〈識者が見つめるSOKAの現場〉 寄稿 「沖縄に生きる」を巡って㊦
〈識者が見つめるSOKAの現場〉 寄稿 「沖縄に生きる」を巡って㊦
2022年12月26日
- 東京大学大学院 開沼博 准教授
- 東京大学大学院 開沼博 准教授
※寄稿の㊤(24日付)はこちらから。
※寄稿の㊤(24日付)はこちらから。
学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」。24日付に続いて、社会学者の開沼博氏がルポの現場を訪れ、平和の思いを広げる学会員の原動力を考察した寄稿「『沖縄に生きる』を巡って」の㊦を掲載する。
学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」。24日付に続いて、社会学者の開沼博氏がルポの現場を訪れ、平和の思いを広げる学会員の原動力を考察した寄稿「『沖縄に生きる』を巡って」の㊦を掲載する。
開沼准教授㊨が比嘉伸雄さん㊥らと
開沼准教授㊨が比嘉伸雄さん㊥らと
遠く大きな目標
遠く大きな目標
米軍基地を巡る問題をはじめ、人々の意見を二分する問題が起こるたびに、多くの人は熱狂します。この熱狂の渦にのみ込まれ、疲弊し続ける人々も少なくありません。
その一方で、日常の中にある問題を正面から見つめ、地域、世界を良くするために、日々の信仰と社会活動を継続している姿を、沖縄の学会員に見ることができました。
とはいえ、実際に課題を前にしているときには、さまざまな悩み、葛藤があるはずです。そうした葛藤を、どのように調和に変え、皆で前に進むための力へと変換しているのだろうかと考えながら、取材を続けました。
その中で見えてきたのは、目の前ではなく、もっと遠いところに、共通の目標を定めているということです。例えば、学会員は、「世界平和のため」「地域の繁栄のため」「一人一人の幸せのため」と祈る。それは遠く大きな目標であり、時空間を超えて共有されています。
これがあると、目の前の問題について亀裂が生まれたとしても、“ちょっと待て、私たちが最終的に至りたいのはあそこだよね”と確認し合える。その場で自分の主義や主張を押し通すよりも、もっと大事な共通の目標のために、今すべきことが整理されていく。そのゴールがぶれないからこそ、今の葛藤は道の途中だと捉えられるわけです。
強く推進、強く反対と、白か黒かに二分して、絶対的な正解を出して問題を性急に解決しようとするのではない。遠くにある共通の目標を意識しつつ、今は「とりあえずの答え」を出し、微修正をかけながら、前に進み続けていく態度です。その中で、合意形成が難しそうな問題を前にしても、冷静に、他者に寛容であり続けられる。この姿勢こそ、現代社会に希薄になっているものかもしれません。
米軍基地を巡る問題をはじめ、人々の意見を二分する問題が起こるたびに、多くの人は熱狂します。この熱狂の渦にのみ込まれ、疲弊し続ける人々も少なくありません。
その一方で、日常の中にある問題を正面から見つめ、地域、世界を良くするために、日々の信仰と社会活動を継続している姿を、沖縄の学会員に見ることができました。
とはいえ、実際に課題を前にしているときには、さまざまな悩み、葛藤があるはずです。そうした葛藤を、どのように調和に変え、皆で前に進むための力へと変換しているのだろうかと考えながら、取材を続けました。
その中で見えてきたのは、目の前ではなく、もっと遠いところに、共通の目標を定めているということです。例えば、学会員は、「世界平和のため」「地域の繁栄のため」「一人一人の幸せのため」と祈る。それは遠く大きな目標であり、時空間を超えて共有されています。
これがあると、目の前の問題について亀裂が生まれたとしても、“ちょっと待て、私たちが最終的に至りたいのはあそこだよね”と確認し合える。その場で自分の主義や主張を押し通すよりも、もっと大事な共通の目標のために、今すべきことが整理されていく。そのゴールがぶれないからこそ、今の葛藤は道の途中だと捉えられるわけです。
強く推進、強く反対と、白か黒かに二分して、絶対的な正解を出して問題を性急に解決しようとするのではない。遠くにある共通の目標を意識しつつ、今は「とりあえずの答え」を出し、微修正をかけながら、前に進み続けていく態度です。その中で、合意形成が難しそうな問題を前にしても、冷静に、他者に寛容であり続けられる。この姿勢こそ、現代社会に希薄になっているものかもしれません。
花城初子さん㊧の取材
花城初子さん㊧の取材
受け止める姿勢
受け止める姿勢
