【電子版オリジナル】中高年のひきこもり――36年かけて積み上げた生き方を変えた“主夫”のストーリー
【電子版オリジナル】中高年のひきこもり――36年かけて積み上げた生き方を変えた“主夫”のストーリー
2022年11月12日
- 電子版連載〈WITH あなたと〉 #ひきこもり #中高年
- 電子版連載〈WITH あなたと〉 #ひきこもり #中高年
ひきこもりは長期化することも多く、当事者の中には中高年世代が増えているといいます。
内閣府の調査(2018年度)では、40歳から64歳までのひきこもり状態にある人は、61万3000人と推計されています。専門家からは、実態は少なくとも、この数字の2倍はいるのではないか、という指摘も。
今回は、大石敏郎さん(72)=鹿児島市、支部長(地区部長兼任)=の当事者経験を聞きました。教員として多忙を極めていた58歳の時、ひきこもり状態に。1年間の病休と休職を経て、早期退職。その後、大石さんは「36年かけて積み上げてきた“生き方”を変えた」といいます。
(取材=掛川俊明、菅野弘二)
ひきこもりは長期化することも多く、当事者の中には中高年世代が増えているといいます。
内閣府の調査(2018年度)では、40歳から64歳までのひきこもり状態にある人は、61万3000人と推計されています。専門家からは、実態は少なくとも、この数字の2倍はいるのではないか、という指摘も。
今回は、大石敏郎さん(72)=鹿児島市、支部長(地区部長兼任)=の当事者経験を聞きました。教員として多忙を極めていた58歳の時、ひきこもり状態に。1年間の病休と休職を経て、早期退職。その後、大石さんは「36年かけて積み上げてきた“生き方”を変えた」といいます。
(取材=掛川俊明、菅野弘二)
■明日やればいいことを、今日やっておく
■明日やればいいことを、今日やっておく
ついに、疲れ果ててしまった。
教員としての勤務校での仕事のほかに、県中学校教育研究会の英語部会の事務局長を16年間にわたって務め続けていた。ひきこもり状態になったのは、そんな58歳の時だった――。
当時は、「明日やればいいことを、今日やっておく。常に、1カ月後や半年後にやることを手元に引き寄せて、バランスを取って仕事をしていました」。
英語科教師としての授業やクラス担任以外にも、教務主任、進路指導主任など、多くの責任を担ってきた。それに加えて、教育研究会では、問題集の作成や英語暗唱大会の運営、高円宮杯英語弁論大会の県予選の運営など、山のような業務を抱え続けた。
ついに、疲れ果ててしまった。
教員としての勤務校での仕事のほかに、県中学校教育研究会の英語部会の事務局長を16年間にわたって務め続けていた。ひきこもり状態になったのは、そんな58歳の時だった――。
当時は、「明日やればいいことを、今日やっておく。常に、1カ月後や半年後にやることを手元に引き寄せて、バランスを取って仕事をしていました」。
英語科教師としての授業やクラス担任以外にも、教務主任、進路指導主任など、多くの責任を担ってきた。それに加えて、教育研究会では、問題集の作成や英語暗唱大会の運営、高円宮杯英語弁論大会の県予選の運営など、山のような業務を抱え続けた。
さらに2008年には、全都道府県が交代で開催する英語研究会の全国大会が、地元・鹿児島県で開かれることに。
50年に1度の大仕事。準備に丸2年を費やした。
その頃、父が脳出血で倒れ、長期間の入院に。仕事の合間を縫って、300回も病院へ見舞いに行った。父が亡くなった後、今度は母が病気で倒れ、「二重三重に、いろんなことが重なって……」。
午前1時に寝て、午前5時半には起きる生活。土日も教育研究会の仕事で休めなかった。栄養ドリンクが手放せず、昼休みは職員室で少しでも仮眠を取らないと、体力がもたない状況。
