人間の思考について、近年は科学的にさまざまな知見が蓄積されているが、その視点から仏法の「一念三千」の法理はどのように捉えられるのか。6日付の㊤に続いて、脳神経外科医・リハビリテーション科医の白石哲也さんの寄稿「神経科学から見た一念三千」の㊦を紹介する。
人間の思考について、近年は科学的にさまざまな知見が蓄積されているが、その視点から仏法の「一念三千」の法理はどのように捉えられるのか。6日付の㊤に続いて、脳神経外科医・リハビリテーション科医の白石哲也さんの寄稿「神経科学から見た一念三千」の㊦を紹介する。
「十如是」と脳の機能
「十如是」と脳の機能
前回は「十界」と「十界互具」について説明しました。簡単に言えば、私たちの心のあり方は10種類に分かれ、刻々と変化するということです。
では、その変化する心は、どのような性質を持ち、どんなメカニズムで動いているのでしょうか。その手がかりとなるのが「十如是」です。十界の衆生を観察した時に共通する10種類の側面のことで、如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等から成ります。
前回は「十界」と「十界互具」について説明しました。簡単に言えば、私たちの心のあり方は10種類に分かれ、刻々と変化するということです。
では、その変化する心は、どのような性質を持ち、どんなメカニズムで動いているのでしょうか。その手がかりとなるのが「十如是」です。十界の衆生を観察した時に共通する10種類の側面のことで、如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等から成ります。
ここでは、脳の構造と機能に当てはめ、十如是について簡単に説明します。
脳は深いしわに包まれ、無数の神経細胞がネットワークを作り、互いに電気信号をやり取りして情報を処理しています。この形として見える物理的な構造や働きが如是相ということ。その情報のやり取りによって形作られる心という性質が如是性。こうした物理的な面、心的な面のどちらかではなく、物心両面の働きを備えるのが脳の本体であるという捉え方が如是体です。
続く七つは、脳の機能的な面として説明できます。
脳には「可塑性」と呼ばれる力があり、新しい神経のつながりを作ったり、既存のつながりを強めたりできます。この潜在的な力が如是力。そして、その力によって脳の回路が常に変化し、私たちは新しいことを学んで環境に適応していきます。この具体的な働きが如是作ということです。
こうした脳の変化は、まず脳の内部で起こる直接的な原因から始まります。それが如是因で、例えば神経細胞が神経伝達物質を放出し、次の細胞の働きをオンにするといった働きです。しかし、その働きがどのように進むかは日々の経験、睡眠、食事など、脳を取り巻く外部の条件によって左右されます。これが如是縁です。こうした因と縁が合わさることで、それぞれの人に特有の結果が生まれます。これが如是果で、その結果として積み重なっていく行動や習慣が、やがて「その人らしさ」や個性になります。これは如是報です。そして、これらの全ては、初めから終わりまで相互に結びついており、一つとして切り離されていません。これが如是本末究竟等ということです。
このように十如是の捉え方を通し、脳がどのような仕組みで動いているのかを説明することができます。
その上で、これは、あらゆる人に共通する仕組みで、脳において、その力を最も実感できるのが、私はリハビリテーションの現場だと考えています。例えば、脳梗塞で手足が動かしづらくなった方でも、動かす練習を繰り返すことで、少しずつ日常生活の動きを取り戻すことができます。これは脳が可塑性を持っているからで、細胞レベルで見ると、同じ回路が何度も刺激されることで、新しい神経回路が出来上がったり、別の脳の領域が機能を補うように働き始めたりするのです。つまり、練習の積み重ねによって、脳そのものの構造が変わっていくのです。
実際、私がリハビリテーション科の医師として担当した大学教授の方は、広い範囲の脳梗塞で言葉が話せなくなりました。しかし、毎日、地道なリハビリテーションを続けた結果、1年後には学生の前で再び講義ができるまでに改善しました。その喜びを涙ながらに伝えてくださる姿に触れ、私は改めて脳が持つ大きな可能性を実感しました。
私たちは、自分自身の力で自らの脳を変えることができる。この事実は、どんな状況にあっても、希望を失わずに前に進むための、大きな勇気を与えてくれます。
ここでは、脳の構造と機能に当てはめ、十如是について簡単に説明します。
