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〈識者が見つめるSOKAの現場〉 寄稿 「農漁業に生きる」を巡って㊤ 2022年8月26日

  • 東京大学大学院 開沼博 准教授

 学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」では、「農漁業に生きる」をテーマに、取材ルポを2回にわたって掲載した(7月30日、8月13日)。それに連動して、社会学者の開沼博氏が、ルポの舞台となった高知県と北海道を7月下旬に訪問し、農漁業に従事する「農漁光部」の学会員を取材した。高齢化や担い手不足などの課題に向き合いながら、自らが灯台となって地域を照らす、学会員の原動力とは――。開沼氏の「寄稿」を、上下に分けて掲載する。(㊦は明日付で掲載予定)

1次産業の現在

 地方に行けば、農地や漁港の風景がそこら中に広がっているようにも見える日本ですが、実際に1次産業である農業・林業・水産業に従事する人は、全体の1割未満。産業別就業者構成割合をみると、そうなって30年以上たっていることに気付きます。ただ、戦後すぐの1950年前後、その割合は全体の半分を占めていました。元々、2人に1人が農家だったり漁師だったりしたわけです。
 この変化は、農機具の発達など、人の代わりに機械が働いてくれるように合理化されてきた結果でもあります。ただ、2次・3次産業が急拡大した高度経済成長期以降現在に至るまで、農漁村・中山間地域から都市部へと若者が移動してきた帰結でもあります。
 
 全国の1次産業従事者の中では、高齢化や後継ぎ不足が慢性化し、農業にあっては海外からの安価な農作物の輸入、漁業にあっては日本人の「魚食」離れなど、それぞれに固有の課題もますます深刻化してきました。
 こうした現実に、学会員はどう立ち向かい、人間が生きるために不可欠な農漁業を支えているのか。高知県と北海道を訪れ、取材をしていくと、農漁業と信仰の密接な結び付きが浮かび上がってきました。(ルポ㊤の高知編は7月30日付、㊦の北海道編は8月13日付を参照)

発想を生み出す

 高知の大高明さんは、漁業体験などツーリズムに活路を見いだしてきました。私が取材で伺った日も、関西在住の一家が楽しそうに海産物を自分の手でとり、その新鮮な海の幸に舌鼓を打っていました。
 
 〈大高さんは高知総県の漁光部長を務める。妻の弘さんと共に、中土佐町上ノ加江で漁業体験施設「わかしや」を経営し、「魚職」と「魚食」両面の魅力を伝えている〉
 
 創意工夫を重ねながら歩んできた大高さんと上ノ加江。ハマチ養殖が傾けば貝や昆布の養殖を導入し、東京や大阪の水族館にマグロを生きたまま搬入し――。試行錯誤を常に迫ってきたのは、周囲の環境の変化でもありました。
 現実には日本全国、多くの人が漁業から離れ、多くの地域が衰退していった。その中で、アイデア豊かな大高さんは信仰を原動力として漁業をここまでつないできた。大高さんは、「いろいろな人との接点ができること」が学会活動の魅力の一つだと言います。
 
 農漁村はかつて、閉鎖性・相互扶助をその最大の特徴とする「村落共同体」と呼ばれ、歴史的・社会的研究の対象となってきました。そのしがらみは農漁村の結束の基盤につながりつつも、そこに生きる人にとっては重荷でもあった。都市化は、そのしがらみから若者を解放するきっかけになってもいた。だから大量の若者が農漁村を離れ都市に出ていった。そういう側面は確かにあった。
 そんな時代の変化の中で、都市化とは違った道を歩んだ農漁村で生きるかつての若者が、日常生活で必然的に会う人とはまた違った属性の人たちや、新たな価値観と出あう――そうした場として、例えば会合などの学会の活動があり、そこで見聞を広げ、新しい発想を生み出していった。
 
 学会には、都市化の中で果たした役割とは別に、前近代的な農漁村に残ってきた村落共同体的なしがらみからの解放の機能がある。その魅力に引き寄せられ、自らの生き方を変化させていった学会員の様子は、今回、お話を伺った他の方々からも感じたことでした。

