人間の思考について、近年は科学的にさまざまな知見が蓄積されているが、その視点から仏法の「一念三千」の法理はどのように捉えられるのか。「危機の時代を生きる 希望の哲学――創価学会ドクター部編」の今回のテーマは「神経科学から見た一念三千」。脳神経外科医・リハビリテーション科医の白石哲也さんの寄稿を上下2回にわたって紹介する。
人間の思考について、近年は科学的にさまざまな知見が蓄積されているが、その視点から仏法の「一念三千」の法理はどのように捉えられるのか。「危機の時代を生きる 希望の哲学――創価学会ドクター部編」の今回のテーマは「神経科学から見た一念三千」。脳神経外科医・リハビリテーション科医の白石哲也さんの寄稿を上下2回にわたって紹介する。
「十界論」と自我意識
「十界論」と自我意識
「心」は誰もが持っていて、容易にイメージできます。しかし、その実体はと問われると、捉えどころがなく説明が困難です。この心は、仏法では「一念三千」として理論的に解き明かされています。一方、神経科学では認識、感情、意思決定、記憶、対人理解などの心の具体的な機能は、脳をその発現の首座としていることが分かっています。
私は脳神経外科医として脳の病気の治療に当たり、その後はリハビリテーション科医として脳の機能回復と生活支援に取り組んできました。現在は、健康診断医として健康の維持・増進をサポートする仕事に力を注いでいます。そうした経験を踏まえつつ、仏法の一念三千論が、最新の神経科学から見てどのように捉えられるかを考察しました。
「心」は誰もが持っていて、容易にイメージできます。しかし、その実体はと問われると、捉えどころがなく説明が困難です。この心は、仏法では「一念三千」として理論的に解き明かされています。一方、神経科学では認識、感情、意思決定、記憶、対人理解などの心の具体的な機能は、脳をその発現の首座としていることが分かっています。
私は脳神経外科医として脳の病気の治療に当たり、その後はリハビリテーション科医として脳の機能回復と生活支援に取り組んできました。現在は、健康診断医として健康の維持・増進をサポートする仕事に力を注いでいます。そうした経験を踏まえつつ、仏法の一念三千論が、最新の神経科学から見てどのように捉えられるかを考察しました。
一念三千論の中核は「十界論」です。これは心の境涯を10種に分類したもので、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界から成ります。
このうち、前半六つは「六道」と言い、日蓮大聖人は六道について「瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡かは畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり」(新127・全241)と記されています。
地獄界は、思い通りにいかない不安や恐怖、苦しみに対し、やり場のない怒りを募らせる状態。餓鬼界は、際限のない欲望で心が満たされない状態。畜生界は理性が働かず、目先の利害にとらわれて本能のままに生きる境涯です。これら三つは「三悪道」と呼ばれ、いわば感情や欲望に振り回されて“自分を見失ってしまった境涯”と言えます。
それに対し、修羅界は自我意識は芽生えているものの、強者にへつらい、自分を守ろうとする利己心が強い状態。人界は穏やかで平静な生命状態にあり、自己を律しつつ、向上心を持っている境涯を指します。そして、その向上心の結果、欲望が満たされた時に感じる喜びが天界です。
しかし、たとえ心が平穏でも、ひとたび環境が変われば、地獄界や餓鬼界に転落してしまいます。また人界や天界といった境涯も、自然や社会環境などによって守られ、いわば外から支えられているという意味で、真に主体的な自我とは言えません。そこに十界の後半に出てくる声聞・縁覚・菩薩・仏界という「四聖」の重要性があるのです。
四聖のうち、声聞界と縁覚界は「二乗」と呼ばれ、大聖人は「世間の無常は眼前に有り。あに人界に二乗界無からんや」(同)と仰せです。あらゆるものは無常であると感ずることは、少なくとも環境に左右される六道の境涯からは一歩開いたものでしょう。
声聞界は、あらゆる人の声を聞き、経験や知識を用いて自己を高めようとする境涯で、縁覚界は、さまざまな物事を縁とし、自分自身と向き合い、自らの力であらゆる生命現象の真理を悟る境涯のことです。しかし、たとえ真理が分かっても、周囲の環境が変わるわけではありません。その意味で、自他共の幸福を願い、現実世界を変える「利他」の実践を貫く菩薩界が、その次に来るのです。これは自己の殻を破ろうとする境涯であり、周囲の人々をも包み込む大きな自我です。