脳は深いしわに包まれ、無数の神経細胞がネットワークを作り、互いに電気信号をやり取りして情報を処理しています。この形として見える物理的な構造や働きが如是相ということ。その情報のやり取りによって形作られる心という性質が如是性。こうした物理的な面、心的な面のどちらかではなく、物心両面の働きを備えるのが脳の本体であるという捉え方が如是体です。
続く七つは、脳の機能的な面として説明できます。
脳には「可塑性」と呼ばれる力があり、新しい神経のつながりを作ったり、既存のつながりを強めたりできます。この潜在的な力が如是力。そして、その力によって脳の回路が常に変化し、私たちは新しいことを学んで環境に適応していきます。この具体的な働きが如是作ということです。
こうした脳の変化は、まず脳の内部で起こる直接的な原因から始まります。それが如是因で、例えば神経細胞が神経伝達物質を放出し、次の細胞の働きをオンにするといった働きです。しかし、その働きがどのように進むかは日々の経験、睡眠、食事など、脳を取り巻く外部の条件によって左右されます。これが如是縁です。こうした因と縁が合わさることで、それぞれの人に特有の結果が生まれます。これが如是果で、その結果として積み重なっていく行動や習慣が、やがて「その人らしさ」や個性になります。これは如是報です。そして、これらの全ては、初めから終わりまで相互に結びついており、一つとして切り離されていません。これが如是本末究竟等ということです。
このように十如是の捉え方を通し、脳がどのような仕組みで動いているのかを説明することができます。
その上で、これは、あらゆる人に共通する仕組みで、脳において、その力を最も実感できるのが、私はリハビリテーションの現場だと考えています。例えば、脳梗塞で手足が動かしづらくなった方でも、動かす練習を繰り返すことで、少しずつ日常生活の動きを取り戻すことができます。これは脳が可塑性を持っているからで、細胞レベルで見ると、同じ回路が何度も刺激されることで、新しい神経回路が出来上がったり、別の脳の領域が機能を補うように働き始めたりするのです。つまり、練習の積み重ねによって、脳そのものの構造が変わっていくのです。
実際、私がリハビリテーション科の医師として担当した大学教授の方は、広い範囲の脳梗塞で言葉が話せなくなりました。しかし、毎日、地道なリハビリテーションを続けた結果、1年後には学生の前で再び講義ができるまでに改善しました。その喜びを涙ながらに伝えてくださる姿に触れ、私は改めて脳が持つ大きな可能性を実感しました。
私たちは、自分自身の力で自らの脳を変えることができる。この事実は、どんな状況にあっても、希望を失わずに前に進むための、大きな勇気を与えてくれます。
思考の個別性――「三世間」について
思考の個別性――「三世間」について
ここまでの説明で、心の変化や仕組みを理解することができました。その上で「なぜ自分の考えと他の人の考えは違うのか」という疑問が残ります。それがどこから生まれるのかを教えたのが「三世間」です。世間とは「差異」のことで、五陰世間、衆生世間、国土世間から成ります。
五陰世間の「五陰」とは、私たちの身体と心の働きを五つに分けて説明したもので、色(身体を構成する物質的側面)、受(目や耳などの知覚器官を通して外からの刺激を受け止める)、想(そこからイメージや意味を思い描く)、行(思い描いたことに基づいて行動する)、識(物事の意味を理解し、判断する)から成ります。五陰世間とは、同じ出来事に出あっても、一人一人が異なる受け止め方や考え方をしているということです。
実際、私たちの脳は、外の世界をそのまま感じているわけではなく、一人一人の捉え方には違いがあることが分かってきました。
脳は頭蓋骨という“暗くて狭い部屋の中”にあり、目や耳などの感覚器から送られてくる情報を、全て電気信号として受け取っているだけです。では、その限られた情報の中で脳はどう判断しているのでしょうか。その鍵となるのが「予測」です。脳は過去の経験や記憶に基づき、「次に何が起こるか」を常に予測しながら状況を理解しています。
例えば、階段を下りる時、私たちは無意識のうちに「次の段はこのくらいの高さだろう」と予測しながら足を運んでいます。もし実際の段差と予測が違えば、その感覚をもとに、脳は次の動き方を微調整します。この予測の仕方は、経験や育った環境によって、人それぞれ異なります。だから同じものを見ても、人によって感じ方や反応が異なるのです。つまり、五陰世間が示しているのは「私たちは同じ世界を見ているようで、実はそれぞれが自分なりに世界を作っている」という、人間の心の仕組みだと言えます。
