CAREER

〈パイオニアの誇り〉 “トインビー対談”から54年。「あの日、私は文字起こしをしました」

イギリス スー・ソーントンさん

 タイプライターの音が響く。あれは54年前(1972年)の5月だった。ロンドンの空が濃紺に染まる中、ホテルの一室はいつまでも熱気に満ちていた。テープから聞こえる、池田先生とアーノルド・J・トインビー博士の語らいの声。当時、入会間もなかったスー・ソーントンさん(欧州副議長)は、熱をはらんだその部屋で、トインビー博士の言葉を紙に打ち付けた。

「お若く見えます」って、うれしい言葉ね。今年で81歳になりました。今、アメリカに、かわいい孫が2人いるんです。信心を始めて57年。いつまでも若々しくいなくっちゃね。

 1945年、第2次世界大戦が終結した年に生まれました。イギリスは終戦後も食料配給制が続き、貧しい幼少時代だった。

 だけど、楽しみもあったんです。親族が役者で、よく舞台を見に行きました。公演が終わると、楽屋をのぞいて、興奮して。いつしか舞台の裏方の仕事に憧れるようになりました。

 演劇学校卒業後は、劇場やテレビ局で働きました。だけど、願っていた仕事がつかめなかった。そんな時、友人から聞いたのが日蓮仏法の話でした。

 当時の私は、宗教が嫌で嫌で仕方ありませんでした。だって、信仰が理由で、大好きだった人と結ばれなかったから。もちろん創価学会とは無縁の話です。それでも友人から会合に誘われるたび、「絶対に行かない!」と反発しました。

 だけど、不思議ね。初めて誘いを受けてから9カ月後、会合に参加してみたんです。驚きました。皆が未来に希望を抱いていた。私にはない明るさがあった。

 24歳だった秋、その場で入会を決めました。

 当時、ロンドンには地区が二つあり、メンバーは数十人でした。皆、仏法のことを深く理解していたわけではなかったけれど、喜々として折伏に走っていた。祈りのすごさを身で感じ、仏法を語らずにはいられなかった。その歓喜に触れて、また新しい人が信心を始める。喜びの連鎖は止まりませんでした。

 入会から3年がたった、ある日のことです。“池田先生がイギリスに来られる”と聞きました。それも“歴史学者のトインビー博士と対談される”と――。

 翻訳のサポートとして、録音の文字起こしを頼まれた時、私は二つ返事で引き受けました。後に、どれほど歴史的な意義を持つかなど想像すらせずに……。

 72年の5月5日から始まった二人の対談。翻訳の作業部屋には、その日の対談を録音したリールテープが届けられました。テープから聞こえてくる、力強い先生の声。トインビー博士のゆっくりとした口調。十界論、生死論……。“先生は仏法を語られたんだ”と感激しました。

 私は夜の劇場に戻る直前まで、タイプライターの前に座り続けました。毎晩、作業部屋を飛び出しては、街灯が光る街を急いだ。頰を切る風が気持ち良くて。疲れなんて、みじんも感じなかった。

 演劇の聖地、ロンドンのウエスト・エンドで、公演の運営全般を担うカンパニー・マネジャーに昇進したのは、この年です。男性優位な劇場の世界で、女性初のカンパニー・マネジャーでした。

 73年の対談でも、文字起こしをお手伝いさせていただきました。テープ越しに触れた、先生のぬくもりと信心への確信。それは、未来の私への最大のエールとなりました。

36歳の時です。私は妊娠をし、シングルマザーとして生きることを決めました。追いつかない心と大きくなっていくおなか。立派な母親になれるのか。仕事はどうしようか。毎日が不安で不安で、たまらなかった。

 だけど私は一人じゃなかった。いつだって心に先生がいたから。“妙法の力は絶対なんだ”“全てを勝利に変えていくんだ”と、祈って、祈って、祈り抜きました。

 そして、より安定した仕事を探した時、英国最高峰の演劇の教育機関、ロンドン市立ギルドホール音楽演劇学校に就職できたのです。後に、演劇学部の理事となりました。

 95年には、イギリスSGI婦人部長の任命を受けました。仕事、子育て、学会活動、大学院への進学……。とにかく時間との戦いだった。だけど、あの日を思えば、力が湧いた。私はイギリス中を駆け巡りました。

職場では、ねたみから同僚に嫌がらせを受けたこともあります。耐えても、耐えても、状況は悪化する一方で、毎日がつらくて、孤独だった。

 だけど、師匠の存在ってありがたいですね。“もう辞めよう”と思った日の夕方。私の電話が鳴りました。受話器の向こう側はイギリスSGIのスタッフ。先生からご伝言を預かっているとのことでした。

 私は、抑えていた涙を止めることができなかった。“負けちゃいけない”“負けられないんだ”って、何度も涙を拭きました。

 しばらくして職場環境は改善し、退職時には、これまでの仕事が評価され、「ロンドン市名誉市民」の表彰を受けました。

 私を母にしてくれた息子は今、ハリウッドで脚本家として活躍し、地区部長として頑張っています。

 この歳になると、よく若い人から「どうしたら、あなたのような輝かしい人生を歩めますか?」と聞かれます。

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