新・人間革命に学ぶ

小説「新・人間革命」に学ぶ 第30巻〈下〉 解説編 池田主任副会長の紙上講座 2021年7月28日

連載〈世界広布の大道〉

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第30巻<下>の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

紙上講座 池田主任副会長
ポイント
①青年を育てた20年
②世界広布の礎を築く
③第2の「七つの鐘」

 第30巻<下>は、1981年(昭和56年)から2001年(平成13年)の、20年にわたる“広布の軌跡”が描かれています。
  
 この20年間は次の2点に集約することができます。①青年を励まし、青年を育てる20年②世界広宣流布の礎を築く20年――であります。
  
 「勝ち鬨」の章は、61日間で北半球を一周する海外平和旅を終えた山本伸一が、結成30周年を記念する青年部総会に祝電を送る場面から始まります。そして、「誓願」の章は、青年部の結成50周年の意義を込めた本部幹部会で締めくくられています。
  
 青年への励ましで始まり、青年への励ましで終わる――まさに、青年を育てることに魂を注いだ20年間の象徴ではないでしょうか。
  
 1981年11月、第1次宗門事件で苦しんできた四国を訪問した伸一は、四国男子部の要請を受け、彼らが作成した愛唱歌の歌詞に筆を入れます。さらに、二十数回もの推敲を重ね、完成したのが「紅の歌」でした。
  
 さらに、同年12月、宗門事件の謀略の嵐が吹き荒れた大分では、県青年部幹部会に出席し、長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」を発表。「『二〇〇一年五月三日』を目標に、広布第二幕の勝負は、この時で決せられることを銘記して、労苦の修行に励みゆくよう訴え」(116ページ)ました。
  
 81年は宗門の悪僧らの理不尽な学会攻撃に対して、本格的な反転攻勢が開始された年です。
  
 伸一は、「新しい時代の夜明けを告げようと、『時』を待ち、『時』を創って」(54ページ)いきます。その焦点こそが青年でした。「常に青年の育成に焦点を当て、一切の力を注いできた」(209ページ)のです。
  
 今月、男女青年部は結成70周年の佳節を刻みました。池田先生は、それぞれの記念の大会にメッセージを寄せ、男子部には「従藍而青のスクラム」、女子部には「旭日のスクラム」を広げゆくことを呼び掛けました。
  
 「青年たちよ! 学会を頼む。広布を頼む。世界を頼む。二十一世紀を頼む」(201ページ)――師の思いに応え、新章節を開きゆく青年を先頭に、各部一体で青年・未来部を育成し、青年のスクラムを拡大していきましょう。

金剛不壊の大創価城

 第30巻<下>で描かれる20年は、世界宗教へと飛翔を遂げた20年でもありました。SGI会長である伸一は世界各地を訪れ、海外の友と“師弟の絆”を結んでいきます。
  
 この間、伸一に対して「桂冠詩人」(81年)、「世界桂冠詩人賞」(95年)や、国家勲章、大学からの名誉学術称号などが贈られます。こうした栄誉は、「学会の平和・文化・教育運動への高い評価であり、各国同志の社会貢献への賞讃と信頼の証」(252ページ)でした。
  
 また、伸一は、各国の指導者との対話にも力を注ぎます。その行動は、「世界平和を実現する道になり、また、学会への理解を促し、その国の同志を守ることにもつながっていく」(同)との信念の発露でした。
 世界広布の潮流が広がる中で、第2次宗門事件が起こります。第1次宗門事件の後も、伸一は一貫して、「僧俗和合への最大の努力を払い、宗門の外護に全面的に取り組んで」(289ページ)いきました。
  
 しかし、宗門は「悪鬼入其身」と化し、信徒支配の体質を現しました。宗門は「自ら学会から離れていった」(335ページ)のです。
  
 創価の同志は、悪辣な謀略を冷静に見抜き、破邪顕正の情熱をたぎらせて、敢然と戦いました。それを可能にしたのは、ただ同志のためにと、生命を削る覚悟で励ましを送り続けてきた、伸一の戦いがあったからです。
  
