企画・連載
〈教育本部ルポ・つなぐ〉第26回=とくと見る 地域の子どもの未来まで 2025年5月18日
この福岡の女性。12年前に小学校教頭を定年退職してからも、ずっと何かと忙しい。
玉露と煎茶の名産地である地元・八女市で茶道教室を開いたり、小・中学校の茶道クラブで教えたり。市の主任児童委員や社会教育委員などを歴任し、生後間もない赤ちゃんやその親御さんをサポートしたり、青少年の学びや成長を支える地域の取り組みを協議・提案したりもしてきた。
古希を過ぎても「『子どもたちと関わりを持てる環境』にいられることが、楽しくて」――そう古川篤子さん(女性部副本部長)は笑う。
先月、茶道の稽古場を兼ねる自宅にやって来た生徒は、18歳の女性。今春から市役所に勤める新社会人だという。小学2年の頃に古川さんと出会い、茶道を学び始めた。当時はじっとしていられず、茶室内をピョンピョンと跳びはねている子だったそうだが、今の所作からは想像できない。
立ち居振る舞いも言葉遣いも。周囲の人々から「すばらしい」と言ってもらえるような自分になれたのは、「作法だけでなく『心』の大切さを、古川先生に教わったおかげです」と彼女は言う。
茶の道と、教育の道。通じる「心」があると、古川さんは感じている。それは「互いを敬う心」だ。
茶会において、亭主(茶を点てる人)と客人との間に「上下」の別はない。一方通行の関係でもない。客人は、もてなされるだけでなく、用意された茶碗や茶杓、菓子の銘、部屋の掛け軸に至るまで、あらゆる道具を通じて亭主の心遣いを汲み取ろうとする。それを「とくと見る」という。“じっくり、よく見る”との意味になろうか。
学生時代に茶道をたしなむようになって以来、この「とくと」の深意をつかみかねていた。ただ肉眼でよく見る、ということではないらしい。
小学校教員となり、教育現場で試行錯誤を繰り返しながら、人生の師・池田先生の指針をひもとく中で気付く。
目の前の子どもが何に心を引かれているか、興味を注いでいるかを「よく観察する」ことが教育の第一歩だといわれる。だが子どもを“大人よりも劣った存在”と見ている限り、そのまなざしは曇ってしまう。「一個の人格として、無限の可能性を備えた存在として、尊敬しなければ見えないものがある」のだ。それで初めて、子どもの一つ一つの言動にも「何らかの意味や理由」を見いだすこともできる。
池田先生から学んだ生き方がもう一つ。それは「一度でも縁を結んだ人を見守り続けること」。古川さんが日本人学校の教師として南米エクアドルに赴任していた1984年3月、ペルーを訪れた池田先生のもとに駆けつけたことがある。
「ずっと、見守っているよ」「信じているよ」――南米の友一人一人に寄せた言葉そのままに、10年、20年、30年と励ましを送り続けた師匠。古川さん自身も帰国してからの教員時代に、どれほど勇気を送ってもらっただろう。
「だから私も」と誓ったこの人生。教育を“仕事”として捉えるのではなく、自分の“生き方そのもの”にしようと決めたから、今がある。
教え子の中から「古川先生みたいに」と、教育の道に進んだ人は少なくない。古川さんは、子どもたちはもちろん、主任児童委員だった時の関わりや、創価学会の家庭教育懇談会を通して出会った保護者一人一人とも、“伴走”し続ける。親としての自信を失い、不安を覚えている人にこそ、「大丈夫だよ」「一緒だよ」と声をかけながら、祈りを込めながら。
自分のことを理解し、見守り続けてくれる人が一人でもいれば、子も親も未来へ生きていける。
「とくと見る」。そこからつながる心がある。
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※ルポ「つなぐ」の連載まとめは、こちらから。子どもや保護者と心をつなぎ、地域の人と人とをつなぐ教育本部の友を取材しながら、「子どもの幸福」第一の社会へ私たちに何ができるかを考えます。