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新企画〈1974―2024 人類の宿命転換への挑戦〉 原田会長に聞く㊤ 2024年4月19日

第1次訪中の折、北京市内の中学校で“未来の宝”を激励。「日本の青少年に友情の気持ちを伝えてください」と語る生徒たちに、池田先生は「必ずそうします。皆さんもいつの日か必ず日本に来てください」と応え、一人一人と握手を交わした(1974年6月)
第1次訪中の折、北京市内の中学校で“未来の宝”を激励。「日本の青少年に友情の気持ちを伝えてください」と語る生徒たちに、池田先生は「必ずそうします。皆さんもいつの日か必ず日本に来てください」と応え、一人一人と握手を交わした(1974年6月)
今、学ぶべき50年前の師の行動

  
 池田大作先生は、2020年8月の本部幹部会へのメッセージで、「創立90周年(2020年)から100周年への10年は、一人一人が『人間革命』の勝利の実証をいやまして打ち立て、いかなる『大悪』も『大善』に転じて、いよいよ人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時であります」と呼びかけた。
  
 争いが絶えず、分断が深まる現代にあって、師が訴えた人類の「宿命転換」を実現するために、私たちが学び、銘記すべきことは何か――。
 歴史の教訓をたどれば、今から半世紀前の1974年もまた、世界は深刻な危機のただ中にあった。その中で池田先生は、初訪中・初訪ソでの人間外交をはじめ、平和・文化・教育の多角的な運動を展開し、学会が今日、「世界宗教」へと飛躍を遂げる基盤を築いた。
  
 新連載「1974―2024 人類の宿命転換への挑戦」では、50年前の時代状況とも相似する現代の課題を踏まえつつ、その打開に必要となる視点をテーマ別に紹介していく。初回は、原田会長へのインタビューを掲載する。
  

平和の願いを「わが誓い」に 人間主義の心広げる対話を

  
 ――戦争や気候変動、感染症の蔓延といった危機を前に、今、世界の多くの人々が再び不安を強めています。
  
 世界各地で武力衝突が起き、多くの市民が犠牲になっています。
 「AI兵器」も使用され、尊い生命を次々と奪っている。
 核兵器の使用の脅威も高まるばかりで、米科学誌「原子力科学者会報」が毎年発表している「終末時計」(人類滅亡までの残り時間を象徴的に示す時計)は、過去最短の「90秒」にまで縮まっています。
  
 地球の平均気温は、早ければ2030年にも臨界点に達すると言われ、それを超えると温暖化を加速させる現象が連鎖していくのでは、と危惧されています。
 また、気候変動による環境の変化から、いまだ経験したことのない大規模災害や未知の感染症のリスクも高まり、人類の未来に大きな影を落としています。

イタリア創価学会の核兵器廃絶運動の一環として開催された展示(2017年7月、リボルノで)
イタリア創価学会の核兵器廃絶運動の一環として開催された展示(2017年7月、リボルノで)

  
 さらに、現在の食料システムを2030年までに改めなければ、「餓死者が爆発的に増え、飢餓のパンデミックが拡大する」との深刻な予見もあります。
  
 まさしく、池田先生が教えてくださったように、現在、地球と人類の未来にとって「分岐点」ともいうべき課題が山積しており、だからこそ先生は2030年までの10年間を、人類の「宿命転換」を成し遂げる勝負の時と定められたのです。
  
 日蓮大聖人が「立正安国論」で示された「穀貴(飢饉等による穀物・物価の高騰)」、「兵革(戦乱)」、「疫病(感染症の流行)」という「三災」の実相が今、眼前に広がる中にあって、私たちは、どのようにして問題解決への道を開く「応戦」をしていくべきか――。
  
 そこで、立ち返りたいのが、現在と同様に危機の時代であった50年前(1974年)に池田先生が示された着眼や発想、実践です。

石油危機 克服への提言

  
 ――1974年といえば、中国とソ連の対立をはじめ、冷戦下にあった世界は相互不信に包まれていました。加えて、石油危機によって文明の基盤が揺らぎ、人々の心は不安に覆われていました。
  
 74年、まさしく世界はアメリカとソ連が激しく対立する冷戦下にあり、長期化するベトナム戦争にあっても「いつ、核兵器のボタンが押されるか分からない」という緊張状態にありました。
  
 軍事衝突(69年)を経て、中国とソ連の溝も深まるなど、混沌とする国際情勢の中にあって、池田先生は74年5月、中国への第一歩をしるされ、私も随行させていただきました。
  