 第1次宗門事件の折、伸一は「もう一度、広宣流布の使命に生き抜く師弟の絆で結ばれた、強靱な創価学会を創ろう」(314ページ)と行動します。
  
 「そのなかで後継の青年たちも見事に育ち、いかなる烈風にも微動だにしない、金剛不壊の師弟の絆で結ばれた、大創価城が築かれて」(同)いきました。その絆は、国内にとどまらず、世界にも広がっていきました。
  
 本年は、「魂の独立」から30周年。宗門の鉄鎖を断ち切り、“創価のネットワーク”は、世界192カ国・地域に広がっています。感染症や気候変動など、地球規模の危機に直面する今、「世界の同志が草の根のスクラムを組み、新しい平和の大潮流を起こす時」(433ページ)です。

一人の本物の弟子

 第30巻<下>の最後に描かれているのは、2001年11月の本部幹部会です。伸一は胸中で、青年たちに「共に出発しよう! 命ある限り戦おう! 第二の『七つの鐘』を高らかに打ち鳴らしながら、威風堂々と進むのだ」(436ページ)と語り掛けます。
  
 この場面で小説が終わっているのは、「広宣流布という大偉業は、一代で成し遂げることはできない。師から弟子へ、そのまた弟子へと続く継承があってこそ成就される」(434ページ)とある通り、第2の「七つの鐘」の構想実現を池田門下に託したということではないでしょうか。
  
 第1の「七つの鐘」は、1930年(昭和5年)、学会創立から始まりました。伸一は、先師・恩師の構想を、7年ごとの前進の中で次々に実現していきます。そして、第1の「七つの鐘」は、79年(同54年)に鳴り終えます。
  
 2001年、第2の「七つの鐘」が始まります。
  
 第2の「七つの鐘」の2番目の鐘が打ち鳴らされた08年からの7年間、広宣流布大誓堂が落成(13年)。全世界の池田門下が団結し、世界広布新時代が開幕します。
  
 さらに、3番目の鐘の始まりである15年からの7年間では、世界宗教としての体制を確立するとともに、小説『新・人間革命』の完結(18年)を刻みました。
  
 明22年から、いよいよ4番目の鐘が打ち鳴らされます。第2の「七つの鐘」が鳴り終える50年には、学会創立120周年を刻みます。第2の「七つの鐘」は、池田門下の団結と前進の指標でもあります。
  
 第30巻<下>の結びで、伸一は恩師・戸田先生の「中核の青年がいれば、いな、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる」(434ページ)との言葉を紹介しています。
  
 全ては真剣な一人から始まります。創立100周年の2030年を目指して、自らが「一人の本物の弟子」として立ち上がり、わが人間革命の歴史をつづってまいろうではありませんか。

名言集
●毀誉褒貶の徒

 学会を担う主体者として生きるのではなく、傍観者や、評論家のようになるのは、臆病だからです。また、すぐに付和雷同し、学会を批判するのは、毀誉褒貶の徒です。(「勝ち鬨」の章、183ページ)

●若き逸材

 新しき時代の扉は青年によって開かれる。若き逸材が陸続と育ち、いかんなく力を発揮してこそ、国も、社会も、団体も、永続的な発展がある。(「誓願」の章、209ページ)

●核兵器への認識

 核兵器の脅威は、実際に被爆し、苦しみのなかで生きてきた人たちの生の声に耳を傾け、映像や物品などを通し、破壊の現実を直視してこそ、初めて、実感として深く認識することができる。(「誓願」の章、236ページ)

●統合の哲学

 分断は分断を促進させる。ゆえに、人間という普遍的な共通項に立ち返ろうとする、統合の哲学の確立が求められるのである。(「誓願」の章、273ページ)

●本物の信心

 広宣流布の途上に、さまざまなことがあるのは当然の理である。しかし、何があっても恐れず、惑わず、信心の眼で一切の事態を深く見つめ、乗り越えていくのが本物の信心である。(「誓願」の章、285ページ)