生成AI(人工知能)の登場で、一部の専門家だけでなく、多くの人にとってAIが身近になった現代。利点や問題点が入り交じるAIに対し、私たちはどのように向き合えばいいのか。「危機の時代を生きる 希望の哲学――創価学会学術部編」の第30回のテーマは「教育から考えるAIとの向き合い方」。東京電機大学未来科学部准教授の木場裕紀さんの寄稿を紹介する。
生成AI(人工知能)の登場で、一部の専門家だけでなく、多くの人にとってAIが身近になった現代。利点や問題点が入り交じるAIに対し、私たちはどのように向き合えばいいのか。「危機の時代を生きる 希望の哲学――創価学会学術部編」の第30回のテーマは「教育から考えるAIとの向き合い方」。東京電機大学未来科学部准教授の木場裕紀さんの寄稿を紹介する。
偏見に惑わされないよう対話を通して自らを更新
偏見に惑わされないよう対話を通して自らを更新
スマホで動画を見たり、ネットショッピングをしたりすると、“あなたへのおすすめ”として、他の動画や商品が表示されることがあります。これはAI(人工知能)が、閲覧記録や多数の人々から得た各種のデータを基に、利用者が興味を持ちそうなものを予測して表示しているのです。
ほかにも、大型商業施設やオフィスビルなどで、人の流れを予測して複数のエレベーターの制御を行っているのもAIです。
AIというと、文章や画像等を生成する、チャットGPTなどの「生成AI」が有名ですが、実は以前から、私たちの身近でAIは活用されています。
生成AIも身近な存在になりつつあります。
特に若い世代の多くは関心が高く、文書作成や調べ物、そして友達のように人生相談する相手として、生成AIを使っているようです。
もちろん、生成AIにはさまざまな問題もあります。
例えば、架空の言葉をもっともらしく説明するなど、誤情報を出力することがあります(ハルシネーション)。また、大量の情報を学習するため、「学校の校長は男性である」などといった既存の社会に存在する不均衡や偏見を反映した出力をすることが見受けられます。
ますます進化し、身近な生活との関わりを深めていくであろうAIと、私たちはどのように向き合っていけばいいのでしょうか。
私は教育学が専門ですが、AIにも深い関心を寄せています。その一端をまとめた『教育学入門 AIで深める学び』(東京電機大学出版局)を今夏に出版しました。
私が感じるのは、AIの課題に最も直面している分野の一つが、教育分野であるということです。なぜなら、生まれた時からインターネットやデジタル機器が身近で、それらを自然に使いこなしてきた、いわゆるデジタルネーティブと呼ばれる若者との関わりが深いからです。
例えば、学生の中には、課題として出された問いを生成AIに入力し、出力された文章をそのままリポートとして提出する人がいます。
その一方で、学生が自ら書いた文章をAIに入力し、誤字脱字や足りない情報を指摘してもらうなど、自身の学習を深めるような活用法も聞かれます。
この「学生」を「会社員」、「リポート」を「書類」に置き換えると、会社での書類作成における課題や活用法にも通じるのではないでしょうか。教育現場で、“どうAIが活用されていくか”は、その後の社会にも影響を与えていきます。
こうした観点から、私たちがAIとの向き合い方を考える上での先駆的事例として、私の専門分野の一つである教育現場での活用を紹介したいと思います。
スマホで動画を見たり、ネットショッピングをしたりすると、“あなたへのおすすめ”として、他の動画や商品が表示されることがあります。これはAI(人工知能)が、閲覧記録や多数の人々から得た各種のデータを基に、利用者が興味を持ちそうなものを予測して表示しているのです。
ほかにも、大型商業施設やオフィスビルなどで、人の流れを予測して複数のエレベーターの制御を行っているのもAIです。
AIというと、文章や画像等を生成する、チャットGPTなどの「生成AI」が有名ですが、実は以前から、私たちの身近でAIは活用されています。
生成AIも身近な存在になりつつあります。
特に若い世代の多くは関心が高く、文書作成や調べ物、そして友達のように人生相談する相手として、生成AIを使っているようです。
