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電子版連載〈Chronicle〉 第4回 確かな思想・哲学を求めて

池田先生の若き日を学ぶ

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 池田先生の若き日を学ぶ連載「クロニクル」(年代記)。第4回は、1945~47年の出来事を中心に取り上げます。第二次世界大戦の終結により、国民の多くが“思想の空白”を抱くように。池田先生は、人生の指標となる確かな思想・哲学を探し求めます。そして、47年8月14日、師匠・戸田先生との出会いを果たすのでした。

文化の芽生え

 アジア・太平洋戦争により、日本は焦土と化した。戦後の物価高騰や食糧難で、人々は日々の生活に必死だった。その一方で、新しい文化の芽生えが見られた。

 戦時中、日本社会は厳しい「言論統制」の下にあり、軍部の検閲を許されたものしか流通されなかった。戦後日本を統治した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、民主化政策の一環として、こうした規制を次々と解除していった。

 その一つがラジオである。1945年9月、規制が緩和され、戦時中、「敵性音楽」とされたジャズやダンス音楽も流れるように。同様に新聞も、統制が解除されてから創刊・復刊が相次いだ。「カストリ雑誌」と呼ばれる大衆娯楽雑誌も出回った。人々は文化に飢えていた。

 GHQは「教育改革」にも着手する。日本政府に対して、軍国主義を鼓吹した教育関係者の追放、学校教育と国家神道(戦前・戦時中は神道を国民精神のよりどころとし、国家の保護・監督のもと、国民に天皇崇拝と神社信仰が強いられていた)の結びつきを除去するなどの措置を取るよう指示した。

 しかし、その一方で、新たな検閲システムをつくり、占領政策に反する言論や報道などを封じ込めていった。

認められた「信教の自由」

 宗教団体に対しても政策転換が図られていった。戦時中までは、宗教団体の統制・管理が厳しく行われていたが、1945年12月、宗教法人令が公布・施行されると、宗教団体の設立が認められ、「宗教団体の自治」が尊重されるようになる。46年11月には、「日本国憲法」が公布。第20条に「信教の自由」が明文化された。

 「自由」が認められる一方で、アジア・太平洋戦争の敗北は、国民に「思想的空白」をもたらした。「万世一系」(永久に同一の系統が続くことを意味し、大日本帝国憲法では「万世一系の天皇之を統治す」と定められていた)、あるいは「八紘一宇」(「世界を一つの家にする」という意味で、戦時中、日本の侵略を正当化するスローガンとして用いられた)といった、これまでの社会の規範や秩序が否定されたからだ。ラジオや新聞・雑誌などのメディアは、戦時中の国民総動員を呼びかける論調から180度転換し、一斉に「民主主義」「自由」を叫び始める。

 現代から見ると、必要かつ望ましい変化ではあるが、こうした、社会制度や思想の変化の急激さは、経済的な貧困などと相まって、社会に混沌をもたらしたとも言える。そうした混乱を一つの背景に、多くの宗教団体が生まれることにもなった。

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SEIKYO SHIMBUN