企画・連載

〈ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第48回 ライト兄弟 2025年1月19日

〈ライト兄弟〉
一人が十人を奮い立たせ、
共に行動してくれるようになれば、
偉大なことを成し遂げたことになる。

 「鳥のように大空を飛ぶこと」は、人類の見果てぬ夢だった。ギリシャ神話には人が空を飛ぶ様子が描かれ、15世紀には万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチが飛行の研究を始めた。
 
 熱気球が初めて空を飛んだのは18世紀。19世紀に入ると、飛行船が開発され、グライダーも製作された。だが、多くの発明家が実験を繰り返しても“人類の夢”は、なかなか実現しなかった。
 
 不可能の代名詞とまでいわれた夢を現実にしたのは、二人の青年だった。今から約120年前、歴史上初めて、有人動力飛行を成功させたライト兄弟である。
 
 飛行機の世紀の扉を開いたライト兄弟。兄ウィルバーはこんな言葉を残している。
 「一人の人間が、直接できることには限りがある。しかし、一人が十人を奮い立たせ、共に行動してくれるようになれば、それは、すでに偉大なことを成し遂げたことになる」と。
 
 ウィルバーが生まれたのは、1867年。4年後に弟オーヴィルが誕生し、兄弟は牧師の父と手芸やものづくりが得意な母のもと、アメリカ・オハイオ州で育った。
 
 飛ぶことに興味を抱いたきっかけは、父が買ってきたおもちゃのヘリコプターだった。好奇心旺盛な兄弟は、プロペラ付きのおもちゃを飛ばし、壊れるまで遊んだ。
 
 飛行の知識を身に付ける力となったのは、読書家の父が所有していた本だ。父の勤勉さと母の器用さを譲り受けた二人の土台は、青春時代に築かれた。「人生で成功する秘訣を若者から問われたら、こう答えるつもりです。よき父とよき母を選び、オハイオで人生を始めることだ」(ウィルバー)。母は病で亡くなるが、兄弟は前を向き、自転車店を開業。町でも評判の技術者となった。
 
 96年、尊敬するドイツの飛行研究家オットー・リリエンタールがグライダーで墜落死する。19世紀当時、世界では各地で飛行機の開発が進んでいた。「抑えがたい情熱で私たちを感化し、根拠のない好奇心を、額に汗して働く者の果敢な熱意に変えた」――リリエンタールの死を機に、二人は飛行への挑戦を開始したのである。

〈ライト兄弟〉
私たちは夜明けが待ち遠しかった。
明日こそは面白いことがつかめる。
いつもそんな気がしたものだ。

 ライト兄弟は全米で有力な学術機関などに手紙を送り、飛行実験に関する資料等を取り寄せた。共に高校中退という無名の二人に国や団体からの資金援助はない。自転車店を営む傍ら、独学で知識を深め、工作技術を生かしてグライダーや飛行機を自作した。
 
 1900年、本格的な飛行実験を大西洋岸にあるキティ・ホークの砂丘でスタート。“人類の夢”への挑戦は、失敗に次ぐ失敗の連続だった。先駆者たちの成果を一から見直さざるを得ない結果となり、意気消沈して帰ったこともあった。蚊の大量発生など過酷な自然環境との戦いもあった。
 
 だが、不可能の突風が何度吹き付けても、二人の心が折れることはなかった。「わたしたちは、いつも夜明けが待ちどおしかった。あすこそは、なにかおもしろいことがつかめそうだ、いつもそんな気がしたものだ。一日一日が、幸福そのものだった」(オーヴィル)。独自に翼を発明し、エンジンやプロペラを開発するなど、地道に研究を重ねていく。
 
 03年12月14日、キティ・ホークで行った実験は失敗に終わるが、兄弟はすぐに機体の修理に取りかかり、再開の準備を進めた。
 
 そして、ついに「その時」が訪れる。12月17日、オーヴィルを乗せた機体は12秒間で36・6メートルの飛行に成功。その後も飛行を試み、ウィルバーが59秒間で260メートルという記録を達成する。操縦可能な動力付き飛行機の人類初飛行が実現したのである。ウィルバー36歳、オーヴィル32歳の時であった。