もちろん、生成AIにはさまざまな問題もあります。
例えば、架空の言葉をもっともらしく説明するなど、誤情報を出力することがあります(ハルシネーション)。また、大量の情報を学習するため、「学校の校長は男性である」などといった既存の社会に存在する不均衡や偏見を反映した出力をすることが見受けられます。
ますます進化し、身近な生活との関わりを深めていくであろうAIと、私たちはどのように向き合っていけばいいのでしょうか。
私は教育学が専門ですが、AIにも深い関心を寄せています。その一端をまとめた『教育学入門 AIで深める学び』(東京電機大学出版局)を今夏に出版しました。
私が感じるのは、AIの課題に最も直面している分野の一つが、教育分野であるということです。なぜなら、生まれた時からインターネットやデジタル機器が身近で、それらを自然に使いこなしてきた、いわゆるデジタルネーティブと呼ばれる若者との関わりが深いからです。
例えば、学生の中には、課題として出された問いを生成AIに入力し、出力された文章をそのままリポートとして提出する人がいます。
その一方で、学生が自ら書いた文章をAIに入力し、誤字脱字や足りない情報を指摘してもらうなど、自身の学習を深めるような活用法も聞かれます。
この「学生」を「会社員」、「リポート」を「書類」に置き換えると、会社での書類作成における課題や活用法にも通じるのではないでしょうか。教育現場で、“どうAIが活用されていくか”は、その後の社会にも影響を与えていきます。
こうした観点から、私たちがAIとの向き合い方を考える上での先駆的事例として、私の専門分野の一つである教育現場での活用を紹介したいと思います。
人間中心の原則
人間中心の原則
日本では、文部科学省が2023年度から教育現場で生成AIの活用に取り組むパイロット校を指定し、さまざまな事例が生まれました。
ある中学校の英作文の授業では、自作の英文が相手に正しく伝わるかを確認する方法として、生成AIを活用しました。
文字や音声で英文をAIに入力すると、自然な表現に修正された英文の提案がAIから返ってきます。そうした作業を繰り返しながら、発音や作文力を効率的に身に付けることができています。
議論を深める際にも生成AIが活用されています。
まず生徒だけで話し合い、意見をまとめます。その意見をAIに入力し、アドバイスを求めると、AIから意見が返ってきます。
すると、生徒たちだけでは気付けなかった、新たな視点を踏まえた一歩深い議論を進めることができました。
これらは、そのまま一般社会でも応用できるAIの活用事例でしょう。
また、教員の働き方改革に貢献する活用事例もあります。宿題やテストの採点、集計をAIに任せることで、教員の業務負担が大幅に減ります。さらに、AIが個別の解答の傾向を分析し、理解度に合わせた学習を提案してくれるようになります。
その分、教員は生徒一人一人に寄り添う時間を確保することができます。
このように、AIを利用するに当たっては、教育の質の向上につながるよう活用することが大切だと感じます。
こうした事例を導入する際にも気を付けていることですが、AIを活用する上で大切なのは、「人間中心の原則」だといわれています。これは、人間の能力を拡張させるためにAIは活用されるべきであり、その使用について人間自身が責任を持って判断する、という原則です。
もしこの原則がなければ、誤情報や偏見を含んだAIの意見に、人間が左右されてしまうようになり、果ては“AIに支配される人間社会”のようなディストピア(理想郷の逆)を招きかねません。
あくまでもAIは、人間の幸せの追求のため、補助的に利用されるべきでしょう。そのためには人間自身の学びや鍛えが必要です。
先に述べた、AIの文章をそのまま自身のリポートにして提出してしまう学生のように、学びや鍛えがなければ、AIの意見をそのまま受け入れてしまうからです。
日本では、文部科学省が2023年度から教育現場で生成AIの活用に取り組むパイロット校を指定し、さまざまな事例が生まれました。
ある中学校の英作文の授業では、自作の英文が相手に正しく伝わるかを確認する方法として、生成AIを活用しました。
