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〈キニナルを調べる〉 インタビュー 認定NPO法人D×P(ディーピー)理事長 今井紀明さん

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■「子ども・若者が、自力で環境を変えることは困難。社会で支える仕組みを」

 孤独・孤立が広がる社会。内閣府の調査によると、とりわけ若い世代に孤独感が広がっています。

 その原因や解決の方途について、認定NPO法人D×P(ディーピー)の理事長である今井紀明さんに話を聞きました。

 今回の前編では、今井さんの子ども・若者支援の原点をたどり、後編(後日掲載)では、オンラインによる相談支援や繁華街での若者支援など、D×Pの活動を詳報します。(聞き手=中谷光昭、村上進)

◇親を頼れない若者たち

 「親から暴力を受けて、家に帰れない」「アルバイトの給料の大半を、親に取られてしまった」「親から存在を否定されている」

 ネグレクト(養育の放棄、保護の怠慢)や暴力、家庭不和、ヤングケアラーなどを理由に、親を頼れない若者が増えている。

 核家族化が進み、近隣・地域のつながりも希薄になる中で、家庭に居場所を失った若者は、すぐに孤立に陥ってしまう。

 「孤立」とは、困った時に頼れる人や相談できる人がいないこと。助けてほしい時に声を届ける先がないこと。リアルなつながりを失った若者は、SNSの中にいる見えない相手や有名ユーチューバー、ChatGPTなど生成AIに悩みを相談するようになった。

 親も学校も「居場所」をつくってくれないのなら、“自分たちでつくろう”と繁華街に集まり、生きるために身を寄せ合った。東京・歌舞伎町の「トー横」や大阪・道頓堀の「グリ下」など、若者が各地の路上で集まり、過ごすようになった。

 そんな若者たちに、支援の手は行き届かなかった。反対に、貧困に苦しむ若者たちの弱みにつけ込む人々が現れ、若者たちは性搾取や闇バイトなどの犯罪に利用されてしまった。

 「若者の孤立を解決したい。誰かの『助けて』に応える仕組みを、社会の中につくりたい」

 今井さんは、その思いで立ち上がった。オンライン上に匿名相談できる窓口をつくり、若者の悩みに寄り添った。

 グリ下で若者と食事を共にしながら、彼らが何に傷つき、何を求めているかを聞き続けた。

◇不条理な現実への怒り

 今井さんはなぜ、若者の「孤立」に向き合いたいと思ったのだろうか――。

 さかのぼること25年前、2001年9月11日――アメリカで同時多発テロ事件が起きた。翌月にはアフガニスタンへの空爆が始まり、子どもたちを含む多くの民間人が犠牲になった。

 当時、高校1年生だった今井さんは、その報道に強い憤りを覚えた。

 「何の関係もない子どもたちの命が奪われた。不条理な現実に怒りが込み上げました」

 紛争の解決や、子どもたちへの支援のために、行動を起こしたい。そう考えた今井さんは、高校時代から海外での多様なフィールドワークに参加した。

 ベトナムでは戦災孤児院を訪問し、2003年にイラク戦争が勃発すると、イラクの子どもたちを支援するため、医療関連のNGO(非政府組織)を創設した。

 翌年、今井さんはイラクの子どもたちへ医療物資を届けるため、人道支援を行う市民活動家やジャーナリストらと共に、現地へ渡った。

 ロシアを経由し、ヨルダンから陸路で入国。だが、首都バグダッドへ向かう途中、立ち寄ったガソリンスタンドで、覆面姿の武装集団に拘束される。

 「カラシニコフ(自動小銃)やRPG(ロケットランチャー)を持った民兵に囲まれ、彼らの車の後部座席に押し込められました。運転席と助手席の兵士は腰に爆弾を巻いていて、『これから米軍に突っ込む』と話していました。怖かった。自分はここで死ぬんだと思いました」

◇凄絶な誹謗中傷と暴力

 突撃は実行されず、今井さんらは武装集団の拠点のような場所へ連れていかれたという。

 「『アメリカのスパイだろ』と疑われ、頭に銃を突きつけられながら尋問されました」

 拘束から9日後、今井さんらは解放され、日本に帰国した。だが、待っていたのは安堵ではなく、日本社会からの凄絶なバッシング(激しい非難)だった。

 「危険な場所に自ら入ったのだから、自己責任だ」。そうした声が噴出し、批判はやがて、誹謗中傷や暴力にまで及んだ。

 「正直、イラクで拘束されていた時よりも、日本に帰ってからの方が恐怖を感じました。道では指をさされたり、怒鳴られたり。突然、頭を殴られたこともありましたし、『こんなガキ、死ねばよかったのに』と言われたこともありました。テレビや週刊誌で、『実は、拘束事件は今井たちの自作自演だった』と報道されるようにもなって、どうしてこんな“フェイクニュース”が広がるのかって驚きましたし、とてもしんどかったです」

 今井さんの自宅には、マスコミが押し寄せた。住所などの個人情報もさらされ、誹謗中傷の手紙やハガキが大量に届いた。

 「非国民」「頼むから死んでくれ」「無駄に使った税金を返せ」「自己責任。自業自得だ」――。

 中には、家族を非難する言葉や人格を否定するような内容も。精神的に追い詰められた今井さんは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症。4~5年ほど、うつや対人恐怖の症状に苦しんだ。

 人と会うことが怖くなり、自宅に引きこもる時期もあった。

 「毎晩悪夢にうなされ、体には原因不明の発疹が出ました。人と会うと冷や汗が出て、言葉が出ないこともあったし、自分の名前を言うのが怖くて、偽名を使うこともありました。僕らが帰国した後も、イラクでは人質事件が頻繁にあったのですが、そのニュースを聞くたびにフラッシュバックが起きて涙が止まらなくなり、パニックになることも多かったです」

◇批判にも、誠実に対話を

 それでも今井さんは、自身に向けられた批判の声の一つ一つに向き合おうとした。

 届いた手紙やハガキの言葉をパソコンに打ち込み、記録した。手紙だけで「5万5000字ほど」に及んだという。

 「僕を批判する人たちの言葉をちゃんと読もうと思ったんです。それで精神的にさらに不安定になったので、人には絶対に勧めません。でも当時の僕は、周りの人の声に向き合うことで、自分の心も回復していくのではないかと思っていました」

 今井さんのもとに寄せられた手紙は約110通。そのうち、住所が分かる相手には返事を書き、実際に会いに行くこともあった。メールも全て返信した。

 さらなる暴言や叱責を受けることもあったが、それでも今井さんは誠実に、時に謝りながら対話をする中で、味方になってくれる人も出てきたという。

 気づけば高校卒業から、2年がたっていた。社会との接点をもてずにいた今井さんのもとへ、高校時代の担任の先生が願書を持って会いに来てくれ、大学進学を勧めてくれた。

 その真心に押され、今井さんは受験を決意。合格し、大学生活をスタートさせた。だが、心身の不調は続き、大学2年までは、思うように授業に出られなかった。

 「そんな時、友人が僕の家に来て、『一緒に授業に行こう』って引っ張り出してくれたんです」

 友人と共に大学に通い、一緒に授業に出る中で、信頼関係が深まり、今井さんはそれまで語ることができなかった自身の過去や胸の内を、少しずつ吐露できるようになっていったという。

 「友人に、泣きながら話しました。100回以上、話を聞いてもらったと思います。彼は僕の言葉を否定することなく、じっと耳を傾けてくれました。僕にとって、それはカウンセリングのような回復への大切なプロセスになりました」

◇運で終わらせたくない

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SEIKYO SHIMBUN