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〈Seikyo Gift〉 心は生き生き! 病魔に負けない〈スマイル自分らしく 信仰体験〉 2024年4月7日

  • 私の願い…舌がんの完治
左から夫・浩貴さん、小柳さん、三女・舞生(まい)さん
左から夫・浩貴さん、小柳さん、三女・舞生(まい)さん

 “あれ、これ何だろう?”。舌の裏側に“イボ”のようなものがあった。痛みはないが、徐々に大きくなっていく。
  
 千葉県松戸市の小柳史子さん(45)=支部女性部長=は3年前、歯科健診で口腔外科の受診を勧められた。
 診てもらうと、すぐに医師の顔が曇った。「がんの可能性があります」
 “まさか……”。頭は真っ白なのに、自然と涙があふれ頰を伝う。
 優しく、心配性の夫・浩貴さん(52)=壮年部員=も落ち込んでいた。
  
 がんセンターでの精密検査。「結果を待つ日々が、とてつもなく怖かった」
 “良性であってほしい”との願いは届かず、診断は「ステージ2の舌がん」。
 “この先、どうなって……”。不安ばかりが募っていった。(2月1日付)

三女・舞生さんが撮影
三女・舞生さんが撮影
長男・幹貴(かんき)さん(左端)と共に
長男・幹貴(かんき)さん(左端)と共に
後遺症が残っても ママは変わらない

 私が「がん」だと告げたら、子どもたちは、どう思うだろう。当時、長女は高校生。次女は中学生。長男と三女は小学生だった。
  
 できるなら、この子たちを不安にさせたくない。私だと泣いてしまいそうだから、夫が代わりに説明してくれた。
  
 ――ママが病気になったこと。2週間くらい入院すること。手術をしなければならないこと――
  
 夫の話に、子どもたちは皆、驚き泣いていた。“つらい思いさせて、ごめんね”
 子どもたちの涙を見ることは、本当に苦しかった。
  
 「ベロを切るから、手術した後、ママの話し方が変わっちゃうかもしれないんだ」。夫が伝えると、長女が泣きながら言った。
 「どんな傷や後遺症が残っても、ママはママで変わらないから!」って。
  
 その言葉が、うれしくて、うれしくて。“この子たちのもとに、笑顔で帰ろう”。固く心に決めた。

三村新町地区の座談会
三村新町地区の座談会
1位で切った ゴールテープ

 首のリンパ節への転移はみられなかった。
 お医者さんは「将来のことを考えて、リンパ節を取るか決めてください」って。
 取るなら「左耳の下から首下まで切る」と言われた。
  
 絶対に手術した方がいい。頭では分かってる。でも“首を切る”というのが、どうしても怖くて……。
  
 そんな時、真っ先に励ましてくださったのが、地区の皆さんと女性部の先輩方だった。
 「小柳さんには、大きな使命があるんだね。必ず乗り越えられるよ」。確信あふれる言葉で不安を和らげてくれた。
  
 創大時代の同級生に電話して「思うように祈れないんだ」と打ち明けた。
 返ってきたのは力強いエールだった。「私たちが祈ってるから! 無理して祈らなくていいよ」。その声が胸を温めてくれた。
  
 “多くの人たちが、私の完治を祈ってくださっている。こんなに心強いことはない。私は絶対、大丈夫。安心して手術に臨もう”

 ひとたび腹が決まると、それからは弾むような、力強い題目をあげることができた。
  
 うれしかったのは、それまで、信心に積極的ではなかった夫が毎朝、私と一緒に勤行・唱題をしてくれるようになったこと。
  
 がんになって苦しいことばっかりだったけど、こんなに幸せなこともあるんだって、うれしかった。
  
 入院した私の代わりに、お義母さんと母が子どもたちを見守り、支えてくれた。
 心残りは、長男と三女の運動会を見に行ってあげられなかったこと。長女と次女がスマホで、ライブ中継してくれた。
  
 リレーのアンカーとして、1位でゴールテープを切った息子。
 「ママ、見えた!? やったー!」。家族の笑顔に、泣き虫な私は、また涙。
 “みんな、ありがとう。ママも頑張るからね”