文字や音声で英文をAIに入力すると、自然な表現に修正された英文の提案がAIから返ってきます。そうした作業を繰り返しながら、発音や作文力を効率的に身に付けることができています。
議論を深める際にも生成AIが活用されています。
まず生徒だけで話し合い、意見をまとめます。その意見をAIに入力し、アドバイスを求めると、AIから意見が返ってきます。
すると、生徒たちだけでは気付けなかった、新たな視点を踏まえた一歩深い議論を進めることができました。
これらは、そのまま一般社会でも応用できるAIの活用事例でしょう。
また、教員の働き方改革に貢献する活用事例もあります。宿題やテストの採点、集計をAIに任せることで、教員の業務負担が大幅に減ります。さらに、AIが個別の解答の傾向を分析し、理解度に合わせた学習を提案してくれるようになります。
その分、教員は生徒一人一人に寄り添う時間を確保することができます。
このように、AIを利用するに当たっては、教育の質の向上につながるよう活用することが大切だと感じます。
こうした事例を導入する際にも気を付けていることですが、AIを活用する上で大切なのは、「人間中心の原則」だといわれています。これは、人間の能力を拡張させるためにAIは活用されるべきであり、その使用について人間自身が責任を持って判断する、という原則です。
もしこの原則がなければ、誤情報や偏見を含んだAIの意見に、人間が左右されてしまうようになり、果ては“AIに支配される人間社会”のようなディストピア(理想郷の逆)を招きかねません。
あくまでもAIは、人間の幸せの追求のため、補助的に利用されるべきでしょう。そのためには人間自身の学びや鍛えが必要です。
先に述べた、AIの文章をそのまま自身のリポートにして提出してしまう学生のように、学びや鍛えがなければ、AIの意見をそのまま受け入れてしまうからです。
関わりを大事に
関わりを大事に
学校で「学ぶ」というと、一般的には教師から生徒へ、一方通行で知識を伝達するイメージがあります。その上で、現代では、“知識は対話などの相互作用の中で生まれる”という「構成主義的学習観」が注目されています。
例えば、「気候変動対策のために、身近に取り組めることは何か」というテーマで話し合うとしましょう。身の回りを想像し、「ノートを最後まで使い切る」「ハンカチを持参し、ペーパータオルをなるべく使わない」などの意見が出てきます。こうして、各自の経験や考えをもとに生徒同士が対話を重ねる中で、知識がつくられていく、という考え方です。
会社でいえば、マニュアル的な知識だけでなく、実際に同僚と仕事を進める中で、必要な知識が身に付いていくということに通じます。
こうした周囲の人との対話や共同作業は、主体的に学び、自分の言葉で理解する力をつける契機となります。一方で、そうした関わりを軽視し、AIとのやり取りだけに頼ってしまえば、偏った知識を身に付け、それに固執してしまう危険性があります。
例えば、SNSではAIによってユーザーごとの好みに合わせて、一定の投稿が優先して表示されます。知らないうちに自分と似たような考えを持つ情報ばかりに接し、自身の考え方や価値観の中に孤立してしまいます(フィルターバブル)。そして同じ意見を持つ集団の中で、自分たちの意見を強化し合う(エコーチェンバー)ことで、自身の固執から逃れることは一層難しくなっていくのです。
では、そうした固執に気付くためには、何が必要なのでしょうか。仏典には対話の中で学びを得るエピソードが描かれています。(片山一良訳『中部(マッジマニカーヤ)中分五十経篇Ⅱ』大蔵出版を参照)
アッサラーヤナというバラモンの青年は、“バラモンこそ最上であり、他は劣っている”という伝統的な主張を繰り返していました。
彼との対話の中で釈尊は、“バラモンでも非道なことをする”“バラモンではない人でも良い行いをする”ことを一緒に確認していきます。そして“伝統の聖典を読誦するが非道な行いをする人と、聖典を知らないが身を律して正しい行いをする人はどちらが優れているか”と問うたのです。アッサラーヤナは沈黙し、赤面して座り込んでしまいます。
