企画・連載
ノーベル生理学・医学賞受賞者 カタリン・カリコさんに聞く 2024年9月11日
SDGsの目標3「すべての人に健康と福祉を」には、感染症の根絶や、医薬品・ワクチンの普及などが掲げられています。米ペンシルベニア大学特任教授のカタリン・カリコさんは、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)を収束させる原動力となった「mRNAワクチン」の開発に貢献し、昨年のノーベル生理学・医学賞に輝きました。人々の健康のために長年研究を続けてきたカリコさんに、これまでの歩みや研究への思いを聞きました。(取材=樹下智、山科カミラ真美)
――カリコさんの自伝『ブレイクスルー』の日本語版(河出書房新社)が、このほど発刊されました。同書には、カリコさんが東欧ハンガリーの初等学校で学ぶ時から、化学・生物学に打ち込んでいく様子が描かれています。そのきっかけについて教えてください。
どんな人でも、自分の体や自然について理解を深めることに興味はありますよね? 子どもたちは特にそうで、鳥や木々を見て、わくわくするものです。
私はハンガリー平原北部にある、農業を中心とした町で生まれ育ちました。父が精肉業を営んでいて、豚や鶏たちと一緒に暮らしていました。学校でも先生が、よく私たちを校庭に連れ出し、“なぜこの葉っぱは全て同じ大きさなのだろう”“なぜ木は大きく成長するのに人間はそこまで大きくならないのかな?”等と、自然の不思議さについて一緒に考えてくれました。
――カリコさんは同国のセゲド大学生物学科に在学中、「いつの日か、mRNA(※注)を使って、病気と闘うのに必要な特定のタンパク質を細胞に作らせることができるようになるのではないか」と思ったと、自伝で振り返っています。なぜmRNAに注目したのですか。
正直に言うと、私に先見の明があったというわけではありません。セゲド大学の学部生だった時から、ハンガリー科学アカデミーの生物学研究所で働き始めました。そこで出会った人との縁があって、博士課程でRNAを研究することになったのです。
ですが、研究を進めるほどに新しい発見があり、「もっとこうできるんじゃないか」と、楽しくなっていきました。指導教官が製薬会社で働いていたこともあり、ウイルスに対抗する化合物が、いかに必要とされているかも肌で感じていました。人々の健康の役に立つ抗ウイルス薬を生み出したいとの思いで研究を続けました。
※注 mRNA(メッセンジャー・リボ核酸)は、細胞内でDNA(デオキシリボ核酸)の遺伝情報を転写し、タンパク質合成の場へ伝える、メッセンジャー(伝令)の役割を担う。試験管でつくられたmRNAを体内に投与することで、細胞に特定のタンパク質をつくらせることができ、新型コロナワクチンにも、この技術が応用された。
――セゲド大学で博士号を取得した後、突然の資金援助の停止で、ハンガリーでのRNA研究を断念。渡米後も、カリコさんの研究人生は苦難続きでした。テンプル大学では、上司に好条件の転職を阻まれ、国外退去をちらつかされました。ペンシルベニア大学では、降格を経験し、研究が継続できない状況に何度も直面。2013年には、長年使っていた実験室を追い出されます。
ハンガリーで失職したのが、30歳。ペンシルベニア大学で研究助教から上級研究調査員に降格したのは、40歳。17年間働いていた実験室を取り上げられたのは、58歳。まさに、ずっと下り坂の研究人生でした。
ですが、その時々に、少なくとも一人は、私の研究を応援してくれる上司や同僚がいました。そして何より、家族の存在が大きかったと思います。
夫のベーラは経済的に家族を守ってくれただけではなく、常に私の心の支えとなってくれました。何でも自分で作れる人なので、よく実験器具も直してもらいました。娘のスーザンも、いつも私を応援してくれました。私が44歳でフルマラソンに挑み始めた時、スーザンがよく練習に付き合ってくれました。
私とベーラも、スーザンのボート競技を全力でサポートしました。彼女が2度、オリンピックで金メダルに輝いたことは、私たちの誇りです。
――カリコさんは「あのmRNA研究の変わり者」と言われながらも、医師や研究者に会うたびに、「mRNAを作れますよ、どんなRNAでも扱えますよ」とアピールしました。そうした中で、コピー機の前で偶然出会った免疫学者のドリュー・ワイスマン博士と共同研究を行い、人工のmRNAが起こす炎症を避ける方法を見つけます。mRNAは長年、体内で炎症反応を起こすため治療薬やワクチンに活用できませんでした。二人の発見は、まさに「ブレイクスルー(画期的発見)」となりました。
科学では何かを発見した時、まずその結果を疑わなければなりません。間違いないと確信するまで、実験を繰り返すのです。
私たちが精製したmRNAが、炎症反応を引き起こさないことが実験結果で分かった時、「やったわ! ついに見つけた!」と喜ぶことはありませんでした。最初は何かの間違いではないかと疑いました。
mRNAが炎症反応を起こさないのなら、さまざまな病気に対処できる治療薬やワクチンをつくれる――。実験を重ね、確信が深まっていった時、未来への希望と喜びが胸にあふれました。なぜなら、病気を治療するタンパク質をつくるmRNAの精製を、私は常に目指してきましたから。
さらに、炎症反応を起こさないだけでなく、それまでの10倍以上のタンパク質を、mRNAでつくれる方法も見つけました。
