多くの方々に支えられ、創刊75周年の節目を刻んだ聖教新聞。ここでは「4・20」の創刊記念日に寄せて、原田会長、本社の萩本代表理事、「ブラジル・セイキョウ」のミヤモト社主の談話を紹介する。
多くの方々に支えられ、創刊75周年の節目を刻んだ聖教新聞。ここでは「4・20」の創刊記念日に寄せて、原田会長、本社の萩本代表理事、「ブラジル・セイキョウ」のミヤモト社主の談話を紹介する。
原田稔会長 創価の正義を言論で宣揚
原田稔会長 創価の正義を言論で宣揚
池田先生が逝去された2023年11月15日付の聖教新聞に掲載された、最後の随筆に記されていました。
「なぜ私たちは戦うのか。なぜ人材を育てるのか。それは、この世から『悲惨』の二字をなくしたいとの遠大な夢があるからだ」
この「遠大な夢」とは戸田先生の熱願にほかならず、池田先生は生涯をかけて、真の弟子の生き方を示してくださったように思えてなりません。
聖教の75年の歩みを振り返ると、それは師弟共戦の歩みそのものだと痛感します。
1950年8月24日、戸田先生は自身の事業が窮地に陥る中で、広宣流布の将来を見据え、機関紙発刊の構想を、まな弟子の池田先生に託しました。それからわずか8カ月後の51年4月20日、聖教新聞は産声を上げました。
池田先生は以来、寸暇を惜しんで自ら筆を執り、記事や見出し、写真の一つに至るまで揺るがせにせず、たびたびスタッフを指導しながら、日々の紙面に魂を入れてくださったのです。
私も64年に聖教新聞に入社し、翌年から小説『人間革命』の編集担当になりました。
当時の新聞は活版印刷で、原稿を工場に届けると、活字を拾うために切り分けられ、失われてしまいます。私は先生の直筆原稿を残すため、自分で書き写したものを工場に渡すようにしました。すると1回分を書き写し終える前に、次回分、次々回分と、先生から、すごい勢いで原稿が届くことが幾度もあり、師の言論闘争にかける「闘魂」を肌身で感じました。
連載開始時、週3回の発行だった聖教は、半年後に日刊化し、小説の連載も2倍以上に。国内はもとより海外指導にも赴き、激動の毎日を送る中での執筆がいかに至難であったか。先生は、体調を崩した際も口述筆記を行うなど、文字通り不惜身命のペンを執り続けてくださいました。
かつて先生が語られた言葉が、今なお私の脳裏に焼き付いています。映画「人間革命」のロケ地を訪れた帰りの車中で先生は、「牧口先生、戸田先生を宣揚するとはいっても、また、牧口門下がいかに多しといえども、牧口先生、戸田先生を現実に宣揚しているのは、誰もいないじゃないか! だから、私は、先師、恩師の偉業を書き残さなければならない。それが弟子の道じゃないか!」と。
その崇高な闘争は、終生変わることはありませんでした。
世界聖教会館の「聖教新聞 師弟凱歌の碑」に刻印された池田先生の言葉に、「永久に師弟共戦の師子吼が放ちゆかれることを信ずる」とあります。創刊75周年から100周年、そしてさらにその先へ、創価の師弟と正義を宣揚する聖教の使命はいや増して大きい。私もその発展に全力を尽くしていきます。
最後に、読者をはじめ本紙を支える全ての皆さまに、衷心より感謝申し上げます。
池田先生が逝去された2023年11月15日付の聖教新聞に掲載された、最後の随筆に記されていました。
「なぜ私たちは戦うのか。なぜ人材を育てるのか。それは、この世から『悲惨』の二字をなくしたいとの遠大な夢があるからだ」
この「遠大な夢」とは戸田先生の熱願にほかならず、池田先生は生涯をかけて、真の弟子の生き方を示してくださったように思えてなりません。
聖教の75年の歩みを振り返ると、それは師弟共戦の歩みそのものだと痛感します。
1950年8月24日、戸田先生は自身の事業が窮地に陥る中で、広宣流布の将来を見据え、機関紙発刊の構想を、まな弟子の池田先生に託しました。それからわずか8カ月後の51年4月20日、聖教新聞は産声を上げました。
池田先生は以来、寸暇を惜しんで自ら筆を執り、記事や見出し、写真の一つに至るまで揺るがせにせず、たびたびスタッフを指導しながら、日々の紙面に魂を入れてくださったのです。
私も64年に聖教新聞に入社し、翌年から小説『人間革命』の編集担当になりました。