帰宅後も、早めに寝ようとすればするほど、仕事が気にかかって眠れない。やっと寝付いても、午前3時ごろに目が覚めて、あれこれ考えているうちに夜が明ける。
さらに2008年には、全都道府県が交代で開催する英語研究会の全国大会が、地元・鹿児島県で開かれることに。
50年に1度の大仕事。準備に丸2年を費やした。
その頃、父が脳出血で倒れ、長期間の入院に。仕事の合間を縫って、300回も病院へ見舞いに行った。父が亡くなった後、今度は母が病気で倒れ、「二重三重に、いろんなことが重なって……」。
午前1時に寝て、午前5時半には起きる生活。土日も教育研究会の仕事で休めなかった。栄養ドリンクが手放せず、昼休みは職員室で少しでも仮眠を取らないと、体力がもたない状況。
帰宅後も、早めに寝ようとすればするほど、仕事が気にかかって眠れない。やっと寝付いても、午前3時ごろに目が覚めて、あれこれ考えているうちに夜が明ける。
最初は「ただの疲れだろう」と思っていたが、朝晩の通勤時に、強烈な眠気に襲われるように。ついに、気力も体力もなくなった。
「何十年も、このスタイルで仕事を追いかけるようにやってきたのに、情熱が尽きてしまったのか……。一日中、だるくて、眠くて、何もやる気が出なくなって」
最初は「ただの疲れだろう」と思っていたが、朝晩の通勤時に、強烈な眠気に襲われるように。ついに、気力も体力もなくなった。
「何十年も、このスタイルで仕事を追いかけるようにやってきたのに、情熱が尽きてしまったのか……。一日中、だるくて、眠くて、何もやる気が出なくなって」
■家にいても聞こえてくるチャイムの音
■家にいても聞こえてくるチャイムの音
09年3月から半年間の病休、さらに半年の休職を取って、仕事を休んだ。家から一歩も出られず、ひきこもり状態に。
「とにかく人に会いたくなくて、あの頃は、外に出るのが一番、嫌でした」。病院では抑うつ状態と診断された。
最初はひたすら眠ってばかりいた。
けれど、家にいても、自宅近くの小・中学校からチャイムの音や子どもたちの声が聞こえてくる。「『ああ、学校はもうすぐ昼休みか』とか、とにかく気になって。気持ちが休まりませんでした」
病休を取ってから最初の3カ月間は、代理の教員もいないため、心苦しかった。同僚が交代で、自分が抜けた穴を埋めて授業をしてくれている――“迷惑をかけてしまった”という考えが、頭の中をぐるぐる巡る。自分を責めずには、いられなかった。
09年3月から半年間の病休、さらに半年の休職を取って、仕事を休んだ。家から一歩も出られず、ひきこもり状態に。
「とにかく人に会いたくなくて、あの頃は、外に出るのが一番、嫌でした」。病院では抑うつ状態と診断された。
最初はひたすら眠ってばかりいた。
けれど、家にいても、自宅近くの小・中学校からチャイムの音や子どもたちの声が聞こえてくる。「『ああ、学校はもうすぐ昼休みか』とか、とにかく気になって。気持ちが休まりませんでした」
病休を取ってから最初の3カ月間は、代理の教員もいないため、心苦しかった。同僚が交代で、自分が抜けた穴を埋めて授業をしてくれている――“迷惑をかけてしまった”という考えが、頭の中をぐるぐる巡る。自分を責めずには、いられなかった。
同僚の中には、「散歩でもして、少しでもリフレッシュを」と言ってくれた人もいたが、「人に会ってしまうのが嫌で……」。
妻・明子さん(65)=支部女性部長=に誘われて、買い物に付き合った日に限って、研究会の同僚教師とばったり。「研究会の人は勤務校も違って、私の状況を知りませんから。『あ、大石先生!』って呼び止められて」