かつてのコザ市(現・沖縄市)は、戦後、米軍基地の門前町として興隆しました。沖縄全土、日本本土から人が集まり、海外の人たちも多く住む、多民族融合の街です。
コザで生まれ育った比嘉伸雄さんは、NPO法人を立ち上げ、街づくりに取り組んでいました。
<比嘉さんが1歳の時、父が基地内の爆発事故に巻き込まれて亡くなった。母が基地内で働いて子どもを育てた>
米兵による事件・事故が後を絶たないのは事実ですが、米軍によって経済が潤ってきた現実もある。沖縄の人々の葛藤が、色濃く反映されてきたのがコザの街です。その中で比嘉さんは、「話して付き合っていけば思いは通じ合う」と、地域のさまざまな立場の人同士の交流を大切にしていた。基地問題ではなく、「街をどう良くするか」という問題に向き合う中で、人々をつないできました。
顔が見える距離感で、何でも言い合える関係性を維持する。これも、なぜ学会員は葛藤を消化できるのかという問いへの、答えの一つだと思います。一時の感情に流されそうになったときに、「それは違うよ」と言ってくれる人がいる。それがブレーキとなり、極端なものの角が取れていきます。そして、皆がまとまれる答えが洗練されていく。
安易に結果を求め、双方が不満を抱えたまま妥協するのではなく、対話を通して高みを目指そうと、互いに努力する姿勢だといえます。
象徴的だったのは、取材した複数の方々が、「基地がないに越したことはない」と語っていたことです。
本土復帰運動を知る人たちには、「基地反対」は共感をもって受け止められると、花城初子さんは語っていました。
<花城さんは1969年に入会。72年、コザを訪れた池田先生と出会いを刻んだ>
その花城さんは、「50年間あり続けた基地が、すぐになくなることはない。その先にどういうビジョンがあるのかを示さないといけない」とも言っていた。それは諦めの言葉ではなく、現実の上で、できることからやっていこうとする意志の表れでした。
一方、本土復帰後に生まれた玉城佳次さんは、「基地があることを『当たり前』として共有してきた」世代です。
<玉城さんは19歳の時、幼い頃に育った沖縄に戻った>
「基地問題だけでなく、未来の政治を論点にしてもらいたい」。玉城さんの思いは、若者世代に一定程度、共有されているものなのでしょう。
地域の産業をどうするのか。観光立県としての沖縄の未来は。実際に沖縄が抱える問題には、ひとり親の家庭も多く、貧困率は全国で最も高い水準にある等々、さまざまな側面がある。にもかかわらず、外からは「基地が……」とひとくくりにされがちです。
たとえ目の前の現実を受け入れられなくても、「受け止める」。この姿勢が、今回お話を伺った人たちに見えたものかもしれません。
かつてのコザ市(現・沖縄市)は、戦後、米軍基地の門前町として興隆しました。沖縄全土、日本本土から人が集まり、海外の人たちも多く住む、多民族融合の街です。
コザで生まれ育った比嘉伸雄さんは、NPO法人を立ち上げ、街づくりに取り組んでいました。
<比嘉さんが1歳の時、父が基地内の爆発事故に巻き込まれて亡くなった。母が基地内で働いて子どもを育てた>
米兵による事件・事故が後を絶たないのは事実ですが、米軍によって経済が潤ってきた現実もある。沖縄の人々の葛藤が、色濃く反映されてきたのがコザの街です。その中で比嘉さんは、「話して付き合っていけば思いは通じ合う」と、地域のさまざまな立場の人同士の交流を大切にしていた。基地問題ではなく、「街をどう良くするか」という問題に向き合う中で、人々をつないできました。
顔が見える距離感で、何でも言い合える関係性を維持する。これも、なぜ学会員は葛藤を消化できるのかという問いへの、答えの一つだと思います。一時の感情に流されそうになったときに、「それは違うよ」と言ってくれる人がいる。それがブレーキとなり、極端なものの角が取れていきます。そして、皆がまとまれる答えが洗練されていく。
安易に結果を求め、双方が不満を抱えたまま妥協するのではなく、対話を通して高みを目指そうと、互いに努力する姿勢だといえます。
象徴的だったのは、取材した複数の方々が、「基地がないに越したことはない」と語っていたことです。
本土復帰運動を知る人たちには、「基地反対」は共感をもって受け止められると、花城初子さんは語っていました。
<花城さんは1969年に入会。72年、コザを訪れた池田先生と出会いを刻んだ>
その花城さんは、「50年間あり続けた基地が、すぐになくなることはない。その先にどういうビジョンがあるのかを示さないといけない」とも言っていた。それは諦めの言葉ではなく、現実の上で、できることからやっていこうとする意志の表れでした。
