信仰体験

〈Seikyo Gift〉 息子を襲った2度の苦難に負けず〈信仰体験〉 2024年5月25日

宿命 笑い飛ばしまっせ
訪問ボランティアのマジックショーが人気

 
 【堺市北区】おかしくて、悲しくて。つらくて、たくましくて。大阪のド根性を、この夫婦に見た。夫の上本一男さん(73)=副本部長=と、妻のまさ子さん(75)=地区副女性部長。「楽しい。ほんまに楽しい。福運いっぱいの人生ですわ」。カラッと話すが、辛酸は群を抜いている。
 

 
 夜になっても蒸し暑かった、2000年(平成12年)7月のその日。電話が鳴った。「息子さんが交通事故で、意識不明の重体です」
 夫婦は車で病院に急行した。視線の先には、たくさんの管につながれた次男・泰弘さん(44)=壮年部員=の痛々しい姿があった。診察室で医師に説明された。あごや頰、顔面のほとんどが骨折している。そして、脳挫傷の診断。一命は取り留めたが、「意識は戻らないかもしれない」と告げられた。
 
 夫婦の心が一瞬、乱れる。しかし、「題目や! 題目で勝つしかないやないか!」。夫婦は御本尊に向かった。同志も祈りを合わせてくれた。手術から20日後、泰弘さんが目を覚ます。
 
 高次脳機能障害が残ったものの、“祈り、支えてくれた皆さんに恩返しを”と泰弘さんはリハビリに懸命だった。3年後には調理師専門学校へ入学し、免許を取得。料理人として、社会復帰を果たした。
 息子は勝ったんや。一男さんとまさ子さんは、そう思った。
 だが、本当の戦いはそれからだった。
 

 
 事故から13年後の5月、まさ子さんは自宅の2階から激しい物音を聞いた。階段を駆け上がった。泰弘さんが倒れていた。尋常でない量の汗をかいている。「水、水……」と消え入りそうな声に、ペットボトルを口に運ぶも喉を通らない。救急車で運ばれた。
 重度の熱中症により「多臓器不全を起こしている」と医師。“負けたらあかん”と夫婦は祈りに祈った。
 
 幸い、泰弘さんは、1週間後に意識を取り戻す。だが、耐えがたい現実に直面した。左手足が全く動かない。寝たきりの入院生活。真っ白な病室の天井を見上げながら、一人こぼした。
 「生きててもしゃあない」
 
 その一声はつらかった。一男さんとまさ子さんは、顔では平静を装いながら、心はどん底だった。
 はい上がる力を、小説『新・人間革命』に求めた。池田先生の言葉が、二人の目に飛び込んできた。
 
 「勝負の時には、断じて勝つと心を定めて、獅子の吼えるがごとく、阿修羅の猛るがごとく、大宇宙を揺り動かさんばかりに祈り抜くんです」
 

 
 どん底から何度もはい上がることが、幸福の直道だ。そう思えるようになるまで、ただひたすらに題目を唱え抜く。負けてられへん! 命が燃えた。
 
 「これは一家の宿命転換の戦いやなって。池田先生と共に勝とうと決めたんです」
 
 ピンチで気張るド根性。一男さんとまさ子さんは、明るい顔で病室の息子を訪ねた。胸に響くは、師匠の「頑張れ、頑張れ」という大声援。
 

 
 援軍もあった。料理人など夜間勤務の多いメンバーが所属する雄渾グループの同志が、いつも枕元の椅子に座って泰弘さんの話を聞いてくれた。「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)。御文をメモした紙を手に、心が前を向くまで隣にいてくれた。
 
 泰弘さんは、約1年間の入院生活を終えた。高次脳機能障害の影響で、記憶が抜け落ちてしまったり、言葉が理解できなくなったり、もどかしさは消えない。時には、頭が混乱し、包丁を手に大声を出すこともあった。
 
 「一番苦しいのは泰弘や」。夫婦は御本尊の前に座り続けた。阿修羅の猛るがごとき祈り。本紙の体験談を見せては「絶対によくなるよ」と、出口の見えないトンネルで語り続けた。
 そして――親の大確信が息子に届く。泰弘さんは退院後も自主的にリハビリを。団地の周りを歩いて、歩いて、歩き続けた。
 

 
 しとしとと雨が降る日も歩いた。「さすがに、きょうはやめておいたら」と、一男さんとまさ子さんは声をかけた。泰弘さんは「これくらいなら行けるわ」。靴を履きながら、ポツリ、ポツリと話した。「僕が歩くことは、誰かの希望になるんちゃうかって思うから。見ててくれる人のためにも負けられへんやん」
 傘も差さずに出かける息子の背中。一男さんとまさ子さんの目には頼もしく映った。
 
 雨の日も雪の日も、泰弘さんは1日5000歩を目標に歩いた。挑戦であり、格闘であった。息子に負けまいと、一男さんとまさ子さんも挑戦に打って出る。それは、マジックショーだった。
 「なんでマジックやねんって思われるでしょうね」と頭をポリポリ。実は、「ミスター・ジョウホン(上本)」という名で、市内の介護施設や老人ホームを訪問ボランティアに回り、マジックを披露している。
 

 
 ――いかにもきらびやかな衣装を身にまとい、いかにもハトが出そうな箱からハトを出す。時には、人も切断してみせる。場内がどっと沸く。
 30分のショーが終わると、今度はまさ子さん(芸名・藤あやの)が、いかにもきらびやかな赤と黒の衣装でマイクを握り、「流恋草」「大阪ラプソディー」といった懐メロのオンパレード。喉を聞かせる。終了後には観客から「来週も来てやー」と、やんややんやの大歓声。
 

 
 宿命の渦中で、腹から笑って何が悪い。笑いの力は、常勝関西の十八番。「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」(新2156・全1598)。師弟の世界に感傷はいらない。
 親子の戦いは3年、5年、7年、10年、20年。散々だった過去は、丸ごと宝になった。
 
 泰弘さんのみじんも動かなかったその一歩は今、明日へ向かって確かに踏み出している。左手足は動かないままだが、一人で洋服のボタンを留め、ジムにも通う。毎日、作業所で働き、父母の誕生日には感謝の手紙とともにプレゼントを欠かさない。
 
 試練の真っただ中で、誰かの笑顔を引き出してきた上本さん夫婦。「それが私らやから。祈ってきたとおり、福運に満ちた歩みやと確信してますよ。楽しいてしゃあない人生ですわ」
 宿命だって笑い飛ばす。堂々の勝利宣言。家族が春をつかんだ証しだ。