迷いもありました。しかし、今、戻らなかったら、もう二度と機会はないかもしれないと、会社を辞め、故郷に戻る決断をしました。
それから父が興した会社で建設コンサルタントとして働きながら、ぶどう畑の候補地を探し回りました。ですが、富岡町では、原発関連の仕事をしながら、先祖代々の畑を受け継いでいる兼業の稲作農家が多く、まとまった耕作放棄地はありませんでした。
そんな中で発生したのが、東日本大震災でした。家族は無事でしたが、自宅は津波で流され、さらに、追い打ちをかけるように、原発事故が起きたため、私たちは一時、岐阜にある妻の実家に避難することになりました。
ドローンで撮影したぶどう畑(本人提供)
ドローンで撮影したぶどう畑(本人提供)
――震災・原発事故によって、故郷を離れることになった後、ワインづくりはどのような経過をたどったのでしょうか。
離れてはいましたが、震災の約3年後からは具体的に考え始めていました。もともと、潮風の当たる環境が、ぶどう栽培には向かないといった意見もありましたし、放射能汚染で無理だろうと多くの人に言われました。
しかし、町が空っぽになった今だからこそ、できなかったことができるかもしれない。やらずに後悔するよりは、やって後悔したいという思いで準備を進めました。
実は震災の翌年、ウクライナのチェルノブイリ原発に行ったんです。事故を起こした原子炉を封じ込める巨大な「石棺」を見たり、完全に時が止まってしまった街を視察したりする中で、周辺で醸造された、ワインを飲んだんです。
もちろん原料も含め、科学的に安全性が証明されたものです。味はちょっとまずかったですが(笑)、福島とは比べられないほど放射能汚染が深刻だったチェルノブイリでも、ワインをつくることができるのならと、希望を感じました。
そして、除染作業が進んだ16年春に、有志10人で「とみおかワイン葡萄栽培クラブ」を結成し、町内2カ所に、それぞれ約200本の苗木を植えることができたんです。
――震災・原発事故によって、故郷を離れることになった後、ワインづくりはどのような経過をたどったのでしょうか。
離れてはいましたが、震災の約3年後からは具体的に考え始めていました。もともと、潮風の当たる環境が、ぶどう栽培には向かないといった意見もありましたし、放射能汚染で無理だろうと多くの人に言われました。
しかし、町が空っぽになった今だからこそ、できなかったことができるかもしれない。やらずに後悔するよりは、やって後悔したいという思いで準備を進めました。
実は震災の翌年、ウクライナのチェルノブイリ原発に行ったんです。事故を起こした原子炉を封じ込める巨大な「石棺」を見たり、完全に時が止まってしまった街を視察したりする中で、周辺で醸造された、ワインを飲んだんです。
もちろん原料も含め、科学的に安全性が証明されたものです。味はちょっとまずかったですが(笑)、福島とは比べられないほど放射能汚染が深刻だったチェルノブイリでも、ワインをつくることができるのならと、希望を感じました。
そして、除染作業が進んだ16年春に、有志10人で「とみおかワイン葡萄栽培クラブ」を結成し、町内2カ所に、それぞれ約200本の苗木を植えることができたんです。
白ワイン用ぶどう「シャルドネ」(本人提供)
白ワイン用ぶどう「シャルドネ」(本人提供)
――遠藤さんにとって復興の原動力は何だったのでしょうか。
震災時、町長を務めていたおやじの存在ですね。
原発事故直後、おやじは、全町避難の陣頭指揮を執っていました。当時、一緒に郡山市内にいたんですが、毎晩、自宅に帰ってきてから、「本当に良かったのか」「これで、町民を路頭に迷わせないか」と自問自答していました。
おやじは町長を辞めた1年後に亡くなりました。命懸けで富岡町を守ろうとしていたのかもしれません。
生前のおやじは、“富岡町の海岸沿いは、ワイナリーが立ち並ぶニュージーランドの姉妹都市オークランドの海岸沿いに似ている”と話していました。
あの震災直後のおやじの姿を思い返すと、富岡町を何とかしたいという気持ちになるんです。
――遠藤さんにとって復興の原動力は何だったのでしょうか。
震災時、町長を務めていたおやじの存在ですね。
原発事故直後、おやじは、全町避難の陣頭指揮を執っていました。当時、一緒に郡山市内にいたんですが、毎晩、自宅に帰ってきてから、「本当に良かったのか」「これで、町民を路頭に迷わせないか」と自問自答していました。
おやじは町長を辞めた1年後に亡くなりました。命懸けで富岡町を守ろうとしていたのかもしれません。
生前のおやじは、“富岡町の海岸沿いは、ワイナリーが立ち並ぶニュージーランドの姉妹都市オークランドの海岸沿いに似ている”と話していました。
