池田華陽会・ヤング白ゆり世代の読者と共につくりあげる連載「社会学者・とみながさんとイドバタ会議」。今回は、「若者と祈り」の最終回〈vol.4〉。「自力」と「他力」。自分を超えた力に頼ることは何を意味するのか。祈りが持つ働きを、立命館大学准教授の富永京子さんと共に改めて考えていきます。
〈インタビューの前編「若者と祈り」vol.3はこちらから読めます〉
池田華陽会・ヤング白ゆり世代の読者と共につくりあげる連載「社会学者・とみながさんとイドバタ会議」。今回は、「若者と祈り」の最終回〈vol.4〉。「自力」と「他力」。自分を超えた力に頼ることは何を意味するのか。祈りが持つ働きを、立命館大学准教授の富永京子さんと共に改めて考えていきます。
〈インタビューの前編「若者と祈り」vol.3はこちらから読めます〉
「自力」と「他力」の融合
「自力」と「他力」の融合
――20・30代の読者3人とのイドバタ会議では、共同体の誰かや、自分の想像を超えた力に頼ることなどは、「他力」に頼るということになるのか、も議題になりました。
私は「他力」の存在も非常に重要だと考えています。自分だけではできないかもしれないけれど、共同体の誰かなり、科学では説明できない何かが変えてくれる。そういった自分を超えた大いなる力を信じられるのも、「祈り」の働きの一つですよね。
勉強やスポーツでも、自分の力だけではどうにもならず、思わず何かにすがりたくなる場面がありますよね。なのに、現代社会では、そうした“自分を超えた力”を信じる感覚が弱まっている。そこに頼るくらいなら、もっと努力しようよ、となってしまう。あるいは、自身に起きた問題に対して、その道の専門家に答えを求め、カテゴライズ(タイプ分け)されることで安心感を得る場合もある。
私自身も含めて、「祈り」を持たない人は、自分一人で悩みと向き合うことをどこかで恐れているのではないかと感じます。だからこそ、すぐに具体的な解決策を求めたり、アドバイスという“言葉”で悩みを整理しようとしたり、何か行動を起こさないと安心できない。現代では、こうした“解決志向”や“行動・生産性志向”への過度な期待が、より強まっているように思います。
一方で、前回お話しした読者の3人は、「祈り」を通して悩みと対峙していました。「悩みが自分を豊かにしてくれた」とまで語り、祈りの時間の中で思索を重ね、悩みを多角的に捉え、緩和したり分解したり。さらに、共同体で悩みを語り合った経験も、祈りによって内省へとつながり、理解をより深めていました。
こうした積み重ねによって、人は“孤独”にも強くなっていく。ここでいう“孤独”とは、自分自身で考え抜く胆力を要します。これは、“孤”を恐れる現代の私たちにとって重要な行為です。そして、それは、“孤”に耐え、前に進む力を与えてくれる共同体のバックアップがあるからこそだと思います。
――20・30代の読者3人とのイドバタ会議では、共同体の誰かや、自分の想像を超えた力に頼ることなどは、「他力」に頼るということになるのか、も議題になりました。
私は「他力」の存在も非常に重要だと考えています。自分だけではできないかもしれないけれど、共同体の誰かなり、科学では説明できない何かが変えてくれる。そういった自分を超えた大いなる力を信じられるのも、「祈り」の働きの一つですよね。
勉強やスポーツでも、自分の力だけではどうにもならず、思わず何かにすがりたくなる場面がありますよね。なのに、現代社会では、そうした“自分を超えた力”を信じる感覚が弱まっている。そこに頼るくらいなら、もっと努力しようよ、となってしまう。あるいは、自身に起きた問題に対して、その道の専門家に答えを求め、カテゴライズ(タイプ分け)されることで安心感を得る場合もある。
私自身も含めて、「祈り」を持たない人は、自分一人で悩みと向き合うことをどこかで恐れているのではないかと感じます。だからこそ、すぐに具体的な解決策を求めたり、アドバイスという“言葉”で悩みを整理しようとしたり、何か行動を起こさないと安心できない。現代では、こうした“解決志向”や“行動・生産性志向”への過度な期待が、より強まっているように思います。
一方で、前回お話しした読者の3人は、「祈り」を通して悩みと対峙していました。「悩みが自分を豊かにしてくれた」とまで語り、祈りの時間の中で思索を重ね、悩みを多角的に捉え、緩和したり分解したり。さらに、共同体で悩みを語り合った経験も、祈りによって内省へとつながり、理解をより深めていました。
こうした積み重ねによって、人は“孤独”にも強くなっていく。ここでいう“孤独”とは、自分自身で考え抜く胆力を要します。これは、“孤”を恐れる現代の私たちにとって重要な行為です。そして、それは、“孤”に耐え、前に進む力を与えてくれる共同体のバックアップがあるからこそだと思います。
――創価学会の第3代会長である池田大作先生は、1993年にハーバード大学で行った記念講演の中で、「自力はそれのみで自らの能力を全うできない。他力すなわち有限な自己を超えた永遠なるものへの祈りと融合によって初めて、自力も十全に働く。しかし、その十全なる力は本来、自身の中にあったものである」と述べています。
