復興のつち音の響く中、戦後日本には出版や映画、音楽などの文化が花開きます。そうした中、池田先生は戸田先生が経営する「日本正学館」に入社(1949年1月)。雑誌「冒険少年」「少年日本」の編集長を務めていくことになります。連載「クロニクル」(年代記)の第5回は、池田先生の編集者時代にスポットを当てます。
活字文化の復興
終戦によって、軍部政府による「言論統制」から解放された出版界では、図書や雑誌が次々と生まれた。当時、紙は統制品に指定されていたものの、1947年に発売された『西田幾多郎全集』(岩波書店)などを、多くの人が買い求めた。「ベストセラー」という言葉も徐々に浸透していった。
また、角川文庫(49年創刊)をはじめ、多くの出版社から文庫本が販売されていった。
この頃、大阪を中心に人気を博したのが、「赤本」と呼ばれるマンガだった。統制品に指定されていない古紙再生紙を使い、表紙に赤色を多用したことからその名が付いた。
この赤本で単行本デビューを果たしたのが、20世紀の日本の漫画界・アニメ界に絶大な影響を残した手塚治虫であった。47年に「新寶島」(構成:酒井七馬、育英出版)を出版。以後、「ジャングル大帝」などの名作を世に送り出していった。
映画、音楽の盛り上がり
戦前から娯楽として人気の高かった映画は、終戦を経て、再び大衆の支持を得た。国民のニーズに呼応するかのように、各地で映画館の建設が進み、1950年には、戦前のピーク時と同じ水準まで戻った。次々と新しい作品が封切りとなり、日本映画の“黄金時代”が到来した。その中で、黒澤明や小津安二郎といった日本を代表する監督が誕生した。黒澤の「羅生門」(50年)は、ヴェネツィア国際映画祭で「金獅子賞」を受賞し、日本映画が国際的に認知されるようになった。
音楽においても、さまざまなヒット曲が生まれた。48年に発売された「東京ブギウギ」もその一つ。陽気なリズムが、戦後の精神的空白を抱く多くの人の心をつかんだ。
歌は笠置シヅ子。戦前からエネルギッシュなステージが人気を呼んだが、41年末の日米開戦後、アメリカ的な音楽は制限されてしまう。笠置自身も「敵性歌手」として当局に目をつけられていた時期もあった。しかし戦後、「東京ブギウギ」でスーパースターに上り詰め、「ブギの女王」と呼ばれた。この曲は、「リンゴの唄」や「青い山脈」とともに、日本の戦後復興を象徴する楽曲となった。
日本一の少年雑誌をつくろう