企画・連載

〈識者が見つめるSOKAの現場・番外編〉 インタビュー 東京大学大学院・開沼博准教授「奄美群島を訪れて」 2025年4月21日

 2022年3月から本紙で連載され、好評を博した企画「SOKAの現場」。全国各地の創価学会員の「価値創造の挑戦」を取材ルポで紹介するとともに、東京大学大学院の開沼博准教授が現場に足を運び、社会学の視点から考察した寄稿を掲載。昨年7月には、潮出版社から『「外部」と見た創価学会の現場』として書籍化された。ここでは、その関連記事を電子版で公開する。

●なぜ、師弟関係を再現できるのか

 ――昨年9月、開沼さんは奄美大島、徳之島を訪問し、現地の創価学会員と交流されました。社会学者として、中心から外れた「周縁的な」地域や人たちを対象に研究を続けてこられた開沼さんにとって、奄美群島のメンバーの話は、いかがでしたか。
  
  
 開沼 皆さんの話からは、2022年3月から連載した「SOKAの現場」では答えが出せなかった点について、得心する部分が多々ありました。
  
 創価学会における師弟関係は、外部から見るととても不思議です。つまり、「なぜ学会員はみな『池田先生はすごい』というのか」とよく分からない。それが、日本国内のみならず世界中で、しかも世代を超えるかたちで普遍的な再現性を持っている理由はどこにあるのか――。
 これが、約2年間の新聞連載を通して私が抱き続けていて解けなかった疑問です。師弟関係の再現性の仕組みを解き明かしてみたい。そんな私の思いに応えてくれたのは、千葉県から奄美大島にUターンしたある会員(女性部、白ゆり長)の次のひとことでした。
  
 「千葉にいる時よりも、奄美に帰ってからのほうが、池田先生を近くに感じる」
  
 

 南西諸島の一部である奄美群島には、交通や物流、情報の伝達に不便がある上に、島特有の因習もあった。そんな奄美大島に学会員が誕生したのは1955年頃とされており、63年には池田会長も出席して、総支部の結成大会が開催されたそうです。
  
 67年には、龍郷村(現・龍郷町)で、集落を挙げた学会への弾圧事件(龍郷事件)が起きます。理不尽な経験をした学会員が、次第に地域から信頼される存在になり、後に龍郷町で区長を務める人まで出るようになった。群島内には全世帯が一度は聖教新聞を購読した集落もあると。
  
  
 ――地理的には“周縁”とされる奄美群島ですが、今や会内では“広宣流布のモデル地域”とまで言われています。
  
  
 開沼 都市部に多くの若者が流れ込んだ1960年~70年代。この都市部で爆発的に学会員が増えたという話は比較的分かりやすい。ただ、地方で、日本の周縁部においても会員が増えた理由は何か。
 そこに、この外部から見て不思議な学会の「師弟関係」とはなんぞやという問いをひもとくヒントがあるのではないか。それが、千葉に住んでいた方の「奄美に帰ってからのほうが、池田先生を近くに感じる」との言葉でした。
  

●アイデンティティーの二重性

 ――奄美で感じたことを具体的に教えてください。
  
  
 開沼 はい。キーワードは“アイデンティティーの二重性”です。奄美の人々は、地縁・血縁的な昔ながらのコミュニティーに軸足を置きつつ、同時に国内外に接続する創価学会というコミュニティーに属しています。
 後者のコミュニティー=創価学会が奄美の会員にもたらしたものは相互扶助であるものの、しがらみともなる地域のコミュニティーの束縛を軽やかに超えた自由さです。
  
 奄美の草創の会員は、若かりし頃を「座談会も他の活動もすべてが楽しかった」と振り返っていました。例えばだいぶ前のことなのに「池田先生が海外指導に行った際に入手した玩具を未来部員に贈ってくれた」と、今でも多くの人がうれしそうに語る。
 そこには、地域のコミュニティーに足場を置くだけでは得られない自由さ、広い世界に視野を広げる機会があった。その時に池田会長の目に何が映っているのか想像し深く考える、いわば自分にそれをインストールしようという感覚のようなものがあったように見えます。
  
 

