「師弟の精神をどう学ぶか」――今の青年世代にとって重要なテーマです。連載「クロニクル」(年代記)では、若き日の池田先生が過ごした時代を年代ごとに解説。第1回は1920年代の出来事を中心に取り上げます。「改造の時代」とも呼ばれる20年代。社会が大きく揺れる中、28年(昭和3年)1月2日に池田先生は生まれました。
大戦景気にわく1910年代
「大正ロマン」「大正デモクラシー」......1912年から始まる「大正」年間は、国民が自由を求める空気が強まり、政治や経済、文化など、さまざまな分野で大衆運動が盛り上がりを見せた。
また、1914年に第1次世界大戦が勃発した。ヨーロッパを中心に大規模な戦闘が繰り広げられ、主戦場から離れた日本からの物資の輸出が急増したことで、「大戦景気」が訪れる。東京や大阪などの都市部では、人々の生活は欧米化・近代化が急速に進み、大衆文化が花開いていった。
感染症、大震災、恐慌......"改造"の20年代
はなやかな繁栄は長くは続かず、日本社会は大きな変化に直面する。1918年から20年にかけて、「スペイン風邪」(インフルエンザ)が猛威を振るった。世界中で約4000万人以上もの命を奪った、この感染症で、日本でも約45万人が亡くなったとされる(速水融著『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』藤原書店)。
さらに23年9月には、関東大震災が起こった。マグニチュード7・9の大きな揺れが関東一帯を襲い、各地で甚大な被害が発生。日本経済に大打撃を与えた。
26年、元号は「大正」から「昭和」に変わる。しかし、関東大震災による社会的な混乱は収まらなかった。追い打ちをかけるように、29年10月には、アメリカの株価が大暴落し、その影響は各国に波及した。
「世界恐慌」は、日本経済にも暗い影を落とす。多くの会社が倒産し、失業者が急増。農村は窮乏にあえいだ。
国際社会からの孤立 戦争への歩み
感染症、震災、長引く不況、それに対処できない政党政治への不満を背景に軍部が暴走を始める。1931年9月、中国・奉天郊外の柳条湖で、関東軍(旧満州に置かれた陸軍部隊)が、南満州鉄道を爆破した。
関東軍は、それを中国軍の仕業にし、戦端を開いて満州一帯を占領してしまう(満州事変)。こうした日本の行動は、国際社会から大きな非難を浴びた。
国内では、翌32年5月、武装した海軍の青年将校たちが、首相官邸・日本銀行・警視庁などを襲撃、さらに犬養毅総理大臣を暗殺する(5・15事件)。
33年、日本は国際連盟を脱退。国際社会から孤立した日本は、戦争への道を突き進んでいった。
池田先生の若き日――「海苔屋の息子」として――
日本の未来が暗転する中、1928年1月2日、現在の東京都大田区で池田大作先生は生まれた。池田家は先祖代々、東京湾の大森海岸一帯で、のり作りを営んでいた。周囲から"強情さま"と呼ばれ、頑固一徹だった父・子之吉さん、働き者の母・一さん、そして多くの兄弟に囲まれて育った。戦争の足音が近づきつつある中、つかの間の平穏があった。