最後に仏界は、どのような状況下でも崩れることがない安穏の状態です。この境涯は「宇宙即我」とも表現でき、宇宙をも包み込んだ自我のことです。ただ仏界の境涯を想像しようとしても、難しいのが現実です。大聖人も「ただ仏界ばかり現じ難し。九界を具するをもって、強いてこれを信じ、疑惑せしむることなかれ」(同)と仰せです。
こうして十界論を見ていくと、迷いや苦しみに閉じこもった小さな自我ではなく、周囲や宇宙をも包み込む広々とした自我へ成長することが、真の幸福への道であると教えていることが分かります。
一念三千論の中核は「十界論」です。これは心の境涯を10種に分類したもので、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界から成ります。
このうち、前半六つは「六道」と言い、日蓮大聖人は六道について「瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡かは畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり」(新127・全241)と記されています。
地獄界は、思い通りにいかない不安や恐怖、苦しみに対し、やり場のない怒りを募らせる状態。餓鬼界は、際限のない欲望で心が満たされない状態。畜生界は理性が働かず、目先の利害にとらわれて本能のままに生きる境涯です。これら三つは「三悪道」と呼ばれ、いわば感情や欲望に振り回されて“自分を見失ってしまった境涯”と言えます。
それに対し、修羅界は自我意識は芽生えているものの、強者にへつらい、自分を守ろうとする利己心が強い状態。人界は穏やかで平静な生命状態にあり、自己を律しつつ、向上心を持っている境涯を指します。そして、その向上心の結果、欲望が満たされた時に感じる喜びが天界です。
しかし、たとえ心が平穏でも、ひとたび環境が変われば、地獄界や餓鬼界に転落してしまいます。また人界や天界といった境涯も、自然や社会環境などによって守られ、いわば外から支えられているという意味で、真に主体的な自我とは言えません。そこに十界の後半に出てくる声聞・縁覚・菩薩・仏界という「四聖」の重要性があるのです。
四聖のうち、声聞界と縁覚界は「二乗」と呼ばれ、大聖人は「世間の無常は眼前に有り。あに人界に二乗界無からんや」(同)と仰せです。あらゆるものは無常であると感ずることは、少なくとも環境に左右される六道の境涯からは一歩開いたものでしょう。
声聞界は、あらゆる人の声を聞き、経験や知識を用いて自己を高めようとする境涯で、縁覚界は、さまざまな物事を縁とし、自分自身と向き合い、自らの力であらゆる生命現象の真理を悟る境涯のことです。しかし、たとえ真理が分かっても、周囲の環境が変わるわけではありません。その意味で、自他共の幸福を願い、現実世界を変える「利他」の実践を貫く菩薩界が、その次に来るのです。これは自己の殻を破ろうとする境涯であり、周囲の人々をも包み込む大きな自我です。
最後に仏界は、どのような状況下でも崩れることがない安穏の状態です。この境涯は「宇宙即我」とも表現でき、宇宙をも包み込んだ自我のことです。ただ仏界の境涯を想像しようとしても、難しいのが現実です。大聖人も「ただ仏界ばかり現じ難し。九界を具するをもって、強いてこれを信じ、疑惑せしむることなかれ」(同)と仰せです。
こうして十界論を見ていくと、迷いや苦しみに閉じこもった小さな自我ではなく、周囲や宇宙をも包み込む広々とした自我へ成長することが、真の幸福への道であると教えていることが分かります。
脳の三つの階層と「十界」
脳の三つの階層と「十界」
では、十界を神経科学の立場から見ると、どうなるでしょうか。ここでは、複雑な脳の仕組みをできるだけ理解しやすくするため、大脳生理学者の時実利彦氏が示した「脳の階層構造」を手がかりにして考えます。
氏は著書『目でみる脳 その構造と機能』(東京大学出版会)で、生命活動を統合する観点から、中枢神経系(脳と脊髄)を「生きている脳」「たくましく生きてゆく脳」「うまく・よく生きてゆく脳」の三つの階層に分けました。
「生きている脳」は、脳の最も内側にある脳幹と脊髄などのこと。ここは呼吸や体温調節、身体の各部位との情報伝達など、生命活動の根源的な部分をつかさどっています。
その外側にある大脳辺縁系などが、次の「たくましく生きてゆく脳」。ここは、おなかがすいたから食べる、危険を感じたら逃げる、といった生き延びるための本能行動や、喜びや恐怖、怒りといった感情の動きに関係しています。
最後の「うまく・よく生きてゆく脳」は、「たくましく生きてゆく脳」を覆うように存在する大脳皮質のこと。状況に応じて柔軟に意思決定を行う適応行動と、他者と協力しながら社会を築くといった創造行動を担うところで、人間の理性をつかさどっています。