 ローカルに根差しながら、同時にグローバルにつながる。創価学会の師弟関係は奄美を含めた周縁部にその機会をもたらしてくれる。
 だからこそ、創価学会はどんな過疎地域にいっても存在し、その師弟関係は普遍的に再現性を持つ。それ故に、物理的な距離を簡単に超え、「奄美に帰ってからのほうが……」という実感が生まれる。
  
 地域住民と学会員という二重のアイデンティティーを象徴する言葉もありました。先述の龍郷事件をリアルタイムで経験した草創の会員の方が「同じくらいにつらかったのは保徳戦争だった」と語っていたのです。
  
  
 ――龍郷事件は、1967年に行われた鹿児島県議会選挙で公明党の候補者が当選したことをきっかけに起きました。龍郷村の人々が、学会員を村八分にしたり、脱会を強要したり、御本尊を取り上げたり、学会撲滅のデモを行ったりしたのです。
 一方の保徳戦争とは、1980年代の衆議院選挙の際に起きた保岡興治氏と徳田虎雄氏の間の政治的対立です。90年代に入って公職選挙法が改正されて両者の直接的な対立はなくなりましたが、長きにわたって学会員を含めた住民の中に分断を生じさせた出来事といわれています。
  
 

  
 開沼 自身の根幹を成す信仰への弾圧と、地域社会に生じた分断を「同じくらいつらかった」と語る草創の方の言葉に、学会員のなかにあるアイデンティティーの二重性が見えます。
  
  
 ――創価学会の牧口常三郎初代会長は、著作『人生地理学』のなかで「郷土民」「国民」「世界民」という三つのアイデンティティーを持つことの意義を論じています。開沼さんが言われる「アイデンティティーの二重性」と重なりますか。
  
  
 開沼 そうですね。「アイデンティティー」って「自己同一性」と訳されることもあるんですが、「同一」ではなく複数あっても良い。むしろ複数あるほうが健全だ、というのが近年の議論です。「日本国民」であり「会社員」であり「アイドルの推し活に熱心」であり「地域の担い手」でもあるというように。
 例えば戦争の時は「私は◯◯人です」と、多くの人が自分のアイデンティティーを「国民」であることに絞っていく。そうすると、いろいろ追い詰められる人、極端に走る人などが出てくる。アイデンティティーを複数持てるとそうはなりにくくなる。
 創価学会がこれだけ巨大になった背景には、「創価学会員」というアイデンティティーを持つことが、自然と複数のアイデンティティーを持つことに直結していることもあるでしょう。
 その時に、実際に行っていない国、会ってない人に会う「経験」を池田名誉会長の言葉や行動を想像する中で重ねていく。これが師弟関係の核の一つなのではないでしょうか。
  

●内部を見て感じた“手触り感”

  
 ――取材を終えた開沼さんは「池田先生を近くに感じる」との言葉に“手触り感”があるとおっしゃっていました。これはどういう意味ですか。
  
  
 開沼 1960年代から70年代にかけての学会員の増加に着目した際、学会内部の“実感”と外部の“認識”にはギャップがあるような気がしています。
 奄美の人々を含めて、内部の人々の話を聞いていると、学会の信心が貧困の克服に機能したという捉え方をしている一方で、外部のとりわけ学識者の中には高度経済成長によって日本全体が豊かになっただけだという冷ややかな見方をしている人がいます。
  
 つまり「あなたが豊かになったのは信心のおかげじゃなくて、高度経済成長のおかげだ」と。学会員の方はいや違う、とおっしゃるでしょう。この議論のすれ違いの根本にあるのは、外部から眺めているだけでは分かり得ない“手触り感”です。
  

 奄美に最初の学会員が誕生したのが1955年頃。重い貧困はノロなどのシャーマニズムや既存の念仏ではなかなか救われない。そこに、先に触れた「郷土民」「国民」「世界民」のような誰でも理解しやすい視点を持った理論と実践のしやすさとを伴った創価学会の運動が入ってきた。
 実践には二つの方向性がある。座談会などを通したリアルなコミュニティー形成と、1965年に日刊化された聖教新聞をはじめとするメディアによる想像上のコミュニティー形成と。両者にとって、社会の発展は表裏一体のものでした。
  