講演の中に出てくる「理性万能主義」という言葉が非常に印象的でした。こういった思想が「人間が自力ですべてを為しうるという思いあがりを生んだ」と述べられていますね。SNS時代の今においていえば、「言葉万能主義」への警鐘として受け止めました。“言語化”や“解像度を上げる”といった言葉が流行しているのも、「分かる」ことが重要視されているからだと考えます。しかし、言語化できないもの、理性だけでは分からないことの方が実際は多い。他力だけではなく、祈りを通じて自力を見つめ、他力と自力を融合させていく。その両方のバランスが大切だと感じます。
――創価学会の第3代会長である池田大作先生は、1993年にハーバード大学で行った記念講演の中で、「自力はそれのみで自らの能力を全うできない。他力すなわち有限な自己を超えた永遠なるものへの祈りと融合によって初めて、自力も十全に働く。しかし、その十全なる力は本来、自身の中にあったものである」と述べています。
講演の中に出てくる「理性万能主義」という言葉が非常に印象的でした。こういった思想が「人間が自力ですべてを為しうるという思いあがりを生んだ」と述べられていますね。SNS時代の今においていえば、「言葉万能主義」への警鐘として受け止めました。“言語化”や“解像度を上げる”といった言葉が流行しているのも、「分かる」ことが重要視されているからだと考えます。しかし、言語化できないもの、理性だけでは分からないことの方が実際は多い。他力だけではなく、祈りを通じて自力を見つめ、他力と自力を融合させていく。その両方のバランスが大切だと感じます。
祈りがもたらす公共性
祈りがもたらす公共性
――前回のインタビューで「社会運動は宗教と距離をとってきた」とのご指摘がありましたが、両者が歩み寄りながら、互いに社会のために果たしうる役割とはなんでしょうか。
先に述べたとおり、「社会運動」と「宗教」の距離は遠いと思われがちですが、決してそんなことはないと思います。例えば、ある会社で働く青年が、賃金が低すぎると悩んでいるとします。自分自身の収入だけを考えるのであれば、副業やスキマバイトで稼げばいいのかもしれない。それなら、コスパもいいし、早く結果も出ます。しかし、それでは、個人でしか生きていない。もし、自分が倒れてしまったら、誰も助けてくれないわけです。
では、この問題を労働組合に相談した場合はどうでしょう。たしかに時間や労力といったコストはかかるかもしれませんが、自分の困り事が他者にも共有されて、労働問題解決の事例となるかもしれない。すると、自分が倒れた時、誰かが守ってくれる体制ができる。社会変革の実績として公共性を持つわけです。
私は、こうした公共性を「祈り」にも見いだしました。「祈っても、かなっていないこともある。でも、まだわからないし、その時間が自分を成長させてくれた」という読者の言葉は発見でした。
祈りがすぐにかなうわけではない。自分のことだけでなく、他者のこと、社会のことを祈る分、時間はかかる。しかし、その分、個人の世界だけでは想像しなかったことにまで、考えを巡らせることができる。個人主義が進む現代にあって、こうした祈りの持つ公共性は、社会を豊かにし、結局は個人も豊かになっていくのではないでしょうか。
個人の生活があって共同体は成り立つし、個人や共同体を通じて社会を変えることができる――祈りも社会運動も同じプロセスを踏んでいると理解していくことが、互いの距離を縮め、手を取り合いながら社会に貢献していくうえで大切だと感じました。
――前回のインタビューで「社会運動は宗教と距離をとってきた」とのご指摘がありましたが、両者が歩み寄りながら、互いに社会のために果たしうる役割とはなんでしょうか。
先に述べたとおり、「社会運動」と「宗教」の距離は遠いと思われがちですが、決してそんなことはないと思います。例えば、ある会社で働く青年が、賃金が低すぎると悩んでいるとします。自分自身の収入だけを考えるのであれば、副業やスキマバイトで稼げばいいのかもしれない。それなら、コスパもいいし、早く結果も出ます。しかし、それでは、個人でしか生きていない。もし、自分が倒れてしまったら、誰も助けてくれないわけです。
では、この問題を労働組合に相談した場合はどうでしょう。たしかに時間や労力といったコストはかかるかもしれませんが、自分の困り事が他者にも共有されて、労働問題解決の事例となるかもしれない。すると、自分が倒れた時、誰かが守ってくれる体制ができる。社会変革の実績として公共性を持つわけです。
私は、こうした公共性を「祈り」にも見いだしました。「祈っても、かなっていないこともある。でも、まだわからないし、その時間が自分を成長させてくれた」という読者の言葉は発見でした。
祈りがすぐにかなうわけではない。自分のことだけでなく、他者のこと、社会のことを祈る分、時間はかかる。しかし、その分、個人の世界だけでは想像しなかったことにまで、考えを巡らせることができる。個人主義が進む現代にあって、こうした祈りの持つ公共性は、社会を豊かにし、結局は個人も豊かになっていくのではないでしょうか。
個人の生活があって共同体は成り立つし、個人や共同体を通じて社会を変えることができる――祈りも社会運動も同じプロセスを踏んでいると理解していくことが、互いの距離を縮め、手を取り合いながら社会に貢献していくうえで大切だと感じました。
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