ここまでの説明で、心の変化や仕組みを理解することができました。その上で「なぜ自分の考えと他の人の考えは違うのか」という疑問が残ります。それがどこから生まれるのかを教えたのが「三世間」です。世間とは「差異」のことで、五陰世間、衆生世間、国土世間から成ります。
五陰世間の「五陰」とは、私たちの身体と心の働きを五つに分けて説明したもので、色(身体を構成する物質的側面)、受(目や耳などの知覚器官を通して外からの刺激を受け止める)、想(そこからイメージや意味を思い描く)、行(思い描いたことに基づいて行動する)、識(物事の意味を理解し、判断する)から成ります。五陰世間とは、同じ出来事に出あっても、一人一人が異なる受け止め方や考え方をしているということです。
実際、私たちの脳は、外の世界をそのまま感じているわけではなく、一人一人の捉え方には違いがあることが分かってきました。
脳は頭蓋骨という“暗くて狭い部屋の中”にあり、目や耳などの感覚器から送られてくる情報を、全て電気信号として受け取っているだけです。では、その限られた情報の中で脳はどう判断しているのでしょうか。その鍵となるのが「予測」です。脳は過去の経験や記憶に基づき、「次に何が起こるか」を常に予測しながら状況を理解しています。
例えば、階段を下りる時、私たちは無意識のうちに「次の段はこのくらいの高さだろう」と予測しながら足を運んでいます。もし実際の段差と予測が違えば、その感覚をもとに、脳は次の動き方を微調整します。この予測の仕方は、経験や育った環境によって、人それぞれ異なります。だから同じものを見ても、人によって感じ方や反応が異なるのです。つまり、五陰世間が示しているのは「私たちは同じ世界を見ているようで、実はそれぞれが自分なりに世界を作っている」という、人間の心の仕組みだと言えます。
私たちの心には森羅万象が収まる
私たちの心には森羅万象が収まる
次に、衆生世間と国土世間は、私たちの脳に関して言えば、思考や感じ方は周囲の人、そして社会や環境といった森羅万象の影響を受けて成り立っており、そこに違いが生まれているということです。
現代の神経科学でも、私たちの思考は、脳だけで生まれるわけではなく、身体が置かれた環境や他者との関わりの中で形作られると考えるようになってきました。近年注目されている「身体性認知」という学問領域です。
身体性認知は、しばしば、四つのEで説明されます。
私たちは、物事を理解する時、ただ言葉や情報を覚えているだけではありません。その言葉に伴う感覚や身体の動きを思い浮かべることで、意味をより深く感じ取っています。例えば「寄り添う」と聞いた時、誰かのそばに立ち、そっと肩に手を添えるような動きを思い描くことで、その言葉の持つ温かさや思いやりが、よりはっきりと実感できます。このように理解と身体の感覚・動きが結びついていることをEmbodied(身体化された)認知と呼びます。
私たちの理解は、身体を動かしながら形作られていきます。例えば、テニスはルールを覚えるだけではだめで、実際にコートでボールを打ち、その感覚を何度も繰り返すことで上達します。このように行動を通して理解が深まっていくことをEnactive(行動による)認知と言います。
また私たちの認知は、いつも環境の中で働いています。
例えば部屋の中で鍵を探す時、私たちは部屋の配置を一つ一つ思い出すのではなく、「あの棚の上」「あの引き出し」といった環境の情報を、無意識に手がかりにして、視線や手が自然に動いていきます。つまり部屋の構造や物の配置といった環境そのものが、私たちの考えを支えているのです。このように、認知が環境に埋め込まれているという考え方をEmbedded(埋め込み)認知と言います。
そして私たちの思考の働きは、脳の中だけで完結しているわけではありません。外部の道具と結びつくことで、認知能力は拡張されています。例えば、知らない場所へスマホの地図アプリを使って行く場合、アプリの道順と実際に見えている景色や道の形を組み合わせながら進んでいきます。この時、まるでスマホが自分の認知の一部になったかのように目的地までのルートを理解しています。この認知が外部の道具と一体となって働く状態をExtended(拡張された)認知と呼びます。
このように、私たちの思考は身体に根差し、行動の中で育ち、環境に支えられ、道具によって広がっていく動的なプロセスだということです。
余談ですが、私は、この脳と身体・環境の関係を「ペットボトルのふた」に例えて説明しています。固いふたを開ける時、多くの人は、ふたを力いっぱい回そうとします。しかし、ふたを固定して、ボトルの方を回すと簡単に開くことがあります。「回転の中心から離れた部分を動かすほど、大きな力が生まれる」というトルクの原理に基づいているからです。