この仏典のように、人は他者と対話する中で、多様な価値観に触れ、自分の考えを鍛えていくことができます。「人間中心の原則」に基づき、AIを活用するためには、こうした他者との関わりを持つことが大切です。
学校で「学ぶ」というと、一般的には教師から生徒へ、一方通行で知識を伝達するイメージがあります。その上で、現代では、“知識は対話などの相互作用の中で生まれる”という「構成主義的学習観」が注目されています。
例えば、「気候変動対策のために、身近に取り組めることは何か」というテーマで話し合うとしましょう。身の回りを想像し、「ノートを最後まで使い切る」「ハンカチを持参し、ペーパータオルをなるべく使わない」などの意見が出てきます。こうして、各自の経験や考えをもとに生徒同士が対話を重ねる中で、知識がつくられていく、という考え方です。
会社でいえば、マニュアル的な知識だけでなく、実際に同僚と仕事を進める中で、必要な知識が身に付いていくということに通じます。
こうした周囲の人との対話や共同作業は、主体的に学び、自分の言葉で理解する力をつける契機となります。一方で、そうした関わりを軽視し、AIとのやり取りだけに頼ってしまえば、偏った知識を身に付け、それに固執してしまう危険性があります。
例えば、SNSではAIによってユーザーごとの好みに合わせて、一定の投稿が優先して表示されます。知らないうちに自分と似たような考えを持つ情報ばかりに接し、自身の考え方や価値観の中に孤立してしまいます(フィルターバブル)。そして同じ意見を持つ集団の中で、自分たちの意見を強化し合う(エコーチェンバー)ことで、自身の固執から逃れることは一層難しくなっていくのです。
では、そうした固執に気付くためには、何が必要なのでしょうか。仏典には対話の中で学びを得るエピソードが描かれています。(片山一良訳『中部(マッジマニカーヤ)中分五十経篇Ⅱ』大蔵出版を参照)
アッサラーヤナというバラモンの青年は、“バラモンこそ最上であり、他は劣っている”という伝統的な主張を繰り返していました。
彼との対話の中で釈尊は、“バラモンでも非道なことをする”“バラモンではない人でも良い行いをする”ことを一緒に確認していきます。そして“伝統の聖典を読誦するが非道な行いをする人と、聖典を知らないが身を律して正しい行いをする人はどちらが優れているか”と問うたのです。アッサラーヤナは沈黙し、赤面して座り込んでしまいます。
この仏典のように、人は他者と対話する中で、多様な価値観に触れ、自分の考えを鍛えていくことができます。「人間中心の原則」に基づき、AIを活用するためには、こうした他者との関わりを持つことが大切です。
価値観を広げる
価値観を広げる
この点において、多様な人々と積極的に関わろうとする創価学会の対話運動は、非常に重要だと考えています。
私自身、学会活動で職業や生まれ育った環境などが違う人たちとも交流できていることは、自分の得難い財産です。政治や経済など社会で起きる出来事の捉え方は人それぞれであり、互いに意見を交わす中で、自分の考えが深まっています。
また、学会の音楽隊での経験が原点になっています。私は中学1年の時、地元・鹿児島の音楽隊に入隊しました。先輩たちは音楽隊としての技術指導はもちろんのこと、多忙な時間を割いて、私の進路や生活の悩みを聞いてアドバイスしてくれました。
なぜここまでしてくれるのかと聞くと、先輩たちは言いました。「僕も同じように育ててもらったから」と。こうした振る舞いに触れ、利己的な人生ではなく、他者をも幸福にしていく中に自身の真の幸福があるという「自他共の幸福」の生き方を学びました。
そんな時に出合ったのが、「大学は、大学に行けなかった人々のためにこそある」との池田先生の言葉です。
もともと、「将来良い会社に入るために大学に入学する」と思っていましたが、“人のため、社会のために尽くせる自分になろう”と決意し、大学では教育学を専攻しました。
現在も、より多くの人が輝ける教育制度の研究をしたいと、日々尽力しています。
