仕事柄、本は読んできたつもりでも、気づけば要約を探し、最短距離で「答え」を求めてしまう。そんなZ世代の記者に、『映画を早送りで観る人たち』の著者・稲田豊史さんは語りました。「知の森で、迷ってみてください」。新刊『本を読めなくなった人たち コスパとテキストメディアをめぐる現在形』(中公新書ラクレ)で、Z世代の読書の実情を取材した稲田さんに、“迷う”ことの意味を聞きました。
■「ながら」ができない
――まず、新著で示された「本を読めなくなった人たち」とは、どんな人たちを指すのでしょうか。
若い世代、特にZ世代を中心に、テキストメディア全般とどう接しているかを調査しました。浮かび上がってきたのは、「読書は『ながら』ではできない」という意見です。彼らは普段、スマホでドラマやアニメを見ながらSNSでメッセージを返し、学校の課題もこなしています。本を読みたくないわけではない。ただ、本“だけ”に集中すると、他に何もできなくなってしまう。そんな彼らにとって、膨大な文字量に向き合う読書はハードルが高く、「読めないならAIに要約してもらえばいいじゃん」という発想に至るわけです。
――そうした状況を踏まえた上で、本を開くメリットや価値をどう捉えればいいのでしょうか?
本以外にも知識を得る方法はたくさんありますが、読書には、他にはない、かけがえのない魅力があります。その一つが、自分の関心の外側にある「知」と偶然出合えることではないでしょうか。人は、自分が知っていることしか検索できません。検索に頼る限り、「知りたい」ものには最短でたどり着けますが、それでは、自分の世界は広がっていきません。ネットやSNSは、自分の興味に合った情報が届くよう、「アルゴリズム」が設計されています。
一方、本棚には「アルゴリズム」はありません。棚の前に立った瞬間から、それまで想像もできなかった知識や考え方にも出合うことになる。だから、書店や図書館といった「知の森」に飛び込んで、当てどもなく迷ってほしいんです。
■「おもしろみ」の読書
――とはいえ、当てもなく迷うのは「時間ロス」にも感じてしまいます。本を選ぶときも、つい「読んで得するものなのか」を基準にしてしまいます。
僕は、現代人のテキストとの接し方を、「わかりみ」と「おもしろみ」の2つに整理しています。
「わかりみ」は、明日すぐに役立つ知識や情報を、効率よく受け取る読み方。あらかじめ「答え」という目的地が用意されているので、最短ルートでたどり着くのが正解になる。深く考えなくても、「そうだよね」と手軽に共感できます。
一方の「おもしろみ」は、すぐには役に立たないけれど、読みながら常に考え続ける読み方です。「わかりみ」の読み方に慣れている人には、この楽しさは実感しにくいかもしれません。
――すぐに答えの出ない時間そのものを、なぜ楽しめるのでしょうか?
ディズニーランドって、滞在している時間がまるごと楽しいですよね。目当てのアトラクションに全部乗れるとしても、「急いで回ってすぐ帰ろう」と思う人は少ない。読書も同じです。本を開いている間は、その世界に浸かりながら考え続ける。その全てが読書という行為の中身なんです。実際、僕は本に書き込みをするんですが、そのメモには、本の内容と全然関係ないことが書いてあったりします。読んでいる途中で、別の何かを思いつくスイッチが入るからです。「おもしろみ」の読書には、たどり着くべき答えがそもそもない。それでいいんです。
――ただ、思考を巡らすだけなら、本に頼らず、一人でもできる気がします。
それでもいいかもしれませんが、僕は、読書は「はしご」をかける行為だと思っているんです。先人たちの知性が詰まっている本の助けを借りて思索することで、自力では行けない高さに自分を運べる。そうして一段ずつ上がって高みに達するほど、世界の眺望はどんどん開けてくる。よく「賢人であるほど、自分には分からないことが多いと気づく」と言いますよね。世界が狭い人ほど、世界が分かった気になる。はしごを掛け続けた人にだけ、見えてくる景色があるんです。