自宅の窓際から、駐車場に止めたままの車をながめては、近隣の人たちにどう思われているのかが気になる。「どこにいても、負けたような気がしていた」
同僚の中には、「散歩でもして、少しでもリフレッシュを」と言ってくれた人もいたが、「人に会ってしまうのが嫌で……」。
妻・明子さん(65)=支部女性部長=に誘われて、買い物に付き合った日に限って、研究会の同僚教師とばったり。「研究会の人は勤務校も違って、私の状況を知りませんから。『あ、大石先生!』って呼び止められて」
自宅の窓際から、駐車場に止めたままの車をながめては、近隣の人たちにどう思われているのかが気になる。「どこにいても、負けたような気がしていた」
■家事をやってみたら「心が落ち着くのを感じた」
■家事をやってみたら「心が落ち着くのを感じた」
そんな負い目があったからか、何もしないのも落ち着かなくなり、ある日“家事”をしてみた。
洗濯、食器洗い、台所やトイレの掃除、風呂洗い――。児童クラブの仕事や民生委員として飛び回る妻の代わりに、朝から家事に取り組んだ。「家がきれいになっていくと、心が落ち着くのを感じました」
夢中になって、気付けば8時間以上も家事をしていた。
明子さんからは「わあ、こんなにきれいになって。ありがとう!」と感謝された。
大石さんは「家で“やること”ができて、それが喜んでもらえるのは、私にとって大きかった」と。
そんな負い目があったからか、何もしないのも落ち着かなくなり、ある日“家事”をしてみた。
洗濯、食器洗い、台所やトイレの掃除、風呂洗い――。児童クラブの仕事や民生委員として飛び回る妻の代わりに、朝から家事に取り組んだ。「家がきれいになっていくと、心が落ち着くのを感じました」
夢中になって、気付けば8時間以上も家事をしていた。
明子さんからは「わあ、こんなにきれいになって。ありがとう!」と感謝された。
大石さんは「家で“やること”ができて、それが喜んでもらえるのは、私にとって大きかった」と。
当時は「聖教新聞に救われました」と言う。
目に留まったのは、燃え尽き症候群で大学医学部を離職した壮年部員の信仰体験。コピーして、何度も読み返した。
そんなある日、壮年部の先輩が訪ねてきてくれた。教職に全てを捧げて生きてきたこと。それなのに、責任を果たせなかったという苦しい思いがあること。先輩は、じっくり話を聞いて、こう言ってくれた。
「もう十分にやってきたじゃないですか。大石さん、もういいんですよ」
涙が止まらなかった。当時59歳、定年退職まで1年を残していたが、「自分の中で踏ん切りがついて」、10年3月に退職した。
当時は「聖教新聞に救われました」と言う。
目に留まったのは、燃え尽き症候群で大学医学部を離職した壮年部員の信仰体験。コピーして、何度も読み返した。
そんなある日、壮年部の先輩が訪ねてきてくれた。教職に全てを捧げて生きてきたこと。それなのに、責任を果たせなかったという苦しい思いがあること。先輩は、じっくり話を聞いて、こう言ってくれた。
「もう十分にやってきたじゃないですか。大石さん、もういいんですよ」
涙が止まらなかった。当時59歳、定年退職まで1年を残していたが、「自分の中で踏ん切りがついて」、10年3月に退職した。
■59歳で退職して“主夫”になりました
■59歳で退職して“主夫”になりました
退職すると、「すっと、力が抜けました」。家まで聞こえてくるチャイムの音も、自然と気にならなくなった。
朝食を終えたら、妻を仕事に送り出し、食器洗いと掃除に取り掛かる。「“主夫”としての家事は、不思議と続けられました」
もう一つ、大きく変わったのは、「“制約”がなくなったことです」。
5分刻みのスケジュールで仕事をし続けてきた数十年間。「仕事に没頭してきましたが、本当は趣味の時間とか、のんびりする時間が、もっと必要だったのかもしれません」
