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〈Seikyo Gift〉 政治の目的は幸福の最大化 今求められる「中道」の理念――――インタビュー 前熊本県知事・東京大学名誉教授 蒲島郁夫さん 2025年5月31日

〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉

  
 政治の目的は「国民の幸福量の最大化」にある――。前熊本県知事で東京大学名誉教授の蒲島郁夫さんは「今、最も重要なのは『中道』の理念」と語ります。研究者の視座と、政治家の経験をもとに、民主主義のあり方について聞きました。
 (聞き手=掛川俊明、村上進 3月14日付)
  

■政治学者から熊本県知事に――政治家として直面した三つの難題

 ――蒲島名誉教授は、2008年に東京大学教授から転じ、熊本県知事選挙に当選。昨年4月に退任するまで4期にわたり、県知事を務められました。
  
 私のキャリアは、とても変わっています。熊本の高校を卒業後、就職したのは地元の農業協同組合でした。それから農業研修生として渡米し、アメリカの大学で農学を学んだ後、専攻を政治経済学に変え、ハーバード大学大学院で博士号を取得しました。その後、日本に戻り、大学教授を経て政治家も経験しました。
 これまで「逆境の中にこそ夢がある」をモットーとしてきました。夢を持って挑戦することで、そのたびに、ピンチをチャンスへと生かせたと思います。
  
 県知事になった08年、熊本県は課題に直面していました。①財政問題、②水俣病患者の救済、③川辺川ダム建設計画という三つの難題が重なっていたのです。
 知事就任に際し、アメリカで歴代大統領の顧問を務めた、政治学者のリチャード・ニュースタット氏から、かつて教わったことを思い起こしました。それは「最初の6カ月のうちに難問に着手しないならば、その政権は絶対に成功しない」ということです。
  

  
 この言葉を念頭に置き、三つの難問に挑みました。まず財政問題です。県の借金である通常県債残高は約1兆700億円に達していました。そこで、真っ先に自分の給料を月額100万円カットしました。残った給与は14万円で、以前より生活は厳しくなりましたが、先頭に立って財政再建に取り組むことで、政治的信頼が生まれたと思います。さまざまな取り組みの結果、2期8年で1500億円を返済できたことが、今につながっています。
  
 次に、水俣病救済問題は、私にとって政治の原点です。県知事が永田町でロビー活動をするのは異例でしたが、私は超党派の国会議員に直接交渉しました。その後、09年7月に水俣病特措法が成立し、熊本県で約3万7000人、全国では5万5000人超の方々が、補償を受けられることになりました。
  
 最後に、川辺川ダム建設を巡る地域の対立は深刻でした。有識者会議を設置するなどして議論を重ね、08年9月に建設計画の白紙撤回を表明しました。有力な関係者は建設に賛成でしたが、県民が望むものは何かを突き詰め、建設中止を決めました。
 1期目の県政を通して、政治においては、難題を目の前にした時の決断の大切さを実感しました。それ以来、政治とは「決断すること」「目標を定めること」「危機に対応すること」という基本姿勢で県政に臨みました。
  

■目的は「県民の幸福量の最大化」――自分の中で「喜び」に変化が

 ――知事在任中、県PRマスコットキャラクター「くまモン」が人気を集めました。一方で地震や水害など、災害も頻発しました。どのような政治理念で県政に当たったのでしょうか。
  
 県知事としての私の目的は、「県民の幸福量の最大化」です。その行動指針は、自分のためではなく、公僕として県民に尽くすことでした。
 県政2期目は、1期目の施策の成果が表れ、さまざまな目標に向けて具体的に政治を進めた期間でした。
 当時、折々に県庁職員に伝えたことの一つが「皿を割れ」という精神です。皿を多く洗うほど、割ってしまう確率も上がりますが、県民の幸福のため、失敗を恐れずにたくさん挑戦してほしいと伝えたのです。
  
 そうした挑戦の最大の成果が「くまモン」でした。くまモンは、11年3月の九州新幹線全線開業をきっかけに生まれ、その後、PR等の目的で利用申請をすれば無料で使えるようにしました。関連商品の売り上げは、累計1兆5000億円以上になり、熊本の経済に大きく貢献しています。
  

