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〈パイオニアの誇り〉 オーストラリア マギー・モリスさん 2024年4月2日

  • 師への誓い果たす黄金の日々

 世界192カ国・地域に広がる創価の連帯。海外の同志は今、300万人におよびます。新企画「パイオニアの誇り」では、各国・地域の広布の礎を築いてきた、誉れの開拓者(パイオニア)たちの師弟共戦の軌跡と信仰体験に迫ります。第1回は、オーストラリアの初代女子部長を務めたマギー・モリスさんです。

 私は生まれた時から病弱で、医師は母に、「あなたのお嬢さんは生きる意志が強い。とても生き続けられるような体ではないのに」と告げたそうです。体調が悪く学校にもしっかり通えず、“なぜ私だけ良くならないの?”と悩み続けました。健康のため10代からヨガを始め、いつしか東洋思想に興味を持つようになりました。
  
 メルボルンのホテルに住み込みで働いていた、1970年のことです。お世話になっていた整体師から、「創価学会の会合があるから行ってみない?」と誘われました。東洋思想について彼女と何度も話していたので、私が興味を持つと思ったのでしょう。
  
 初めて会合に参加し、日蓮仏法の生命哲学を知り、ずっと探していたパズルの最後のピースが見つかったような思いになりました。シドニーからテイテイ支部長(後の初代理事長)がすぐにやって来て、御本尊を頂くことができました。先輩たちは、私を大歓迎してくれました。なぜなら、私が女子部世代で初めて入会したオーストラリア人だったからです。
  
 テイテイ支部長から早速、「あなたが女子部を始めてください。鼓笛隊もつくってください!」と言われました。それまでの人生は苦しみの連続だったので、「何も分かりませんが、人生が少しでも良くなるなら何でもさせていただきます」と答えました。
  
 シドニーに引っ越して、学会活動に真剣に取り組みました。最初は、草創のメンバーの子どもたちと関わっていきましたが、同世代の仲間がいないことに一抹の寂しさも覚えました。
  
 71年、テイテイ支部長から日本での研修会に参加してほしいと言われました。しかし経済的に難しかったため諦めました。翌72年は必ず参加したいと、仕事を三つかけ持ちして、朝から晩まで、休みなく働き続けました。
  
 その中でも、会合があれば最後の10分だけでも遅れて駆け付けました。目の回るような忙しさでしたが、気が付けば、あれだけ私を苦しめていた体調不良に、もう悩まなくなっていたのです。

モリスさんが結成に尽力したオーストラリア女子部の鼓笛隊
モリスさんが結成に尽力したオーストラリア女子部の鼓笛隊

 
 オーストラリア女子部を代表して日本での研修会に参加し、池田先生に初めてお会いできた時の感動は今でも忘れられません。“次はもっと多くの女子部を日本に連れてきます!”と、心の中で先生に誓いました。それから、毎年の研修会に参加することが、大きな目標になりました。
  
 帰国後、国内最大のデパートに転職。大学を卒業していないにもかかわらず管理職研修を受けることができ、昇進を重ねました。ドラムやファイフなどの楽器を購入し、鼓笛隊を始めることもできました。
  
 毎年、日本での研修会に参加するたびに、“次の1年間で、ここまでオーストラリア広布を進めたい”と決意を新たにして帰国しました。2人の妹を折伏して、女子部10人で研修会に参加できた時、当時の日本の女子部幹部に、「できました! 誓いを果たすことができました!」と言いながら駆け寄りました。彼女は目に涙を浮かべながら、他の国の女子部メンバーに、「オーストラリアの皆さんが歴史をつくられました!」と紹介してくださったんです。
  
 池田先生に握手していただく機会にも恵まれました。先生はある時、私の手を握られながら、こう言われました。
  
 「これは、あなたの手です。でも、あなたとだけ、握手しているのではありません。オーストラリアの全女子部員と握手しているんですよ」
  
 入会するのが早すぎたんじゃないか、なぜ、もっとサポートを受けられる時代に信心を始めなかったのだろう、と悩んだ時期もあります。でも、それは違いました。私はずっと、池田先生に支えられてきた。先生は、私たち草創のメンバーの苦闘を全て分かってくださっていた。だからお会いするたびに、“来年もまたお会いしましょう”と呼びかけてくださったのだと思います。

オーストラリアで最初の会館の前で草創の友が
オーストラリアで最初の会館の前で草創の友が

 
 結婚して女子部を卒業した後、2人の子どもを授かりました。長男が2歳の時、感染症で命の危機にさらされましたが、奇跡的に、専門医にすぐに治療してもらうことができ一命を取り留めました。“日蓮仏法の力はすごい!”と、心の底から感謝しました。息子が今、信心を継承し、青年部の活動に懸命に励んでくれていることが、何よりの喜びです。
  
 オーストラリアが多文化主義政策を取り入れたのは、私たちの誇るべき歴史です。海外から多くの人が移住するようになり、SGIも多様性に満ち、大きく発展しています。一人一人を大切にする、少人数のグループ座談会に力を入れていけば、私たちは必ず成長し続けていける。そして、池田先生がオーストラリアに託してくださった思いを、必ず次の世代につないでいけると確信しています。
 

【ヒストリー】 池田先生「尊き同志の建設の苦闘に感謝」

 1964年5月、池田先生はオーストラリアを訪問し、メルボルン支部を結成。その時に先生から激励され、支部長に任命されたのが、後に初代理事長となるツトム・テイテイさんである。
  
 モリスさんたちが草創期を駆けた頃、同国最初の会館であるシドニー会館が空港にほど近い場所にあった。古い教会を自分たちの手で改装したものだ。日本での研修会に参加したメンバーは帰国後、会館に直行し、参加者の帰りを待ちわびた友に、研修会の内容をこと細かに伝えたという。
  
 特にモリスさんの心の支えになったのが、初代婦人部長のマツヨ・ハンソンさん。シドニー会館の管理者として敷地内に住み、朝から晩までメンバーを励ましていたと、モリスさんは振り返る。ハンソンさんは車を何時間も運転して、遠く離れたメンバーのもとに通い続けたという。ニュースレター作成のため、会館で遅くまで作業していたモリスさんを、いつも気遣ってくれたのも彼女だった。
  
 「あの頃は互いに貧しくて、服に開いた穴を見つけては、婦人部長と大笑いしたのが懐かしいです。草創の先輩たちと一緒に活動できたことは、何にも替えがたい黄金の思い出です」
  
 池田先生の訪豪は64年の1度。その後も先生は、草創の友に励ましを送り続けた。友は師の指針を胸に、地道に信頼と共感の輪を広げ、オーストラリアSGIは現在、4方面30支部78地区に発展し、各方面に創価の法城も完成。2000年には、同国最古のシドニー大学から、「名誉文学博士号」が池田先生に授与されている。
  
 先生は随筆をつづり、「尊き同志の皆様の、開拓と建設の苦闘に、感謝の思いでいっぱいである」「世界一、仲の良い、世界一、団結強き栄光の城を、断固と築いていただきたい」と“希望大陸”の友をたたえ、期待を寄せた。

シドニー・オリンピックが開催された地に立つオーストラリア文化会館
シドニー・オリンピックが開催された地に立つオーストラリア文化会館

  
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高知県出身。IT企業勤務を経て独立。エンタメから古典文学まで評論や解説を幅広く手がける。新刊『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)発売中。

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