この三つで見ると、地獄・餓鬼・畜生界は生きることが最優先の心の状態なので「生きている脳」が強く、恐怖、怒り、欲望などの感情が前面に出るため、「たくましく生きてゆく脳」も働いていることが分かります。
修羅界は「自分を認めてほしい」「負けたくない」との思いが強く、生存本能の「たくましく生きてゆく脳」が先に働き、「うまく・よく生きてゆく脳」の理性的な力が効かない状態と考えられます。
一方、人界は「うまく・よく生きてゆく脳」が働いて感情や衝動に流されすぎず、「たくましく生きてゆく脳」を上手に調整している状態。天界は、喜びの感情が関係することから「たくましく生きてゆく脳」の働きが強いと言えますが、向上心の先に得られた達成感や生命の充実感など、他の二つの「脳」からもたらされる結果でもあり、全体のバランスが取れた状態と考えられます。
また二乗は、真理の探究なので「うまく・よく生きてゆく脳」がフル回転している状態であり、相手を思いやり、助けようとする菩薩界もまた、この部分の脳が強く働いていると考えられます。
では、十界を神経科学の立場から見ると、どうなるでしょうか。ここでは、複雑な脳の仕組みをできるだけ理解しやすくするため、大脳生理学者の時実利彦氏が示した「脳の階層構造」を手がかりにして考えます。
氏は著書『目でみる脳 その構造と機能』(東京大学出版会)で、生命活動を統合する観点から、中枢神経系(脳と脊髄)を「生きている脳」「たくましく生きてゆく脳」「うまく・よく生きてゆく脳」の三つの階層に分けました。
「生きている脳」は、脳の最も内側にある脳幹と脊髄などのこと。ここは呼吸や体温調節、身体の各部位との情報伝達など、生命活動の根源的な部分をつかさどっています。
その外側にある大脳辺縁系などが、次の「たくましく生きてゆく脳」。ここは、おなかがすいたから食べる、危険を感じたら逃げる、といった生き延びるための本能行動や、喜びや恐怖、怒りといった感情の動きに関係しています。
最後の「うまく・よく生きてゆく脳」は、「たくましく生きてゆく脳」を覆うように存在する大脳皮質のこと。状況に応じて柔軟に意思決定を行う適応行動と、他者と協力しながら社会を築くといった創造行動を担うところで、人間の理性をつかさどっています。
この三つで見ると、地獄・餓鬼・畜生界は生きることが最優先の心の状態なので「生きている脳」が強く、恐怖、怒り、欲望などの感情が前面に出るため、「たくましく生きてゆく脳」も働いていることが分かります。
修羅界は「自分を認めてほしい」「負けたくない」との思いが強く、生存本能の「たくましく生きてゆく脳」が先に働き、「うまく・よく生きてゆく脳」の理性的な力が効かない状態と考えられます。
一方、人界は「うまく・よく生きてゆく脳」が働いて感情や衝動に流されすぎず、「たくましく生きてゆく脳」を上手に調整している状態。天界は、喜びの感情が関係することから「たくましく生きてゆく脳」の働きが強いと言えますが、向上心の先に得られた達成感や生命の充実感など、他の二つの「脳」からもたらされる結果でもあり、全体のバランスが取れた状態と考えられます。
また二乗は、真理の探究なので「うまく・よく生きてゆく脳」がフル回転している状態であり、相手を思いやり、助けようとする菩薩界もまた、この部分の脳が強く働いていると考えられます。
脳の力を引き出す菩薩の心
脳の力を引き出す菩薩の心
この菩薩界のような“相手を思いやる心”が働く時、神経科学では「うまく・よく生きてゆく脳」に存在するミラーニューロンが大きな役割を果たすことが分かっています。ミラーニューロンは、他の人の行動を見ただけで、あたかも自分が同じ経験をしているかのように活動します。そのため、相手の心を理解したり、相手に寄り添ったりする共感に基づく行動が起こります。
興味深いのは、共感が強く働いた時、脳が全体として協力し、思いがけない力が発揮されることがある点です。
実際、私の姉は、車が急停車する音を聞いた瞬間、危険にさらされた息子を助けようと胸の高さほどの机を飛び越えたことがありました。いわゆる“火事場の馬鹿力”です。これは息子の危機を自分の危機として感じ取ったことでミラーニューロンが強く働き、「生きている脳」「たくましく生きてゆく脳」が一気に活性化し、身体能力が大きく引き出されたと考えられます。
その先にある仏界を、菩薩界の一面から描くとすれば、「うまく・よく生きてゆく脳」はもちろん、脳全体が最高のパフォーマンスを発揮している状態と想像することができます。こうして見ていくと、十界の境涯が高まるにつれ、「生きている脳」から「たくましく生きてゆく脳」「うまく・よく生きてゆく脳」へと、その働きが強くなり、この三つの働きが全体的に引き出されていくことが分かるのではないでしょうか。