それからは「久しぶりに“自分の信心の時間”をつくれました」と。午前中に1時間の唱題をしてから、じっくり聖教新聞を読む。勤行も「一文字一文字、丁寧に読んで。仕事が忙しかった頃は、いつも“超特急”の勤行になっちゃっていましたから」。
退職すると、「すっと、力が抜けました」。家まで聞こえてくるチャイムの音も、自然と気にならなくなった。
朝食を終えたら、妻を仕事に送り出し、食器洗いと掃除に取り掛かる。「“主夫”としての家事は、不思議と続けられました」
もう一つ、大きく変わったのは、「“制約”がなくなったことです」。
5分刻みのスケジュールで仕事をし続けてきた数十年間。「仕事に没頭してきましたが、本当は趣味の時間とか、のんびりする時間が、もっと必要だったのかもしれません」
それからは「久しぶりに“自分の信心の時間”をつくれました」と。午前中に1時間の唱題をしてから、じっくり聖教新聞を読む。勤行も「一文字一文字、丁寧に読んで。仕事が忙しかった頃は、いつも“超特急”の勤行になっちゃっていましたから」。
以前から、自宅を学会の会場に提供していたが、当時は、会合になると別室にこもって、終わるのをじっと待っていた。
救いだったのは、明子さんが静かに見守ってくれたこと。日常生活や学会活動など、決して無理強いすることはなかった。
「あそこで、つつかれていたら、私も反発して、自分を良い方向へ持っていこうって気持ちをなくしていたかもしれません」
家からほとんど出られなくなって2年。そんな日々が続くうちに、少しずつ学会の会合に参加することも増えていった。
以前から、自宅を学会の会場に提供していたが、当時は、会合になると別室にこもって、終わるのをじっと待っていた。
救いだったのは、明子さんが静かに見守ってくれたこと。日常生活や学会活動など、決して無理強いすることはなかった。
「あそこで、つつかれていたら、私も反発して、自分を良い方向へ持っていこうって気持ちをなくしていたかもしれません」
家からほとんど出られなくなって2年。そんな日々が続くうちに、少しずつ学会の会合に参加することも増えていった。
■洗いざらい話すことは、プラスになった
■洗いざらい話すことは、プラスになった
時間をかけて、少しずつ買い物に出かけたり、人と会ったりするようになっていった。
けれど正直、複雑な思いは残り続けた。「途中で辞めて、悔しい。負けたんじゃないかって」
ある日の座談会で、泣きながら、その思いを話した。「いきなり泣き出したので、みんなキョトンとしていました(笑)。けれど、洗いざらい話すということは、自分にとってプラスになったと思います」
時間をかけて、少しずつ買い物に出かけたり、人と会ったりするようになっていった。
けれど正直、複雑な思いは残り続けた。「途中で辞めて、悔しい。負けたんじゃないかって」
ある日の座談会で、泣きながら、その思いを話した。「いきなり泣き出したので、みんなキョトンとしていました(笑)。けれど、洗いざらい話すということは、自分にとってプラスになったと思います」
自分で決めた“信心の時間”と“家事”を、毎日こつこつ続けた。
「自分で自分を忙しくしない。教師生活36年をかけて積み上げてきたスタイルの“逆”をやろうと思って、少しずつ生き方を変えました」
教員時代は、行事ごとに反省会を開き、「悪かった点」をひたすら考えて、改善に取り組んできた。もちろん必要な仕事ではあったが、どこかで無理に自分にストレスをかけ続けていたのだと感じた。
「減点方式というか、日常生活でも改善点ばかりを考えてしまって。長年かけて染みついた考え方ですから、変えるのには5年くらいかかったかな」
