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〈キニナルを調べる 社会課題のなぜ〉 ルポ 就職氷河期世代の母と子を支えた絆

前回を読む。

 本企画では、「居場所のない若者たち」をテーマに若者支援の現場や専門家への取材を重ねてきました。

 そこから見えてきたのは、孤立を防ぐためには、日常の声かけやケア(気にかけ合う)など、人と人とのつながりを地域の中に築いていくことが欠かせないということでした。

 今回は、そのことを雄弁に物語る信仰体験を紹介します。

 千葉県船橋市に住む女性部員の歩みを通し、創価学会が地域社会に広げてきた「居場所」の実像に迫ります。(記事=中谷光昭)

◇「顔、見に来たよ」

 佐藤恵美さん(船橋太陽県・高野台支部)が結婚したのは、2006年のこと。長く続いた就職氷河期にも、ようやく出口の兆しが見え始め、就職率は回復傾向に向かっていた頃である。

 だが2年後、リーマン・ショックが世界経済を揺るがし、日本社会は再び深い不況へと沈んでいく。そんな不安定な時代のただ中で、佐藤さん夫婦の結婚生活は始まった。

 夫は古着が好きで、アパレル関係の仕事に就きたいと思っていた。しかし、仕事を選べなかった時代。「安定した収入」を優先し、正社員として迎えてくれる夜勤の清掃業に就いた。

 勤務先は大型ショッピングモール。閉館後の深夜から朝方にかけて、広い館内を掃除する。仕事を終えて帰宅すると、そのまま布団に倒れ込むことも。昼夜逆転の生活は、体にこたえた。

 佐藤さんは心配し、「別の仕事にしたほうがいいんじゃない?」と何度も声をかけたが、夫は「生活のために」と耐え抜いた。佐藤さんも正社員として勤め、夫婦は共働きで日々をつないだ。

 そんな二人の暮らしを気にかけてくれたのが、創価学会の女性部の先輩たちだった。

 「顔、見に来たよ」「困ってることない?」。代わる代わる家を訪ねてくれた。「会合の連絡でも事務的な話でもなく、ただ“顔、見に来たよ”と会いに来てくださったことが、うれしかった」と、佐藤さんは振り返る。

 ある先輩は「もしよかったら」と、手作りの春巻きを届けてくれた。夫は「うまい!」と笑顔でほお張った。佐藤さんは先輩に春巻きのレシピを教わり、やがて夫の大好物になった。

 贅沢はなかった。それでも、二人の食卓には笑顔があった。

◇夫婦の生きがい

 結婚から3年後、佐藤さんのおなかに待望の命が宿る。

 佐藤さんは妊娠高血圧症候群を患い、絶対安静の入院の中で懸命に命を守った。夫は夜勤でどんなに疲れていても見舞いに駆けつけ、付き添った。夫婦は指折り数えるように、出産の日を目指した。

 2009年2月10日――。

 分娩室に、元気な産声が響いた。男の子だった。「目がクリクリしていて、夫にそっくりでした」。普段は泣かない夫が、この時ばかりは声を詰まらせ、ぽろぽろと涙を流した。

 夫婦で相談し、名は「優羽」と付けた。「優しさを忘れず、大きく羽ばたけるように」との願いを込めて。

 優羽さんの存在は、夫婦の生きがいになった。夫は夜勤明けで疲れていても、優羽さんに会いたくて仮眠も取らずに帰宅した。おなかやお尻に顔をうずめて笑わせ、率先してミルクをあげ、おむつを替え、お風呂に入れた。

 「本当に、かわいくて仕方なかったんだと思います」。佐藤さんは、懐かしそうに振り返る。

 優羽さんが3歳の誕生日を迎えようとしていたある日、夫が突然、体調を崩した。医師の診察を受け、薬を処方されて帰宅した。

 その夜、佐藤さんが「早く寝なね」と声をかけると、夫は「じゃあ寝るね」と。それが最後の会話になった。

 夜中、夫の容体が急変する。体は激しく痙攣していた。駆けつけた救急隊員が夫の体にまたがり、必死に胸骨圧迫を続けた。「まだ若いから、戻るかもしれない!」

 病院へ搬送後も、救命措置は続いた。だが、願いは届かなかった。医師から告げられた病名は「劇症型心筋炎」。35歳という若さ。あまりにも突然の別れだった。

◇小さな手を握り

 夫は勤勉な人だった。家族思いの人だった。

 就職氷河期やリーマン・ショックの荒波に耐え、「家族のために」と懸命に働いてきた。優羽さんを抱き、うれしそうに笑っていた夫。その姿はもう見ることができない。

 それでも、佐藤さんには立ち止まっている時間はなかった。

 “優羽を守れるのは、私しかいない。私は絶対に倒れるわけにはいかない”

 優羽さんに寂しい思いをさせてしまうかもしれない。それでも、ひもじい思いだけはさせたくなかった。立派に育て上げてみせる――その思いが、御本尊に向かう力となった。

 強き母になろうと、ひたぶるに祈った。だがどうしても、心に悲哀が付きまとう日もあった。夫が亡くなって2カ月後、優羽さんを連れ、保育園へ初登園した。夫婦で見学し、「ここにしようか」と相談していた保育園だった。

 周囲には夫婦そろって子どもを送りに来ている家庭もあった。“パパも一緒に来たかったよね”。小さな手を握りながら、佐藤さんは思った。保育士の腕に抱かれ、きょとんとした顔の優羽さんに、「またね」と手を振った。

 保育園を後にし、自転車にまたがった瞬間、とめどなく涙があふれた。「なんで泣いたのか、自分でも覚えていないんです。もしかしたら、“独りぼっちになっちゃった”って、急に寂しくなったのかもしれません」