これは、私たちが困難な状況に直面した時にも応用できます。頭の中だけで問題を解決しようとすると、考えが堂々巡りになり、行き詰まることがあります。そんな時こそ題目を唱えるといった行動を起こしたり、環境を変えたりしてみる。すると新しい考えが生まれ、状況が開けることがあります。
池田先生は、困難な時ほど勇気を出して行動する大切さを教えています。これは神経科学から見ても非常に合理的で、実践的な生き方です。
次に、衆生世間と国土世間は、私たちの脳に関して言えば、思考や感じ方は周囲の人、そして社会や環境といった森羅万象の影響を受けて成り立っており、そこに違いが生まれているということです。
現代の神経科学でも、私たちの思考は、脳だけで生まれるわけではなく、身体が置かれた環境や他者との関わりの中で形作られると考えるようになってきました。近年注目されている「身体性認知」という学問領域です。
身体性認知は、しばしば、四つのEで説明されます。
私たちは、物事を理解する時、ただ言葉や情報を覚えているだけではありません。その言葉に伴う感覚や身体の動きを思い浮かべることで、意味をより深く感じ取っています。例えば「寄り添う」と聞いた時、誰かのそばに立ち、そっと肩に手を添えるような動きを思い描くことで、その言葉の持つ温かさや思いやりが、よりはっきりと実感できます。このように理解と身体の感覚・動きが結びついていることをEmbodied(身体化された)認知と呼びます。
私たちの理解は、身体を動かしながら形作られていきます。例えば、テニスはルールを覚えるだけではだめで、実際にコートでボールを打ち、その感覚を何度も繰り返すことで上達します。このように行動を通して理解が深まっていくことをEnactive(行動による)認知と言います。
また私たちの認知は、いつも環境の中で働いています。
例えば部屋の中で鍵を探す時、私たちは部屋の配置を一つ一つ思い出すのではなく、「あの棚の上」「あの引き出し」といった環境の情報を、無意識に手がかりにして、視線や手が自然に動いていきます。つまり部屋の構造や物の配置といった環境そのものが、私たちの考えを支えているのです。このように、認知が環境に埋め込まれているという考え方をEmbedded(埋め込み)認知と言います。
そして私たちの思考の働きは、脳の中だけで完結しているわけではありません。外部の道具と結びつくことで、認知能力は拡張されています。例えば、知らない場所へスマホの地図アプリを使って行く場合、アプリの道順と実際に見えている景色や道の形を組み合わせながら進んでいきます。この時、まるでスマホが自分の認知の一部になったかのように目的地までのルートを理解しています。この認知が外部の道具と一体となって働く状態をExtended(拡張された)認知と呼びます。
このように、私たちの思考は身体に根差し、行動の中で育ち、環境に支えられ、道具によって広がっていく動的なプロセスだということです。
余談ですが、私は、この脳と身体・環境の関係を「ペットボトルのふた」に例えて説明しています。固いふたを開ける時、多くの人は、ふたを力いっぱい回そうとします。しかし、ふたを固定して、ボトルの方を回すと簡単に開くことがあります。「回転の中心から離れた部分を動かすほど、大きな力が生まれる」というトルクの原理に基づいているからです。
これは、私たちが困難な状況に直面した時にも応用できます。頭の中だけで問題を解決しようとすると、考えが堂々巡りになり、行き詰まることがあります。そんな時こそ題目を唱えるといった行動を起こしたり、環境を変えたりしてみる。すると新しい考えが生まれ、状況が開けることがあります。
池田先生は、困難な時ほど勇気を出して行動する大切さを教えています。これは神経科学から見ても非常に合理的で、実践的な生き方です。
時を超えて輝く仏法の視点
時を超えて輝く仏法の視点
これまで述べてきた「十界互具」「十如是」「三世間」の三つの視点を総合することで生まれる三千の諸法が、私たち一人一人の一念の中に具わり、その一念の変革で諸法を変革していける――これを「一念三千」と言います。
神経科学で見てきた、それぞれの法理の捉え方は、一念三千のように、それぞれを掛け合わせることで立体的になる、というものではありませんが、少なくとも、私たちの思考や感じ方は、周囲の環境や人との関わりの影響を受けながら常に変化し、その時々の心の状態は、実際に脳のネットワークのつながり方に変化をもたらす、ということを示すことはできました。また、そうした脳の変化は行動の変化を生み出し、言葉や行動を通して周囲にも影響を与えていくことは、言うことができると思います。
