グローバル化やIT技術の急速な進歩など、社会変化の激しい現代において、私たちはどのように「自分の道」を選択し、生きていけばいいのか――。『何者かになりたい』(イースト・プレス)の著者である精神科医の熊代亨さんに話を聞きました。
肩書や実績が欲しい
――誰もが膨大な情報に、いつでもどこでもアクセスできるようになり、生き方の選択肢や人生の可能性が広がった現代は、「何者にでもなれる時代」ともいえます。その中で、“自分って何だろう?”“あの人みたいになりたい”という、もどかしい思いを抱えている若者も多いと思います。
幼い頃は、自分が何者なのかを知らなくても、そのままでいることができます。ところが思春期を迎えると、他者との関わりが増え、自分自身を客観視できるようになります。それに伴い、「自分とは何か」「自分らしさとは何か」といった問いが心の中に芽生え、深く考え始めるのです。そうした「自分とは何者なのか」「何者かになりたい」と悩む状態を、私は「何者問題」と呼んでいます。
この気持ちは心理学の言葉で言い換えると、「アイデンティティー(『自分はこういう人間である』と言えるもの)を獲得したい」ということです。実際、「何者かになりたい」と願っている人の心情は、「自分の一部とみなせるような肩書や実績が欲しい」ということがほとんどです。一方で、「自分は何者でもない」と悩んでいる人は、「自分自身を構成する要素が足りない状態」であることが多いです。家庭も学校も職場も、自分の一部とは到底言えない状態だったり、趣味や交友関係といった自分の一部になりそうな他の要素も、充実していなかったりするのです。
この悩みは思春期の若者に限らず、キャリアや家族関係の変化、老いといった、大きなライフステージの変化のある40代・50代の人々にもあります。思春期・青年期を経て、子どもが生まれて「親」となりますが、それは永遠に自分自身を表すものではありません。
例えば子どもが大学を巣立ったとき、親というアイデンティティーは希薄になります。また、若い頃にスポーツをしていて健康には自信のあった方が、40代になって体が衰え、初めて自分の脆弱性を突きつけられた時、「健康な自分」というアイデンティティーを見失うことがあります。
これらの変化に注目すると、思春期と更年期障害が出てくるあたりが、比較的「何者問題」で悩む人が多いのではないか、と思うのです。第二次性徴が起こる思春期には、幼い頃に得たアイデンティティーが大きく変化します。体つきや声が変わり、そして認知機能の発達でコミュニケーションの仕方も変わります。また更年期になろうとしている人には、老化が見えてきます。自分の体の中で老年や死の気配が近づいてきているのを感じますよね。このくらいの年齢のことは、思春期の春を秋に変えて、「思秋期」とも呼ばれます。
自由だからこそ悩む
――話を若者世代に戻すと、例えば、社会的地位を得れば「何者かになった」と実感できそうですが、熊代さんは、肩書を得るだけでは「何者問題」は解決できないと述べてます。
現代は、職場における人材の流動性が高まり、当たり前に転職をする時代です。そのため、仕事という観点だけでは、「何者かになった」と感じることは難しいでしょう。
さらに今日では、より多くの人が自由に働ける社会になりました。入試や就活での選択に加え、副業をしたり、創業間もない企業で事業の立ち上げをしたりするなど、自由にキャリアを選択できます。このように「自分はこういう人間だ」と表す生き方が多様化したからこそ、現代人は悩んでしまうのです。