企画・連載

「物語」の力が世界を変え、「対話」の力が未来を創る――マサチューセッツ大学ボストン校 シャーリー・タン教授に聞く 2025年10月6日

〈識者が語る 未来を開く池田思想〉

  
 体験談やエピソードといった“物語”を通して伝える「ストーリーテリング」という手法が、注目されています。かつて、池田大作先生は「誰もが『人生』という自身の『物語』を生きている」と語りました。英語では「history(歴史)」の中に「story(物語)」がある通り、人々は太古の昔から、口承や壁画、文字を使って、人間と社会の物語を伝え残してきました。近年は、動画や写真を用いた「デジタルストーリーテリング」も広まっています。その専門家である、マサチューセッツ大学ボストン校のシャーリー・タン教授に、物語が持つ可能性についてインタビューしました。
 (聞き手=掛川俊明、村上進)
  

■ストーリーテリングの3つの特徴

 ――「ストーリーテリング」は、映画や小説だけでなく、教育やビジネスの分野でも注目されています。タン教授が、この手法に出合ったきっかけは、何でしょうか。
  
 幼い頃、テレビという“小さな魔法の箱”の前に座って、日常を超えた物語の世界に触れたのを思い出します。私のストーリーテリングへの情熱の原点は、祖母と一緒にテレビ番組を見て、楽しくおしゃべりをした、子ども時代にさかのぼります。
 一方で、今では誰もがストーリーテリングを行っています。例えば、料理を写真や動画に撮り、SNSに投稿するなど、私たちは日常的にストーリーを作り、共有しているのです。
 アメリカでは、大学や学校における教科学習や教育活動に、デジタルストーリーテリングが導入されています。具体的には、写真や動画などの素材を使いながら、自分自身について語る動画を作るといったプログラムがあります。
  

  
 私は研究者として、学生や地域社会の仲間たちと一緒に、ストーリーテリングのモデルを開発してきました。その特徴は「重層的」で、「質感」があり、「目的」があるものと表現できます。
  
 例えば、誰かが悲しんでいる時、なぜそう感じるのかを伝えるのが、ストーリーです。そこには、その人の個人的な歴史や、社会的な背景、文化的な生い立ちといった「重層的」な文脈があるはずです。それが画像や動画、語られる言語といった「質感」を通して、何を伝えたいのかという「目的」を持ったメッセージとして届けられるのです。
  

■「内なる対話」と「外なる対話」

 ――単に事実のみを伝えた場合と比べて、物語は20倍以上も記憶されるという研究もあります(スタンフォード大学経営大学院調べ)。そうした特性を利用した偽動画が作られる時代にあって、「重層的」「質感」「目的」というポイントは、ますます重要ですね。タン教授は、ストーリーテリングには、どのような価値や影響力があるとお考えでしょうか。
  
 具体例を挙げます。コロナ禍の際、私は学生たちと共同で、ある絵本を作るプロジェクトを立ち上げました。
 きっかけは、アメリカで、新型コロナウイルスがアジア由来であると考える人々の一部によって、アジア人への差別や暴力が引き起こされたことです。そこで、私たちはアジア系コミュニティーの年配者やリーダーに聞き取りを行い、口述された歴史をまとめ、絵本を作ったのです。
 その後、絵本の読み聞かせやワークショップを開催し、多くの子どもたちや教育関係者に対して、アジア系の歴史について知ってもらうことができました。
  
 このプロジェクトで私は、池田博士の「対話」の思想に影響を受けました。地域の方々との対話を通してストーリーを聞き取り、絵本の制作を通じて、他のコミュニティーの人々とも対話を深め、波紋を広げることができたのです。
 このように、ストーリーテリングには、一人一人の経験という物語を通じて、多くの人々の意識を変え、より大きな責任を共有することを可能にする力があると考えます。
  

  
 ――池田先生が創立した「池田国際対話センター」(マサチューセッツ州ケンブリッジ市)は、2022年に「物語」をテーマにしたフォーラムを開催しました。そこで登壇されたタン教授は、ストーリーテリングによって、自分自身との「内なる対話」が可能になると話されました。それは、どのような実践でしょうか。
  
 ストーリーを語ることは、他人に自分を知ってもらうだけでなく、自分自身を深く知ることにもつながります。
 実際に、その人にしかないストーリーは、人種や言語など、さまざまな要因によって、埋もれたり、隠れたりしていることがあります。多くの経験や背景が、複雑に交差している中から、自分のストーリーを探していくこと――それは、まさに自分自身との「内なる対話」なのです。
  
 具体的に、私たちは三つのことを行っています。一つは「記憶の作業」です。これまでの記憶を分析できるように、内省的に過去の経験を見つめます。そこには個人史から始まり、家族や先祖の歴史をひもとくことも含まれます。
 二つ目に「鏡の作業」です。ここでは過去ではなく、現在の自分に集中します。鏡に映る自分を見つめるように、今この瞬間に、自分が何者であるかということを考えます。
 三つ目は「意味をつくる作業」です。これは、未来に目を向けて、これまでの経験に、どのような意味を持たせるかということです。
  
