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〈識者が見つめるSOKAの現場〉 寄稿 「団地に生きる」を巡って㊤ 2022年6月25日

  • 東京大学大学院 開沼博 准教授

 きょう6月25日は「団地部の日」。学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」では、「団地に生きる」をテーマに、取材ルポを2回にわたって掲載した(5月20日、28日)。それに連動して、社会学者の開沼博氏が、ルポの舞台となった広島市と兵庫県尼崎市を4月下旬に訪問し、団地部として奮闘する学会員を取材した。多様な人々が共に暮らす団地で、一人に寄り添い続ける学会員の原動力を考察した「寄稿」を、上下に分けて掲載する。(㊦は明日付で掲載予定)

内側から変える

 戦後社会の急速な近代化と変化、人口移動の光と影が凝縮される場。それが「団地」です。
 高度経済成長期から平成初期までの人口増加社会において、団地は、さまざまな理由で新たな生活を始めようとする人たちの、受け皿になってきました。そこは、かつては出会わなかった人々が交差する場であり、さまざまなエネルギーや葛藤が生まれる場でもありました。
 
 一方、現代においては、都市開発の進展、交通手段の発達や人口減少社会の到来などもあり、住宅事情が大きく変化しています。ワンルームアパートやサービス付き高齢者向け住宅などに住む人も増えました。かつて人口が爆発的に増える中、家族が集住する場を想定してつくられた団地の社会的役割は大きく変化しています。
 しかし、いかなる居住形態にあろうとも、人が集い暮らす上では、共助の力やセーフティーネットは不可欠です。なかんずく団地にあっては、居住者の高齢化や孤立化など、現代社会の課題が凝縮されているはず。高齢化・孤立化自体は、全国どこにでもある課題です。その解決のため、近年は“若者を巻き込んで活性化しよう”“アートで元気に!”などと表に掲げた実験的な取り組みが、各地で見られもします。
 
 ただ、全国に遍在する団地には、そのような外から持ち込んだ対症療法では、解決できない根深い問題があるのではないか。その地でずっと暮らしてきた人たちが、“内側から”地域を変えていかなければ、その問題は解決できないのではないか。
 そうした状況を前に、学会員はどのような形で、団地の中で「共助の力」を発揮し、人々の「セーフティーネット」となっているのか――。
 こうした点に着目しながら、広島と尼崎の団地を訪れました。

大きな信頼

 広島市の基町団地で最初にお会いしたのは、連合自治会の中心者である徳弘親利さん(基町地区社会福祉協議会会長)でした。〈ルポ㊤の広島編は、5月20日付を参照〉
 
 1978年の基町団地完成当初から、世話役として尽くしてきた徳弘さんは、地域づくりの中で、「遠くの親戚より近くの他人」ということを心掛けてきたと言います。この言葉は、都市化が進む中で「近くに親類がいる」という前提が弱体化した、現代社会のあり方を端的に示しています。
 かつてのように、親戚同士が近くに住み、支え合う時代ではなくなった。他人同士で折り合いをつけながら暮らしていくことが求められる。まさにその象徴である団地。そこで起きる問題を、徳弘さんのように面倒見のいい人たちのつながりが解決しながら、日常を守り続けてきたわけです。
 
 その徳弘さんが、「基町は学会員さんが運営しとるんじゃないか、と言われるくらい一生懸命やっとる」と、学会員に大きな信頼を寄せていたのは印象的でした。

徳弘親利さん㊧と開沼准教授
徳弘親利さん㊧と開沼准教授

 基町団地の課題の一つに、外国人との共生を巡る問題がありました。特に、ゴミ捨ての仕方などに関してトラブルが多いと。その中で、他から模範とされるくらいに、ゴミ捨て場が清潔に保たれているのが、藤井イツ子さんが自治会長を務める棟です。
 
 〈藤井さんは、20ある自治会の中で、最も長く自治会長を務める。外国人の家庭とも仲良く交流を続け、深い信頼を得ている〉
 
 藤井さんが朝昼晩と題目を唱えるのを近所の住民は知っていて、「もう題目終わった?」と相談に訪れることも日常になっている。亡きご主人が生前、体調を崩したことで、代わりに“1年限り”で務めるつもりだった自治会長なのに、気づけばもう20年以上。その中で顔が見える関係を周囲とつくり、何か問題が起こる前に対処してきている。隣に誰が住んでいるのかもよく分からないままに生活している人も少なくない現代において、意義深いことだと感じました。
 