池田先生は「歩んできた道が異なる人間同士が向き合うからこそ、一人では見ることのできなかった新しい地平が開け、人格と人格との共鳴の中でしか奏でることのできない創造性も育まれるのではないか。そこに、歴史創造の『可能性の宝庫』となり、『最大の推進力』となりゆく、対話の意義があると思えてなりません」(2016年1月、第41回「SGIの日」記念提言)と述べられています。
さまざまな価値観やバックグラウンドを持つ人と交流し、対話することによって、自分の価値観を広げ、自らを更新する。そのことが、AIの出力した答えに含まれる誤情報や偏見に振り回されることなく、適切に活用し判断する助けになります。
生命尊厳、人間尊重の哲学を持った学術部員として、AIの特性と課題を正しく認識しながら、人間の力を発揮し高めていけるよう、教育に関する研究を重ねていきたいと決意しています。
とともに、人間同士で切磋琢磨しながら成長していく喜びを、一人でも多くの友と分かち合えるよう、対話の道を進んでまいります。
この点において、多様な人々と積極的に関わろうとする創価学会の対話運動は、非常に重要だと考えています。
私自身、学会活動で職業や生まれ育った環境などが違う人たちとも交流できていることは、自分の得難い財産です。政治や経済など社会で起きる出来事の捉え方は人それぞれであり、互いに意見を交わす中で、自分の考えが深まっています。
また、学会の音楽隊での経験が原点になっています。私は中学1年の時、地元・鹿児島の音楽隊に入隊しました。先輩たちは音楽隊としての技術指導はもちろんのこと、多忙な時間を割いて、私の進路や生活の悩みを聞いてアドバイスしてくれました。
なぜここまでしてくれるのかと聞くと、先輩たちは言いました。「僕も同じように育ててもらったから」と。こうした振る舞いに触れ、利己的な人生ではなく、他者をも幸福にしていく中に自身の真の幸福があるという「自他共の幸福」の生き方を学びました。
そんな時に出合ったのが、「大学は、大学に行けなかった人々のためにこそある」との池田先生の言葉です。
もともと、「将来良い会社に入るために大学に入学する」と思っていましたが、“人のため、社会のために尽くせる自分になろう”と決意し、大学では教育学を専攻しました。
現在も、より多くの人が輝ける教育制度の研究をしたいと、日々尽力しています。
池田先生は「歩んできた道が異なる人間同士が向き合うからこそ、一人では見ることのできなかった新しい地平が開け、人格と人格との共鳴の中でしか奏でることのできない創造性も育まれるのではないか。そこに、歴史創造の『可能性の宝庫』となり、『最大の推進力』となりゆく、対話の意義があると思えてなりません」(2016年1月、第41回「SGIの日」記念提言)と述べられています。
さまざまな価値観やバックグラウンドを持つ人と交流し、対話することによって、自分の価値観を広げ、自らを更新する。そのことが、AIの出力した答えに含まれる誤情報や偏見に振り回されることなく、適切に活用し判断する助けになります。
生命尊厳、人間尊重の哲学を持った学術部員として、AIの特性と課題を正しく認識しながら、人間の力を発揮し高めていけるよう、教育に関する研究を重ねていきたいと決意しています。
とともに、人間同士で切磋琢磨しながら成長していく喜びを、一人でも多くの友と分かち合えるよう、対話の道を進んでまいります。
プロフィル
プロフィル
こば・ひろき 1988年生まれ。教育学博士。東京大学大学院教育学研究科・博士課程単位取得満期退学。大同大学講師を経て、現在、東京電機大学未来科学部准教授、放送大学大学院客員准教授。著書に『学問としてのダンスの歴史的変容――ウィスコンシン大学マディソン校のダンスの100年』(春風社)など。創価学会青年学術者会議・事務局長。区男子部長。
こば・ひろき 1988年生まれ。教育学博士。東京大学大学院教育学研究科・博士課程単位取得満期退学。大同大学講師を経て、現在、東京電機大学未来科学部准教授、放送大学大学院客員准教授。著書に『学問としてのダンスの歴史的変容――ウィスコンシン大学マディソン校のダンスの100年』(春風社)など。創価学会青年学術者会議・事務局長。区男子部長。
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