企画・連載
〈SDGs×SEIKYO〉 生きて樹、伐られて木――「宮城伝統こけし」の工人 2023年9月7日
宮城県仙台市にある「玩愚庵こけし屋」の4代目・鈴木敬さん(29)=男子部副部長、芸術部員=は、国の伝統工芸品に指定されている「宮城伝統こけし」を作っています。こけし工人として、先人たちから何を受け継ぎ、何を表現しているのか――。(今回はSDGsの12番目の目標「つくる責任 つかう責任」について考えます。取材=石塚哲也、石井和夫)
今月1日、第68回「全国こけし祭りコンクール」において、鈴木さんの作品が全国300点の中から「東北経済産業局長賞」を受賞した。
伝統こけしを作る職人たちは、「こけし工人」と呼ばれる。東北のこけしは、かつて「椀」や「盆」といった挽物を作る木地師が、子どもを喜ばせるため、仕事の合間に端材で作ったおもちゃが始まりといわれる。
「親が子を思う純粋な心を込めて、工人たちが一つ一つ手作りしているから、かわいくて、優しい表情のこけしが多いんだと思います。僕もその思いを大切にしたい」
物心ついた頃から「宮城伝統こけし」を作る2代目の祖父・昭二さん(故人)や、3代目の父・明さん=副支部長=の姿が身近にあり、その仕事に魅力を感じていた。
鈴木さんは高校卒業後、「こけし屋の原点に戻る」との決意で、修業のため石川県加賀市へ。伝統工芸品「山中漆器」を継承し、挽物と、ろくろの技術が学べる研修所に進学した。
所長は、木工芸の人間国宝・川北良造氏。折に触れ、氏は語った。
「生きて樹、伐られて木」――。
“樹”は生きていて、伐採されてなお、そこから“木”としての新しい生命が始まるという哲学。“生命に携わるのが工人”だと教えられた。4年の課程を修め、「椀」や「盆」などの制作、漆塗りの技術を習得し、木地挽きの基礎を身に付けた。
2017年4月、仙台に戻り、こけし工人としての挑戦が始まった。デビューした年から数々のコンクールで入選し、国土交通大臣賞や観光庁長官賞などを受賞。仙台と東京で個展も開催した。
だが、21年からは選外が続いた。重圧を感じる日々の中で、師匠・池田大作先生の指針を学び、自らを鼓舞した。
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自分の人生に
自分で満足していける
戦いをすることだ。
有名でも
無名でもいい。
有名 無名が
幸福を決定しない。
ひたすら
人生を立派に
向上させることだ。
そして
汝自身の芸術を
磨きに磨くことだ。
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高い評価を得ることだけが、“満足”に通じるとは限らない。それに至る“戦い”が何であるのかを自問した。
「こけしには、その人の生命境涯が表れると痛感しています。筆が木地に触れ、命を吹き込む瞬間に、工人の境涯も投影されてしまう。だから技術とともに、心が大切なんです」
鈴木さんの糧となったのは、創価学会の活動だ。友の幸せを祈り、勇気を出した仏法対話。悩むメンバーのもとには何度も足を運んだ。真心を込め、誠実に接した分だけ、相手も心を開いてくれた。
人間一人一人の“生命”と向き合うことで、こけしと向き合う、自らの生命も磨かれた。2年間の選外の日々の末に得た今月の受賞は、その証左と言えるかもしれない。
実は選外が続いたこと自体にも、鈴木さんの「挑戦」と、表裏一体の側面があった。21年、鈴木さんは伝統こけしに使う描彩染料を、色あせしにくい「漆」に変えて、コンクールに出品した。だが、「伝統の染料を使っていない」と、審査対象外に。翌年も同じ結果だった。
漆を使ったのには考えがある。それは、修業時代の学びに由来した。通常の化学染料では、数十年で退色してしまう。だが、漆を用いれば、100年以上も退色しない。
「僕は『生きて樹、伐られて木』の哲学に感動しました。木は生きている。その命を扱う責任を形にする挑戦がしたかった。それは“かわいい”“きれい”と、100年後も“愛でて”もらえるような、こけしを作ることだと思っています」
選外が続く息子に父は語った。「作り続けることに意味がある。それが伝統になる」。父の励ましにも支えられた。
作り手の矜持を知り、使う側の私たちも、普段の暮らしに改めて目を向ける。それが、SDGsの「つくる責任 つかう責任」という目標の達成へと通じていくのかもしれない。
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