当時の新聞は活版印刷で、原稿を工場に届けると、活字を拾うために切り分けられ、失われてしまいます。私は先生の直筆原稿を残すため、自分で書き写したものを工場に渡すようにしました。すると1回分を書き写し終える前に、次回分、次々回分と、先生から、すごい勢いで原稿が届くことが幾度もあり、師の言論闘争にかける「闘魂」を肌身で感じました。
連載開始時、週3回の発行だった聖教は、半年後に日刊化し、小説の連載も2倍以上に。国内はもとより海外指導にも赴き、激動の毎日を送る中での執筆がいかに至難であったか。先生は、体調を崩した際も口述筆記を行うなど、文字通り不惜身命のペンを執り続けてくださいました。
かつて先生が語られた言葉が、今なお私の脳裏に焼き付いています。映画「人間革命」のロケ地を訪れた帰りの車中で先生は、「牧口先生、戸田先生を宣揚するとはいっても、また、牧口門下がいかに多しといえども、牧口先生、戸田先生を現実に宣揚しているのは、誰もいないじゃないか! だから、私は、先師、恩師の偉業を書き残さなければならない。それが弟子の道じゃないか!」と。
その崇高な闘争は、終生変わることはありませんでした。
世界聖教会館の「聖教新聞 師弟凱歌の碑」に刻印された池田先生の言葉に、「永久に師弟共戦の師子吼が放ちゆかれることを信ずる」とあります。創刊75周年から100周年、そしてさらにその先へ、創価の師弟と正義を宣揚する聖教の使命はいや増して大きい。私もその発展に全力を尽くしていきます。
最後に、読者をはじめ本紙を支える全ての皆さまに、衷心より感謝申し上げます。
萩本直樹代表理事 日本中、世界中に聖教の輪
萩本直樹代表理事 日本中、世界中に聖教の輪
聖教新聞は、きょう創刊75周年を無事に迎えることができました。池田先生が示されたように「新聞は『総合力』の結晶」です。
読者の皆さまをはじめ、配達・集金を担う「無冠の友」、新聞長、通信員、販売店、また、印刷、資材、輸送、広告など本紙を支えてくださっている全ての方々に心より感謝申し上げます。
聖教新聞は1951年4月20日に誕生して以来、“人間の機関紙”として、時に火を噴くような破邪顕正の言論を、時に優しく包み込むような励ましの言葉を、日本中そして世界中の友に届けてきました。
創刊記念日を前に今月4、5の両日、読者の皆さまへの御礼の一環として、鹿児島・奄美大島を訪問しました。
奄美大島では60年代後半に、学会への無理解と偏見から、集落を挙げて学会への弾圧に動いた事件が起きました。その中で地域の同志は、池田先生から託された「奄美を日本の広宣流布の理想郷に」との指針を命に刻んで、地道に味方をつくり、絶大な信頼を広げてこられました。
今回、お会いした龍郷町の竹田泰典町長は10年にわたって本紙を購読し、町政の発展のために、記事の内容を大変参考にしていると語っておられました。
また、奄美大島から船で約1時間かけて請島にもお邪魔しました。島の人口が100人にも満たない小さな島です。学会員の2世帯とご友人4人が現在、聖教を購読してくださっています。今月は6部の新規購読ができたとのことでした。昨年まで40年近く配達員を務めてこられた方などからお話を伺い、離島の同志の皆さまが聖教を通して、学会理解と友好を幾重にも広げている事実に胸が熱くなりました。
聖教のスクラムは世界に広がり、電子版には227カ国・地域からアクセスがあります。海外の姉妹紙誌は90にも及んでいます。
さらに近年、SGIメンバーが世界聖教会館に足を運ぶことが増えています。今月も春季研修会で来日した海外の同志が来訪。展示を通じて池田先生の執筆闘争を学び、紙面制作の現場を見学する中で、師が命を注いだ聖教の息吹に触れ、共に広布の決意を新たにしました。
創刊75周年を記念して、新しい企画紙面を始め、聖教電子版を拡充します。
これからも「師弟の言論城」たる聖教から、仏法の哲理に裏打ちされた無限の勇気と希望、そして師弟の絆を全国・全世界の方々に届けていきます。
聖教新聞は、きょう創刊75周年を無事に迎えることができました。池田先生が示されたように「新聞は『総合力』の結晶」です。
読者の皆さまをはじめ、配達・集金を担う「無冠の友」、新聞長、通信員、販売店、また、印刷、資材、輸送、広告など本紙を支えてくださっている全ての方々に心より感謝申し上げます。
聖教新聞は1951年4月20日に誕生して以来、“人間の機関紙”として、時に火を噴くような破邪顕正の言論を、時に優しく包み込むような励ましの言葉を、日本中そして世界中の友に届けてきました。