この菩薩界のような“相手を思いやる心”が働く時、神経科学では「うまく・よく生きてゆく脳」に存在するミラーニューロンが大きな役割を果たすことが分かっています。ミラーニューロンは、他の人の行動を見ただけで、あたかも自分が同じ経験をしているかのように活動します。そのため、相手の心を理解したり、相手に寄り添ったりする共感に基づく行動が起こります。
興味深いのは、共感が強く働いた時、脳が全体として協力し、思いがけない力が発揮されることがある点です。
実際、私の姉は、車が急停車する音を聞いた瞬間、危険にさらされた息子を助けようと胸の高さほどの机を飛び越えたことがありました。いわゆる“火事場の馬鹿力”です。これは息子の危機を自分の危機として感じ取ったことでミラーニューロンが強く働き、「生きている脳」「たくましく生きてゆく脳」が一気に活性化し、身体能力が大きく引き出されたと考えられます。
その先にある仏界を、菩薩界の一面から描くとすれば、「うまく・よく生きてゆく脳」はもちろん、脳全体が最高のパフォーマンスを発揮している状態と想像することができます。こうして見ていくと、十界の境涯が高まるにつれ、「生きている脳」から「たくましく生きてゆく脳」「うまく・よく生きてゆく脳」へと、その働きが強くなり、この三つの働きが全体的に引き出されていくことが分かるのではないでしょうか。
「十界互具」と響き合う心の多層性
「十界互具」と響き合う心の多層性
ここまで述べた十界論は、あくまで一瞬の心を表現したもので、刻々と変化する状況を説明するものではありません。仏法で、そうした心の変化を説明するのが「十界互具」です。これは、一つの生命状態の中に他の九つも潜在的に存在するということ。すなわち、善の心も悪の心も共に存在し、それらが環境や縁によってダイナミックに変化するという考え方です。
神経科学でも、これと同じような考え方が示されています。近年注目される「大規模脳ネットワーク」という視点で、脳には特定の目的のために連携する“専門家チーム”がたくさんあり、状況に応じて各チームが主役の座を交代しながら働いているというものです。現在では、十数種類の専門家チームが存在していることが知られています。
例えば、リラックスしている時、ふと過去の記憶がよみがえったり、答えが出なかった問題のヒントが浮かんだりした経験のある方は多いと思います。そんな時、外から見ると“ぼんやりしている”ように見えても、脳ではデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる専門家チームが活発に働いています。
このDMNと並んでよく研究されているのが、セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(CEN)とサリエンス・ネットワーク(SN)です。CENは、目標を持って課題に集中して取り組んでいる時や、複雑な作業をこなしている時などに働く“思考の司令塔”のような役割があります。SNは多くの情報の中から特に重要だという情報を瞬時に選び出し、注意の向きを切り替える“交通整理”の役目を担います。例えばリラックスしてDMNが働く時、足元に虫が走ってきたとします。この時、SNがその刺激を重要と判断して注意を向け、DMNの活動を弱め、CENが動き出して足を引くという行動につながります。
ここで重要なのは、これらのネットワークは、常に共存しながら状況に応じて切り替わっていく点です。こうした知見は、心は多層的で、状況に応じて、さまざまな働きが表れる十界互具の考え方とも響き合うものでしょう。
また、この大規模脳ネットワークは非常に速いペースで連続的に遷移することが分かっています。
御書には、刻々と変化する心の様子を「一人一日の中に八億四千念あり」(新520・全471)と記されていますが、まさにそれを証明するようで、興味深いものではないでしょうか。
ここまで述べた十界論は、あくまで一瞬の心を表現したもので、刻々と変化する状況を説明するものではありません。仏法で、そうした心の変化を説明するのが「十界互具」です。これは、一つの生命状態の中に他の九つも潜在的に存在するということ。すなわち、善の心も悪の心も共に存在し、それらが環境や縁によってダイナミックに変化するという考え方です。
神経科学でも、これと同じような考え方が示されています。近年注目される「大規模脳ネットワーク」という視点で、脳には特定の目的のために連携する“専門家チーム”がたくさんあり、状況に応じて各チームが主役の座を交代しながら働いているというものです。現在では、十数種類の専門家チームが存在していることが知られています。
