「ひきこもり」から学ぶ――〈聴く〉ことは、自身の〈生〉を支えてくれる
「ひきこもり」から学ぶ――〈聴く〉ことは、自身の〈生〉を支えてくれる
2022年12月3日
- 電子版連載〈WITH あなたと〉 #ひきこもり
- インタビュー 松山大学教授 石川良子さん
- 電子版連載〈WITH あなたと〉 #ひきこもり
- インタビュー 松山大学教授 石川良子さん
ひきこもりの当事者は何に悩み、葛藤し、ひきこもってしまったのか――今回は、20年にわたり、ひきこもりを研究する松山大学の石川良子教授に話を聞きました。
支援する側の物差しを押しつけることなく、「聴くこと」から当事者の「動けなさ」や「語れなさ」に分け入ることができると、石川さんは語っています。どのようにすれば、無理なく「聴く耳」を育てることができるのでしょうか。(取材=清家拓哉、菅野弘二)
ひきこもりの当事者は何に悩み、葛藤し、ひきこもってしまったのか――今回は、20年にわたり、ひきこもりを研究する松山大学の石川良子教授に話を聞きました。
支援する側の物差しを押しつけることなく、「聴くこと」から当事者の「動けなさ」や「語れなさ」に分け入ることができると、石川さんは語っています。どのようにすれば、無理なく「聴く耳」を育てることができるのでしょうか。(取材=清家拓哉、菅野弘二)
■「ままならなさと格闘する」ということ
■「ままならなさと格闘する」ということ
――20年、研究を続けてきた立場から見た、ひきこもりとは何でしょうか?
家族以外の対人関係が、長期間なくなっている状態というのが一般的な定義ですが、私は、「生きることを巡って葛藤している」ありさまそのものが、ひきこもりだと思います。「ままならなさとの格闘」という捉え方になりました。
でも、生きるということは、そもそもそういうことではないでしょうか。私たちの誰もがそうやって生きている。そうなると、「ひきこもり」という看板はいらなくなります。当事者は特別な人たちではない。「生きることとの格闘」を、ものすごく劇的にやっている人たちなのだと思います。
――その本質は?
生きることや自分の存在に対する“揺らぎ”です。ひきこもっていることを白眼視され、なぜ、ひきこもってしまうのか自分でも分からない。長く身動きが取れない中で深い混乱に陥り、生きることに何の意味があるのか、生きていて良い存在なのかを問い始める。自問自答を繰り返し、それでも、なお生きようともがき続ける。こうした葛藤が「ひきこもり」の本質だと、私は考えます。
――20年、研究を続けてきた立場から見た、ひきこもりとは何でしょうか?
家族以外の対人関係が、長期間なくなっている状態というのが一般的な定義ですが、私は、「生きることを巡って葛藤している」ありさまそのものが、ひきこもりだと思います。「ままならなさとの格闘」という捉え方になりました。
でも、生きるということは、そもそもそういうことではないでしょうか。私たちの誰もがそうやって生きている。そうなると、「ひきこもり」という看板はいらなくなります。当事者は特別な人たちではない。「生きることとの格闘」を、ものすごく劇的にやっている人たちなのだと思います。
――その本質は?
生きることや自分の存在に対する“揺らぎ”です。ひきこもっていることを白眼視され、なぜ、ひきこもってしまうのか自分でも分からない。長く身動きが取れない中で深い混乱に陥り、生きることに何の意味があるのか、生きていて良い存在なのかを問い始める。自問自答を繰り返し、それでも、なお生きようともがき続ける。こうした葛藤が「ひきこもり」の本質だと、私は考えます。
――具体的にはどんな状態なのでしょう?
「生きることを巡る葛藤」としか言いようがなくて。本当は、ひきこもらざるを得ないような苦しみとか悩みとか、人それぞれの核になる、その人自身の葛藤があると思うんです。
そこには本人以外の誰も触れられない。というか触れてはいけない。自分自身で折り合いをつけていくしかないもので、第三者が「こう生きた方がいい」と外から決めるものではない。
そこを「ひきこもっていることは悪いことだ」と責められると、もともとの苦しみに、周りから傷つけられる苦しみがどんどん分厚く重なって、核となる葛藤に届かない。
――具体的にはどんな状態なのでしょう?
