聖教ニュース

〈ヨハネスブルク発〉 南ア最大の旧黒人居住区・ソウェト訪問 「虹の国」へと進む創価家族 2026年6月29日

マンデラ氏と池田先生の友情を希望として

 【ヨハネスブルク】谷川SGI理事長らが26日に訪れたソウェトは、アパルトヘイト(人種隔離)という過酷な差別政策が存在したことを伝える、象徴的な場所である。
 
 今年でアパルトヘイトの法的撤廃から35年。制度の上での差別は消えても、住む場所の隔たりは残る。200万人ともされるソウェトの街を歩く人は皆、黒人だ。またソウェトの中でも、きれいな住居が並ぶ通りと、バラックが密集するエリアがあり、経済格差の根深さが見て取れた。
 
 1950年代から、数多の黒人がこの地に強制移住させられた。当初は電気も水道も引かれず道路も舗装されていなかったという。広がる抵抗運動には、容赦ない弾圧が加えられた。
 
 一方、厳しい差別が長く続いた分、黒人解放の喜びも絶大だった。1990年2月、27年の獄中生活から釈放された人権闘争の指導者、ネルソン・マンデラ氏がソウェトの自宅に戻ると、群衆が家の前で夜明けまで歌い、踊り、氏は眠れぬほどだったという。その日以来、日夜、多くの同胞が氏の自宅を囲み、歓喜に沸いた。この建物は現在、博物館となっている。
 
 しかし当時、マンデラ氏の釈放の高揚感と歓喜がそのまま、真に平等な民主国家につながったわけではない。全人種が等しく一人一票を投じる民主選挙の実現を目指し、マンデラ氏は、白人政権と張り詰めた交渉を重ねていく。とともに、政治的路線が異なる黒人同士の抗争も激化し、黒人居住区も激しい対立の舞台となる。氏は同胞に“武器を捨てよ”と呼びかけた。
 
 多くの難題に直面しながらも氏は決して退かず、皆が「和解」できる道を切り開き、94年に全人種参加の民主選挙が実現した。

人間尊敬の心で差別の壁を破る

 不屈の行動を貫いたマンデラ氏の根底にあった考え方が、南部アフリカに伝わる「ウブントゥ」である。
 
 氏の説明によれば、ウブントゥは「私たちは他者を通してのみ人間として存在する」(グロービス経営大学院訳『信念に生きる』英治出版)という意味。人は一人ではなく、互いに影響し合い、共に生きる存在との人間観だ。
 
 ウブントゥを端的に「人間性」「人間主義」と言い換える人もいる。
 
 氏は自伝の中で、長い獄中生活を通じて白人の看守と打ち解け、「わたしを檻に閉じ込めていた側にも、本質的な人間性がある」(東江一紀訳『自由への長い道』日本放送出版協会)と強く感じたと振り返っている。
 
 今、南アのメンバーが心に刻む指針がある。池田先生が生前、最後に記した随筆である。そこで先生は、このウブントゥの知恵と、マンデラ氏について言及した。
 
 曰く、「万人の生命に本来、十界が互具し、なかでも平等に尊極の仏性が具わると見る仏法の哲理。それは『ウブントゥ』というアフリカの人びとがもつ知恵と、深く響き合っていると思えてならない」(「随筆『人間革命』光あれ」〈人材の城を 平和の園を!〉)と――。
 
 本紙への掲載は、2023年11月15日。先生が霊山へと旅立った、その日の紙面であった。随筆は「(マンデラ氏は)人間尊敬の揺るがぬ信念から、人種差別の社会体制の厚い壁をも突き崩していった」と続く。
 
 一貫して「21世紀はアフリカの世紀」「アフリカに学べ!」と訴えてきた先生が、変わらぬ姿勢で、彼ら彼女らの知恵に学びゆこうとした随筆を、南アの同志は大きな誇りとしている。

輝く瞳の青年

 池田先生は2度、マンデラ氏と語り合っている。初会見は1990年10月。釈放から8カ月、出獄してなお多くの難題に直面する氏を、先生は500人の青年と共に大歓迎した(東京・信濃町)。先生は、人権展や反アパルトヘイト写真展の開催、教育支援、文化・教育交流等、次々と、具体的に提案した。民衆を愛し、青年を信じる両者の心が共鳴したひとときだった。
 
 二度目の出会いは、95年の7月(東京・港区の迎賓館)。黒人初の南アフリカ大統領として来日した氏に、先生は、先の語らいで交わした約束が、どれも実現していることを伝えた。
 
 氏は再び笑顔を見せた。「5年前の出会いを、私は忘れません。あの輝く瞳の青年たちとともに、温かく迎えてくださった」
 
 氏は、自身の逝去前年の2012年にも、先生へメッセージを寄せている。
 
 「これからも日本、そして世界の青年たちの力になり続けてくださるように」と。

人間性の光で

 谷川同理事長が激励に訪れたソウェトのメンジー・ツォテツィさん宅での懇談で、同席したマセコ支部青年部長は語った。彼女もソウェト在住だ。「今、多くの人が苦しんでいます。明日のパンを買えない人もいる。でも私は絶対に諦めません。仏法では振る舞いが最も大切です。誠実に周囲の人々に接し、どんなに長くかかっても、この地域に仏法を広めます」
 
 同じく懇談に同席したクリフ・バラーティーさんは信心を実践して約2カ月。「メンジーに誘われた唱題会の雰囲気が気に入ったんです」。唱題会を除くと、この日の懇談が初めての“会合”だという。仕事はラッパー。レーベルに属して既に曲も発表している。今、「ウブントゥ」という名の曲を作っていると笑顔を見せた。
 
 人間性の光でソウェトを照らす友。ここに誰もが等しく輝く「虹の国」への希望がある。