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能登半島地震から半年
能登半島地震から半年
2024年7月2日
元日に発生した「令和6年能登半島地震」から1日で半年となった。被災地では今もなお、発災直後と変わらない光景が色濃く残っている。断水が続いている地域もある。そんな中、被災者は、地域の復旧・復興を第一に祈りながら、生活の再建に必死に取り組み、「福光の道」を一歩ずつ踏みしめている。能登の「今」と、奮闘する同志の姿を紹介する。
元日に発生した「令和6年能登半島地震」から1日で半年となった。被災地では今もなお、発災直後と変わらない光景が色濃く残っている。断水が続いている地域もある。そんな中、被災者は、地域の復旧・復興を第一に祈りながら、生活の再建に必死に取り組み、「福光の道」を一歩ずつ踏みしめている。能登の「今」と、奮闘する同志の姿を紹介する。
福光の道を一歩ずつ
福光の道を一歩ずつ
6月3日午前6時31分頃、能登地方を震源とする最大震度5強の地震が発生した。石川県で震度5強以上の揺れを観測したのは、1月6日以来のことである。緊急地震速報の音で目を覚ました人も多い。一瞬にして緊張感が高まった。輪島市ではこの地震で、倒壊した家屋もあった。
被災地では現在も、正月のしめ飾りが玄関に飾られたままの家があるなど、ほぼ手つかずの状態と言ってよい。「半年たっても、町の様子はほとんど変わらない」と、ある友は吐露する。
その中で、学校のグラウンドなどでは仮設住宅の建設が進み、入居にともない能登に帰ってきた同志もいる。珠洲市で被災した壮年もその一人。元日の地震で自宅は全壊。1月下旬から加賀市内のホテルで避難生活を送っていた。「珠洲にはもう戻れない」というのが本音だった。しかし、毎日、SNSで地区部長から届く聖教新聞の記事と励ましの言葉が心の支えとなった。
“やっぱり珠洲に戻りたい”――その壮年は6月、車いすで生活する妻と共に自宅近くの仮設住宅に入った。生活再建へ課題は山積しているが、一つずつ乗り越えたいと決意している。
能登半島地震から半年。まだ、同志と集い合うことが難しい地域が多い。その上、「被災地」と言っても、一人一人が抱える状況はさまざまだ。だからこそ石川では、毎月1日を「石川能登・福光希望の日」として追悼と復興への祈りをささげ、共に前進していくことを誓い合っている。
皆が前を向ける“心の復興”へ、一人一人に寄り添う創価のスクラムは、いやまして輝く。
6月3日午前6時31分頃、能登地方を震源とする最大震度5強の地震が発生した。石川県で震度5強以上の揺れを観測したのは、1月6日以来のことである。緊急地震速報の音で目を覚ました人も多い。一瞬にして緊張感が高まった。輪島市ではこの地震で、倒壊した家屋もあった。
被災地では現在も、正月のしめ飾りが玄関に飾られたままの家があるなど、ほぼ手つかずの状態と言ってよい。「半年たっても、町の様子はほとんど変わらない」と、ある友は吐露する。
その中で、学校のグラウンドなどでは仮設住宅の建設が進み、入居にともない能登に帰ってきた同志もいる。珠洲市で被災した壮年もその一人。元日の地震で自宅は全壊。1月下旬から加賀市内のホテルで避難生活を送っていた。「珠洲にはもう戻れない」というのが本音だった。しかし、毎日、SNSで地区部長から届く聖教新聞の記事と励ましの言葉が心の支えとなった。
“やっぱり珠洲に戻りたい”――その壮年は6月、車いすで生活する妻と共に自宅近くの仮設住宅に入った。生活再建へ課題は山積しているが、一つずつ乗り越えたいと決意している。
能登半島地震から半年。まだ、同志と集い合うことが難しい地域が多い。その上、「被災地」と言っても、一人一人が抱える状況はさまざまだ。だからこそ石川では、毎月1日を「石川能登・福光希望の日」として追悼と復興への祈りをささげ、共に前進していくことを誓い合っている。