開沼准教授㊨が大高明さん㊥・弘さん夫妻と
開沼准教授㊨が大高明さん㊥・弘さん夫妻と

 谷岡隆満さんも、いち早くSNSでの動画配信に着手するなどしながら、厳しい漁業の世界での将来の展望を開いていました。
 
 〈谷岡さんは室戸市でサンゴ漁と遊漁船業を営む。父や自身が病を克服した体験などを通して、信心の確信を深めてきた〉
 
 病気を乗り越えた時や、船から海に落ちながらも命拾いした時。あるいは、サンゴがすごく高い値段で売れた時。その時々で、谷岡さんが「信心のおかげ」と捉えてきたという話は印象的でした。
 以前は、ほぼ学会活動をしていなかった時期もあれば、“御本尊頼み”の受け身の姿勢で題目を唱えることも多かった。ただ、危険と隣り合わせ、不確実性が高い生活の中での一つ一つの体験を通して、能動的に祈る姿勢に変わった、と。 つまり、谷岡さんの中での信仰が、バージョンアップしていったという話が一方にあり、他方で、仕事においても結果を出し、積極的に新しい取り組みに挑戦するように、漁業者としてバージョンアップしていった。信仰と仕事が同期しているのだと感じました。
 
 学会では、「信心即生活」という考えと実践を大事にしていると聞きました。信心と実生活が直結していて、二つは互いに作用し合う関係性である、と。信心が深まることで仕事に目覚め、仕事を極める中で、信心をさらに深めていく。そうした双方向性を、谷岡さんの例に見ました。

谷岡隆満さんの取材
谷岡隆満さんの取材
農漁業と「顕益」

 仏法の「顕益」「冥益」でいうところの、「顕益」がより出やすいのが、農漁業だと言えるのではないでしょうか。天候や生産量など、人の力だけでどうしようもないことに左右される部分が相対的に大きい。その不条理と対峙する中で、祈りは必然的に、具体的で可視化されやすい対象に向けられる。取材した方々に共通していた点です。
 
 社会学には、「生活世界」と「システム」という対立概念があります。生活世界とは、例えば顔が見える関係の中で同じ感覚を共有しながらのコミュニケーションや、直観に基づく実践が日常的に存在している世界であり、農漁業が今もそこに根差している部分は大きいでしょう。
 一方、システムとは、生活する場を離れた、政治・行政・経済といった社会制度、仕組みのことです。例えば「お役所仕事」という言葉が表すような、人の温かみや顔が見える関係性に欠けた、逆に言えば何をするにもスムーズにことが進むように形式化され、目的達成のための合理性が重視された世界です。
 
 かつては生活世界に根差していた空間においても、現在はその隅々までシステムが覆い尽くそうとしている。農漁業といえども、例えばグローバル市場やウクライナ危機がそうであるように、国際政治の力学の影響からは逃れられず、あるいは、生産管理やGPSを活用したスマート農業の発展等、システムと表裏一体のものとなってきた現実があります。
 
 システム化された世界の特徴の一つは、個人の選択した行為が、成功だったのか失敗だったのかが分かりにくい、フィードバックが見えづらいということです。例えば、自分が今日、ガソリン車ではなくハイブリッド車に乗ることは、地球環境に何らかの影響を与える。しかしながら、その影響を手触り感がある実体験としては捉えにくい。
 反対に、農漁業にまだ残る生活世界では、「明日は雨が降るから全て刈り取ってしまおう」といったように、その時々の選択が仕事に与える影響が、分かりやすい形で現れる。このフィードバックの早さは、日々の祈りと顕益という点とも、通ずるのではないでしょうか。
 
 その点、北海道でお会いした吉川伊都子さんも、農業と信心の“相性”の良さを語っていました。
 
 〈吉川さんは学会員だった夫との結婚を機に、北海道へ。結婚5年後に入会。10年前に夫に先立たれ、現在は長男夫婦と共に農作業にいそしむ〉
 
 育ちの遅い作物に題目を送ったり、悪天候が続けば御本尊に祈ったりと、農業と信仰の接点が近いのが印象的でした。今年の春の干ばつと強風で、自分の所の作物だけなかなか芽が出なかったけど、「何か意味がある」と吉川さんは考えた。そしてその意味は、秋の収穫で“答え合わせ”ができる、と。自然体の言葉に説得力があります。
 