自分で決めた“信心の時間”と“家事”を、毎日こつこつ続けた。
「自分で自分を忙しくしない。教師生活36年をかけて積み上げてきたスタイルの“逆”をやろうと思って、少しずつ生き方を変えました」
教員時代は、行事ごとに反省会を開き、「悪かった点」をひたすら考えて、改善に取り組んできた。もちろん必要な仕事ではあったが、どこかで無理に自分にストレスをかけ続けていたのだと感じた。
「減点方式というか、日常生活でも改善点ばかりを考えてしまって。長年かけて染みついた考え方ですから、変えるのには5年くらいかかったかな」
■ひきこもりは、元気になるための“しょうがない時間”だった
■ひきこもりは、元気になるための“しょうがない時間”だった
地道な信心を続けて、2014年に地区部長になり、一昨年からは支部長として、地域の同志と一緒に学会活動に打ち込んでいる。
「バリバリやっているってほどではないですよ。よーく動いてくださるのは、やっぱり女性部の皆さんです(笑)。けれど、学会活動には、感動があるんですよ。普段はあまり話さない壮年部の方が、座談会で語ってくれたり、ご友人の方が一生懸命、任用試験を勉強してくださったり。本当にうれしいですよね」
地道な信心を続けて、2014年に地区部長になり、一昨年からは支部長として、地域の同志と一緒に学会活動に打ち込んでいる。
「バリバリやっているってほどではないですよ。よーく動いてくださるのは、やっぱり女性部の皆さんです(笑)。けれど、学会活動には、感動があるんですよ。普段はあまり話さない壮年部の方が、座談会で語ってくれたり、ご友人の方が一生懸命、任用試験を勉強してくださったり。本当にうれしいですよね」
明子さんとは、「いつも朝に話すんです。『今が一番、幸せだね』って」。退職後、こつこつ続けてきた唱題は、もうすぐ1500万遍になる。
ゆっくり時間をかけて、生活スタイルは変わっていった。ずっと抱いてきた、途中で辞めた悔しさにも変化があった。
「悔しさが消えたわけではありません。でも、ひきこもっていた期間は、自分が元気になっていくための、しょうがない時間、必要な時間だったのかなって」
明子さんとは、「いつも朝に話すんです。『今が一番、幸せだね』って」。退職後、こつこつ続けてきた唱題は、もうすぐ1500万遍になる。
ゆっくり時間をかけて、生活スタイルは変わっていった。ずっと抱いてきた、途中で辞めた悔しさにも変化があった。
「悔しさが消えたわけではありません。でも、ひきこもっていた期間は、自分が元気になっていくための、しょうがない時間、必要な時間だったのかなって」
■妻が見た大石さん――明子さんへのインタビュー
■妻が見た大石さん――明子さんへのインタビュー
――妻として寄り添う中で、何を考えていたのか。取材の終わり際に帰宅した明子さんに、インタビューしました。
【明子さん】
あら、取材は終わったの? この人(大石さん)の話は真面目で、つまらなかったでしょ(笑)。私が盛り上げておかないとね!
(苦笑いの大石さんは、「いつもこんな感じです(笑)」と)
昔から、夫は「石橋をたたくだけたたいて、渡らない人」。私はそれを見て「突き飛ばす人」(笑)。
私も、もともと教員をやっていて、今は民生委員と児童クラブの仕事をしています。学会の女性部の活動もあるから、大忙し。朝の勤行を終えたら、ピャーッて飛んで行きます。今は、「奥さま」じゃなくて「外さま」なのよ(笑)。
――妻として寄り添う中で、何を考えていたのか。取材の終わり際に帰宅した明子さんに、インタビューしました。
【明子さん】
あら、取材は終わったの? この人(大石さん)の話は真面目で、つまらなかったでしょ(笑)。私が盛り上げておかないとね!
