企画・連載

〈SDGs×SEIKYO〉 すっきり、さっぱり、心の交流――老舗銭湯の4代目店主 2023年2月7日

 鳥取県米子市にある銭湯「米子湯」は、大正時代にのれんを掲げ、100年を超える歴史を刻んできました。4代目店主を務める西村伸秀さん(40)=県男子部主任部長=は、銭湯が築く人と人とのつながりを大切にしています。(今回はSDGsの3番目の目標「すべての人に健康と福祉を」について考えます。取材=石塚哲也、内山忠昭)
 

この記事のテーマは「すべての人に健康と福祉を」

 
 服を脱ぎ、体の汚れを洗い落とし、大きな湯船でたっぷりの湯に漬かる。その開放感と幸福感がたまらない。「来てくれる皆さんが、生きている喜びを確認できるのが銭湯」と、西村さんは感じている。

 後継者不足や燃料費の高騰などにより、各地の銭湯は苦境に立たされている。「米子湯」もその例に漏れない。西村さん自身、4代目として店を継いでから10年余り。コロナ禍に入ってから、日中は会社員として働き、夜は番台に立つという“二足のわらじ”を履き続けている。
 

 
 体を心配し「もう店をたたんだら」と言ってくれる人もいた。その心に感謝しつつ、西村さんは「米子湯を必要としてくださるお客さまが一人でもいる限り、のれんを出し続けたい」と。

 西村さんを突き動かすものは何か。そこには、利用客の存在はもちろん、米子湯を愛した3代目の祖父の存在、そして創価学会の友との絆がある。
 

 
 祖父・文人さん(故人)の体調が悪いと、父・秀文さん=副圏長=から連絡を受けたのは2010年。父は「おまえにその気があれば、銭湯を継がないか」とも。

 当時、西村さんは28歳。大学進学を機に鳥取から奈良へ。卒業後も奈良で会社員として働いていた。実家からの一報を受け、休日は故郷で過ごすようにした。

 目にしたのは、番台に座る祖父の姿。90歳を超えた祖父は、今にも倒れそうに見えた。「耳も目も悪いのでご理解ください」と張り紙がある。しかし、利用客が来ると、別人のように「いらっしゃいませ!」と満面の笑みで迎えた。
 

 
 西村さんは「その瞬間、祖父の生きざまを見る思いでした」と。銭湯を継ぐかどうか考え始めた。御本尊に向かうと、男子部での薫陶が思い起こされた。

 祖父母の代で始めた創価学会の信仰。 西村さん自らが学会活動に励むようになったのは、大学に入ってからだ。激励に来た先輩に対し、「自宅で題目あげているんで会合には行きません」と伝えると、先輩は「みんなで祈れば元気が出るよ」とほほ笑んだ。
 

 
 以降、交通事故に遭った時も、就職活動が思うようにいかない時も、リストラに遭った時も、転職した時も、周りには必ず学会の仲間がいた。だから「挑戦の勇気が湧いたんです」。この先の人生の選択を懸けて祈りを重ねる中で、西村さんは思った。

 「たくさんの出会いに恵まれ、支えられてきた。今度は自分が、その人たちのように、地域の人の力になりたい」

 11年、西村さんは鳥取に戻り、米子湯の4代目となった。翌年、大規模な改装をして新出発。祖父は「それは良いことだ。頑張れ!」と言ってくれた。
 

 
 銭湯は、「物価統制令」の対象で、国民が衛生環境を確保するために利用料金の上限がある。だからこそ、「皆が気軽に湯に入れるんだ」と、西村さんは多様な利用客を受け入れてきた。

 半面、経営は苦しい。“廃業”の2文字が、何度も脳裏をよぎった。そのたび「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)との日蓮大聖人の御書の一節を、自らに言い聞かせた。
 

 
 「銭湯の可能性」を広げようと、災害時に浴槽の水を利用できるように整備を施したり、小学生の体験授業を行ったり、季節イベントを開いたり。「地域のホットステーション」として知名度を上げた。

 ひたむきに歩んだこの10年。利用客の中学生が親となり、今は親子で通ってくれている。浴室の壁越しにせっけんを投げ合う熟年夫婦の常連客や、先日の大雪の影響で風呂が壊れてしまった客もいた。全ての人が、西村さんの支えだ。
 「湯船に漬かる時は、年齢も肩書も関係なく、皆が裸で交流できる。イライラしていても、悲しい気持ちでも、米子湯は、みんなの心を温めてくれる」

 そんな笑顔になれる場所を、西村さんは守り続けていく。

【SDGs×SEIKYO特設HPはこちら】
※バックナンバーが無料で読めます※

●最後までお読みいただき、ありがとうございます。ぜひ、ご感想をお寄せください→ sdgs@seikyo-np.jp