 経済の観点でみれば、73年の第1次オイルショックによる原油価格の高騰で、インフレが加速し、「狂乱物価」といわれるほど物価が急激に上昇しました。
 日本も不況に陥り、20年近く続いた「高度経済成長」も終わりを迎えます。安定した暮らしは失われ、先の見えない不安を抱えていました。
  
 こうした状況下にあって、先生は“石油危機をどう乗り越えるべきか”について提言をまとめられ、当時のキッシンジャー米国務長官に手渡されています(75年1月)。
  

第1次オイルショックの影響で、トイレットペーパーや洗剤など、石油関連商品の品切れが相次いだ(73年11月、神奈川で=時事)
第1次オイルショックの影響で、トイレットペーパーや洗剤など、石油関連商品の品切れが相次いだ(73年11月、神奈川で=時事)

  
 さらに「経済優先」のひずみは、環境問題や公害病となって顕在化していきました。
 地球環境の悪化や化石資源の枯渇について、世界的シンクタンクであるローマクラブが「成長の限界」と題する報告書を発表(72年)して、「100年以内に地球が成長の限界に達する」と警鐘を鳴らしていました。
  
 日本においても、水俣病〈注1〉やイタイイタイ病〈注2〉などの公害が大きな社会問題となっていました。
 先生は、月刊誌への寄稿(「日本は“公害実験国”か!」)で、人間の内に潜む“環境支配の飽くなき欲望”を克服すべきであると強く訴えられています。
  
 50年前と現代の世相を比較してみると、人類社会に通底している「病巣」は、根本的には変わっていないのではないかと思えてなりません。
 その中にあって、先生は何を考え、どう行動し、平和と共生の道を切り開かれたのか――今を生きる私たちは、その時の先生の行動から、重要な指針を得られるのではないでしょうか。
  

21世紀を「生命の世紀」に

  
 ――1974年の創価学会のテーマが「社会の年」と発表された本部幹部会(73年10月)の終了後、池田先生は「社会に開かない宗教とか団体というものは、教条主義や権威主義に陥ってしまう」「学会は永遠にそういう道は歩みません。真実の民衆仏法の人間団体として、どこまでも社会即人間の、平和社会を目指していく」と語られています。
  
 先生はこの73年の暮れに、中之島の大阪市中央公会堂での本部総会で、こう教えてくださっています。
  
 「現下の社会情勢は、まことに激動の巷となりました。それは『物質至上主義』『経済至上主義』の信仰にかわって、いやでも『人間至上主義』『生命至上主義』の信仰へと進まざるをえない状況となってきたということであります」
 そして、21世紀を「生命の世紀」とするために、社会の年は、「『海外への平和波動の年』と開かれていかねばならぬ」と結論されました。
  
 74年は、経済や物質的繁栄のみを追求する社会が行き詰まりを迎えた、いわば時代の「転機」でありました。その転機を、先生は「生命尊厳」「人間主義」の精神を広げる「好機」とするために、社会へ世界へ、心と眼を大きく開き、対話を広げようと決意されていたのです。
  
 「この世から悲惨の二字をなくしたい」――戦後、学会の再建に当たって、恩師・戸田城聖先生が掲げた願いを、池田先生は「わが誓い」とされ、広宣流布を現実に進め、世界平和への確固たる礎を築いていかれました。
  

50年前の北米訪問の一こま。池田先生の慈愛と期待のまなざしが、未来を創りゆく「若き生命」に注がれる(74年3月、アメリカで)
50年前の北米訪問の一こま。池田先生の慈愛と期待のまなざしが、未来を創りゆく「若き生命」に注がれる(74年3月、アメリカで)

  
 前年の5月に「ヨーロッパ会議」、8月に「パン・アメリカン連盟」、12月に「東南アジア仏教者文化会議」を結成。時を逃さず、世界広布の道を拓くんだ――と。その先生の決意と実践は、そのまま、当時の聖教新聞紙上にも表れています。
  
 「社会の年」の開幕を告げる74年の元日の紙面には、「21世紀への世界宗教の展望」との見出しが躍り、記事の中で、先生は、「世界宗教の道に入る日が刻々と近づいている」と強調されています。
 さらには、「世界宗教の鼓動を速報」と題し、特派員派遣の記事も掲載されている。
  