  
 3期目が始まった直後である16年4月に、熊本地震が発生しました。16年間の知事在任中、熊本にとっての最大の困難でした。
 災害対応では、即座に的確な判断をすることが求められます。すぐに、①被災された方々の痛みの最小化、②単に元の状態に戻すだけではない創造的復興の実現、③復旧・復興を熊本のさらなる発展につなげるという三原則を定め、必要な対応を講じるために奔走しました。
  
 最後の4期目には、政治家として大きな「方向転換」を経験しました。1期目で中止を決めたダム建設の方針を転換し、建設を容認する政治判断をしたのです。
 建設中止を決めた当時は、ダムによらない治水政策が望まれていました。しかし、その後の異常気象の増加、20年7月の豪雨被害を受けて、改めてダム建設について検討することになりました。
  
 大きな政策であるほど、一度決めた方針を転換することには、困難が伴います。この時も、何が県民の幸福にとって必要なのかを前提に、全てを検証し直しました。
 そして豪雨災害の後、30回にわたって、流域の全ての自治体の皆さんと話し合いました。住民の方々の意見を聴く中で、皆さんが「命も清流も、両方を守ってほしい」と願っていることが分かりました。
  

  
 洪水や豪雨から県民の命を守ることは、最優先課題です。同時に、清流を守り、豊かな生態系を保護する必要もあります。そこで、自然な流砂環境と生物の生息環境を確保できる「流水型ダム」を中心とした「緑の流域治水」を提案し、賛同を得ました。
 政治の方向転換は、容易ではありません。それができたのは、行政の取り組みや住民との対話を通して、県民との強い信頼関係が築かれていたからです。
  
 知事だった16年間、移動の際は、一度もビジネスクラスを使ったことがありません。どこまでも県民の皆さまの幸福のために尽くす――そのことを最優先に行動する姿勢が、信頼につながったのだと思います。
  
 政治家になったことで、自分の中での「喜び」が変わったと感じています。それまでは自分が仕事で何かを成し遂げたり、実績を積んだりすることが喜びでした。知事になってから、私の一番の喜びは、公僕として県民の幸福に貢献することへと変わりました。
 県民を敬愛し、県民に仕える幸せな仕事ができたこと、そして県民の皆さまが相互信頼を通して県政を支えてくださったことが、最大の喜びであり、感謝は尽きません。
  

■支持参加モデル――日本が果たした発展と平等の両立

 ――政治学者としては、投票行動や政治参加を専門に、研究を重ねてこられました。著書『政治参加論』では、高度成長期において、創価学会が政治に参加した意義についても論じられています。
  
 もともと政治学では、ある国において経済発展が進むと、そこに政治的不安定が生じるとされてきました。政治学者のサミュエル・ハンチントンは、経済発展によって、人々の間の不平等が拡大し、社会的不満が高まることで政治的不安定が発生すると説明しています。
 しかし、戦後の日本は、ハンチントンの理論通りにはなりませんでした。高度成長期にかけて、驚異的な経済成長が実現されただけでなく、経済格差の是正と政治的安定性の維持が、同時に達成されたのです。こうした戦後日本の発展のあり方は「奇跡的」と言ってもよいほどです。
  

  
 私は、こうした戦後日本の政治・社会の特徴を「支持参加モデル」として分析しました。
 日本の特徴は、「持たざる者」が比較的多く政治に参加したことです。アメリカなどでは、所得の高い人ほど政治に多く参加していて、低所得層は政治参加しづらいため、経済的不平等が是正されませんでした。ところが日本では、所得の多少にかかわらず、政治に参加する傾向があり、結果的に政治が安定し、経済発展と経済的平等が両立されたと考えます。
  
 日本の特徴の一つとして、1967年に労働者層の投票率が大きく上昇しました。その一因として、同年から公明党が衆議院議員選挙に進出したことが挙げられます。
 当時は、集団就職によって地方から都市部に人口が流入しました。こうした人々の多くは、社会的に孤立し、労働組合員としても組織化されず、政治的資源を欠いた状態にあったと考えられます。つまり、政治への参加志向は弱いはずでした。そうした中で、創価学会は独自の共同体として機能し、そうした多くの人々をつなぎ、政治への参加を促しました。
  