創刊記念日を前に今月4、5の両日、読者の皆さまへの御礼の一環として、鹿児島・奄美大島を訪問しました。
奄美大島では60年代後半に、学会への無理解と偏見から、集落を挙げて学会への弾圧に動いた事件が起きました。その中で地域の同志は、池田先生から託された「奄美を日本の広宣流布の理想郷に」との指針を命に刻んで、地道に味方をつくり、絶大な信頼を広げてこられました。
今回、お会いした龍郷町の竹田泰典町長は10年にわたって本紙を購読し、町政の発展のために、記事の内容を大変参考にしていると語っておられました。
また、奄美大島から船で約1時間かけて請島にもお邪魔しました。島の人口が100人にも満たない小さな島です。学会員の2世帯とご友人4人が現在、聖教を購読してくださっています。今月は6部の新規購読ができたとのことでした。昨年まで40年近く配達員を務めてこられた方などからお話を伺い、離島の同志の皆さまが聖教を通して、学会理解と友好を幾重にも広げている事実に胸が熱くなりました。
聖教のスクラムは世界に広がり、電子版には227カ国・地域からアクセスがあります。海外の姉妹紙誌は90にも及んでいます。
さらに近年、SGIメンバーが世界聖教会館に足を運ぶことが増えています。今月も春季研修会で来日した海外の同志が来訪。展示を通じて池田先生の執筆闘争を学び、紙面制作の現場を見学する中で、師が命を注いだ聖教の息吹に触れ、共に広布の決意を新たにしました。
創刊75周年を記念して、新しい企画紙面を始め、聖教電子版を拡充します。
これからも「師弟の言論城」たる聖教から、仏法の哲理に裏打ちされた無限の勇気と希望、そして師弟の絆を全国・全世界の方々に届けていきます。
ブラジル・セイキョウ ヒカルド・ミヤモト 社主
共に輝く「社会の灯台」に
ブラジル・セイキョウ ヒカルド・ミヤモト 社主
共に輝く「社会の灯台」に
世界の姉妹紙誌を代表し、聖教新聞の創刊75周年の佳節を心よりお祝い申し上げます。
私たちの原点は60年前です。1965年、「ノーヴァ・エラ(新世紀)」として発刊し、翌66年、池田先生の2度目のブラジル訪問の折、「ブラジル・セイキョウ」と命名していただきました。“師弟の語らい”から誕生した「聖教」の名を冠したことは、私たちにとって最大の誇りです。
現在は週刊オールカラー12ページ建てで、ポッドキャストや動画、電子版など、読者に紙とデジタルの両面から“希望の励まし”を届けています。
2024年、“印刷業界のアカデミー賞”とも称される「フェルナンド・ピーニ・グラフィック・エクセレンス賞」を受賞しました。これは「ブラジル・セイキョウ」が社会で高い評価を受ける新聞へと成長した証しです。
先生から頂いた指導の中で、私たちが深く胸に刻むのは、“「社会の灯台」として人々の人生に光をともし、行く手を照らす存在であれ”との指針です。
聖教新聞が混迷する世界にあって人々を照らし続ける大いなる灯台として、確かな道しるべとなりゆくことを心より願っています。私たちもまた、同じ精神に立ち、その使命を果たしていきます。
世界の姉妹紙誌を代表し、聖教新聞の創刊75周年の佳節を心よりお祝い申し上げます。
私たちの原点は60年前です。1965年、「ノーヴァ・エラ(新世紀)」として発刊し、翌66年、池田先生の2度目のブラジル訪問の折、「ブラジル・セイキョウ」と命名していただきました。“師弟の語らい”から誕生した「聖教」の名を冠したことは、私たちにとって最大の誇りです。
現在は週刊オールカラー12ページ建てで、ポッドキャストや動画、電子版など、読者に紙とデジタルの両面から“希望の励まし”を届けています。
2024年、“印刷業界のアカデミー賞”とも称される「フェルナンド・ピーニ・グラフィック・エクセレンス賞」を受賞しました。これは「ブラジル・セイキョウ」が社会で高い評価を受ける新聞へと成長した証しです。
先生から頂いた指導の中で、私たちが深く胸に刻むのは、“「社会の灯台」として人々の人生に光をともし、行く手を照らす存在であれ”との指針です。
聖教新聞が混迷する世界にあって人々を照らし続ける大いなる灯台として、確かな道しるべとなりゆくことを心より願っています。私たちもまた、同じ精神に立ち、その使命を果たしていきます。