 ストーリーは、成長を促すこともあれば、逆に私たちを閉じ込めることもあります。自分の経験をどのように理解し、どのような物語として伝えるのか。そうした意味付けと目的次第なのです。
 大学の授業では、学生たちはそうした「内なる対話」を経て、学生同士で自分の物語を共有するなど、他者との「外なる対話」を実践していきます。両方の対話を通して、自分にしかないメッセージが引き出されていくのです。
 この実践によって、学生たちは、自分のストーリーに価値があると信じられるようになっていきます。それこそが、私が教員として、最もやりがいを感じることの一つです。
  

■泥水に咲く蓮――仏教とストーリーテリングの共通点

 ――池田先生は、自身をより良く変革していく「人間革命」の重要性を訴えました。私たちの日々の祈りや人間革命の挑戦は、ある意味で、自分自身を見つめる「内なる対話」の実践です。同時に、創価学会は世界中で「座談会」を開いており、ここでは互いの人生のストーリーを共有し合う「外なる対話」が行われています。
  
 ストーリーテリングには、仏教に通じる点もあると感じています。
 一つは「蓮は泥水の中から咲く」ということです。私は授業やプログラムで、いつもこの話をしています。泥水なくして、美しい蓮の花はありません。
 私はアメリカで、多くの移民や難民、その子どもたちと一緒にストーリーテリングをしてきました。彼ら彼女らは自分の物語を見つめ、語ることで、多くの逆境に対処するすべを見いだしてきました。
 二つ目に「根本的かつ実存的な問い」です。私はなぜ、ここにいるのだろうか。私が本当にしたいことは何か。この人生を通して、私は何を残すのか。ストーリーテリングは、そうした問いに向き合います。これは、仏教が生老病死を見つめ、人々の生き方を示してきたこととも、共通するのではないでしょうか。
  

  
 このように、ストーリーテリングは、精神的な実践に関連しています。その一部は、自分自身に「何のために生きるのか」と問いかけることでもあるのです。
 その上で、自身との「内なる対話」は、それを他者と共有することによって、「外なる対話」につながっていきます。
 例えば、大学は多様な人が集まる市民空間です。住んでいる場所や所属するコミュニティーが異なる人々も、大学に来れば、同じ空間を共有します。同じ場所に一緒にいることで、会話をするようになり、お互いに学び合うことができます。
  
 今、私は、こうして人々が触れ合い、対話が起こるような、新しい「空間」と「時間」をつくり出すことが必要だと考えています。
 その意味で、皆さんが「座談会」を開いて語り合っていることに、共通するものを感じます。定期的に、そうした対話の時間と場所をつくることは、非常に重要です。
  

■「百年樹人」――100年先を思うならば人を育てよ

 ――歴史学者のビンセント・ハーディング博士との対談において、池田先生は次のように語っています。「人間とは、過去を共有し、ともに現在を生き、ともに未来を志向する存在です。自分にも大切な物語があるように、他者にも大切な物語がある。『対話』を通した、こうした相互理解の土台があってこそ、民主主義に、生きた血が流れ通っていくのではないでしょうか」(『希望の教育 平和の行進』第三文明社)
  
 物語と対話についての池田博士の洞察に、感銘を受けます。大切なことは、こうした博士の業績を受け継ぎ、発展させていくことです。
 そのためには「人」が重要です。例えば、私には大学や地域社会の仲間たちのチームがあります。内なる対話と外なる対話を経験した人々と協力し、コミュニティーの能力を発揮させ、一緒にストーリーを紡ぐ実践を続けていく。そうした人々を育てることが重要です。
 中国の言葉に「十年樹木 百年樹人」とあります。10年先を思うならば木を育てよ、100年先を思うならば人を育てよ、という意味です。人の育成は時間がかかりますが、重要で不可欠な仕事です。
  

  
 私は「物語」と「対話」の力を信じています。それらには、人々を支配しようとする思想を解体し、未来の理想像を構築する力があるのです。
  
 2022年の池田国際対話センターでのフォーラムで、私は、池田博士の対談集『希望の教育 平和の行進』の中から、ハーディング博士の言葉を引用しました。「私たちは、あたかも自分たちの存在が物語から成り立っているように、すでに自らの『物語』の中に生きている」と。
 より望ましい世界を築くために、皆さまと一緒に、新しい物語をつくっていきたいと思います。
  

  
 〈プロフィル〉 Shirley Tang マサチューセッツ大学ボストン校教授。同大学でアジア系アメリカ人研究プログラムのストーリーデータ研究室を統括する。香港中文大学を卒業後、バッファロー大学で博士号(アメリカ研究)を取得。デジタルストーリーテリング教育のためのカリキュラム革新モデルの開発において、全米をリードする研究を行っている。
  

  
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