ユース特集

【18時配信】〈電子版オリジナル〉新連載「著者に聞いてみよう」――「逆張り」から見る、SNSとの付き合い方『「逆張り」の研究』著者・批評家 綿野恵太さん 2025年4月11日

 「逆張り」というネットスラング(インターネット上で使用されている俗語)があります。社会の良識や常識を嘲笑して、さまざまな人の怒りを駆り立てる、いわゆる炎上狙いの言説のことを指します。「逆張り」が流行する中、私たちはSNSとどう付き合っていけばいいのか。
 若者世代で話題になっている作品やテーマについて、作者にインタビューする新連載「著者に聞いてみよう」。第1回は『「逆張り」の研究』(筑摩書房)の著者で、批評家の綿野恵太さんに聞きました。

■SNSで流行する「逆張り」

 ――今回、SNSを通じて、取材前に読者から質問を寄せてもらいました。その中には、「うそか本当か分からないことも、共感が多ければ多いほど真実と思わされることに疑問を覚えます」(なしお・20代)など、“情報汚染”ともいえるような問題への対処法についてのコメントが目立ちました。「逆張り」という観点から、今のSNSの状況をどのように見ているかを教えてください。

 本書は、2010年から20年までの10年間、SNSを観察して感じたことをまとめたものです。タイトルに「研究」と付いていますが、論文ではなくエッセーの形を取っています。

 「逆張り」という言葉は、時代とともに多様な意味合いを持つようになりました。元々は、株式市場で相場の流れに逆らって売買する手法を「逆張り」といいました。株式が下落した時に買って、上昇した時に売る投資のことです。ちなみに、株価が上昇した時に買って、下落した時に売るのが「順張り」です。

 そうした投資手法が転じて、多数派とは異なる道を選ぶ生き方やビジネス戦略を「逆張り」と表現する人が増えました。「たとえ今、少数意見だったとしても、将来、多数意見になる」と信じて、自分の才能や努力を投資するような姿勢のことを指します。

 ただ、最近のSNSでは、「単に社会の多数派と逆のことをすればいい」という安易な言説が「逆張り」と呼ばれるようになりました。ただただ難癖をつけることだけに終始しているものが目立ちます。議論ではなく、攻撃が目的になっているともいえます。

■「今」を奪い合う「注意経済」

 ――こうした状況が激化している要因は何でしょうか。

 人々の注意や関心を集めるだけで、すぐに“お金”になる時代になったことが大きいでしょう。視聴回数や閲覧時間が収入になる、SNSや動画の仕組みを見れば一目瞭然です。「注意経済」(※)のもと、僕たちの「今」を奪い合う激しい競争が行われているのです。

※英語では「アテンション・エコノミー」という。人々の関心や注目の度合いが経済的価値を持ち、まるで貨幣のように交換材として機能する状況や概念のこと。

 そうして逆張りは、単に注意や関心を引きつけるだけのものになってしまいました。自分の信じる良識に反する言動を見ると、僕たちは「許せない!」と怒ってしまうでしょ? すると、そうした言動に非難が殺到して、すぐに炎上する。このように道徳感情を利用して注目を集め、お金にする人たちがいるわけです。

■受信者へ:「感情を誘導する技術」を意識する

 ――なかなか手強いですね。注意経済に振り回されないためにはどうすればいいでしょうか?

 一番簡単なのはSNSを見ないことです(苦笑)。

 最近、事件や事故の報道に対して「謎解き」をしようとする風潮が顕著になっています。何かの不祥事に対して、情報の真偽が不確かなまま、「実は隠されていることがある」といって、動画などで配信してしまう人がいる。そして、それを面白がって受容する人たちが後を断たない。昔から、店主と客の雑談や噂話のような“床屋政談”なんかは、どこにでもありましたが、今は拡散力がケタ違いですよね。

 しかも、好き勝手に誰でも発信できる時代になっているのだから、受信する側も賢くならなければいけません。

 感情を意図的に誘導する、今風に言えば、エモくしたり、バズらせたりする技術というものがあることを、事前に心得ておくことが必要でしょう。例えば、『ゲド戦記』の作者による『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』(フィルムアート社)を読むと、一つ参考になると思います。この本は、作者の言葉の裏にある人為的なレトリック、つまり「どうやって演出しているか」を解き明かしてくれます。