一方、本土復帰後に生まれた玉城佳次さんは、「基地があることを『当たり前』として共有してきた」世代です。
<玉城さんは19歳の時、幼い頃に育った沖縄に戻った>
「基地問題だけでなく、未来の政治を論点にしてもらいたい」。玉城さんの思いは、若者世代に一定程度、共有されているものなのでしょう。
地域の産業をどうするのか。観光立県としての沖縄の未来は。実際に沖縄が抱える問題には、ひとり親の家庭も多く、貧困率は全国で最も高い水準にある等々、さまざまな側面がある。にもかかわらず、外からは「基地が……」とひとくくりにされがちです。
たとえ目の前の現実を受け入れられなくても、「受け止める」。この姿勢が、今回お話を伺った人たちに見えたものかもしれません。
玉城佳次さん㊨と
玉城佳次さん㊨と
確固たる信念を
確固たる信念を
比嘉さんは学会に入会し、人間革命の思想に出合った喜びを語っていました。現実を否定するのではなく、自分が強くなることで国土を変えていくと捉えられるようになった。目の前の基地問題にも揺れることなく、地域のための実践を貫いてこられた、と。
不健全な熱狂に取り込まれないために何が必要か。その答えの一つは、自分の軸となる思想を体系的に持つということでしょう。
自分の軸を持つからこそ、多様な視点を持つことができる。さもなくば、その都度、「これが正しそう」「これが良さそう」と、目先の表面的に輝かしいものに翻弄され、極端な方向に引かれていく。あるいは、多数派や権威あるものに安心を求めてしまう。これは、学術的には社会心理学や大衆社会論などの観点から提示されてきたことであり、また、現代の多くの人が持っている傾向だといえます。
琉球時代には薩摩藩に侵攻され、戦後は米軍に占領され……時代に翻弄され続けた沖縄だからこそ、「確固たる信念を育てる宗教が必要」と語っていた、久保田淑子さんの言葉と重なります。
<1960年7月、池田先生の沖縄初訪問の折、久保田さんは、本山多津子さんらと先生を迎えた>
「信心をする人が増えたら、沖縄の人たちが本当に幸せになれる」。久保田さんの言葉には実感がこもっていました。その一心で、苦労を重ねていた沖縄の人たちに希望を送ってきた。彼女たちに悲痛さはなかった。「折伏は本当に楽しかった」と、久保田さんと本山さんが声をそろえていたのが印象的でした。
比嘉さんは学会に入会し、人間革命の思想に出合った喜びを語っていました。現実を否定するのではなく、自分が強くなることで国土を変えていくと捉えられるようになった。目の前の基地問題にも揺れることなく、地域のための実践を貫いてこられた、と。
不健全な熱狂に取り込まれないために何が必要か。その答えの一つは、自分の軸となる思想を体系的に持つということでしょう。
自分の軸を持つからこそ、多様な視点を持つことができる。さもなくば、その都度、「これが正しそう」「これが良さそう」と、目先の表面的に輝かしいものに翻弄され、極端な方向に引かれていく。あるいは、多数派や権威あるものに安心を求めてしまう。これは、学術的には社会心理学や大衆社会論などの観点から提示されてきたことであり、また、現代の多くの人が持っている傾向だといえます。
琉球時代には薩摩藩に侵攻され、戦後は米軍に占領され……時代に翻弄され続けた沖縄だからこそ、「確固たる信念を育てる宗教が必要」と語っていた、久保田淑子さんの言葉と重なります。
<1960年7月、池田先生の沖縄初訪問の折、久保田さんは、本山多津子さんらと先生を迎えた>
「信心をする人が増えたら、沖縄の人たちが本当に幸せになれる」。久保田さんの言葉には実感がこもっていました。その一心で、苦労を重ねていた沖縄の人たちに希望を送ってきた。彼女たちに悲痛さはなかった。「折伏は本当に楽しかった」と、久保田さんと本山さんが声をそろえていたのが印象的でした。
継承される「師弟の物語」
地域の誇りと発展の力に
継承される「師弟の物語」
地域の誇りと発展の力に
アメリカの政治学者ベネディクト・アンダーソンは、近代以降のナショナリズム、つまり、「自分はこの国家の国民」という感覚が「想像の共同体」であると言いました。
方言や見た目の特徴、生活様式に違いがあっても、離れた場所に住んでいても、自分もあの人も「同じ一つの国民だ」という意識を、例えば日本に住んでいる私たちは一定程度、共有しています。
それがどのようにできあがったのかというと、新聞や国民的な小説を皆が読み、同じ話題や感覚を持っていると確認し合う作業を通して、イメージ上での共同体への所属意識を形成していった。その中で、土地に根付いた共同体を超えた、「想像上の共同体」=近代ナショナリズムが成立し得たという議論です。
