企画・連載
“限定的”核戦争で20億人が飢饉に――核兵器廃絶へ戦う医師に聞く「未来を守る道」 2023年8月8日
SDGs(持続可能な開発目標)の目標16には「平和と公正をすべての人に」が掲げられています。人類の存続を脅かす核兵器の廃絶なくして、真の平和の実現はありません。核戦争防止国際医師会議(IPPNW=1985年ノーベル平和賞受賞)の前共同会長であるアイラ・ヘルファンドさんは、一人の医師として、核戦争がもたらす壊滅的な結末を国際社会に訴え続けてきました。核兵器使用の危険性が高まる今だからこそ、私たちが知るべきことは何か――ヘルファンドさんにインタビューしました。(取材=樹下智)
――長年、米国マサチューセッツ州で医師として活躍してこられましたが、核兵器廃絶の運動に携わるようになった“きっかけ”は何だったのでしょうか。
偶然としか言いようがありません。1977年、ニューメキシコ州の先住民族居留地で、医学生として10週間だけ働いた時のことです。
1冊だけ持っていった本をすぐに読み終えてしまい、本屋を探したのですが見つかりません。唯一本を売っていたのは、バス停近くの売店で、並べてあったのはロマンス小説ばかり。そこでたった1冊だけ気になった本があり、手に取ったんです。
それは66年に起きた、デトロイト近郊の原子力発電所の事故を扱ったノンフィクション小説でした。(原子炉の炉心溶融が起きたのにもかかわらず)事故から30日もの間、市民に何の情報も開示されなかったのです。
原子炉から大都市デトロイトまではわずか30マイル(約48キロ)。もし放射性物質が放出されていれば大惨事でした。事故の情報が30日間も隠されていたことで、住民は避難することもできなかったのです。
――とても危険な状況ですね。
ええ。本を読み、衝撃を受けました。それから、原子力事故による医学的な影響について関心を持つようになりました。
ボストンで臨床研修を始めた際、近くで建設予定だった原子力発電所の反対運動に参加するようになりました。その中で知り合った、医師であり著名な反核運動家であるヘレン・カルディコット博士と、「社会的責任を求める医師の会(PSR)」を創設しました。78年のことでした。
――原子力事故への懸念から出発したPSRは、どのように核兵器廃絶へと焦点を移したのでしょうか。
活動を進めるうちに、実は60年代に同じ名前の組織が存在していたことを知りました。心臓専門医のバーナード・ラウン博士らが創設した最初のPSRです。
博士たちは、核実験による人体への影響を広く世に知らしめ、それが63年の部分的核実験禁止条約へとつながりました。その後、活動を休止していたため、私たちが元のPSRを引き継ぐこととなりました。
ラウン博士に出会い、“原発問題も重要だが、本当の問題は核兵器だ”と伺い、博士たちが1962年に医学誌で発表した一連の論文を読み、完全に納得しました。核兵器の方が、人類の生存にとってはるかに大きな脅威であることが分かったのです。
それから私たちは、活動の主軸を、核戦争による人間への医学的な影響へと移しました。最初のPSRに参加していた医師たちも、次々と協力してくれるようになりました。
――医師として、なぜ核兵器の医学的な影響を調査し、人々に伝えることが重要だと考えたのですか。
医師の仕事は人々の命を救い、公衆衛生を守ることです。そして、公衆衛生上の最大の脅威こそ、核兵器なのです。もし使用されれば、私たちはなすすべがないという事実を、医学界は明確に示す責任があります。
例えば、重度のやけどを負った患者のための集中治療用のベッドは、全米で2000床しかありません。たった1発の小型の核兵器が爆発しただけで、何万人もの人が重度のやけどで苦しむでしょう。そして、そのほとんどが、適切な治療を受けられないまま亡くなっていくのです。
――PSRはその後、さまざまな活動を行ってきました。
私たちは、ハーバード大学など全米各地の学術機関で、核戦争の医学的影響に関するシンポジウムを開催しました。メディアにも取り上げられ、非常に大きなインパクトを与えられたと思います。大勢の人が、核戦争が悪いことは何となく分かっていても、実際にどのような結果がもたらされるのかを理解していなかったからです。
ラウン博士が80年、心臓病研究の盟友であるソ連のエフゲニー・チャゾフ博士らと、核戦争に反対する各国の「医師の会」の連盟であるIPPNWを創設し、PSRはそのアメリカ支部となりました。
その後、米ソ冷戦が終結し、核弾頭の数は減っていきましたが、そこから本当の挑戦が始まりました。核の脅威はいまだ去っていないのにもかかわらず、人々が関心を寄せなくなってしまったのです。
90年代から2000年代初頭まで、偶発的な核戦争が起こる可能性や、テロリストによる核兵器使用のリスクなど、さまざまな警鐘を鳴らし続けましたが、あまり注目されませんでした。2007年に「核の飢饉」に関する新しい研究が発表されて、ようやく再び関心が寄せられるようになったと感じます。
――「核の飢饉」とは何でしょうか。
1980年代から、米ソ間で大規模な核戦争が起きた場合に「核の冬」が起こるという理論がありました。
多数の核弾頭の爆発によって広範囲の火災が起こり、大量のススとチリの粒子が大気中に運ばれます。それが太陽光線をさえぎり、地球の気温を著しく低下させるのです。
2007年の研究は、例えばインドとパキスタンの間で起きるかもしれない“限定的”な核戦争でも、食物生産量を著しく減少させ「核の飢饉」を起こすのに十分なほど、地球の気温を低下させることを示しました。
「核の冬」を起こすほどではない、この限定的な核戦争による「核の飢饉」で、20億人もの人々が亡くなる可能性があることが分かったのです。