「生きることを巡る葛藤」としか言いようがなくて。本当は、ひきこもらざるを得ないような苦しみとか悩みとか、人それぞれの核になる、その人自身の葛藤があると思うんです。
そこには本人以外の誰も触れられない。というか触れてはいけない。自分自身で折り合いをつけていくしかないもので、第三者が「こう生きた方がいい」と外から決めるものではない。
そこを「ひきこもっていることは悪いことだ」と責められると、もともとの苦しみに、周りから傷つけられる苦しみがどんどん分厚く重なって、核となる葛藤に届かない。
■「あなたがおかしい」ではなく「なぜ、私は理解できないのだろう」と考える
■「あなたがおかしい」ではなく「なぜ、私は理解できないのだろう」と考える
――苦しみが厚くならないようにしたいですね。
本当に必要なひきこもりの支援とは、「本人が、きちんと葛藤に向き合えるようにする」こと。だから、それを妨げている“ひきこもりは良くない”“生きている価値がない”という、周りや当事者自身の価値観を変えていくことが一番の支援だと思っています。
何より大事なのは自分を振り返ることです。私自身、自分の当たり前から見ると、(当事者の)言っていることが分からないということがよくありました。でも、「分からないことを言っている、あなたがおかしい」ではなくて、「なぜ私は理解できないのかな?」「分かることを邪魔しているものは何だろう?」というふうに、相手のことが分からない自分自身と向き合うようにしてきました。
――ひきこもりの当事者との接し方で心がけていることはありますか?
相手に“納得”することではないでしょうか? 受け入れるとか、共感するとか、寄り添うとかいいますが、納得すればおのずと共感が付いてくる気がします。共感は、心の動きなのでコントロールできません。
私も最初は、共感ありきだったから振り回されました。共感しなきゃいけないけれど、しきれない。もどかしい。だから共感を諦めて、もう一度、一から話を聴こうと思い直しました。
――苦しみが厚くならないようにしたいですね。
本当に必要なひきこもりの支援とは、「本人が、きちんと葛藤に向き合えるようにする」こと。だから、それを妨げている“ひきこもりは良くない”“生きている価値がない”という、周りや当事者自身の価値観を変えていくことが一番の支援だと思っています。
何より大事なのは自分を振り返ることです。私自身、自分の当たり前から見ると、(当事者の)言っていることが分からないということがよくありました。でも、「分からないことを言っている、あなたがおかしい」ではなくて、「なぜ私は理解できないのかな?」「分かることを邪魔しているものは何だろう?」というふうに、相手のことが分からない自分自身と向き合うようにしてきました。
――ひきこもりの当事者との接し方で心がけていることはありますか?
相手に“納得”することではないでしょうか? 受け入れるとか、共感するとか、寄り添うとかいいますが、納得すればおのずと共感が付いてくる気がします。共感は、心の動きなのでコントロールできません。
私も最初は、共感ありきだったから振り回されました。共感しなきゃいけないけれど、しきれない。もどかしい。だから共感を諦めて、もう一度、一から話を聴こうと思い直しました。
すると、聴こえてくる話が、変わってきた。「働きたい」と言いながら動かない、なぜなんだ……。こうした私のイライラは、当事者のことが分からないからなんだなと思えたんです。
共感することをいったん諦めたところで、当事者は生きることと向き合い過ぎているために動けなくなっているのではないかと気が付きました。
だから、納得を先に目指した方がいい。納得は論理なので、こちらの気持ちを動かさなくていい。納得するためには、ひたすら聴くこと。それは、なんで分からないのかという、自分自身の前提を見直していくということです。
すると、聴こえてくる話が、変わってきた。「働きたい」と言いながら動かない、なぜなんだ……。こうした私のイライラは、当事者のことが分からないからなんだなと思えたんです。
共感することをいったん諦めたところで、当事者は生きることと向き合い過ぎているために動けなくなっているのではないかと気が付きました。
