前回を読む。
冷戦が進行する中、1949年、対ソ抑止のため北大西洋条約機構(NATO)が発足した。(写真は防衛力増強を図るため、ドイツ南西部ザントホーフェンで宿営地を張る米軍)
朝鮮特需での好景気はいたるところに影響を及ぼす。東京・新橋のキャバレーでは、開店祝いに屋上から紙幣をまいて客集めを行った(1951年12月)
サンフランシスコ講和条約に調印する吉田茂首席全権(1951年9月)
続きを読む。
第二次世界大戦後、すぐさま国際社会は、米ソの冷戦に突入。1950年には、「朝鮮戦争」が勃発しました。そうした時代の様相の中、戸田先生は、翌51年5月3日、創価学会の第2代会長に就任します。連載「クロニクル」(年代記)の第7回は、恩師の会長就任前後の池田先生の奮闘と決意に迫ります。
深刻化する米ソ対立
第二次世界大戦後、共に連合国として戦ったアメリカとソビエト連邦は、ヨーロッパの戦後処理などを巡って対立を深めた。
ソ連は、東欧諸国で社会主義政権の樹立を支援し、勢力圏を広げていった。対して、アメリカは1947年に「マーシャル・プラン」(ヨーロッパ復興計画)を発表。経済援助によって、ソ連の影響力拡大を阻止しようとした。こうしたアメリカを中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営との対立は、直接には戦火を交えない「冷戦」(Cold War)となり、80年代まで緊張関係が続くことになる。
戦争と朝鮮特需
冷戦の影響はアジア地域にも及んだ。その一つが朝鮮半島だ。戦後、米ソが南北に分かれて統治していたが、48年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に分かれて独立。50年6月、北朝鮮の進軍を機に「朝鮮戦争」が勃発した。
戦争は約3年間続き、休戦協定が結ばれたものの、終結することなく、現在も「休戦」状態が続いている。この戦争中、アメリカの占領統治下にあった日本は、国連軍の軍事基地・補給基地となり、軍事物資やサービスの大量の注文が舞い込んだ。輸出額は50年8月以降、大きく増加。その年の年間輸出額は前年比の6割増となった。この「朝鮮特需」の結果、ドッジ不況に苦しんだ日本経済は復活を果たした。