 住民間のトラブルは穏やかなものばかりではなく、ひどい嫌がらせをされることもあった。それでも、題目を唱え御本尊に向かうと、愚痴を言いたくなる気持ちも、ご主人への感謝の気持ちに変わるというお話も印象的でした。

藤井イツ子さんの取材
藤井イツ子さんの取材
「良き隣人」として皆に寄り添う

 基町団地は、かつて“原爆スラム”と呼ばれた地域に建てられました。被爆者や在日コリアンの人々が多く団地に住み、言い知れぬ差別と苦しみにさらされてきました。
 松浦悦子さんは、当時から基町を知る一人です。
 
 〈松浦さんは、7歳の時、原爆投下直後の爆心地付近へ。二次被爆による体の変調に苦しむ中、母、姉と一緒に入会した。草創から本紙通信員を務める〉
 
 基町団地の方々からは、やはり人並み外れた平和への強い思いを感じました。
 ルポ記事の中で、松浦さんは、「平和といっても身近な人に声を掛け、寄り添うことから始まります。そうでなければ確かな根を張れません」と言っています。
 周囲の人々とつながりをつくり、その幸福を願う。一生懸命に団地に尽くす。それが平和につながる。団地に住み始めた当初、人間関係に悩むこともあったという松浦さんが、平和を追求する中で、団地に根付いてきたことが分かりました。
 
 もう1点、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長がつづり、松浦さんに贈った「大思想は原爆を恐れじ」という言葉を、ずっと大切にし、誇りに思いながら生きてきたという話をしてくださったのも印象的でした。今でも日々、SOKAチャンネルVODでの映像配信などを通して、師匠を感じ、自分自身の信心を見つめ、微修正しながら生きている、と。外部からはつかみ切れない、池田会長と学会員の師弟関係の具体的なあり方が伝わってきました。
 
 これまで多くの方を入会に導いた阿部昌子さん。控えめで、“押しの強さ”は感じられない方でした。
 
 〈阿部さんは団地の衛生部長と会計を担い、老人会の副会長を務める。以前は荒れ放題だった棟の屋上を庭園に整備。現在、屋上庭園は団地全体に広がる〉
 
 阿部さんは団地の住民に、屋上庭園で育てた花をプレゼントするなどしながら気さくに話し掛け、「なんでも相談してちょうだい」と、困っていることを聞いて回ってきた。決して目立つわけではない、縁の下の力持ちに徹する。皆にとっての良き隣人になることと、学会員としての活動が一体となっている。その結果として、入会に導かれる人がいる。学会がここまで拡大してきた、象徴的な例を見たように思いました。

広島・基町団地から市内を望む
広島・基町団地から市内を望む
人々の葛藤を調和に変える

 今回、取材した方々の口から度々聞いた言葉があります。それは、学会活動が「自身の鍛えになっている」「訓練されている」という言い方です。広島でも、尼崎でも同様に聞いた言葉ですので、おそらく全国各地の会員間で共有されている感覚なのではないかと想像します。
 
 外部から学会を見ると、「学会員の人たちは、皆、等しい信仰と価値観を共有しているわけだから、その内側にいれば、おのずと何の葛藤もなく生きていける。それ故、学会は常に内側に閉じている」と一面的に思われている部分もあるかもしれない。
 
 しかし、例えば団地で、人が嫌がることを率先して引き受けるという、決して楽ではないことを進んでする人がいる。内部であることを自覚しつつ、外部に出ていくことが良しとされる価値観が背景にある。
 その点で学会は、内に閉じられつつも外に開かれた構造を根本に持っている。この事実を、改めて知ることができて新鮮でした。
 
 会員同士の激励も、「甘やかす」のではなく、「厳しくも温かく導く」といったものに近い。阿部さんが団地に入居し、家庭内の問題で悩んでいた時、学会の先輩から「環境のせいにしてはいけない」「題目をあげよう」と諭されたといいます。自分のせいだ、自分がどうするかだと問われ続けてきたわけですね。
 