だから、納得を先に目指した方がいい。納得は論理なので、こちらの気持ちを動かさなくていい。納得するためには、ひたすら聴くこと。それは、なんで分からないのかという、自分自身の前提を見直していくということです。
■肯定や否定の「ジャッジ(判断)」を捨てて「聴く」こと
■肯定や否定の「ジャッジ(判断)」を捨てて「聴く」こと
――とても大事な視点ですね。
向き合うのではなく、同じ高さで隣にいるようなフラットな関係を目指したいですね。肩書で見たり、特別視したりせず、「この人はどんな人かな」と、ただ見ていく。相手に興味を持つこと。
それは、肯定や否定を抜きに「聴く」ことでもあります。私たちは、ジャッジ(判断)しがちですよね。認めてあげようというのも違う。他人が認めようが認めまいが、当事者たちは現に生きている。「認める」ということは、ジャッジしているのだと気付きました。また、「あなたのために」は、実は「私のため」なのかもしれない。
あと、いきなり問題の核心に迫ろうとしない方がいいでしょう。まずは相手の好きなことを聴いていく、とか。相手にリラックスしてもらうためでもありますが、それ以上に、自分の中に相手への興味・関心を芽生えさせる助けになると思うんです。相手も「この人はどういう人なんだろう? 話しても大丈夫かな?」とこちらを探っていますしね。
(不登校の子どもの受け皿となっている)フリースペースには、たいていUNOやジェンガといったゲームが置かれていますよね。いきなり「しゃべりましょう」は、すごく緊張する。ゲームをやっていると、それを介して何となく連帯感が生まれ、お互いの存在に慣れていきます。
そういうメディア(媒体)の役割を果たすものは、それぞれの関係性で違うんでしょうね。どちらにしても、同じことに関心を持つって大事ですよね。
――とても大事な視点ですね。
向き合うのではなく、同じ高さで隣にいるようなフラットな関係を目指したいですね。肩書で見たり、特別視したりせず、「この人はどんな人かな」と、ただ見ていく。相手に興味を持つこと。
それは、肯定や否定を抜きに「聴く」ことでもあります。私たちは、ジャッジ(判断)しがちですよね。認めてあげようというのも違う。他人が認めようが認めまいが、当事者たちは現に生きている。「認める」ということは、ジャッジしているのだと気付きました。また、「あなたのために」は、実は「私のため」なのかもしれない。
あと、いきなり問題の核心に迫ろうとしない方がいいでしょう。まずは相手の好きなことを聴いていく、とか。相手にリラックスしてもらうためでもありますが、それ以上に、自分の中に相手への興味・関心を芽生えさせる助けになると思うんです。相手も「この人はどういう人なんだろう? 話しても大丈夫かな?」とこちらを探っていますしね。
(不登校の子どもの受け皿となっている)フリースペースには、たいていUNOやジェンガといったゲームが置かれていますよね。いきなり「しゃべりましょう」は、すごく緊張する。ゲームをやっていると、それを介して何となく連帯感が生まれ、お互いの存在に慣れていきます。
そういうメディア(媒体)の役割を果たすものは、それぞれの関係性で違うんでしょうね。どちらにしても、同じことに関心を持つって大事ですよね。
■フラットな関わり方が社会に広がっていけば
■フラットな関わり方が社会に広がっていけば
――その上で、支援する側が押さえておくべきことはありますか?
5つ挙げられると思います。
①当事者の頭を飛び越えて支援する側が先回りしない。選択肢を提示することは必要だが、選択は当事者に任せる。
②「社会経験」は不足していたとしても、生きてきた年数分の経験が積み重ねられていることに目を向け、敬意を払う。
③自分自身の物差しを押しつけないように気を付けるとともに、自分がどういう物差しを持っているのか点検を怠らない。
④意見を言ったり、励ましたりする前に、相手の言葉をまずはそのまま受け止めて、この人はどうして自分にこんなことを言うのか考える。これは何でも受け入れるのではなく、相手とすりあわせていくこと。
⑤誰もがさまざまな事情を抱え、無数のままならなさに囲まれながら生きているという意味では「同じ」であることを認識すること。相手の上に立とうとしたり、変にへりくだったりすることなく、配慮はしても遠慮はしないで率直に話をするように努める。
――その上で、支援する側が押さえておくべきことはありますか?