つい昨年、「核の飢饉」に関する新たな研究が発表されました。そこで明かされたのは、「核の飢饉」で最も影響を受けるのは、赤道に近い開発途上国ではなく、アメリカ、カナダ、欧州、また日本や韓国といった、緯度が高い地域にある先進国だということです。
食料自給率の低い日本が最も被害を
――その要因は何でしょうか。例えば、日本にはどれほどの被害が考えられますか。
一つは、地理的な要因です。緯度が高いほど、地球全体の気温が下がった時の影響は大きい。作物が育つのに適した期間が短くなるからです。逆に、赤道に近い国では、そうした期間の長さは、ほとんど変わりません。
また「核の飢饉」が起きた時、食料の輸出入がストップすることが考えられます。自給率が低い国にとっては致命的です。
例えば、100発の小規模な核弾頭が爆発し、地球の気温が1・3度下がるという、最小規模のシナリオでは、その核戦争から2年後には、世界で約3億3500万人、日本で約8000万人が亡くなると予測されています。
――衝撃的な予測ですが、正直、100発もの核弾頭が使用されるなんて、とても想像できません。
まさしく、その「想像できません」という言葉こそ、私たち全員が抱えている問題なのです。
核戦争が実際に起きるなんて思えないし、信じられない――だから、この問題に対して十分な注意が払われていないのです。
しかし核兵器が存在する限り、いつかは使われる可能性が高い。つまり、核兵器を根絶しない限り、核戦争は防げません。
ウクライナ危機を巡って、アメリカとロシアが偶発的な核戦争に至れば、3000発の核弾頭が使用される可能性があります。国境問題で軍事衝突を続けるインドとパキスタンが核戦争に至れば、250発が爆発するかもしれないのです。米軍が対ロ戦争のシミュレーションをする時には必ず、大規模な核戦争に至ることも考えられています。核戦争は、現実に起こり得ることなのです。
――ヘルファンドさんたちが「核の飢饉」について訴え始めた時期は、ちょうど「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN=2017年ノーベル平和賞受賞)が発足した時と重なっています。
2006年、IPPNWはICANを発足させる決議をしました。05年の核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議で、核保有国と非核保有国の対立が先鋭化し、合意文書を出せなかったことを受けての行動でした。
ICANは07年にオーストラリアで発足しました。10年にスイスで開催されたIPPNWの世界大会に、ジュネーブの外交関係者が多数出席し、私たちが警告した「核の飢饉」に共感してくれました。関係者は、ジュネーブにICANの国際事務所を設置する手助けをすると同意してくれたのです。
11年、ジュネーブにICANの国際事務所が開かれ、そこを拠点に、各国の軍縮大使らに働きかけるなど、活動が強化されていきました。ICANが市民社会の声をまとめる役割を担い、核兵器禁止条約への流れを後押ししました。私はICANの国際運営委員も務めていますが、SGIは、このキャンペーンを推進する主要なパートナーとなってくれました。
SGIの活動は他の団体の模範
――ヘルファンドさんは本年5月、ボストンの池田国際対話センターでSGIの代表と会見した際、「IPPNWと創価学会は、池田先生とバーナード・ラウン博士の友情からはじまった、非常に大切な関係です」「今後も、核廃絶に向けて手を携えていきたい」と語られました。
核兵器に反対するFBO(信仰を基盤とする団体)は世界にたくさんあります。しかし、その中でSGIが、ほぼ唯一無二の存在といえる理由は、核兵器廃絶への誓いを実際の行動に移しているという点です。
SGIは長年、核兵器を根絶しなければならないという思想を、たゆむことなく宣揚してきました。現在も、ここアメリカにおける主要な核兵器廃絶キャンペーンにおいて、中心的役割を担ってくれています。他のFBOのもとにも赴き、具体的な行動を促しています。SGIは、他のFBOの模範として、リーダーシップを発揮してくれているのです。
池田SGI会長は、平和提言で常に核兵器廃絶を力強く訴えてこられました。私たちに非常に大きな勇気を与え、影響をもたらしています。そしてSGI会長の弟子の皆さんが今、核兵器廃絶のために積極的な役割を果たしてくれています。SGIが果たしてこられた非常に重要な貢献に感謝を申し上げるとともに、今後のさらなる協力を念願します。
アイラ・ヘルファンド ハーバード大学、アルバート・アインシュタイン医科大学卒。病院の救命救急センター長等を務めた。1978年、「社会的責任を求める医師の会」を共同創設。後に同会の会長、「核戦争防止国際医師会議」の共同会長を歴任した。「核兵器廃絶国際キャンペーン」の国際運営委員も担う。世界的な医学誌に、核兵器の医学的影響に関する論文を多数執筆。核兵器の非人道性について、国連や政府間会議などで証言している。
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sdgs@seikyo-np.jp
●聖教電子版の「SDGs」特集ページが、以下のリンクから閲覧できます。
https://www.seikyoonline.com/summarize/sdgs_seikyo.html
●海外識者のインタビューの英語版が「創価学会グローバルサイト」に掲載されています。
https://www.sokaglobal.org/resources/expert-perspectives.html