 この日、未到の快挙を見に来たのはわずか5人。正確に報じるメディアは皆無に等しく、信じる人もほぼいなかった。それでも兄弟の情熱は冷めることなく、2年後の05年には、さらに改良を加えた飛行機で39分のフライトに成功。30回旋回し、約40キロを飛んだ成果は「飛行が科学から、実用技術の領域に移ったことを証明している」と、ウィルバーは友人に語っている。
 
 やがて世界は二人の偉業をたたえ、ライト兄弟以降、航空技術は急速な発展を遂げる。2度の大戦で使用されるという不幸な歴史を経たが、飛行機は人や物の新たなインフラとなり、世界の様相を変えていったのである。

〈ライト兄弟を通して語る池田先生〉
何事も一歩一歩である。
きょうがだめなら明日。
明日がだめなら、あさって。
ともかく前へ前へ進むことである。
これが人生の真髄の生き方である。

 池田先生の平和旅も飛行機と共にあった。65年前の1960年10月2日、恩師・戸田城聖先生から託された世界広布の夢の実現へ、東京・羽田を出発。以来、54カ国・地域を回り、「自分が花を咲かせるのではなく、種をまいて終わる一生」を貫いた。
 
 75年1月26日には、アメリカ・グアムの地でSGIを発足。今月で半世紀を迎える今、妙法の地涌の人華は192カ国・地域に咲き薫っている。
 
 かつて先生は、ライト兄弟の初飛行を通して、後継の友に語り、つづった。
 
 「何事も一歩一歩である。少しずつでも前へ進むことである。きょうがだめなら明日。明日がだめなら、あさって。今年がだめなら明年、勝てばいい。(中略)
 ともかく前へ前へ進むことである。これが人生の真髄の生き方である」(96年12月17日、創価女子短期大学生・創価学園生との記念撮影会でのスピーチ)
 
 「歴史的な壮挙を成し遂げるといっても、その一歩一歩は、決して華やかなものではない。むしろ地道な、誰にも気づかれない作業である場合がほとんどです。だが、その前進の積み重ねが、時代を転換していく力なんです」(小説『新・人間革命』第14巻「大河」の章)
 
 さらには、飛行機が空気抵抗を味方にして上昇する原理に触れつつ、共戦の同志に呼びかけた。
 
 「人生も、仏道修行も、何の抵抗もない“真空状態”の中では、楽なように思えるかもしれないが、その実、大空に飛翔することはできない。空気の“抵抗”のなか、飛行機が前へ前へと飛び続けてこそ、空気も味方し、持ち上げる力となるのである。
 前へ、ただ前へ――広宣流布もまた、『勢いある前進』を続けるかぎり、苦難をも上昇の力に変えていける。『難即安楽』『煩悩即菩提』の『即』とは、何があっても『いよいよ』と奮い立つ強盛なる『信心』をさすといえよう」
 「(日蓮)大聖人は『法性の空に自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ』(全1584・新2050)と。また『寂光の空をもかけりぬべし』(全1430・新2026)等と仰せである。『法性の空』『寂光の空』――この『永遠の幸福の大空』へ、『久遠の同志』とともに、自由自在に飛翔しゆく人生であっていただきたい」(91年8月7日、日米記念合同研修会でのスピーチ)
 
 ライト兄弟は幾多の逆境を乗り越え、大航空時代を切り開いた。我らは学会創立100周年へ、人類の宿命転換を懸けた「勝負の10年」を進む。その折り返しとなる95周年の「世界青年学会 飛翔の年」――勢いある前進が各地で始まっている。

【引用・参考】市場泰男著『大空にいどんだ人々』(さ・え・ら書房)、ラッセル・フリードマン著『ライト兄弟――空を飛ぶ夢にかけた男たち――』松村佐知子訳(偕成社)、デヴィッド・マカルー著『ライト兄弟 イノベーション・マインドの力』秋山勝訳(草思社)、Stephen B. Goddard, Race to the Sky: The Wright Brothers Versus the United States Government, McFarlandほか

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