5つ挙げられると思います。
①当事者の頭を飛び越えて支援する側が先回りしない。選択肢を提示することは必要だが、選択は当事者に任せる。
②「社会経験」は不足していたとしても、生きてきた年数分の経験が積み重ねられていることに目を向け、敬意を払う。
③自分自身の物差しを押しつけないように気を付けるとともに、自分がどういう物差しを持っているのか点検を怠らない。
④意見を言ったり、励ましたりする前に、相手の言葉をまずはそのまま受け止めて、この人はどうして自分にこんなことを言うのか考える。これは何でも受け入れるのではなく、相手とすりあわせていくこと。
⑤誰もがさまざまな事情を抱え、無数のままならなさに囲まれながら生きているという意味では「同じ」であることを認識すること。相手の上に立とうとしたり、変にへりくだったりすることなく、配慮はしても遠慮はしないで率直に話をするように努める。
子どもが、ひきこもっていることを、家族が隠していることもあります。ご家族なりの気持ちもあるでしょうけど、自分がいないことにされてしまうってすごくつらいと思います。ひどいことだと思います。
また、ご家族が訪問を求めることもありますが、本人の意向を無視して踏み込んではいけません。ただ、会うことはできなくても「あなたに会いたいと思っている人がここにいるよ」、つまり「あなたを、いないことにはしないよ」ということは、伝えたいですね。
「放っておいてくれ」と言っても、自分に関心を持ってくれている人がいる、ということは、きっとその人の力になるはずです。
――ひきこもりの当事者だけでなく、フラットな関わり方が広がっていけば、社会全体も変わっていくように思います。
いろんな人が、もっと呼吸しやすくなるだろうなって思います。
どんな相手に対しても、「何かあるんだろうな」と思って接していく。深刻なものでなくても、皆、何かしら、持っている。それをすぐ見せてくれる人もいれば、見えない人も、隠す人もいる。
周りからすれば、分からない、めちゃくちゃなことでも、よくよく話を聴いてみると、本人の中ではちゃんと筋が通っているんです。私自身、そのことが分かった時、人は面白いなって思いました。
子どもが、ひきこもっていることを、家族が隠していることもあります。ご家族なりの気持ちもあるでしょうけど、自分がいないことにされてしまうってすごくつらいと思います。ひどいことだと思います。
また、ご家族が訪問を求めることもありますが、本人の意向を無視して踏み込んではいけません。ただ、会うことはできなくても「あなたに会いたいと思っている人がここにいるよ」、つまり「あなたを、いないことにはしないよ」ということは、伝えたいですね。
「放っておいてくれ」と言っても、自分に関心を持ってくれている人がいる、ということは、きっとその人の力になるはずです。
――ひきこもりの当事者だけでなく、フラットな関わり方が広がっていけば、社会全体も変わっていくように思います。
いろんな人が、もっと呼吸しやすくなるだろうなって思います。
どんな相手に対しても、「何かあるんだろうな」と思って接していく。深刻なものでなくても、皆、何かしら、持っている。それをすぐ見せてくれる人もいれば、見えない人も、隠す人もいる。
周りからすれば、分からない、めちゃくちゃなことでも、よくよく話を聴いてみると、本人の中ではちゃんと筋が通っているんです。私自身、そのことが分かった時、人は面白いなって思いました。
――ひきこもりに関わったからこそ、学んだことは何ですか?
私は、いろんな話を聴くことに喜びを感じています。それは、突き詰めていけば相手を支えるためではありません。
その人にしか語れない経験を聴くと、苦しさや痛みを含めて生きることの味わいを感じることができ、この世の中も捨てたものではないと思える瞬間があるからです。
どんなに苦しくても生き抜こうとしている姿に触れると、私自身もへこたれずに生き抜いていこうと感じられるからです。
どんな話も私にとっては「いい話」で、語ってくれたことに感謝するばかりです。聴くことは、語った人の〈生〉を支える行為ですが、実は私自身の〈生〉を支えてくれるのだと思います。
――ひきこもりに関わったからこそ、学んだことは何ですか?
私は、いろんな話を聴くことに喜びを感じています。それは、突き詰めていけば相手を支えるためではありません。
その人にしか語れない経験を聴くと、苦しさや痛みを含めて生きることの味わいを感じることができ、この世の中も捨てたものではないと思える瞬間があるからです。
どんなに苦しくても生き抜こうとしている姿に触れると、私自身もへこたれずに生き抜いていこうと感じられるからです。
どんな話も私にとっては「いい話」で、語ってくれたことに感謝するばかりです。聴くことは、語った人の〈生〉を支える行為ですが、実は私自身の〈生〉を支えてくれるのだと思います。
いしかわ・りょうこ 1977年、神奈川生まれ。松山大学人文学部教授。専攻は社会学・ライフストーリー研究。主な著書に『「ひきこもり」から考える――〈聴く〉から始める支援論』(ちくま新書)などがある。
●最後までお読みいただき、ありがとうございます。ご感想をお寄せください。
メール youth@seikyo-np.jp
ファクス 03-5360-9470
●連載のバックナンバーは、こちらから読めます。
●次回は、「中高年のひきこもり」について取り上げます。12月10日ごろ配信予定。
いしかわ・りょうこ 1977年、神奈川生まれ。松山大学人文学部教授。専攻は社会学・ライフストーリー研究。主な著書に『「ひきこもり」から考える――〈聴く〉から始める支援論』(ちくま新書)などがある。
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●次回は、「中高年のひきこもり」について取り上げます。12月10日ごろ配信予定。