あの震災直後のおやじの姿を思い返すと、富岡町を何とかしたいという気持ちになるんです。
苗木定植の様子(本人提供)
苗木定植の様子(本人提供)
――16年の苗植えからの歩みを教えてください。
着実にぶどう栽培に挑戦しながら、本格的な事業化を目指し、18年11月に一般社団法人「とみおかワインドメーヌ(ぶどうの栽培からワインの醸造・熟成・瓶詰めまでを自分たちで行う生産者という意)」を設立し、翌年度には約60本のワインを醸造することができました。
味は、年々良くなってきています。最近は、地球温暖化の影響もあり、ぶどうが栽培できなくなってきた地域もある中、非常に冷たい浜風が吹く富岡町では、夏場でも、それほど気温が上がらない。30℃超にはならないんです。
浜の潮風自体は、ぶどう栽培には適さないかもしれませんが、逆に少しくらい厳しい環境の方が、良いぶどうが取れることが分かってきました。
おかげさまで、今では、多くの地域の方が、富岡町の未来のために協力してくださっています。また、苗植え、除草作業などには、毎回、地域外から、企業や学生のボランティアの方が多く参加してくださっています。実際に畑で作業し、その後、移住された方もいれば、寄付して支えてくださる方もいます。
ワインづくりを中心に、富岡の内外の人々が交流する新しいコミュニティーが生まれていると確信します。
――16年の苗植えからの歩みを教えてください。
着実にぶどう栽培に挑戦しながら、本格的な事業化を目指し、18年11月に一般社団法人「とみおかワインドメーヌ(ぶどうの栽培からワインの醸造・熟成・瓶詰めまでを自分たちで行う生産者という意)」を設立し、翌年度には約60本のワインを醸造することができました。
味は、年々良くなってきています。最近は、地球温暖化の影響もあり、ぶどうが栽培できなくなってきた地域もある中、非常に冷たい浜風が吹く富岡町では、夏場でも、それほど気温が上がらない。30℃超にはならないんです。
浜の潮風自体は、ぶどう栽培には適さないかもしれませんが、逆に少しくらい厳しい環境の方が、良いぶどうが取れることが分かってきました。
おかげさまで、今では、多くの地域の方が、富岡町の未来のために協力してくださっています。また、苗植え、除草作業などには、毎回、地域外から、企業や学生のボランティアの方が多く参加してくださっています。実際に畑で作業し、その後、移住された方もいれば、寄付して支えてくださる方もいます。
ワインづくりを中心に、富岡の内外の人々が交流する新しいコミュニティーが生まれていると確信します。
苗木定植の様子(本人提供)
苗木定植の様子(本人提供)
――今後、ワインづくりは、どのように展開していく予定ですか。
ぶどう畑は年々、拡大しています。JR富岡駅前の海岸近くの土地も購入し、苗植えが始まりました。
さまざまな協力もあり、その駅前のぶとう畑は、東京ドーム1個分の大きさまで拡大する予定です。電車で町を訪れた人は、一面のぶどう畑を目にするわけです。
また、今年年頭には、新たに株式会社「ふたばラレス」を設立しました。ぶどうの栽培、醸造、販売、イベント等の運営を通じ、富岡町の新たな観光資源・産業の確立を目指していきます。
そして、24年に醸造所を竣工し、25年にワイナリーを開業する予定です。富岡町の新たな観光スポットになることを楽しみにしています。
――今後、ワインづくりは、どのように展開していく予定ですか。
ぶどう畑は年々、拡大しています。JR富岡駅前の海岸近くの土地も購入し、苗植えが始まりました。
さまざまな協力もあり、その駅前のぶとう畑は、東京ドーム1個分の大きさまで拡大する予定です。電車で町を訪れた人は、一面のぶどう畑を目にするわけです。
また、今年年頭には、新たに株式会社「ふたばラレス」を設立しました。ぶどうの栽培、醸造、販売、イベント等の運営を通じ、富岡町の新たな観光資源・産業の確立を目指していきます。
そして、24年に醸造所を竣工し、25年にワイナリーを開業する予定です。富岡町の新たな観光スポットになることを楽しみにしています。
ぶどう畑で作業をするボランティア(本人提供)
ぶどう畑で作業をするボランティア(本人提供)
――まさに、ぶどう畑やワイナリーから復興の物語がつづられていると感じます。
私は今も、建設コンサルタントを本業としています。ODA(政府開発援助)などの海外での開発事業にも携わっていますが、福島の復興は、それらの壮大な事業と比べても、規模というか、時間のスケールがまるで違います。