(苦笑いの大石さんは、「いつもこんな感じです(笑)」と)
昔から、夫は「石橋をたたくだけたたいて、渡らない人」。私はそれを見て「突き飛ばす人」(笑)。
私も、もともと教員をやっていて、今は民生委員と児童クラブの仕事をしています。学会の女性部の活動もあるから、大忙し。朝の勤行を終えたら、ピャーッて飛んで行きます。今は、「奥さま」じゃなくて「外さま」なのよ(笑)。
こんな調子だから、夫が仕事に行けなくなって、最初はどうしたものかと思いました。でも、学会は「言ったもの勝ち」だから、女性部の先輩に相談して、話を聞いてもらって。それで、私が追い詰めちゃいけないんだって、教えてもらった。
もともと夫は、何をやるにしても、徹底してキチッとやる人なんです。最初に家事をやり始めた時も「お父さん、そんなに丁寧にやっていたら、いつまでたっても終わらないよ」って言ったくらい。
(大石さんは、「実は最初の頃は、家事をやったら『ありがとう!』って言ってくれていたんですけど、最近は何だか“当たり前”になって、何も言ってくれないような気がします(笑)」と)
夫は釣りが好きなんです。退職して元気になってきた頃に、天草(熊本県)に一緒に旅行に行きました。
宿泊先の部屋のカーテンを開けたら、オーシャンビューで。目の前に、海がバーッと広がっていました。夫が感嘆して、「はあー、お母さん、ありがとう」って。後で「海が癒やしてくれた」と言っていましたね。
ゆったりと、そういう時間を過ごすことも大切なんじゃないですかね。
こんな調子だから、夫が仕事に行けなくなって、最初はどうしたものかと思いました。でも、学会は「言ったもの勝ち」だから、女性部の先輩に相談して、話を聞いてもらって。それで、私が追い詰めちゃいけないんだって、教えてもらった。
もともと夫は、何をやるにしても、徹底してキチッとやる人なんです。最初に家事をやり始めた時も「お父さん、そんなに丁寧にやっていたら、いつまでたっても終わらないよ」って言ったくらい。
(大石さんは、「実は最初の頃は、家事をやったら『ありがとう!』って言ってくれていたんですけど、最近は何だか“当たり前”になって、何も言ってくれないような気がします(笑)」と)
夫は釣りが好きなんです。退職して元気になってきた頃に、天草(熊本県)に一緒に旅行に行きました。
宿泊先の部屋のカーテンを開けたら、オーシャンビューで。目の前に、海がバーッと広がっていました。夫が感嘆して、「はあー、お母さん、ありがとう」って。後で「海が癒やしてくれた」と言っていましたね。
ゆったりと、そういう時間を過ごすことも大切なんじゃないですかね。
ひきこもっていた期間もあったけど、それまでの根詰めて自分を追い込み過ぎる考え方が変わっていって、今となっては良かったんじゃないかなと思います。
まあ、今でも家でしゃべっていると、たまに“職員会議”みたいになるし、会合の話も長いしね……(笑)。
私たちは、とにかく学会の方々に支えていただきました。忘れもしない、座談会でいきなり、この人が泣き出して、それを見て、私だけが泣いていて。
学会には、いろんな方がいて、一緒に活動して、全てを受け止めてくれます。壮年部としてやってくる中で、夫の中で変わってきたものもあると思います。今じゃ、立派な黄金柱! 頑張ってくださいよ、支部長! アッハッハ。
(明子さんの話を、大石さんは終始、苦笑いで聞いていました)
ひきこもっていた期間もあったけど、それまでの根詰めて自分を追い込み過ぎる考え方が変わっていって、今となっては良かったんじゃないかなと思います。
まあ、今でも家でしゃべっていると、たまに“職員会議”みたいになるし、会合の話も長いしね……(笑)。
私たちは、とにかく学会の方々に支えていただきました。忘れもしない、座談会でいきなり、この人が泣き出して、それを見て、私だけが泣いていて。
学会には、いろんな方がいて、一緒に活動して、全てを受け止めてくれます。壮年部としてやってくる中で、夫の中で変わってきたものもあると思います。今じゃ、立派な黄金柱! 頑張ってくださいよ、支部長! アッハッハ。
(明子さんの話を、大石さんは終始、苦笑いで聞いていました)
●最後までお読みいただき、ありがとうございます。ご感想をお寄せください。
メール youth@seikyo-np.jp
ファクス 03-5360-9470
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●次回は、ひきこもり当事者のライフストーリーを聴き続けてきた研究者に話を聞きます。12月3日ごろ配信予定。
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