これは御書の「十界・三千における依報も正報も、色法も心法も、非情の草木も、また大空も国土も、どれ一つとして除かず、微塵も残さず、全てを自分の一念の心に収め入れ、また、この一念の心が宇宙のすみずみにまで行きわたっていく。そういうさまを万法と言うのである」(新316・全383、通解)との一部を証明するものだと思います。
近年、神経科学は目覚ましい進歩を遂げています。例えば、脳のネットワークを電子顕微鏡画像で解析して内部構造を明らかにする研究や、行動中の神経活動を全脳レベルで記録する研究も発表されています。これらは脳の複雑な働きが、どのように心を生み出すのかを、さらに深く理解させてくれるでしょう。
また宗教認知科学という研究分野も生まれ、祈りや思いやりの行動といった宗教的な営みが、脳でどう受け止められ、どのような心理的変化をもたらすのかを科学的に解明する試みも始まりました。
仏法は、内面の体験を通して物事を捉える「一人称の視点」を重視する教えと言えます。一方、神経科学は、観察と分析によって理解する「三人称の視点」を用いる学問です。その立場に違いはありますが、両者は相反するものでなく、互いを補い合う関係にあると感じています。
今後ますます、さまざまな研究が進む中で、仏法の正しさが時を超えて証明され、輝いていくことと確信します。それを楽しみにしながら、同志と共に進んでまいります。
これまで述べてきた「十界互具」「十如是」「三世間」の三つの視点を総合することで生まれる三千の諸法が、私たち一人一人の一念の中に具わり、その一念の変革で諸法を変革していける――これを「一念三千」と言います。
神経科学で見てきた、それぞれの法理の捉え方は、一念三千のように、それぞれを掛け合わせることで立体的になる、というものではありませんが、少なくとも、私たちの思考や感じ方は、周囲の環境や人との関わりの影響を受けながら常に変化し、その時々の心の状態は、実際に脳のネットワークのつながり方に変化をもたらす、ということを示すことはできました。また、そうした脳の変化は行動の変化を生み出し、言葉や行動を通して周囲にも影響を与えていくことは、言うことができると思います。
これは御書の「十界・三千における依報も正報も、色法も心法も、非情の草木も、また大空も国土も、どれ一つとして除かず、微塵も残さず、全てを自分の一念の心に収め入れ、また、この一念の心が宇宙のすみずみにまで行きわたっていく。そういうさまを万法と言うのである」(新316・全383、通解)との一部を証明するものだと思います。
近年、神経科学は目覚ましい進歩を遂げています。例えば、脳のネットワークを電子顕微鏡画像で解析して内部構造を明らかにする研究や、行動中の神経活動を全脳レベルで記録する研究も発表されています。これらは脳の複雑な働きが、どのように心を生み出すのかを、さらに深く理解させてくれるでしょう。
また宗教認知科学という研究分野も生まれ、祈りや思いやりの行動といった宗教的な営みが、脳でどう受け止められ、どのような心理的変化をもたらすのかを科学的に解明する試みも始まりました。
仏法は、内面の体験を通して物事を捉える「一人称の視点」を重視する教えと言えます。一方、神経科学は、観察と分析によって理解する「三人称の視点」を用いる学問です。その立場に違いはありますが、両者は相反するものでなく、互いを補い合う関係にあると感じています。
今後ますます、さまざまな研究が進む中で、仏法の正しさが時を超えて証明され、輝いていくことと確信します。それを楽しみにしながら、同志と共に進んでまいります。
〈プロフィル〉
〈プロフィル〉
しらいし・てつや 1957年生まれ。岡山大学医学部医学科卒業。佐賀医科大学脳神経外科講師、株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、埼玉石心会病院リハビリテーション科科長などを経て、現在はフリーランスとして健康診断業務を担う。日本脳神経外科学会専門医、日本リハビリテーション医学会専門医・指導医。創価学会第2総東京ドクター部長。副区長(地区部長兼任)。
しらいし・てつや 1957年生まれ。岡山大学医学部医学科卒業。佐賀医科大学脳神経外科講師、株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、埼玉石心会病院リハビリテーション科科長などを経て、現在はフリーランスとして健康診断業務を担う。日本脳神経外科学会専門医、日本リハビリテーション医学会専門医・指導医。創価学会第2総東京ドクター部長。副区長(地区部長兼任)。
ご感想をこちらにお寄せください。
ご感想をこちらにお寄せください。