今日、そういう意味でのナショナリズムが弱まり揺らいできている一方で、「創価家族の一員」という、ナショナリズムとは別の「想像の共同体」に属しているという感覚は、多くの学会員の中で共有されているものでしょう。
沖縄を訪問することで、この「創価・想像の共同体」の強靱さと、その構造の細部が見えてきたように思います。
「創価・想像の共同体」は、三つの層でできているように見える。一つ目は、「普遍的・全国的な想像の共同体」です。
全国のどこでも日蓮仏法をあまねく弘めていて、“学会用語”と呼べるような、誰にでも分かる言葉遣いが共有されていました。「目の前の一人を幸せに」というように。
そして学会は、任用試験や日常の御書研さんというように、ボトムアップで学び、切磋琢磨し合えるシステムをつくってきた。全国の各地域で教義をよく知る人材が育つからこそ、普遍的・全国的な想像の共同体が維持・再生産されてきたのではないか。
異なる気候風土や職業に生きる人たちが、同じ価値基盤を持っている光景を全国で見てきました。海外の組織でも同じであろうと推測します。ここに創価学会の強さがあることを、改めて思いました。
二つ目に、「ローカライズ(地域化)された想像の共同体」です。
それぞれの場所に、その地だけの創価学会の物語が土着化されている。池田SGI会長がいつ訪問し、誰にどんな激励の言葉をかけたか、広宣流布の歴史に、自分たちの地元がどう位置づけられるのかといった話が残っていることが分かりました。これが、学会員の主体的活動が芽を出し続ける土壌になっている。
沖縄では、外間純子さんの話も印象的でした。
<外間さんは戦争体験の聞き取りや反戦出版などの運動に携わってきた>
沖縄の人が沖縄に自信を持てなかった時代に、池田会長は「一番苦しんだ人が一番幸せになる権利がある」「沖縄の人々こそが、誰よりも幸せになっていただきたい」と激励しています。それを外間さんもその上の世代の人たちも共有し、祈り実践する中で、「沖縄に生きる自信と誇りに気付かせてもらえた」と。それが、沖縄にローカライズされた物語でした。
学会には、普遍的な物語と固有の物語という多層構造があります。普遍的な共同体だけであれば、たとえば企業などもつくろうとしている。ただ、各々の土地にローカライズされた物語を、同時に下から立ち上げていく仕組みを、巧みに融合させているところに、学会の強固さと柔軟性の秘訣があるのでしょう。
そして三つ目に、「生の地域共同体」です。
学会は、内外における生身の交流を重ねてきました。それが多くの地域で、衰退しつつあるコミュニティーを代替する機能を果たしてきた。近年、各地で「地方創生」の取り組みが行われていますが、それらの持続性が限定的であることも見えてきています。むしろ、代替可能なファスト文化、コモディティ(商品)化した普遍性が地域をのみ込む勢いのほうが強い。
この現実の中で、学会は、三つの層を重ねた「創価・想像の共同体」を維持し、再生産してきたわけですね。
アメリカの政治学者ベネディクト・アンダーソンは、近代以降のナショナリズム、つまり、「自分はこの国家の国民」という感覚が「想像の共同体」であると言いました。
方言や見た目の特徴、生活様式に違いがあっても、離れた場所に住んでいても、自分もあの人も「同じ一つの国民だ」という意識を、例えば日本に住んでいる私たちは一定程度、共有しています。
それがどのようにできあがったのかというと、新聞や国民的な小説を皆が読み、同じ話題や感覚を持っていると確認し合う作業を通して、イメージ上での共同体への所属意識を形成していった。その中で、土地に根付いた共同体を超えた、「想像上の共同体」=近代ナショナリズムが成立し得たという議論です。
今日、そういう意味でのナショナリズムが弱まり揺らいできている一方で、「創価家族の一員」という、ナショナリズムとは別の「想像の共同体」に属しているという感覚は、多くの学会員の中で共有されているものでしょう。
沖縄を訪問することで、この「創価・想像の共同体」の強靱さと、その構造の細部が見えてきたように思います。
「創価・想像の共同体」は、三つの層でできているように見える。一つ目は、「普遍的・全国的な想像の共同体」です。
全国のどこでも日蓮仏法をあまねく弘めていて、“学会用語”と呼べるような、誰にでも分かる言葉遣いが共有されていました。「目の前の一人を幸せに」というように。
そして学会は、任用試験や日常の御書研さんというように、ボトムアップで学び、切磋琢磨し合えるシステムをつくってきた。全国の各地域で教義をよく知る人材が育つからこそ、普遍的・全国的な想像の共同体が維持・再生産されてきたのではないか。