 それって、さして相手が共感しない内容であっても、比喩や誇張などのレトリックで相手を振り向かせ、考えを変えさせるだけの力がある、ということでもあります。よく考えると、非常に怖いことでもあるわけです。情報に接する際は、同じ事実であっても「プラスアルファで強調されているものがないか」と、冷静な目で見るような視点も持っておきたいものです。

■発信者へ:全知全能の人はいないことを知る

 ――なるほど。受け手としての考えは分かりました。発信する側の心構えについても聞きたいと思います。現状、すぐに逆張りやアンチコメントが付くような時代では、意見を述べること、つまり発信することをためらう人も増えていくような気がしますが。

 おっしゃる通りですね。最近、自分の気に食わない言説に、「逆張りだ」とレッテルを貼る人も増えてきました。

 ネットは「今の自分」としか出会うことができません。過去の履歴からアルゴリズムによって推測された、「今の自分」にぴったりの商品や人がおすすめされてくる。政治的な立場が違う人物とはつながらなくていい。そうなると、今の自分と似たような「類友」ばかりに囲まれる。そういう空間は快適だし、自分の考えが主流派のように思えてきます。

 すると自分の考えと異なる他者が、たまたま目に入ると、不愉快になったり不安になったりする。そんな不快な気持ちをうまく自動処理してくれる言葉が、「逆張り」です。「しょせん、逆張りでしょ」とレッテルを貼れば、「今の自分」にとって快適で安心な空間を維持できるからです。

 ――思考が停止したまま、異質な他者との対話の回路が閉ざされている感じですね。

 この世に全知全能の人なんていないし、失敗や間違いは誰にでもあるものです。しかし、ネット上ではだいたい、自分の間違いを指摘されたくないと躍起になるから、“論破合戦”になりがちです。もしも、そうした強がりを手放して、もう少し弱い部分も見せることができれば、相手も歩み寄ることができたり、協力してさらに良いものを築き上げたりもできるのにと、残念に思うことはあります。

 そうしたことができないのは、人間とのリアルな交流が足りていないんじゃないかと思うんです。対面では、自分一人でコントロールできないことも起きるので、強がってばかりはいられません。人間のコミュニケーションにおいては、自分の愚かさや迷いなども認めながら付き合っていく方が、相手も共感することができるのではないでしょうか。

 文学研究者のエドワード・サイードは、『知識人とは何か』(平凡社)という本の中で、こんなことを言っています。小説家のヴァージニア・ウルフや哲学者のサルトルなどの言葉が、どうして人々の心に響いたのかというと、自分の間違いや個人的な事情を包み隠さず、明らかにしてしまう部分があったからではないかーーと。

 ヴァージニア・ウルフは、フェミニズムの旗手のような人で、「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」(『自分ひとりの部屋』)という有名な言葉を残しています。彼女は、伝えたい意見をただストレートに述べるのではなく、自分がどのようにして、そうした考えに至ったのかを、小説風のエッセーにしてまとめてみせたんです。

 男子の大学に比べ、女子の大学のキャンパスや食事がいかに貧相だったかとかね。要は、自らの偏見や嗜好など、あまり人に見せたくないところまで、つまびらかにしたからこそ、彼女の主張が読み手に真に迫るものになったんです。

■人間らしさを求めて

 ――綿野さん自身も弱さを見せてくれるタイプですよね。著書の中でも「お恥ずかしながら」と自らの苦いエピソードも披露していて、親近感を持てました。

 恐縮です(笑)。自らの失敗談を語るテレビ番組や、パーソナル(私的)な面を垣間見せる有名人の動画が、世間で親しまれていますが、それらも先ほどのウルフの話に通じるものだと思います。

 共感を誘うような演出や言い回しに固執してもいけませんが、今の時代はもう少し、自らの失敗や弱さを提示することが肯定されるようになるといいですね。そうすることで、対立を目的とした「ゲーム」ではなく、共に生み出す「対話」の方向に軌道を変えることができるようになるのではないでしょうか。

〈プロフィル〉
 わたの・けいた 1988年大阪府生まれ。出版社勤務を経て文筆業。詩と批評『子午線原理・形態・批評』同人。著書に『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)、『みんな政治でバカになる』(晶文社)がある。

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