ユース特集

〈インタビュー〉 今こそ対話重視の政党を 九州大学名誉教授 藪野祐三(「第三文明」9月号から) 2025年9月16日

 政治における対話の重要性について、現代政治分析と国際関係論が専門の藪野祐三氏に話を聞いた。

位相の異なる3つの「対話」

 対話は民主主義の基本である――。よく語られるフレーズですが、なぜ対話が重要なのか、どのような対話が必要なのか、といったことはあまり深く掘り下げられていないように思います。ここでは政治における対話をいくつかの視点から考察し、「なぜ」「どのような」といった問いについて検討してみたいと思います。
 そもそも、政治分野における対話は大きく3つに分類できます。すなわち、①哲学的対話②社会的対話③政治的対話――です。
 「哲学的対話」は「学術的対話」とも言い換えることができます。哲学とは、人間や世界のありようを理性的に探究する学問であり、ソクラテスやプラトン、アリストテレスといった古代ギリシャの先哲たちから脈々と受け継がれてきました。目指すべき社会のかたちや個別の政策に関して、理性的に対話を積み重ねて最適解を導き出す。民主主義には、そうした哲学的・学術的な対話が必要不可欠です。ところが、それが政治分野における「対話」と呼ばれるもののすべてかと言えば、決してそんなことはありません。

 2つ目の「社会的対話」は「市民の対話」と言い換えることができます。社会はさまざまな思想や意見を持った市民によって構成されています。同じ国や地域で同じ時代に生まれた人々であっても、思想や意見は必ずしも一致しません。また、現代においては多くの移民や一時滞在者の方々も社会の重要な一員となっています。そうした思想や意見、文化が異なる人々と対話し、互いに理解を深めながら、折り合いをつけて共生していく。社会的(市民の)対話の本質は、そこにあります。
 3つ目の「政治的対話」は「戦争の対話」と言い換えてもいいかもしれません。この政治的対話については、先述の哲学的・社会的対話に比べると、漠然としたイメージが抱かれているように思います。それは哲学的・社会的対話と政治的対話では、位相が少し異なるからでしょう。
 政治的対話は、探究や理解よりも先に利害に根差します。例えば、2国間における外交においては、両国は自国の国益を最大化するための交渉を行います。あるいはロシアとウクライナ、イスラエルとイランなど、すでに衝突が起きている国家間では、停戦のための和平交渉が必要となります。ひとたび衝突が起きた場合、当該国は平時よりも利害を露骨に追求しがちなので、交渉結果の良しあしは和平の行方に大きな影響を与えます。これらの交渉もまた、対話のうちの1つなのです。

政治的対話は戦略と技術

 政治的対話をもう少し掘り下げてみましょう。2国間の外交のみならず、国内における政策議論においても、その根っこには利害があります。対話による民主的な意思決定さえ行われるのであれば、国益は損なってもよい。そんなふうに考える人はまずいないはずです。こと政治に関しては、あくまで対話は手段であり、国や国民の利益が目的だからです。
 理念として対話の重要性を謳うことは大切ですが、手段としての対話はどこまでも戦略的かつ技術的に用いられなければなりません。計画し、実行して、一度評価してから改善する。このサイクルによって、利益の最大化を図らなければならないのです。
 敗戦という大きな損失を招いた太平洋戦争において、その開戦に至った経緯には交渉(対話)に関係する1つの誤りがあった可能性があります。それは開戦直前にアメリカの国務長官であるコーデル・ハルが日本側に提示した「ハル・ノート」についてです。

 この覚書では、中国や仏領インドシナからの日本軍の撤退や、日独伊三国同盟の破棄、蒋介石政権のみの承認などが要求されました。日本政府はこれを事実上の最後通牒と判断して開戦に踏み切ったわけですが、原文の文頭には「Tentative(=暫定の、試案の)」との言葉があります。つまり、アメリカ側の暫定的な協定案を日本側が取り違えて、国益を損じる可能性があると判断し、交渉を決裂させたという見方があるのです。
 直近の日米交渉については、“トランプ関税”への関心が高くなっています。対話はあくまで戦略的・技術的なものであり、アメリカの場合は“最大要求”からそれをスタートさせる傾向があります。一方の日本は“最小要求”から始める傾向がある。日本にも、相手国の“最大要求”に対して、自らの“最大要求”で応じる姿勢を見せてもらいたいところですが、今般の関税交渉においては最大・最小というミスマッチが日本の国益の損失にならないことを願います。

“対話重視”の公明党

 公明党が本年5月に策定した「平和創出ビジョン」の内容について、対話という観点で私が重要だと感じたのは「国連改革」が掲げられている点です。同党はビジョンのなかで、ウクライナ侵攻やガザ情勢での安保理常任理事国の拒否権行使に象徴されるように、国連による紛争の平和的解決の仕組みがうまく働いていないことを指摘した上で次のように述べています。
 「現在の安保理の仕組み・構成は、現代の国際社会の課題に対応するには限界がある」
 しかし、巷間に見られる“国連不要論”に進むのではなく、2024年9月に国連で採択された「未来のための協定」に基づき、常任・非常任理事国の枠の拡大などの国連改革を目指すとしています。現状では紛争の平和的解決の仕組みがうまく機能していないとはいえ、国連が国際社会における1つの対話の場として大きな意義を持つことに変わりはありません。

 国連の機能回復を目指した改革をビジョンに掲げるというのは、対話の重要性を理解している公明党ならではの政策です。私も国連に関しては、公明党の意見に賛成です。国家間の対話を促進するためにも、国連の役割は大きい。
 公明党の“対話重視”の姿勢は、国内政治においても貫かれています。時には連立与党の一角として自民党の背中を押したり、歯止め役になったりする。また別の時には野党の主張を受け止めて自民党にぶつける。そうした調整役は、極端な主張によって世論を喚起したりする政党や政治家とは異なり、極めて地味で目立たない役割です。しかし同時に、政治を着実に前に進めるためには必要不可欠な存在なのです。公明党は、日本の政治に“対話の場”を構築してきたと言ってもいいかもしれません。
 とりわけ現在は、少数与党であるため、予算も政策も前に進めるためには野党との合意が必要です。また、党勢拡大のために極端な主張をする新興政党も増えています。今こそ公明党のような対話を重視する政党が必要なのではないでしょうか。