異なる気候風土や職業に生きる人たちが、同じ価値基盤を持っている光景を全国で見てきました。海外の組織でも同じであろうと推測します。ここに創価学会の強さがあることを、改めて思いました。
二つ目に、「ローカライズ(地域化)された想像の共同体」です。
それぞれの場所に、その地だけの創価学会の物語が土着化されている。池田SGI会長がいつ訪問し、誰にどんな激励の言葉をかけたか、広宣流布の歴史に、自分たちの地元がどう位置づけられるのかといった話が残っていることが分かりました。これが、学会員の主体的活動が芽を出し続ける土壌になっている。
沖縄では、外間純子さんの話も印象的でした。
<外間さんは戦争体験の聞き取りや反戦出版などの運動に携わってきた>
沖縄の人が沖縄に自信を持てなかった時代に、池田会長は「一番苦しんだ人が一番幸せになる権利がある」「沖縄の人々こそが、誰よりも幸せになっていただきたい」と激励しています。それを外間さんもその上の世代の人たちも共有し、祈り実践する中で、「沖縄に生きる自信と誇りに気付かせてもらえた」と。それが、沖縄にローカライズされた物語でした。
学会には、普遍的な物語と固有の物語という多層構造があります。普遍的な共同体だけであれば、たとえば企業などもつくろうとしている。ただ、各々の土地にローカライズされた物語を、同時に下から立ち上げていく仕組みを、巧みに融合させているところに、学会の強固さと柔軟性の秘訣があるのでしょう。
そして三つ目に、「生の地域共同体」です。
学会は、内外における生身の交流を重ねてきました。それが多くの地域で、衰退しつつあるコミュニティーを代替する機能を果たしてきた。近年、各地で「地方創生」の取り組みが行われていますが、それらの持続性が限定的であることも見えてきています。むしろ、代替可能なファスト文化、コモディティ(商品)化した普遍性が地域をのみ込む勢いのほうが強い。
この現実の中で、学会は、三つの層を重ねた「創価・想像の共同体」を維持し、再生産してきたわけですね。
外間純子さん㊨と平和展示を観賞
外間純子さん㊨と平和展示を観賞
普遍性と特殊性
普遍性と特殊性
アンダーソンは「想像の共同体」をつくるのに、新聞・小説という印刷技術を使ったメディアが重要だと言ったわけですが、創価学会にも、日蓮大聖人の言葉を集めた御書がある一方で、まさに新聞と小説が草創期から今に至るまで存在しています。
小説『人間革命』『新・人間革命』は、師匠と弟子が広宣流布を進めていく物語です。これは学会員に、自分たちの足元に堆積する歴史的地層と、その上にある師弟関係を再確認させる機能を持つ。それによって、例えば「平和のため」という根本目的を、常に祈りと活動のど真ん中に据えていられる。他方、聖教新聞には、歴史的地層を見直しつつも、その上にいかに今があるかが、日々、アップデートされて描かれている。
私はこの連載を通して、学会が世界に広がる普遍性と、地域に根付く特殊性とをいかに両立し実現しているのか、また、学会員の「師弟」の感覚とはいかなるもので、どう構築されているのかといった問いに対する答えを探してきました。沖縄で伺った一人一人の物語から、その輪郭をつかめた思いがしています。
アンダーソンは「想像の共同体」をつくるのに、新聞・小説という印刷技術を使ったメディアが重要だと言ったわけですが、創価学会にも、日蓮大聖人の言葉を集めた御書がある一方で、まさに新聞と小説が草創期から今に至るまで存在しています。
小説『人間革命』『新・人間革命』は、師匠と弟子が広宣流布を進めていく物語です。これは学会員に、自分たちの足元に堆積する歴史的地層と、その上にある師弟関係を再確認させる機能を持つ。それによって、例えば「平和のため」という根本目的を、常に祈りと活動のど真ん中に据えていられる。他方、聖教新聞には、歴史的地層を見直しつつも、その上にいかに今があるかが、日々、アップデートされて描かれている。
私はこの連載を通して、学会が世界に広がる普遍性と、地域に根付く特殊性とをいかに両立し実現しているのか、また、学会員の「師弟」の感覚とはいかなるもので、どう構築されているのかといった問いに対する答えを探してきました。沖縄で伺った一人一人の物語から、その輪郭をつかめた思いがしています。
ご感想をお寄せください。
kansou@seikyo-np.jp
ファクス 03-5360-9613
ご感想をお寄せください。
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