池田華陽会・ヤング白ゆり世代と共につくりあげる新連載がスタート! 本連載は、社会運動を専門に研究する、社会学者で立命館大学准教授の富永京子さんと池田華陽会・ヤング白ゆり世代のメンバーが、この世代ならではの悩みや疑問をテーマにイドバタ会議し、信仰の価値を再発見していく企画です。
第1回のテーマは「創価学会は中間集団⁉ もしかして中間集団って嫌われてる?」。初回でもあり、3人の記者と富永さんで語り合いました。
「周りに創価学会員だと言えないです」
A:富永先生は社会運動をはじめ、中間集団に関する研究にも注力されています。「中間集団」は、もともとは中世ヨーロッパ社会で生まれた言葉で、「国家と個人の中間にある団体」を指すんですね。
富永:そうなんです。今の日本でいうと労働組合やNPO、地域のコミュニティーといったものが中間集団であり、その中に宗教団体も含まれます。
C:創価学会も中間集団なんですね! 実は今回の連載にあたり、20代、30代の読者を中心に関心のあるテーマについてアンケートを取りました。その中で、「悩んでいること・関心のあるテーマ」について、回答者の6割が「学会活動と信仰に関すること」を選択しました。
B:ある20代の方からは「以前、周囲に自分が創価学会員だと知られて嫌な顔をされた経験から、自分が入会していることが言えないです」という声が寄せられました。私も、自分が創価学会員だと明かした途端、相手の対応が冷たくなったことがありました。相手が親密な関係だった場合、とても傷つきます。
富永:誰でも何かを信じていたり、どこかしらの団体に所属していたりするのに、宗教団体に対してはなぜか否定的だったりしますよね。しかも明確な理由があるというよりは、ふわっと嫌いみたいな......。それは、宗教団体に限らず、その他の中間集団や社会運動でも共通する部分があると感じます。
A:その忌避感はどこからくるのでしょうか。
富永:「組織嫌い」が一因だと考えます。そもそも、大半の人が、学校か会社くらいしか"組織"に属しているという実感がない。だから、組織で同じ目的を持って活動していることに対して、「それは価値観の押し付けなのでは?」とか「利害って共有できるものじゃなくない?」といった、人と人とを分断するような言説が生まれるのではないでしょうか。
社会では自己責任の風潮が高まり、「自分の人生は自らの努力で何とかするもの」という思想が広がっています。その中では、自分以外の人のために頑張ったり、祈ったりしている人が偽善的で異質な存在に映るのかもしれません。しかし、それでは社会における「共助」の機能が失われ、孤独は進む一方です。
創価学会には"時代が求める真面目さ"がある⁉
C:個人的に創価学会は"究極のおせっかい集団"だと思っています(笑)。他者や社会に貢献することが自分の喜びになる、という......早く、社会はその価値に気づいてくれ~と思います(笑)。
富永:むしろ、社会がようやく追いついてきているような気がしますよ。というのも、普段、学生と関わっていても、社会や時代を斜めから見る学生は少ないように感じます。日本労働組合総連合会がZ世代を対象に行った社会運動への意識調査では、約9割が社会課題に関心ありと回答し、全体の約4割が社会運動に参加した経験がありました。こうしたことからも、若年層の社会運動への参画の意欲が高まっていることが分かります。
気候変動や世界情勢について、自分ごととして真面目に考えるといった価値観は、以前より社会に浸透しているのではないでしょうか。私自身、昨年の聖教新聞社からの取材をきっかけに、創価学会員と直接お話しする機会が増えましたが、創価学会にこそ「時代が求める真面目さ」があるのではないかと感じています。
社会の中では、困っている人ほど、困っているとは言えないこともある。誰かがおせっかいしなきゃいけないわけです。それができるのが中間集団の存在価値でもあると思います。
A:自信をもらえます。一方で、アンケートではこんな声もありました。「自分が精いっぱい努力してかなったことも、すべて信仰のおかげにされてしまうことが嫌でした」と。社会学者として複数の団体を研究される中でこういった声はありますか?
一緒に「イドバタ会議」しませんか?