企画・連載

〈立正安国と民衆の幸福――池田先生の指導に学ぶ〉⑤=完 2024年8月26日

社会での闘争が仏法の魂

 〈創価学会は「生命尊厳」「人権」「恒久平和」という普遍的な理念を、現実社会の中で実現するために、政治支援の活動も行い、庶民を基盤とした新たな潮流をつくりあげてきた。池田先生は、自らが指揮を執った最初の統一地方選挙(1955年4月)を振り返りつつ、記した〉

 政治を“自分には無関係”と傍観するのは、結局、自分の運命を他人任せにしてしまうのと同じである。ゆえに、戸田先生は叫ばれた。

 「青年は心して政治を監視せよ!」と。それは、今日の民主主義社会に生きる市民として、当然の行動であろう。

 民衆詩人ホイットマンは「民主主義の真髄には、結局のところ宗教的要素がある」(佐渡谷重信訳『民主主義の展望』講談社)と喝破した。一個の人間の尊厳性を信じる“宗教性”に依拠してこそ、民主主義は画竜点睛を得るのだ。(中略)

 青年が突破口を開け!

 青年が全責任を持て!

 文化闘争の「初陣」への、先生の期待は大きかった。(「随筆 人間世紀の光」〈2005年4月〉)

 〈当時、日本の政界には金権選挙が横行していた。戸田先生は、学会の運動は“公明選挙であり、宴会政治のような腐敗した政界を正すのが使命である”と語っていた。学会の支援活動は、政治を民衆一人一人の手に取り戻す戦いでもあった〉

 本来、我らは、その汚れた政治を変えるために立ち上がったのだ!

 「宗教心ナキ改革ハ皮相なり、勇気ナキナリ、元気ナキナリ」(『田中正造全集11』岩波書店)とは、明治の思想家・田中正造の断言である。その燃え上がる信仰を、我らは持っているではないか!

 私の心は熱く燃えた。

 仏法は勝負だ。戦う以上は断じて勝つ!

 妙法を胸に、全人類の宿命転換へ立ち上がった民衆が、いかに崇高で、いかに偉大な力をもっているか、日本中に示してみせる!

 我らの武器は、どこまでも誠実な対話であり、勇気の対話である。

 仏法者としての社会的使命に目覚めた、民衆の団結の力で勝つのだ!(中略)

 それまでの日本になかった「新しい民衆運動」の、堂々たる第一歩であった。その挑戦が、傲慢なる既成勢力からの嫉妬と反感を呼び起こすのは、もはや必然のことであった。

 今も方程式は同じである。

 それは、「立正安国」への戦いは、民衆を侮蔑し、隷属させる「権力の魔性」との戦いであるからだ。

 断じて恐れるな!

 断じて負けるな!

 この戦いのなかから、民衆が勝利に輝く人間世紀が、晴れ晴れと始まるのだ!(「随筆 人間世紀の光」〈同〉)

 ◇ ◆ ◇ 

 〈学会が初めて推薦候補を立てた、翌年の参議院議員選挙(1956年7月)の折、ある婦人部員(当時)が、戸田先生に質問したことを通して池田先生はスピーチした〉

 「先生、いくら『王仏冥合(政治をはじめとする世法が、仏法の慈悲と知恵に基づいて行われ、社会に仏法の精神が開花していくこと)』のためといっても、選挙の支援というのは、本当にくたびれてしまいます」(笑い)と。

 戸田先生は、こう言われた。

 「それは、そう思うかもしれない。だれしも苦労は避けたいものだ。しかし、この世に何も残そうとせず、ただ自分だけで拝み、静かに死後の成仏を願い待つような信心は、大聖人の仏法ではない。所詮、『仏法は勝負』であり、本当の仏法は、社会での大闘争の中にある。仏法を現実社会の中で行じ、人間のため、国のため、世界のために戦ってこそ、真の大聖人門下であり、真の革命児ではないか。それが創価学会だ」(中略)

 「御書には『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』(全970・新1324)と仰せではないか。この穢土(汚れた人間社会)での今世の戦いによって、三世永遠の福徳を積めるのだ。永遠の生命からみれば、一瞬の人生を、我々は広宣流布の大闘争で飾ろうではないか」――と。(中略)

 同じ一生ならば、「よーし、自分は立派に『歴史』をつくってみせる。この一生で、立派に何かを創造し、残してみせる」と戦ったほうが偉大である。幸福である。

 自分がどこまで行けるか、どこまで戦えるか、どこまで限界を伸ばせるか、やるだけやってみる。ともかく戦い抜いていく。その人の信心こそ、大闘争の連続であられた日蓮大聖人の御生命に感応しゆくと信ずる。大功徳の人である。(第56回本部幹部会〈1992年7月〉)