〈2005年に発表されたカリコさんたちの研究は、すぐには評価されなかったが、次第に一部の研究者や製薬会社がmRNAに着目するようになる。大学の実験室を追われたカリコさんは13年、ドイツの製薬会社ビオンテックの副社長に就任。そこで、mRNAを使ったインフルエンザのワクチンなどを開発する中で、19年末から始まった新型コロナのパンデミックを迎える。それまでの基礎研究と臨床実験のおかげで、新型コロナのmRNAワクチンは迅速に開発され、臨床試験が行われた〉
――カロリンスカ研究所ノーベル賞会議は、カリコさんとワイスマン博士の基礎研究が可能にしたワクチンのおかげで、「幾多の命が救われ」「社会が開き、正常の状態に戻った」と評価し、二人へのノーベル生理学・医学賞の授与を決定しました。受賞について、どのような思いを持たれていますか。
「自分でどうにもできないことは気にしない」というのが、私の基本的な哲学です。ノーベル賞であれ、どんな賞であれ、受賞者を決めるのは私ではありません。私にとって大事なのは科学であって、受賞するかは二の次です。
ノーベル賞受賞は大変に光栄で、うれしいことですが、正直、賞を受けたいとは思っていませんでした。また、ワクチンを開発・供給するために、ビオンテック社、ファイザー社、モデルナ社の人など、実に多くの人々が必死に働きました。全員が大事な貢献を果たした人であり、私はその一人に過ぎません。
コロナ禍の中でワクチンが普及し始めた時、多くの手紙をいただきました。年老いた両親がワクチンを接種できたことへの喜びを記すものもあれば、老人ホームに暮らす方々からの感謝の手紙もありました。
200人が住むニューヨークのある老人ホームでは、1度目のワクチン接種が終わった直後に、コロナ感染が始まりました。それまでは、老人ホームで感染が起こると入居者の3分の1が亡くなるといわれていましたが、その老人ホームでは一人の犠牲者も出ませんでした。1度の接種だけで全員が守られたのです。
隔離され、子や孫と会えず、孤独に死を迎えるかもしれないと思っていた方々からの喜びの声は、どんな賞をいただくよりも、私を幸福にするものでした。
――カリコさんは自伝の「エピローグ」で、次世代の科学者らへのメッセージとして、「あなたの今後の貢献は、まだ仮定にすぎないかもしれない。でも、どうかそれを現実のこととして扱ってほしい。それは重要なものなのだ。たとえその結果がもたらす影響をあなたがみることができなくても、重要なものなのだ」とつづられています。
自分のアイデアが、いつか難病を治す薬の開発につながるかもしれない。私もそうした思いで、数えきれないほどの実験を行ってきました。
と同時に、たとえ目に見える結果が出なかったとしても、自身の研究を土台として、次の世代の研究者が新たなレベルに進んでくれるに違いない、との思いを抱いてきました。なぜなら、何万人もの科学者の先輩たちが積み上げてきた知識のおかげで、私たちも今の研究に従事できているからです。一つ一つの実験、全てのステップが重要なのです。
――エピローグには、「すべての種子は新たな生命を育む。その生命が新たな種子を生み、さらに新たな生命が育まれる。それがくり返される。だからあなたも、自分の中にあるものを信頼してほしい」とも記されました。最後に、カリコさんが人々に一番伝えたいメッセージについて教えてください。
あまりに多くの人々が、他人と自分を比べ、他の誰かのような人生を歩みたいと願っているように感じます。自分の意志を大切にして、自分自身に生き切るのが、人生で何より大事なことではないでしょうか。
世の中を少しでも良くするために、“自分にしかできない何かで貢献できた”“私は私のベストを尽くせた”と言える満足感と喜びさえあればいい。その貢献を他の人に知ってもらったり、評価してもらったりする必要はありません。「自分は自分の仕事をした」と自分自身が思えることに、本当の充実があり、幸福があるのだと思います。
時間はかかりましたが、私の場合は、生きている間に努力の結果が表れたので幸運でした。ですが、たとえ自身の人生の中で結果が出なかったとしても、未来にいつか花開くと信じて、下り坂の中でも研究を続けてきました。
そうした信念で、目標を立てて、自分のベストを尽くす。達成できたら次の目標を立てて、また頑張る。この繰り返し、努力の過程こそ重要なのだと考えます。
私は移民で、英語も完璧ではありません。ネイチャー誌で論文を発表するような優秀な研究者に囲まれ、“私なんて小さな存在だ”と思ってしまうような時もありました。“私は脇役だから、立派な研究者を支えられればいい”と、目標を低く設定することもできたかもしれません。でも、私はそうしませんでした。
自分には、自分にしかできないことがあると信じてほしい。自身を決して卑下せず、その才能を最大限に発揮できるよう、そして、常に新しい自分を発見し続けられるよう、主体的に挑戦を続けてほしい。特に若い世代に、こうした思いが伝われば幸いです。
Katalin Karikó ハンガリー出身の生化学者。同国のセゲド大学教授、米ペンシルベニア大学特任教授、独ビオンテック社顧問を務める。新型コロナのmRNAワクチンの開発を可能にした基礎研究が評価され、ノーベル生理学・医学賞(2023年)を共同受賞した。
●ご感想をお寄せください。
sdgs@seikyo-np.jp
●聖教電子版の「SDGs」特集ページが、以下のリンクから閲覧できます。
https://www.seikyoonline.com/summarize/sdgs_seikyo.html
●海外識者のインタビューの英語版が「創価学会グローバルサイト」に掲載されています。
https://www.sokaglobal.org/resources/expert-perspectives.html