世界初の複合災害(自然災害と原子力災害)を受け、全てが完全に崩壊した町で、人と人、産業、地域コミュニティーも含め、全てを築き直さなければいけません。100年後の未来をつくる事業です。
今、「とみおかワインドメーヌ」を中心に、その道が少しだけ見えてきたように思います。しかし、この事業は、どう考えても私が生きているうちには終わらない。私だけでは完結できないものです。
そんな前例がないからこその“やりがい”も感じます。「良樹細根」(細かく根が張っている木は、枝葉もよく茂る立派な木になるという意)との言葉がありますが、見えている部分以上に見えない部分もしっかりと着実に育て、焦らずにゆっくりと、不可能を可能にしていきたいと思います。
――まさに、ぶどう畑やワイナリーから復興の物語がつづられていると感じます。
私は今も、建設コンサルタントを本業としています。ODA(政府開発援助)などの海外での開発事業にも携わっていますが、福島の復興は、それらの壮大な事業と比べても、規模というか、時間のスケールがまるで違います。
世界初の複合災害(自然災害と原子力災害)を受け、全てが完全に崩壊した町で、人と人、産業、地域コミュニティーも含め、全てを築き直さなければいけません。100年後の未来をつくる事業です。
今、「とみおかワインドメーヌ」を中心に、その道が少しだけ見えてきたように思います。しかし、この事業は、どう考えても私が生きているうちには終わらない。私だけでは完結できないものです。
そんな前例がないからこその“やりがい”も感じます。「良樹細根」(細かく根が張っている木は、枝葉もよく茂る立派な木になるという意)との言葉がありますが、見えている部分以上に見えない部分もしっかりと着実に育て、焦らずにゆっくりと、不可能を可能にしていきたいと思います。
醸造された「とみおかワイン」(本人提供)
醸造された「とみおかワイン」(本人提供)
〈プロフィル〉えんどう・しゅうぶん 1971年、福島県双葉郡富岡町生まれ。大学卒業後の1994年に日本工営株式会社に入社。アフリカ、中東、東南アジア、大洋州、中米など約30カ国でODA(政府開発援助)の開発事業に従事。2008年に福島に帰郷し、株式会社双葉測量設計の専務取締役に就任。東日本大震災の1カ月後に富岡町の本社機能を郡山市に移し、事業再開。13年に社名を株式会社ふたばに変更し、代表取締役社長に就任。富岡に新たな観光資源をつくりたいとの思いから、16年に富岡町でぶどう栽培を始めた。
〈プロフィル〉えんどう・しゅうぶん 1971年、福島県双葉郡富岡町生まれ。大学卒業後の1994年に日本工営株式会社に入社。アフリカ、中東、東南アジア、大洋州、中米など約30カ国でODA(政府開発援助)の開発事業に従事。2008年に福島に帰郷し、株式会社双葉測量設計の専務取締役に就任。東日本大震災の1カ月後に富岡町の本社機能を郡山市に移し、事業再開。13年に社名を株式会社ふたばに変更し、代表取締役社長に就任。富岡に新たな観光資源をつくりたいとの思いから、16年に富岡町でぶどう栽培を始めた。
取材後記
取材後記
あるインタビュー記事で読んだ遠藤さんの1日のスケジュール。「朝4時半に起き、午後9時半に寝る」というルーティーン(日課)が気になり、具体的に何をやっているのかを聞いてみました。
朝起きて、2、3キロランニングしながら思索をめぐらせ、7時過ぎには出社。その後、「会社周辺をごみ拾いする」と。
「掃除をしていると、地域の今を感じられるだけではなく、地域にお世話になっているから自分があり、会社があると、常に謙虚な姿勢を忘れないでいられる」
遠藤さん自身の生きる姿勢そのものが「良樹細根」を体現していると感じた瞬間でした。(コノハズク)
【SDGs×SEIKYO特設HPはこちら】※バックナンバーが無料で読めます※
●最後までお読みいただき、ありがとうございます。ぜひ、ご感想をお寄せください→ sdgs@seikyo-np.jp
あるインタビュー記事で読んだ遠藤さんの1日のスケジュール。「朝4時半に起き、午後9時半に寝る」というルーティーン(日課)が気になり、具体的に何をやっているのかを聞いてみました。
朝起きて、2、3キロランニングしながら思索をめぐらせ、7時過ぎには出社。その後、「会社周辺をごみ拾いする」と。
「掃除をしていると、地域の今を感じられるだけではなく、地域にお世話になっているから自分があり、会社があると、常に謙虚な姿勢を忘れないでいられる」
遠藤さん自身の生きる姿勢そのものが「良樹細根」を体現していると感じた瞬間でした。(コノハズク)
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