 そんな佐藤さんを孤独にさせてなるものかと、心を寄せてくれた人たちがいた。

 佐藤さんの家のチャイムが鳴る。扉の向こうに、女性部の先輩が立っていた。

 「何でも言うのよ」。その声は、母のようだった。

 「絶対大丈夫だからね」。その声は、確信に満ちていた。

 “どれだけ私と優羽のことを祈ってくれているんだろう”。言葉の奥に「先輩たちの祈りを感じました」。

◇頼れる人がいる

 佐藤さんは「実家の両親や妹の家族の支えも大きかったです」と語る。優羽さんが寂しい思いをしないようにと、七五三には親戚が集まり、運動会の親子リレーでは叔父が父親代わりに走ってくれた。

 学校行事や記念日など、人生の節目に寄り添ってくれた家族。一方で、家族だけでは支えきれない日々の暮らしを見守り、気にかけてくれたのが女性部の先輩たちだった。

 佐藤さんは、「困ったことがあったら、近所の学会のおばちゃんの家に行くんだよ」と、優羽さんが幼い頃から言い聞かせてきた。

 夫を突然失い、一人で息子を育てていた佐藤さんにとって、「何かあった時に頼れる人が地域にいる」ということは、「大きな安心」だった。

 「もしも私が病で倒れても、先輩たちがいてくれる」――そう思えたことが、どれほど心強かったか。家族の愛情と先輩方の見守りが、佐藤さん親子にとっての「心の居場所」になっていた。

◇父の温もりを

佐藤さんは、優羽さんを保育園に預けていた頃は近所のスーパーで、小学校に入学した後は調理補助や事務など短期の仕事で家計を守った。

 優羽さんが小学6年生になると、介護の職に就き、働きながら資格も得た。どんなに忙しくても、学校行事には必ず駆けつけ、クラスの役員なども積極的に引き受けた。

 優羽さんには忘れられない光景がある。小学校のマラソン大会――沿道には、力の限りに自分の名を呼ぶ母の姿があった。「優羽、頑張れ! 優羽、いけ、いけ!」

 全身全霊で息子を守ろうとした母。その母を、優羽さんもまた、幼いながらに守ろうとしていた。小学生の頃、母とお出かけした帰り道。電車で母が眠ってしまったことがあった。優羽さんは「自分がお母さんを守らなきゃ」と、母の前に立つようにして周囲を見回していたという。

 父がいない寂しさを、優羽さんは、ほとんど口にしなかった。「お母さん、ずっと頑張っていたから。“寂しい”って言ったら、お母さんが悲しむって思ったんです」

 我慢はしていても、友達が父親と楽しそうに遊ぶ姿を見た時や、家族で出掛ける同級生の話を聞くたび、父を恋しく思った。寂しさが募る夜は布団にもぐり、父の写真や動画を眺めた。そこには、幼い自分を抱き、湯船に漬かる父の姿があった。

 “お父さん、とってもうれしそう。僕をこんなに大切に思ってくれていたんだ”。父の温もりを抱き締めた。

◇たくさんの“母”

中学生になると、優羽さんは父のことが知りたくなり、「どんな人だったの?」「何が好きだったの?」と母に尋ねるようになった。

 佐藤さんは飾らず、ありのままを話した。「お父さんね、古着が好きだったんだよ」「優羽が生まれた時、お父さん、うれしくて泣いていたんだよ」

 心の温かな父。懸命に働き、母と自分との生活を守ろうとしてくれた父。いつしか優羽さんは、タンスに眠っていた父の服を取り出し、すすんで着るようになった。

 佐藤さんは夫を、優羽さんは父を失った。その悲しみや寂しさは、別の何かで埋められるものではなく、寄せては返す波のように胸に迫ってくる。

 悲哀も寂寥も抱き締め、互いを思いやりながら生きてきた佐藤さんと優羽さん。その母子の歩みに伴走し、見守り続けてきた、女性部の先輩たち。佐藤さんは言う。

 「もし先輩たちがいなかったら、私たちは地域の中で孤立していたと思います。優羽とよく話すんです。私たちにはたくさんの“お母さん”がいるね、うれしいねって。ずっと支えていただきました」

 池田大作先生は、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章につづっている。

 「苦しんでいる人、悩める人のために行動する。激励し抜いていく――創価の同志には、大変な状況のなかで生きている人を目にした時、見過ごすことなどできないという、熱い思いが脈打っている」

 「個人主義の風潮が強い現代社会にあっては、人は他者との関わりを避け、自分の殻に閉じこもりがちになる。その結果、人間の連帯が断たれて、孤独化が進んできた。そうしたなかで、他者の幸福を願い、積極的に関わろうとする学会員の生き方こそ、人間を結び、蘇生させ、社会を潤す力となろう」

 現代は「空気を読むこと」が求められ、「踏み込みすぎないこと」が暗黙のマナーになりつつある。人との距離を取り、互いに深く関わらないことが、優しさとして受け止められる場面も少なくない。

 しかし、関わろうとしてくれる人がいなければ、時におせっかいを焼いてくれる人がいなければ、この世界はどれだけ寂しいものになるだろう。

 優羽さんの誕生日に、ハンバーグを作り届けてくれた女性部の先輩がいた。自転車ですれ違った時、佐藤さんに「頑張ってる! 頑張ってる!」と声をかけてくれた先輩がいた。夫が亡くなって14年がたっても、「きょうは、ご主人の命日だね」と追善の題目を送ってくれる先輩がいる。

 佐藤さんと優羽さんを支えたのは、池田先生の言葉通り、「積極的に関わろう」としてくれた同志の真心だった。

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