 3月からの北・中南米指導を終えた直後、4月18日付の聖教新聞には、75年1月にグアムでSGI(創価学会インタナショナル)結成式を行うとの予告記事と、先生が「SGI会長就任」の要請を受けたことが報じられています。
  
 このように、先生は戸田先生に誓われた「世界広布」のビジョンを内外に示し、理解を広げ、幕を開いてくださいました。
  
 もう一つ、これは別の観点ですが、この数年前に学会が無理解の批判にさらされた「言論・出版問題」〈注3〉があり、社会的な軋轢の中で、学会員も少し落ち込んでいた節もありました。
 
 その中で、池田先生は「海外に大きく対話を広げ、日本の同志に勇気と希望を与えるんだ」と決意され、「新しき開拓」の意義を込めて、72年秋に「広布第2章」に入ったことを宣言しておられたのです。
  
 先生の外交戦は、外には理解と信頼を、内には勇気と希望を広げたのです。

外交戦のキーワード

   
 ――危機的な「時代の転機」にあって、“どうなるのか”と推移を傍観するのではなく、世界に平和の礎を築く「好機」とするため、時を逃さず、着実に広布の基盤を築いていかれたのですね。
  
 ここで注視すべきは、先生ご自身が範を示すように、先頭に立って「人間主義」「生命尊厳」の旗を掲げながら、自ら世界に足を運び、外交戦を展開してくださった歴史です。
  
 「社会の年」の74年からSGI結成の75年1月までの1年間だけを見ても、中国の周恩来総理やソ連のコスイギン首相、先に述べたアメリカのキッシンジャー国務長官らと会談し、冷戦下の中で、まさに人類の「宿命転換」の道を開くための対話を重ねられました。
  
 それは、イデオロギーや主義・主張を超えて共感の基盤を築く、本格的な「世界広布の幕開け」ともいえる対話行であったと思います。
  
 74年5月の初訪中の折、迎えてくれた中国側のスタッフの方から「創価学会はどういう団体ですか?」と尋ねられたことがありました。
 どのように答えればよいか思案していると、先生が「学会は『広宣流布を推進する団体』であり、『広宣流布』とは、仏法を基調として平和と文化と教育を推進する団体である、そう意義付けようじゃないか」と、示してくださいました。
  

環境保護に向けた池田先生の思いを継ぎ、2021年にインド創価学会(BSG)が始めた社会貢献活動「BSG FOR SDG」。昨年10月、デリー首都圏でプラスチックの回収活動を行った(BSGのホームページから)
環境保護に向けた池田先生の思いを継ぎ、2021年にインド創価学会(BSG)が始めた社会貢献活動「BSG FOR SDG」。昨年10月、デリー首都圏でプラスチックの回収活動を行った(BSGのホームページから)

  
 創価学会とはどういう団体なのか、広宣流布とはいかなる意味なのか、という点について、的確かつ明瞭に、万人を安心させる言葉で表現してくださったのです。
 先生が紡ぎ出してくださったその言葉が、その後の外交戦のキーワードとなっていきます。
  
 4カ月後の初訪ソの折、コスイギン首相から「池田会長の根本的なイデオロギーは何ですか」と問われた際も、先生は「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」と応じられ、首相から「その原則を高く評価します。この思想を、私たちソ連も、実現すべきです」と賛同の声が寄せられたことは、小説『新・人間革命』第20巻「懸け橋」の章に描かれている通りです。
  
 「宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか」との批判に、「そこに人間がいるからです」と語った池田先生の言葉が、その平和への行動を象徴しています。
  
 (㊦は後日掲載)
  

 注1=水俣病
 熊本県水俣市の化学工場から流された廃液内のメチル水銀化合物を原因とする公害病。メチル水銀化合物を摂取した魚介類を食べた人が、中毒性疾患を発症した。
  
 注2=イタイイタイ病
 鉱山から排出されたカドミウムによって汚染された農作物や水を、長年、摂取することによって起こる病。骨折や全身の痛みを引き起こし、患者が「イタイ、イタイ」と訴えたことから、この名が付いたといわれる。
  
 注3=言論・出版問題
 1969年、創価学会の批判書を出版することを公表した評論家・藤原弘達に対して、学会の幹部が事実に基づく執筆を要望。しかし、藤原はそれを「言論弾圧」と騒ぎ立て、翌70年には、一部のマスコミや政党が、執拗に学会への批判を繰り返した。

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高知県出身。IT企業勤務を経て独立。エンタメから古典文学まで評論や解説を幅広く手がける。新刊『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)発売中。

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