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東北の友が語る福光への歩み――能登に思いを寄せて 2024年3月11日

 東日本大震災の発生からきょうで13年。東北被災3県の友が、福光への歩みを振り返りつつ、能登半島地震の被災者にエールを送る。
 

福島・会津若松市 星恵子さん(地区女性部長)
声をかけ続けてくれた

 13年前の自分と重ねると、北陸の能登半島地震で被災された皆さんに題目を送らずにはいられません。

 原発事故で福島県富岡町から避難した私たち家族は、県内外を転々。当時2歳半の次男が余震のたびに号泣し、車中で夜を明かしたこともありました。その後、内陸の会津若松市に転居。慣れない土地での生活に苦しみました。

 夫も私も明日生きるために必死で、転校先の小学校になじめない子どもたちに、何もしてあげられませんでした。原発のことで陰口を言われ、傷ついたこともありました。

 次男が幼稚園に行くようになり、少し時間ができると、心の糸が切れました。“信心強盛だった同志が津波の犠牲になり、どうして私が生き延びたんだ”

 そう自分を責め、ふさぎこみました。励まそうとして同志が言ってくれた「守られたんだね」との言葉さえ、負い目に感じました。

 同志に会うことも苦しくなり、祈りたいと思っても、仏壇の前に座るのが精いっぱい。声が出ず、泣くしかありませんでした。

 そんな私が前を向けたのは、夫や同志が、私を信じて声をかけ続けてくれたからです。

 一番苦しかった時に、夫は「無理しなくていいよ」と。

 同志は、池田先生のメッセージを教えてくれました。「断じて負けるな! 勇気を持て! 希望を持て!」

 本当に苦しい時、題目を思うようにあげられないこともあるかもしれません。それでも大丈夫です。私たちが東北から題目を送っています!

 私は今、地区女性部長になって5年。次男は来月、高校に進学します。受験に向けて唱題も頑張りました。

 明けない夜はない――あれだけ苦しかった私も、今では確信を持ってそう言えます。時間がかかってもいい。諦めないで、生き抜いてください。
 

宮城・東松島市 佐々木武哉さん(副圏長)
最後の一人まで支える

 北陸の被災地では、住まいを追われて避難所での生活に苦労されている方も多いと思います。自身の経験を重ね、日々、題目を送っています。

 東日本大震災の津波で私は家を流失しました。2003年にも地震で自宅が全壊したため、家を失ったのは2度目でした。

 避難所生活は5カ月ほど続き、狭いスペースに約80人で暮らしました。心身に堪えましたが、悲しみに沈む人を見て、“この人たちの力になろう!”と、妻と懸命に動きました。

 その後に移った仮設住宅は、プレハブで壁は薄く生活音が丸聞こえ。冬は、これまでにないくらい寒く感じました。それでも「大悪おこれば大善きたる」(新2145・全1300)の御聖訓を抱き締め、約300世帯の自治会の副会長を務めました。

 仮設団地に結成された学会の地区の地区部長にも就任。協議会は4畳半の私の部屋で行い、座談会を毎月開催しました。そうした中で折伏も実り、最高の思い出ができました。

 時がたつにつれ、自宅の再建などで一人また一人と仮設を離れていきました。仮設にとどまることが“取り残された”と感じる同志もいます。だからこそ“最後の一人まで寄り添おう”と、会い続けました。

 復興住宅に入居した後も、自治会の副会長や役員として奔走。今は地域のお茶会の代表になったり、自宅でミニ座談会を開いたりと、にぎやかにしています。

 5年前、脳梗塞を発症し、その翌年には妻を亡くしました。試練の波が押し寄せましたが、絶対に負けるものかと前を向きました。池田先生から学んだ“負けない心”があれば、勇気が出るし、希望が湧きます。

 北陸では、これからもさまざまな変化や苦労が続くと思います。皆さまの健康と一日も早い復興を心より祈っています。
 

岩手・陸前高田市 村上正彦さん(副支部長)
同志の励ましを力に

 能登半島の漁港や地場産業の甚大な被害をニュースで見るたび、人ごとと思えず、胸を痛めています。

 私は漁師として40年以上、ワカメやホタテなどの養殖漁業をしてきました。家業を引き継いで以来、創意工夫を重ね、わが家から出荷する「広田わかめ」は最高級品と呼ばれるまでになりました。

 しかし、13年前の今日、大津波に襲われました。震災の3年前に調達したばかりだった漁船は流され、港は壊滅。一瞬にして全てを奪われました。

 震災直後は集落の復旧作業や、がれきの撤去、支援物資の仕分けなどに没頭して気持ちを紛らわせました。くたくたになって眠りにつき、翌朝起きると、涙で枕がぬれている。そんな毎日でした。

 漁師をやめようかと、何度も葛藤しました。妻は「海を見たくない」と、浜辺に行けない時期もありました。

 それでも漁師をやめなかったのは、励ましを送り続けてくださった池田先生、そして同志の存在があったからです。

 北海道、静岡、大阪、兵庫、愛知、福岡など全国各地から連絡をくださったり、家を訪ねてくださったりと、真心のエールに勇気づけられました。

 「村上さんとこのワカメは日本一だ!」。そう言ってくれる友の笑顔を見た時、負けられないと心が決まりました。

 震災から2年後に新たな船を購入し、「第三栄光丸」と名付けました。

 現在もその船に乗り、家族で力を合わせて漁に出ています。

 北陸の皆さんは今、苦しい時期だと思います。

 それでも、絶対に一人じゃありません。同じ震災を経験した東北から、私たちは毎日、お題目を送っています。

 ゆっくり、一歩ずつで大丈夫です。必ず笑い合える日が来ると信じて、一緒に進んでいきましょう。

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