同室の“戦友”へ 手渡した本

 手術当日の朝――わが家では、4人の子どもたちがそろって、勤行・唱題をしてくれた。
 真心の祈りに包まれて、手術室に入る。腫瘍と舌の一部、首のリンパ節を切除し、4時間の手術は無事に終わった。
  
 でも、本当の闘いは、ここからだった。
 数日間は高熱が続き、吐き気もひどかった。口の中は腫れ、つばも飲み込めない。首も管につながれ、体が動かせなかった。
 “大丈夫、絶対大丈夫”。必死にそう言い聞かせながら、胸の中で題目を唱えた。
  
 1週間がたち、体は動かせるようになったけど、口の中の感覚は元に戻らなかった。
 舌がうまく動かなくて、思うように発音できない。
  
 心の支えだったのは、池田先生の言葉だった。『四季の励ましⅢ』にこうあった。
 「たとえ病気になっても、心は生き生きと!――絶対に負けてはいけない。戦う心まで病魔に食い破られてはならない」
  
 

 “そうだ。病魔なんかに負けてたまるか。夫と子どもたちのもとに、笑顔で帰るんだ”
  
 言語聴覚士の方に支えられながら、発音の練習に、前向きに取り組んでいった。
  
 病室の隣のベッドに、70代くらいのご婦人が入院されていた。
 私よりも大変な病状で、懸命に治療に励んでいらした。
 “この方にも、私が勇気をもらった池田先生の言葉を届けたい”
  
 心の中で題目を唱えながら、勇気を出して「私、この本を読んで、すごく励まされたんです。ぜひ一度、読んでみませんか」と、先生の本を手渡した。
  
 ご婦人は、じっくりと読んでくださり、後日、ほほ笑みながら「とても感動したよ。ありがとう」って。“勇気を出して良かった”
  
 退院した今も連絡を取り、「がんと闘う戦友」として、励まし合っている。

介護福祉士の試験に合格 

 ようやく日常が戻っても、会話はやっぱり不安で、ラ行など発音しにくい言葉があった。
  
 「え?」って聞き返されたり、「どうしたの?」って言われるのが怖くて……。
 “なるべくなら、人と話したくない”と、思ってしまうこともあった。
  
 そんな恐怖心を和らげてくれたのは、学会の会合だった。
 地区女性部長だった私は、協議会や座談会などで話をすることが多かった。
  
 最初は勇気が要ったけど、“地区の皆さんは全部分かってくださっている。だから、安心して話そう”と思い切ることができた。
  
 きっと、聞き取りにくい言葉もあったと思う。
 でも皆さんが温かく見守り続けてくれたおかげで、人目を気にせず話せるようになった。 

 今は、3カ月に1度、がんの定期検診に通っている。
 その中で、励みになったのは、夢に向かって努力を重ねる長女の姿だった。
 体調不良を乗り越えて、昨年、念願だった大学医学部の合格をつかんだ。
  
 私も子どもたちと一緒にステップアップしていきたい。
 支部女性部長としてフル回転の日々の中、地域や社会でも信頼を築こうと決めた。
  
 私は、折伏した友人が紹介してくれた職場で介護の仕事をしている。
 入院中、職場の皆さんが何度も励ましてくださった。
 恩返しの思いで、昨年、介護福祉士の資格試験に挑戦。合格でき、正社員として迎えてもらうことができた。
 次は「社会福祉士」の資格を目指し、ますます仕事と勉強に励みたい。
  
 闘病の経験と学会活動で学んだ「同苦の心」「寄り添う力」を社会に還元しながら、縁する人への感謝を胸に、使命の舞台で輝きたい。

私には、忘れられない創大時代(27期)の思い出がある。朝霧寮の寮長として参加した大学行事。創立者・池田先生が留学生と共に歌い、一人一人を励ます姿に胸が熱くなった。「創立者の期待に応えたい」。あの日の決意は今も、胸の中で燃えている。今、この一瞬を大切に――目の前の人を笑顔にできる自分になりたい
私には、忘れられない創大時代(27期)の思い出がある。朝霧寮の寮長として参加した大学行事。創立者・池田先生が留学生と共に歌い、一人一人を励ます姿に胸が熱くなった。「創立者の期待に応えたい」。あの日の決意は今も、胸の中で燃えている。今、この一瞬を大切に――目の前の人を笑顔にできる自分になりたい

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