皆が前を向ける“心の復興”へ、一人一人に寄り添う創価のスクラムは、いやまして輝く。
能登中央圏・和倉支部が発災後初の集い
能登中央圏・和倉支部が発災後初の集い
元日以来となった勤行会に参加した和倉支部の友。再会を喜び合った(6月16日、七尾会館で)
元日以来となった勤行会に参加した和倉支部の友。再会を喜び合った(6月16日、七尾会館で)
七尾市や志賀町などを広布の舞台とする能登中央圏では、生活再建を最優先にしながら、少しずつ学会の集いが始まっている。和倉支部では6月16日、「福光勤行会」を開催。七尾会館で約半年ぶりに顔を合わせた。
集った友の中に、90歳の青坂マサノさん(副白ゆり長)がいる。青坂さんは5月29日に弘教を実らせた。
親子ほど年の離れた友人に長年、仏法対話を続けてきたが、なかなか入会には至らなかった。発災後、その友人は、青坂さんを気遣う連絡をくれたり、救援物資を届けてくれたりした。青坂さんはそうした思いに感謝があふれ、“一緒に信心がしたい”と語る中で今回、友人が入会を果たした。
福光勤行会では、久しぶりに皆で勤行・唱題を行った後、寺坂淳子支部女性部長と竹田清志支部長が登壇。これまでの労苦を分かち合い、ねぎらいつつ、共に祈れる喜びを述べ、異体同心の団結で新たな一歩を踏み出す決意を披歴した。
田中悦子圏女性部長が「大悪おこれば大善きたる」(新2145・全1300)の御文を通し激励。石川牧口県の山本治雄総合長が、大変な状況の中で助け合いながら、題目を根本に境涯革命していこうと励ました。
勤行会には、災害前よりも多くの友が集ったという。終了後、参加者は「また来たい」「皆で祈れて元気が出た」と語り合った。
池田大作先生はつづっている。「日蓮大聖人は『妙とは蘇生の義』(全947・新541)と断言されている。『変毒為薬』の妙法だ! 『宿命転換』の仏法だ! 『三変土田』の妙法だ! 『立正安国』の仏法だ!」と。
能登の友にとって、復旧・復興の道はこれから。胸中の師と共に、同志と共に、不屈の前進を続けていく。
七尾市や志賀町などを広布の舞台とする能登中央圏では、生活再建を最優先にしながら、少しずつ学会の集いが始まっている。和倉支部では6月16日、「福光勤行会」を開催。七尾会館で約半年ぶりに顔を合わせた。
集った友の中に、90歳の青坂マサノさん(副白ゆり長)がいる。青坂さんは5月29日に弘教を実らせた。
親子ほど年の離れた友人に長年、仏法対話を続けてきたが、なかなか入会には至らなかった。発災後、その友人は、青坂さんを気遣う連絡をくれたり、救援物資を届けてくれたりした。青坂さんはそうした思いに感謝があふれ、“一緒に信心がしたい”と語る中で今回、友人が入会を果たした。
福光勤行会では、久しぶりに皆で勤行・唱題を行った後、寺坂淳子支部女性部長と竹田清志支部長が登壇。これまでの労苦を分かち合い、ねぎらいつつ、共に祈れる喜びを述べ、異体同心の団結で新たな一歩を踏み出す決意を披歴した。
田中悦子圏女性部長が「大悪おこれば大善きたる」(新2145・全1300)の御文を通し激励。石川牧口県の山本治雄総合長が、大変な状況の中で助け合いながら、題目を根本に境涯革命していこうと励ました。
勤行会には、災害前よりも多くの友が集ったという。終了後、参加者は「また来たい」「皆で祈れて元気が出た」と語り合った。
池田大作先生はつづっている。「日蓮大聖人は『妙とは蘇生の義』(全947・新541)と断言されている。『変毒為薬』の妙法だ! 『宿命転換』の仏法だ! 『三変土田』の妙法だ! 『立正安国』の仏法だ!」と。
能登の友にとって、復旧・復興の道はこれから。胸中の師と共に、同志と共に、不屈の前進を続けていく。