 多くの人の政治参加によって、政府の経済政策が格差を是正し、平等志向を強めることになった側面があります。創価学会の活発な政治参加は、日本の経済・社会の安定した発展に、大きく貢献したと思います。
  

■「中道」は日本政治における重要な理念――政治参加が育む公共性

 ――創価学会は一貫して「中道主義」を掲げてきました。中道とは、単なる“中間”や“折衷”ではなく、「道に中る」と読むように、本質や根源に迫る姿勢です。また、対立を高次に引き上げ、解決を模索することです。こうした変革のダイナミズムである中道主義は、複雑化する現代社会の中で、どのような価値を発揮するでしょうか。
  
 中道は、今の日本政治において、最も重要な理念ではないでしょうか。
 国民の幸福を実現するためには、政治が極端に傾く場合には、ブレーキ役になって抑制する働きが必要です。逆に、福祉政策に前向きでない場合には、アクセル役として背中を押すことが求められます。そうしたことができるのは、中道の理念を持った皆さんです。
  
 90年代以降、日本社会の格差は拡大し続けています。今も、国内では政治資金問題、少子高齢化、災害の頻発などの問題が山積し、国際的には平和をいかにつくるかが喫緊の課題になっています。「皆が幸せになる」ために、中道政治が求められていると思います。政治を安定させ、現場主義で多くの課題に対応し、平和を創造していくためには、中道の哲学が不可欠です。
  

  
 現実の政治に目を向ければ、現在は少数与党です。公明党には、党員・支持者と共に党を再構築するような気概で、政治に取り組んでいただきたい。同時に、皆さんには、政治と国民の強い相互信頼に基づく民主主義を深めていっていただきたいと思います。
 私はこれまでも、低投票率の中でも積極的に選挙の重要性を訴える皆さんに、関心を持ってきました。
  
 政治学には「エリート民主主義」と「参加民主主義」という、二つの理論があります。前者の立場では、大衆は民主的市民としての能力を欠いているとされ、政治の運営はエリートに任せるべきであるとされます。
 一方、参加民主主義では、市民は政治参加によって、より優れた民主的市民に育ち、ひいては政治システムも安定するとして、政治参加の教育効果に注目します。私は、こうした参加型の民主主義について研究してきました。
 人々は政治に参加する過程で、自分だけの「私的な利益」と、より多くの人々の「公的な利益」がつながっていることを実感します。参加の重要性は「利己的な個人」が「公共心に富む個人」に変化していくという、教育効果にあるのです。
  

  
 創価学会はもともと「創価教育学会」としてスタートしていますから、学会の皆さんは、教育によって人がより良く成長できることを実感されているのではないでしょうか。
  
 一方、20世紀を振り返ると、政治に無関心で、他人の意見に非寛容な人々によって、個人より国家を優先する「全体主義」が支持されてしまった歴史があります。
 より良い民主主義のためには、参加を通してより良い市民が育つことが必須です。政治において、他者を思いやる「公共性」は、参加しなければ身に付きません。宗教活動への参加も、そうした公共性を養う側面があるでしょう。
  
 参加によって公共性が養われ、参加することに喜びを感じ、より良き市民に成長する――それが政治参加論の原点です。だから私は、創価学会の皆さんが、喜びをもって活動されている姿に感銘を受けるのです。
 皆の幸福のため、より良い民主主義のために、公共性を持った人々が政治に関わり続けていくことが、何よりも重要です。
  
  

 かばしま・いくお 1947年、熊本県生まれ。東京大学名誉教授、同大学先端科学技術研究センターフェロー、前熊本県知事。79年、米ハーバード大学大学院を修了し、博士号(政治経済学)を取得。専門は投票行動と政治参加。筑波大学教授、東京大学教授を経て、2008年から24年まで熊本県知事を務めた。著書に『戦後政治の軌跡』(岩波書店)、境家史郎との共著に『政治参加論』(東京大学出版会)など。
  

  
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