 世間では、表面的な優しい言葉を掛け、君は悪くなんかないというようなことを言っておいたほうが無難な場面もある。外部でいう「励まし」はそういう水準にとどまっている場合も多いし、今の時代はなおさらそう。にもかかわらず、学会員は、自分自身の内に問題の所在を見ようとする。そう考えると、あらゆる出来事を「鍛錬」と捉える姿勢は、ふに落ちます。
 
 となると、学会員が訓練というとき、「何を」鍛えているのか――。
 仏道修行として自分自身を鍛えていることかと想像しますが、外部から見えるのは、人々の葛藤を調和に変え、持続的に集団を営む能力です。これは社会人、特に何らかのリーダーには普遍的に求められる力でしょう。
 
 物事の全体像を掌握し、催事の運営などを円滑に進め、トラブルを収めて合意形成する。これらは仕事にせよ、地域にせよ、人が集まる場では誰かが必ず担わなければならない普遍的なスキルですが、学会の人たちは、そういうことを常日頃から意識して実践しているのが分かりました。それが、自分の棟の住民の様子は何でも把握していたり、住民同士のトラブルを上手に解決したりというように、団地での暮らしにおいても発揮されている。印象的だったのは、高橋啓子さんのお話です。
 
 〈高橋さんは、棟の組長として汗を流す。在日ゆえの差別や生活苦、親族内の不和など、全てを信心で乗り越えてきた〉
 
 ある時、中学生がたばこを吸っているのを目撃した。当時、団地内でも青少年が荒れていたそうです。高橋さんが「吸ってみたいのは分かるよ」と寄り添いつつも、「でも、大人になったらいくらでも吸えるんだよ」と優しく諭すと、彼らはすぐに火を消した。
 多感な若者からすれば、知らない大人から注意されたら、反抗したくなるのが普通です。見て見ぬふりをする人もいるであろうところで、感情を逆なでしない話し方を、高橋さんがしたといえます。これも、学会活動の中で培ってきたコミュニケーション能力なのだと思いました。

基町団地での取材。(右端から反時計回りに)松浦悦子さん、高橋啓子さん、阿部昌子さんら
基町団地での取材。(右端から反時計回りに)松浦悦子さん、高橋啓子さん、阿部昌子さんら
幸福に尽くし抜く学会員の覚悟

 社会が自由になるほどに、異なる思想や信条、価値観を持つ人同士の対立が生まれる余地は増えます。一方、人間は、なるべく我慢や忍耐をしたくない生き物です。「個人化」が進む今日、「自分と異なる人」とは極力関わらず、「共に生きる」ことを避けながらやり過ごそうという感覚も強まっている。
 
 しかし団地は、いやがうえにも「共に生きる」ことが求められる空間です。意見の対立があっても、嫌だと思う住民がいても、それでも日々、限られた空間内で生活を共にしなくてはならない。その中で、我慢や忍耐を苦とせずに、自分自身の「鍛え」と捉える学会員の存在は、団地の存続と発展を確かに支えています。
 
 外国人とのトラブルを解決したり、高齢者の最期に立ち会ったり。その詳細を聞けば、我慢、忍耐という言葉ではまとめきれない、「どうしてそこまでできるのか?」と驚くような負担を日常的に背負っている。
 団地に暮らす学会員の行動は、「最後の一人まで幸せに」という覚悟とともにあることを、多くの人の話を通して実感しました。
 
 マックス・ウェーバーは、社会学の古典である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、近代化に逆行するようにも思える宗教的規範が、意図せぬ形で資本主義の発展を促し、近代を促進してきたのだと述べました。
 それと似て、創価学会もまた、「宗教的な倫理=他者に尽くす」と「日本の近代化=団地の光と影」を、絶妙にマッチングさせている。団地に凝縮された、日本社会の普遍的な課題を解決する機能を果たしていることを、現場を訪れて実感しました。

<プロフィル>

 かいぬま・ひろし 1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学大学院情報学環・学際情報学府准教授。専門は社会学。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程単位取得満期退学。福島大学特任研究員、立命館大学准教授などを歴任。主な著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(毎日出版文化賞)『漂白される社会』『はじめての福島学』『日本の盲点』など。

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 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03-5360-9613

 こちらから「SOKAの現場」の過去の連載をご覧いただけます(電子版有料会員)。

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