 例えば、映像メディアの発展。1989年に本部幹部会の中継が始まりますが、中継が始まるずっと前に、会員が映写機を担いで島内を回っていたと。豊かになった便利になった、その社会の発展の実感は、奄美の会員それぞれの個人史の中では学会の活動と結びついていた。そこには必ず手触り感があるわけです。
  

●学会が果たす“再埋め込み”の機能とは

 ――地域社会に対して創価学会が果たした役割について、社会学の見地から言えることはありますか。
  
  
 開沼 社会学に「埋め込み」と「脱埋め込み」という概念があります。「埋め込み」とは、人が地域やその土地の歴史、人間関係などに埋め込まれた状態を指し、例えば「ゆい・もやい」と呼ばれる慣習は、「埋め込み」を前提に社会を回していく象徴です。
 一方で、現代人は社会に埋め込まれない、それでも社会は回っていく。例えば工場で仕事をするにしても、ひとこと「休みます」と言えばすぐに代わりがきくようにでき上がっている。そんな、地域社会への埋め込みから解き放たれた状態を「脱埋め込み」と呼びます。
  
 この脱埋め込みは、よく言えば地域のしがらみからの解放と捉えられますが、アイデンティティーの喪失とも表裏一体のものでもあります。自身の存在意義を実感できずに、不安感に苛まれる若者は少なくありません。

  
 埋め込み・脱埋め込みという文脈で考えた時に、創価学会が地域社会に対して果たした役割は「再埋め込み」です。学会員の方々から聞くけど、外部ではあまり聞かない言葉に「縁する」という言い方があります。
 一般的に「縁」という言葉はbeing(状態)として使われますが、学会員はdoing(行為)として使います。それは、自ら積極的に縁していく、激励していくという学会員の姿勢をよく表している言葉遣いです。
  
 つまり、「脱埋め込み」化されてアイデンティティー喪失の中にある人々に働きかけ、再びアイデンティティーを得る機会をつくっていく。「縁する」という言葉に現れる姿勢には、そのように地方で学会が拡大する機能が象徴されています。
  

●周縁こそが時代を先んじる

  
 ――地域社会との関係性でいうと、奄美群島の徳之島を訪問した際に、開沼さんは、学会の会館で行うイベントに多くの友人を招いて開催していることに着目されていました。会館の地域への開放は、セキュリティーの観点なども考慮しながら各地で検討されていますが、徳之島では以前から災害時に、一時避難所として会館を開放してきました。
  
  
 開沼 学会の中では先進的な動きだと思います。そして、こういう地域内外の線を消す動きは、今後の創価学会にとって重要な動きではないでしょうか。
 文化人類学に「中心で光を浴びているものは、実は最初に必ず周縁から現れる」という議論があります。国内外問わず、著名人、偉人は必ずしも名家・都会のど真ん中の出身ではない。
 ちょっと外れたところから出てきた人が多い。中心=都会はいつでもヒト・モノ・カネ・情報が集まって創造的に見えますが、その創造的なものっていうのは、元々は周縁にあったものが突如、中心で革命を起こして生まれる。

 学会においても、いま奄美で取り組まれていることを中心が取り上げ、それが全国に波及されることがあるのかもしれません。
  
 私の目には、池田名誉会長は常に周縁を中心に位置づける意識をお持ちだったと映っています。
 沖縄戦を経験した学会員に対する「一番苦しんだ人が、一番幸せになる権利がある」との指針、これが全国の学会員に拡がっているのはその象徴です。
  
 周縁の人たちに対して、「あなたは中心にとっても非常に大事な役割を担っている」というメッセージを発することで包摂していく。これもまた、物理的な距離を超えた師弟関係の再現性に結びついているのでしょう。
 
 ●最後までお読みいただき、ありがとうございました。下記メールにご感想をお寄せください。今後の連載の参考にさせていただきます。
 youth@seikyo-np.jp

 本紙の連載企画「SOKAの現場」を書籍化した『「外部」と見た創価学会の現場』〈潮出版社刊。1430円(税込み)〉が好評発売中。
 全国各地の創価学会員の「価値創造の挑戦」を追った取材ルポと、東京大学大学院の開沼博准教授の「解説」で構成。月刊誌「潮」に掲載された、作家の佐藤優氏と開沼准教授による対談も特別収録されている。