 地区女性部長の任命を受ける時、不安でいっぱいだった吉川さんに、先輩が“自分なりでいいんだよ”と声を掛けてくれたといいます。とはいえ、引き受けたからには投げやりにできない。近所の高齢者の面倒を見たり、その方が公営住宅に移った後、飼っていた猫の世話をしたり等、吉川さんは、「気になったことは何でもしよう」と心掛けたそうです。一緒に花植えをしながら友人に対話をするなど、等身大で活動に励み、だからこそ、一つ一つの言葉にもリアリティーがありました。

吉川伊都子さん㊧と
吉川伊都子さん㊧と
地域の灯台たれ

 1973年に発足した農漁光部(当時は農村部)が、地域では孤立することもあるだろう、国内外の農漁業に携わる学会員を、広域でつなげてきた取り組みも印象的でした。
 そのことを、北海道の長瀬直道さんからも感じました。
 
 〈長瀬さんはこれまで農漁光部のリーダーを歴任。青年部時代には、北海道初の農村青年主張大会を地元・十勝で開催。長年、農協の理事を務めるなど地域に尽くす〉
 
 農村青年主張大会には、学会員ではない地域の農業に携わる人たちからの支えがあったといいます。学会の活動で活力を得た一人一人が、それぞれの地域で、地域貢献に励む。今回、長瀬さんをはじめとする学会員の方々からは、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の“地域の灯台たれ”という言葉、農漁光部に対する指針を度々聞きました。
 
 長瀬さんは農業の未来を見据え、働きながら時間をやりくりし、通信教育で農業経済の学位を取っています。海外のSGIメンバーをホームステイ先として受け入れるなど、何人もの若者にその背中を見せてもきました。不便さ、課題の根深さと向き合わざるを得ないだろう農村にあっても、向学心を高く持ち、国内外に心を大きく開いてきた。これもまた、創価学会の信仰によって血肉化した生き方なのだと思いました。

長瀬直道さん㊨の畑の前で
長瀬直道さん㊨の畑の前で
出会いや出来事の「偶然」に
意味ある「必然」を見いだす

 今回感じたのは、「偶然の中に必然を見いだす」学会員の強さです。
 取材に当たって、私は、農漁業地域で学会員が熱心に信仰に励むようになるには、ある種の“必然性”があるのではないかと考えました。「逆境に向き合う中で、信仰に至る」というように。もちろんそうした側面もありましたが、信仰に至るきっかけそれ自体は、むしろ“偶然性”が強かったと結論づけるのが正しいと感じています。
 
 例えば、吉川さんのように“学会1世”の方もいれば、2世、3世の方々もいた。信心への入り口がそうであれば、深めていくきっかけもまた人それぞれです。活動に導いてくれる先輩がいたり、事故の際に救われたり、農作物の育ちが良かったり等、千差万別だった。全ての人に共通の“型”があるとは、言い切れない側面があります。
 
 しかし、そうしたきっかけや個々の体験そのものは偶然であっても、それらを必然たらしめよう、意味あるものと捉えようとする姿勢が、今回お話を伺った学会員に共通していたと感じます。自分は必然的に信仰の道に入ったのだと、後になって確認していくような感覚を、多くの学会員が持っている。そうした偶然の中に必然を見いだそうとする人ほど、信仰が日常の実践と深く結び付いている。だから確信が強く、熱心であるのではないか――。
 
 多様な信仰実践のあり方を、垣間見ることができました。

取材で訪れた高知・中土佐町上ノ加江の漁港
取材で訪れた高知・中土佐町上ノ加江の漁港

 かいぬま・ひろし 1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学大学院情報学環・学際情報学府准教授。専門は社会学。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程単位取得満期退学。福島大学特任研究員、立命館大学准教授などを歴任。主な著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(毎日出版文化賞)『漂白される社会』『はじめての福島学』『日本の盲点』など。

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