池田華陽会・ヤング白ゆり世代の読者と共につくりあげる連載「社会学者・とみながさんとイドバタ会議」。今回のテーマは「世代間ギャップ」です。本連載のアンケートを通じて、「世代間ギャップ」に関する声を寄せてくださった20代・30代の女性読者の中から3人に協力してもらい、社会学者で立命館大学准教授の富永京子さんとイドバタ会議を行いました。
これまでは、ギャップをひもときながら、異世代交流の良さについても話し合いました。今回は「学会員っておせっかいな人が多いですよね?」との一言から、それぞれの体験談が次々と出てきて……。「世代間ギャップ」に関するイドバタ会議、ラスト回です。
歴史があるから変えられない? いや、だからこそ変えられる!
C:連載の第1回(8月16日配信の記事)では、“学会は究極のおせっかい集団”との言葉がありました。この“おせっかい”って、ギャップを考える上でキーワードなのかなと思っています。
B:ありがたいおせっかいと、遠慮したいおせっかいがありますよね(笑)。
富永:「まだ結婚しないの?」と聞かれることなどは、遠慮したいおせっかいでしょうか(笑)。会社とかでもまだありますよね。結婚・出産の時期が人事に影響したりとか……。
C:たしかにそうですね。ただ、私はそのおせっかいに助けられた経験があります。20年前に実家の福岡にいた時、父がうつ病を発症し、一日中起き上がれない日々を過ごしていました。そんな時、学会の壮年部の方が、毎日ふらっと家に来てくれて。父の部屋にあった御本尊に向かって、題目を唱えて、「また明日ね」とだけ言って帰っていくんです。それが1年近く続きました。その間に、治療も功を奏し、父も少しずつ元気を取り戻し、回復していきました。当時、私は学会の活動に参加することに消極的でしたが、家族の一人として、そうした光景を見ていて、こんなに温かい世界はないと感じ、活動に参加するようになりました。こういったつながりは、医療とも福祉の分野とも違う、また別の共助の形だと感じます。
A:とても共感します。私が、社会人になったのは2020年の4月で、ちょうどコロナ禍の中で緊急事態宣言が発令された時期だったんです。やっとの思いで人材派遣会社の営業として働き始めたものの、仕事もなく、営業先の介護施設からは「来ないで」と言われたこともありました。思い描いていた社会人生活とは全く違うことに絶望して……。社会人2年目になって、うつ病を発症しました。仕事に行けない私に、両親もなんと声をかけていいのか分からなかったようで、お互いに苦しかったです。
当時は、学会活動に対して反抗的で、自分の世界に閉じこもる私を、母が池田華陽会の会合に誘ってくれました。最初は抵抗していたものの、母の真剣な思いに押され、結局、渋々参加しました(笑)。でも、温かい雰囲気のおかげで、苦しい気持ちを初めて打ち明けることができたんです。ある同世代の方は「うちの旦那もうつ病なんだ。気持ちとっても分かるよ」と声をかけてくれて。その言葉に本当に救われました。
富永:仕事がうまくいかなくて落ち込んだ時、現代だとカウンセリングに行く人が多いかもしれませんが、それって、お金がなければできないことですよね。もちろん労働組合や町内会などの中間集団だって何らかのお金はかかるし、その点は宗教団体も同じなんだろうけど、それは消費者として払うお金ではなく、基本的には「共助」が中心にある。だから、皆さんが語られた“いざ困った時に支え合える”という意味では、すごくコスパがいい共同体だと思いました。身近な人間関係の中で、お互いに支え合えることは貴重なことです。
また、企業などの経済的な利害でつながっている共同体は、競争が発生するので、強さは共有できても、弱さを共有できる共同体ではないでしょう。しかし、自分が弱い時に支えてくれる強い人がいて、あるいはその立場が入れ替わる場合もある。そういう共助で社会は成り立っていくことを知るためにも、世代を超えて助け合う中間集団は今の時代にこそ必要です。
ちなみに、先ほどお二人の話で「活動に参加することに消極的だった」という点が共通していましたが、そういった時期を経験される方が多いんですか?
B:結構な割合で経験していると思います。私もありましたし、現在進行中の友人もいます。
富永:それを許してくれるというのが面白いですよね。それは、やはり家族間で継承されている側面が強いからかもしれません。つまり、身近にずっと継続している人がいれば、一度離れたとしても、また気が向いた時に戻ってくることもできるわけですよね。
A:私は、両親共に熱心に活動をしていたので、どこかで「自分もそうならなきゃ」「いい子でいなきゃ」というプレッシャーがありました。地域でも、「○○さん家の××ちゃん」として知られていることが息苦しく感じ、反発が始まったんですよね。ただ、家に帰れば、両親は題目をあげてるし……。今思えば、信じて待ってくれる人がいて、帰ってこられる場所があったことは、ありがたかったなと思います。