例えば、リラックスしている時、ふと過去の記憶がよみがえったり、答えが出なかった問題のヒントが浮かんだりした経験のある方は多いと思います。そんな時、外から見ると“ぼんやりしている”ように見えても、脳ではデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる専門家チームが活発に働いています。
このDMNと並んでよく研究されているのが、セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(CEN)とサリエンス・ネットワーク(SN)です。CENは、目標を持って課題に集中して取り組んでいる時や、複雑な作業をこなしている時などに働く“思考の司令塔”のような役割があります。SNは多くの情報の中から特に重要だという情報を瞬時に選び出し、注意の向きを切り替える“交通整理”の役目を担います。例えばリラックスしてDMNが働く時、足元に虫が走ってきたとします。この時、SNがその刺激を重要と判断して注意を向け、DMNの活動を弱め、CENが動き出して足を引くという行動につながります。
ここで重要なのは、これらのネットワークは、常に共存しながら状況に応じて切り替わっていく点です。こうした知見は、心は多層的で、状況に応じて、さまざまな働きが表れる十界互具の考え方とも響き合うものでしょう。
また、この大規模脳ネットワークは非常に速いペースで連続的に遷移することが分かっています。
御書には、刻々と変化する心の様子を「一人一日の中に八億四千念あり」(新520・全471)と記されていますが、まさにそれを証明するようで、興味深いものではないでしょうか。
一念の置きどころが未来を開く
一念の置きどころが未来を開く
「頭は生きているうちに使え」とは、私が子どもの頃、母からよくかけられた言葉です。当時は「よく勉強しなさい」「しっかり考えなさい」という意味だと単純に受け取っていましたが、学会活動で周囲のために尽くす母の姿を見続ける中、そこには“誰かのために頭を使え”との意味も込められていたのだと気付きました。脳は年齢とともに衰えるものではありません。使った分だけ発達しますし、利他の実践は脳全体の力を引き出すものです。
思えば、学会員は日々の活動の中で友の幸福を祈り、友のために尽くしています。これは、脳の持つ力を開花させる観点で、素晴らしい実践だと感じずにはいられません。
池田先生は「自分の『心』や『一念』の置きどころ一つで、自分の未来、人生そのものが形づくられていく」と指導されました。
私は医師として、仏法者として、地域の同志と共に、わが一念を一人でも多くの人が幸福へ向かうために使っていきたいと決意しています。
(㊦は7日付に掲載予定)
「頭は生きているうちに使え」とは、私が子どもの頃、母からよくかけられた言葉です。当時は「よく勉強しなさい」「しっかり考えなさい」という意味だと単純に受け取っていましたが、学会活動で周囲のために尽くす母の姿を見続ける中、そこには“誰かのために頭を使え”との意味も込められていたのだと気付きました。脳は年齢とともに衰えるものではありません。使った分だけ発達しますし、利他の実践は脳全体の力を引き出すものです。
思えば、学会員は日々の活動の中で友の幸福を祈り、友のために尽くしています。これは、脳の持つ力を開花させる観点で、素晴らしい実践だと感じずにはいられません。
池田先生は「自分の『心』や『一念』の置きどころ一つで、自分の未来、人生そのものが形づくられていく」と指導されました。
私は医師として、仏法者として、地域の同志と共に、わが一念を一人でも多くの人が幸福へ向かうために使っていきたいと決意しています。
(㊦は7日付に掲載予定)
〈プロフィル〉
〈プロフィル〉
しらいし・てつや 1957年生まれ。岡山大学医学部医学科卒業。佐賀医科大学脳神経外科講師、株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、埼玉石心会病院リハビリテーション科科長などを経て、現在はフリーランスとして健康診断業務を担う。日本脳神経外科学会専門医、日本リハビリテーション医学会専門医・指導医。創価学会第2総東京ドクター部長。副区長(地区部長兼任)。
しらいし・てつや 1957年生まれ。岡山大学医学部医学科卒業。佐賀医科大学脳神経外科講師、株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、埼玉石心会病院リハビリテーション科科長などを経て、現在はフリーランスとして健康診断業務を担う。日本脳神経外科学会専門医、日本リハビリテーション医学会専門医・指導医。創価学会第2総東京ドクター部長。副区長(地区部長兼任)。
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